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異世界恋愛譚

無垢な小鳥がついた嘘

気づいたら己の欲望のままに書いていた作品です。作者の趣味を詰め込んでいるので、よく分からない点もあると思いますが、「異世界だから!」で納得していただけると幸いです。


よろしくお願いいたします(*^^*)

 最初はただの少女の戯れ言だったと思う。

 父に言うように、兄にねだるように。

 親愛に似た感情によるものだったはずだ。


 いつからだろうか。その大きな瞳に甘やかな光が宿り、熱を帯び始めたのは。

 いつからだったろうか。僕がその瞳から目が離せなくなってしまったのは。


 溺れてはいけない。その少女とは思えない妖しい瞳に絡め取られてはならない。


 それでも、彼女を拒絶することが出来ないのは、僕の我儘なのだろう。



 ****



「あっ!おはようケビン!今日はお仕事でいらっしゃったの?それともお兄様とお話するため?」


 頬を上気させ、レースをふんだんに使ったドレスをふわふわと揺らしながら駆けてくる少女。

 後ろから泣きそうな顔で追ってくる使用人達のためにも、ここは走らないように咎めた方が良いのかもしれないが、雛鳥のようなその愛らしさについつい温かく見守ってしまう。



「おはようございます、姫様。あまり使用人達を困らせてやらないで下さいませ。またお母様からお叱りを受けてしまいますよ?」


 そう言いつつ、自分の胸に飛び込んできた無垢な少女を抱きとめる。


「だって!私がケビンを見つけても、お兄様のお邪魔になるから行ってはいけないと皆が言うんだもの。私だけケビンとお話が出来ないなんて悲しいわ!!」


 そう頬を膨らませて抱きついてくるのは、驚くことにこのソルティア王国の王女様である。相手がただの男ならば、王女を抱きとめ行動を咎めるなどという行為は処刑ものかもしれない。それだけこの国で王族の権威は確固たるものであり、彼女は大切に大切に育てられてきたのだ。僕だって、彼女の兄である王太子殿下の親友という立場でなければ彼女に触れることすら出来なかっただろう。


 そんな彼女は何故か僕に懐いていた。事ある(ごと)に王太子殿下と僕のもとへ来ては、僕に遊ぼうとねだる。おこがましいかもしれないが、僕はそんな王女様を妹のように思っていたし、彼女も僕のことをもう一人の兄だと言ってくださっていた。


「お兄様とのお話はもう終わりましたよ。この後は特に予定もないですし、姫様の都合が宜しければ僕と遊んで下さいませんか?」


 途端にぱっと顔を輝かせて、今日は何をして遊ぼうかと考え始めた王女の後ろでは、ほっとしたように使用人達が肩をなでおろしていた。


 僕のような、しがない伯爵家の息子が王女様との交流を許されているのは、僕がお転婆な彼女のストッパー役に任命されているからだったりする。


「そうだわ!私、この前お庭でとても綺麗なお花を見つけたのよ。たくさん咲いていて綺麗な絨毯みたいなの!それを貴方にも見せてあげる。...うふふっ!私だけの秘密の場所だから、ケビンにしか教えてあげないんだからねっ!これは二人だけの秘密なのよ!」


 そう言って顔をほころばせる彼女はいつも眩しくて、とても可愛らしくて。いつしか僕は、王宮に行くのが密かな楽しみになっていた。王太子に散々こき使われても、あの天使のような笑顔を見ると浄化されるような気がする。......僕にも妹がいたらこんなだったのだろうか。


「姫様、そんなに急いでは綺麗なドレスが汚れてしまいますよ。時間はまだたくさんあるので、ゆっくりお話をしながら行きましょう?」


 彼女の手をとることに抵抗などなかった。


「分かったわ!じゃあ昨日食べた美味しいお菓子のお話をしてあげる!キャラメルと言うのよ!昨日から私の一番好きなお菓子になったの!」


「では、今度は手土産にキャラメルを持ってきますね。王都でとても人気の店があるのです」


「嬉しい!ケビンも一緒に食べましょうね」




  彼女もさも当たり前のことのように僕の手にその小さな手を重ねた。




 ****




 僕が24になっても、王太子殿下との交流は絶たれていなかった。まあ、当たり前と言われればそれまでだが。



「お前、本当にシェリルに懐かれてるな。いつシェリルのファンに刺されてしまうのかひやひやするよ」


 彼に笑いながら物騒なことを言われたのも記憶に新しい。


「そんな恐ろしいことを言うなよ。それに、姫様だってもう16歳だ。八つも年の離れた男に懐くのももう終わりだろう」



 雛鳥のように可愛らしかった姫様は、女神だと謳われるほどに美しく成長なさっていた。

 新緑をそのまま閉じ込めたような大きな瞳。雪のごとく白い肌にはほんのり赤い頬が映え、緩くウェーブのかかった淡い金の髪は、角度を変えると桃色にも見える。まだ幼さは残るが、たまに大人顔負けの妖艶な表情を見せては、彼女を見た全ての者を魅了してしまうのだ。



 いつも顔を合わせている王太子殿下と大体同じパーツの筈なのだが、僕も今の姫様に会うと、つい顔が強ばってしまう。そろそろこんなおじさんには飽き飽きしてくるお年頃だろうに、まだ昔のようなスキンシップを取ってこられるから尚更だ。あの頃とは違い、今は目のやり場に困ってしまうというのに。


 そんなことを考えていると......。


「ケビン!!来ていたのね!お兄様とまだお話し中かしら?」


 昔よりは淑女らしい所作を身につけた姫様だったが、長い付き合いの者になると気が緩むらしい。ちょうど話題に上がっていたシェリル姫様がトタトタと駆け寄ってきた。


「こら、シェリル。そんな風に動いたらドレスにもつれて転んでしまうよ」


「あら。それならケビンがしっかり受け止めてくれるから大丈夫よ。お兄様は心配性なんだから。ねえ?ケビン」


 妹に注意をする王太子殿下()を軽くかわし、姫様は僕に話を振った。その時に抱きついてくるのはどうか勘弁して欲しい。昔ならともかく、今はもう立派な女性なのだから反応に困ってしまう。


「姫様...貴女はもう少しご自分が年頃の女性だという自覚を持ってください。僕のようなおじさんだからまだ良いものを、同じく年頃の男ならば卒倒してしまいますよ」


 流石にかつてのように甘やかすだけではいけない。差し出がましいようではあるが、王女様のストッパーという役割は今も尚健在なようで、昔は自分よりも王女様(可愛い娘)に懐かれる僕を敵視している節(私怨だと思う)があった国王も今では彼女になにか問題がある度に王太子殿下を通して相談してくるようになってしまったほどだ。他の貴族ならまだしも僕にそんな話をしてよいのだろうか?甚だ疑問ではあるが、単純に妹のように思う姫様の為になるので、国王と姫様の間を取り持ったり、姫様のお目付け役をしたりしている。



「...ケビンじゃなければこんなことしないもの」


 顔を俯かせて恥らうように言った姫様の顔は、耳まで赤く染まっており、幼い頃の照れたときの彼女を思い出させる。



 だからこそ、いつも僕は彼女に宿った温度の違う熱に気付かないふりをしてしまうのだ。


 未来ある、それもこの国の王女ともあろう人は、ただ昔馴染みなだけの年上の男に焦がれるべきではない。......そうでなくても、僕とは絶対に結ばれることはないのだから。


「僕も姫様のことを妹のように思ってはいますが、周りの目もあります。将来ご結婚なさるお相手をもう嫉妬させるおつもりです?」


 口の端で笑いながら姫様に問う。じとりと生暖かい目で見てくる王太子から極力顔を背けるようにしながら、姫様に笑いかける。


 可愛い小鳥。貴女にそんな傷ついた顔をさせたいのではないんだ。だが、これ以上まがい物の恋を募らせては可哀想だ。本物の恋を知らず、親愛を勘違いしたものを恋だと信じさせたくはない。


 酷い男だということは分かっている。少女の純情を弄んでいると。

 でも、だけども今だけはただの兄でいさせてくれ。一時の幸福の時間をいつまでも思い出せるように。



 ──もうすぐ緩やかな日々は終わるのだから。



 




 ある麗らかに晴れた日のこと。



「好きなのケビン。......貴方のことが、ずっと前から。貴方は気づいてなかっただろうけれど」




 大きな瞳を潤ませて、頬を熟れた林檎のように赤らめ、今にも泣きそうな彼女を見て、率直に思った感想は『遂にこの日が来てしまったか』だった。天気とは裏腹に、僕の心はずしりと重くなる。


 一国の王女からの求愛なんてとんだ玉の輿(たまのこし)だ!...なんて他の男なら思ったかもしれないが、僕では訳が違う。今まで築き上げてきた【兄のような人】という壁を彼女に越えられてしまったのだ。女神のように美しいという彼女に見つめられても、感じるものは言いようのない絶望感だけ。



「ありがとうございます。姫様にそう言って頂けて光栄です。身の程知らずではございますが、僕も姫様のことを、実の妹のように思っておりましたので。とても嬉しく思いますよ」


 零れ落ちそうなほどの新緑の瞳をさらに見開き、呆然と立ち尽くす彼女に気付かないふりをして、僕は笑う。



「いつか、姫様のご結婚の際には、一緒に貴女に相応しい男を見繕おうと貴女のお兄様と約束をしているくらいだったのです。本当に、貴女は可愛らしい妹だ」



 いつもは駆けてくる姫様が、はらはらと涙を零しながら弾かれたように走り出し、自分から遠ざかっていく。

 僕は、そんな彼女を追いかけることなくただただ見つめていた。



 これはしょうがないことだ。こんな嘘だらけの男を愛したところで姫様は虚しくなるだけ。

 身分も違う。歳も離れている。おまけに、僕は彼女にずっとある嘘をついていた。だから、こんな奴に本気になる前に彼女を突き放すのはしょうがないこと。


 そう自分に言い聞かせた。

 もうそろそろ、ここにいる理由も無くなるだろう。姫様に会わないうちにここを出なければならないな、なんて呟いた。この鈍く痛む胸を誤魔化すように。





 ───数日後、体調を崩して床に伏せられたとされる王女様が陽の下に出られたときには、ケビン・カルヴァンという男は、ソルティア王国からその存在さえも消していた。



 ****



「我が国民に告げる!我々を苦しめた王政は滅んだ!これからは民と私達が一丸となり、他国との親交を深めながらこの国を発展させていこうではないか!」


 湧き上がる喝采。声高々に宣言した若き国王に集まるたくさんの視線。そんな人だかりの中で、自分を呼ぶ声がする。



「宰相様ぁ!国王陛下がお呼びですよ!」


「分かった、今行く。お前は、そこで祝い酒が振る舞われているそうだから貰っておいで」


「ええ!いいんですかぁ!?」


「今日のようなめでたい日だ。少しくらいは大目に見てくれるように伝えておくよ」


 自分の部下が嬉しそうに走っていくのを見送ってから、新生国王の元へと赴く。




 ───あの日。姫様を泣かせてしまったあのときに、ケビンは消えた。もとより、そういう約束だったのだ。


 ソルティア国王と王太子のエリック、そして隣国のラグアント国第二王子と僕だけの内々の契約だ。


 王が崩御してから、正妻の子である第一王子による独裁政治が始まったラグアント国。もちろん反乱分子である第二王子派は国外追放され、中には反抗して処刑された者もいた。この国をどうにか立て直そうにも、後ろ盾の無いままでは確実にやられてしまう。そこでその後ろ盾として手を挙げたのがソルティア王国だ。潤沢な資源や作物に恵まれていたラグアントは、あまり隣国との貿易を行わなかった。ソルティア国王はここで王子と僕に仮の身分を与えて保護し、ラグアントの復興を助ける代わりに、革命が成功したあかつきにはソルティアとの貿易を開始するという条件を提示し、僕達はそれに乗った。伯爵家令息で、姫様のお目付け役のケビン・カルヴァンというのは僕の仮の身分だったのだ。


 国民の不満が募っていただけあって、地盤固めが終わってから2年ほどであっさり革命は成功。第二王子が新たに王位について、貢献者である僕には宰相の名が与えられた。


 だからもう姫様に会うことは無い。自分の全てを偽って懐いてくれていた姫様を騙していた挙句、何も言わずに消えた僕のことなんて嫌いになってくれればそれでいいのだ。


 ここ数年のことについてぐるぐると考えていると、国王の執務室に着いてしまったようだ。



 コンコンコンと扉を叩く。


「失礼します。陛下、なにか御用でしょうか?」


「ああ、宰相か。入ってくれ」


 そんな堅苦しい会話を交わし、室内へ入る。

 部屋にいたのは、友人でもある国王と、とても懐かしい人だった。


「やあ、久しぶりだねケビン。今はギルバート...宰相様のほうがいいのかな?」


「...エリック......どうして此処に...」


 かつて毎日のように行動を共にしたソルティアの王太子殿下がそこにいた。どういうことか説明を求めるべく我らが王に視線を向けると、いたずらが成功した子供のように笑っていた。


「...っ!?王!いや、レイフォード!!どういうことだ?なんで此処にエリックがいる?僕が知らないのだから、公務としての訪問ではないのだろう!?きちんと説明しろ!」


「ははは!我が国の若き宰相殿は、いつもはニコニコしているのに我々には厳しいなぁ!なあ、エリック」


「そうだねぇ。いかにも紳士というような外っ面に何人騙されたことか分からないよ。うちの可愛い可愛い妹もその一人だというのだからたまったもんじゃあないね」


 エリックのその一言に僕の動きは止まる。もう終わったことだというのに、胸がじくじくと痛む。この年になって、まだ初心な少年のような感情を抱くのかと、呆れを通り越して笑ってしまう。


「エリック、レイフォード...。ひめ...王女様はまだ幼かったから、身近にいた家族以外の異性に恋愛感情を錯覚してしまわれていただけなんだ。もう終わったことだよ。現に、彼女には良い縁談話がたくさん上がっているというではないか」


 少し気持ちを落ち着かせてから二人にそう言うと、以前どこかで見たことがあるようなじとりとした眼差しを向けられた。


「......終わったことだと言う割にはしっかり情報収集してるよねぇケビンは...」


「......我が国の宰相はどんな些細な情報でも集められる手腕が求められるから......な...」


 もっともなふたりの指摘に、顔が熱くなる。なんとも未練がましいことだ。忘れる、終わったことだと言いながら、全く言動が一致していないではないか。


「た...他国の情報を仕入れるのは大切なことなんだ。殊更、これから貿易を始めようかという国のことを...詳しく知らなくてどうする......」


 いつもならスラスラと出てくるうまい言い訳は、バレバレな嘘になってしまった。ああ情けない。こんな三十路の男が18の王女に思慕しており、今も諦めきれていないだなんて。


「じゃあ、ケビン。こんな話はもちろん知っているよね?我が国の王女様は結婚をせず、4日後には修道院に入って国の為に尽くそうとなさっているっていう話」


 先程までジト目をしていたエリックが急に真顔になった。......王女様が修道女に?そんな話は初耳である。それに、一国の王女が修道院に入るなんて前代未聞だ。許されるわけが......。


「そ、んなことが許されるわけない。だって彼女は......」


「王女様だから?でも、それ以前に彼女は一人の人間だ。それに娘を溺愛する国王によって、王族の政略結婚は必要に迫られない限り禁止されている。我が国が誇る宰相殿なら知っていたはずだろう?」


 目の前が真っ暗になる。そんなことは知っていた。でも、まだ若い彼女を成功するか分からないような奴の為に縛り付けたくはなかったのだ。革命がもし失敗していたのならば、僕は罪人として裁かれていた。好いていた男が自分に嘘をついていて、更には罪人だなんて......。


「王女が修道院に入るのも、国民の為だと言ってしまえば公務として処理される。エリックが結婚して子を成せば、もう誰も文句は言わないだろう」


 追い討ちをかけるようにレイフォードは言う。


「何度も言わせないでくれ!王女様に僕は相応しくない!彼女には幸せになって欲しいんだ...っ!だから僕は......」


「だああ!もう!ケビンは頭が固すぎるんだよ!!兄である!俺が!いいって言ってるの!......なのになんでグダグダ言って諦めようとするんだ?シェリルはお前じゃなきゃ嫌だって言って修道院に入ろうとしてるの!シェリルの幸せを願うなら、お前が今すべきことは何!?」



 初めて見るエリックの姿に、声も出せずに瞠目する。


 でも、彼の言葉はすとんと腑に落ちた。


 今まで兄だの身分だの宰相だからだの、色々な理由をつけて逃げてきた。けれど実際は、自信がなかっただけなのだ。僕が臆病だったのだ。純粋な好意を向けてくる彼女を本当に幸せに出来るのか。いや...彼女の瞳に魅せられた僕は彼女が望むような自分になれるのか、失望されやしないか。


 ただただ恐れて、他のものに逃げて。

 大切な、可愛い小鳥をたくさん傷付けてしまった。あの笑顔を、手の温もりを忘れたことなどなかったのに。


 今僕がすべきことは。


「陛下、誠に勝手ながら今から四日ほど休日を頂けないでしょうか?」


「ふふっ...お前は働きすぎだ。お前が休まなければ私も休めないだろう?4日と言わず、1週間ほど休んでこい」


「!!ありがとうございます...!」


 二人の友人に頭を下げ、急いで部屋を出る。


 何やら楽しそうなレイフォードとは裏腹にエリックは心配そうな顔だったが、大丈夫、自分の気持ちにこれ以上嘘はつかないよ。彼女にはもう嫌われているかもしれない。それでも、今までの事を詫びて、本当の気持ちを伝えよう。



 庭園の先に馬小屋がある。馬に乗って行けば──!


「......!?」


 猛スピードで動かしていた足を慌てて止めて振り返る。......光を受けて桃色に輝いて見える美しい髪を持つ人が庭園に佇んでいたからだ。


 姫様?......いや、違う。彼女の髪は腰にかかるほど長かった。肩まで短く揃えているその女性とは別人だろう。


 また駆け出そうとして、その女性から発せられた声に耳を疑った。


「......ケビン?」



 ソルティアでの偽名。ラグアントの国民が知るはずのない名前。それを知っているのは──。


「ひ......め...様?」



 丁寧に伸ばされていた髪を切ってしまっても、変わらず美しい姫様がそこにいた。


「なんで......どうして此処におられるのですか...?」


 エリックは、姫様は4日後には修道院に向かわれると言っていた。今此処にいては、今から馬車で帰るとしてもギリギリの時間になってしまうではないか。

 疑問符を頭上に浮かべながら彼女を見ると、誰もがうっとりするほど綺麗な、それでいて泣きそうな顔で笑っていた。


「お兄様である貴方にもご挨拶をしに来たの。...私はもうすぐ修道院に入るわ。やっと自分が国の為にできることを見つけたのよ。ただ、俗世から離れれば貴方にはもう会えないから......。最後にお礼を言おうと思って......」


「お礼......?」


「そう、私の恋に甘く優しくて、中々終わらせてくれなかった貴方へのお礼。......ありがとう、ずっと関係を終わらせないでくれて。私より先に、私の恋心に気づいていたんでしょう?それでも傍にいてくれた。......私、やっぱり貴方が好きよ。この想いは宝物にして決して忘れないでいるわ」


 姫様は、もうかつてのように僕に抱きついては来なかった。しかし、一人で立って切なげに笑う彼女は今にも消えてしまいそうで、すぐにでも抱きしめてしまいたい衝動に駆られる。


 でも、彼女は恋を終わらせようとしていた。少女から大人の女性になったのだ。未熟な恋を思い出に変えようと笑う彼女は、強く美しく成長していた。



 想いを伝える。この意思は変わらない。だが、彼女の素敵な思い出の一部になるように、いつか心から笑える話になるように、甘く苦しかった僕の恋も全て終わらせなければならないと強く思った。


「姫様......ずっと隠しておりましたが、本当は僕も貴女をお慕いしていました。ただ、こんな男とではなく、他の良い人と幸せになって欲しかったのですが、姫様はまた別の道を選ばれたのですね。喜ばしいことです。遠くからですが、姫様の思い出が少しでも良いものになるように、いつか兄妹として笑えるように祈っております。愛しい姫様、貴女に幸多からんことを...」



 一気に言い終えて、泣きそうになったので俯いて堪える。嬉しいのか、悲しいのか、様々な感情が綯い交ぜになったような気持ちだった。本当は姫様を引き留めるつもりだったが、本人の決断を無下にはしたくない。それでも後悔の念は募る。なんとも複雑なものだ。


 最後は笑顔でいようと、顔を上げて姫様を見やると、彼女は先程の儚い笑みから一転、少しだけ嬉しそうな微笑みを浮かべて口を開いた。



「ケビンあのね、最後のお願い。抱きしめて、私のこと愛してると言って?『好き』じゃないの、『愛してる』って......」



 昔からてんで弱かった、姫様の『お願い』を断ることなどできまい。最後だと自分に言い聞かせながら、恐る恐る彼女を抱いた。


「姫様...いえ、シェリル様、愛していました。ずっと前から......」


 柄にもなく、声は震えてしまった。しかし、後悔はしていない。最後くらいは格好つけず、ありのままの自分でいたかったから。


 姫様は、僕の背に手を回して胸に顔を埋めてから満足そうに笑うと、くるりと僕の手から逃れた。


「ありがとう、さよならケビン。これで終わりよ」


「ありがとうございました、姫様」



 王族への礼をし、踵を返す......返そうとしたのだが。



 ちゅっ


 気が付くと、柔らかいものが自身の唇にあたっていた。僕の服を掴み、強引に振り向かせた姫様がキスをしてきたのだと気づいたのは、桃色の唇が離れてから数秒経ったあとのことである。


「......は...?」


 困惑している僕に、彼女は幼い頃を彷彿とさせる可愛らしい顔でにっこりと笑った。


「さて、ギルバートでしたかしら?私、先程好いていた方に振られてしまったのです。もう存在を消されたような方に......。もし宜しければ慰めて下さらない?失恋には新しい恋だとよくいうでしょ。今、貴方に一目惚れしたようなの」


「え...ひめさ......え!?」


「ふふ、私は、ケビン(・・・)とさよならをしたのよ。ラグアント国のギルバートとは別でしょ?ねえ、貴方の答えは?」


 いいことを思いついたでしょう?と言わんばかりにキラキラとした瞳を向けてくる姫様。......だが。


「ですが、姫様は修道院に入られるのでしょう......?」


 どういうことなんだ。

 姫様の白々しい演技の意味は察した。しかし、修道院に入るのに何故そのような提案をするのか理解できない。


 すると姫様はぱちくりと目を瞬かせて......。


「あら?修道院に入るのはひと月だけっていうのはお兄様から聞いていないの?」


「......聞いていませんね」


 エリック......。あの野郎、わざと僕には教えなかったな。


 次会った時に文句のひとつでも言ってやろうかと思ったが、ここまで来れたのは彼のおかげでもあるので今回は見逃してやろう。


「ねえ、ギルバート。ケビンは私に愛してると言ってくれたわ。貴方は私のこと、どう思っているの?」


 好きな女性にそう耳元で囁かれて、浮かれない男などいるのだろうか?一部の者から【氷の宰相】と呼ばれた僕でも不可能なのだから、多分大半の男は正気ではいられないはずだ。


 僕はかしづいて、姫様の手を取ってこう言った。


「......僕は、そのケビンという男なんぞに負けないくらい貴女を愛している自信があります。歳を食った男ですが、こんな僕で宜しければ貴女様のお傍に置いてくださいませ」


「あら、傍に置くのは嫌だわ」


「え」


 やはりここはお友達からの方が良かったのだろうか。それか、こんなおじさんは愛人くらいが......。

 緩ませたばかりの頬をまた引き攣らせ、落ち込んでいると──。


「貴方にはこんな風に、私とぴったりくっついていてもらわなくちゃ」


 ぎゅっと抱きついてきた姫様に一瞬目を丸くした。......が、そのあとは、今度こそはもう絶対に彼女を悲しませまいと強く強く彼女を抱き締めた。必ず幸せにしてみせるという決意を込めて。



「うふふ、もう離してあげない(・・・・)んだから」



 表情の見えない姫様の妖艶な呟きに、もうあの頃の姫様では無いということを痛切に思い知らされ、少し早まったかなと思ったが、彼女の

「愛してるわ、ギルバート」

 という言葉で、全部聞かなかったことにした。

 これは惚れた弱みというものだろうな。


「貴女は全然変わりませんね。......愛しています」



 ほんの少しの嘘とともに落とした口付けは、キャラメル菓子のように甘く、少しだけ苦かった。




エ「あ、ケビンに言うの忘れてた。シェリルは天使のように可愛いけど、無垢ではないから気を付けなよって」


レ「嘘だろう?お前の妹は心も女神なんじゃないのか」


エ「だって、今回の件は全てシェリルの思惑通りだし...。俺も、ケビン周辺の様子について全部洗いざらい吐かされ...げふんげふん!聞かれたもん」


レ「............(ギルバート、幸せになれよ...)」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 本当に、心理描写がお上手ですね。そして読者が望んだ方向へと物語を導かれる力を、心から感じます。シェリルがケビンを愛するかと思えば、やはり愛し、ケビンが身を引くかと思えば、やはり身を引きます…
2019/04/01 21:02 退会済み
管理
[良い点] こういうお話が、私は大好きなんだYO!! [一言] 最後まで読んで、タイトルの意味を理解しました……あいなぁ、こういう恋愛はなぁ。 素敵なお話をありがとうございました。
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