安らぎあれ
―――リン。
金属製の風鈴は軽やかに鳴る。さながら祝詞や鈴のように。
―――リン。
無粋な鳥の騒ぎ声をかき消して、荒れ狂う風の音を押さえつけ。
―――リン。
今まさに落ちんとしていた稲光は消え失せ、私に届くことはなかった。
「……え、え……?」
懐に入れていたはずの風鈴が、いつの間にか宙に浮いていた。
嵐の中で暴風に揉まれる事もなく、柔らかにその音を響かせていた。
その風鈴を中心として、半透明な六角形の集合体……ハニカム状に結界のようなものが展開され、私を包み込んでいる。
蝶の羽のように薄く繊細そうに見えるそれはしかし、強固に稲妻を阻み危機を救う。
当たったはずの攻撃が防がれて動揺したためか、鳥の鳴き声もやや戸惑ったように聞こえる。
やがて風鈴は私の手元にするりと戻り、左手首にその吊り紐を巻き付けた。
呆然としていた私だったが、その感触に我を取り戻す。
「スズナ!生きてるの!?」
「だ、大丈夫!」
レナが駆け寄ってくる。
そのまま背中合わせ、いや、私を盾にするような格好でレナが私の背につく。
「あるじゃない、加護が!いや、神器かしら!?とにかく助かったわ、あなたが落雷をはね除けるほどのシールドを展開できて!」
「あ、あの、私にはなにがなんだかさっぱりで……。」
「ああ、なにも知らないんだったわね!いいわ、後で説明する!今は防御を頼んだわよ、神官様!」
「し、神官!?」
確かに巫女は見方によっては神官と言えるが……彼女には私がそういったものに仕える人間だとは言っていないはずだ。
彼女はこの服装を見て『不便』という感想しか言わなかった。装束を見て神官だとは思わないはずだ。
つまり彼女は風鈴から展開された結界のようなものを見て、私を神官だと判断した事になるのだが……。
チチチチ―――!
「来るわ!耐えて!」
再びの稲妻。
だがまたしても結界のようなものが展開され、私とレナの身を守る。
風鈴が淡く輝き、その身を主張する。
「後何発耐えられる!?」
「えっ!?い、いや、わからないです!」
「……駄目そうだったら早めに声をかけて!私は出来るだけ反撃する!『矢よ』!!」
レナが叫び、地に手をかざすとまるで植物が芽を出すように棒のようなものが地面から八本ほど生え出し、レナはそれを無造作に引っこ抜く。
一瞬ゴボウかと思えたそれはレナが弓につがえる事で石製の矢であることがわかった。
矢羽根こそついてはいないが、弓から打ち出すことはできるだろう。
レナはその矢を手早く三本抜き出すと、まとめて弓につがえる。
彼女の装着している指先だけを抜いたグローブが擦れ、ギュウと締まる音を出す。
「……シィッ!」
短い呼気と共に吐き出された石矢は風に煽られ、軌道を大きく傾かせながら飛んでいく。
それでも、偶然からかそのうちの一本が命中しまた一匹の鳥を撃ち落とす。
結果を見てレナが忌々しく舌打ちをうつ。
「チッ!即席の矢じゃうまく狙いが取れない!」
チチチチ――!
雷が再び降り注ぐ。
今度も結界によって阻まれ、すかさず反撃としてレナが矢を放つ。
放たれたのは一本のみだったが、風に負けずに的確に小鳥を貫いた。
嵐の中で撃ち抜くその技量には驚愕するばかりだが、ストームバードの数は一向に減ったようには感じない。いや、減っているはずなのだがそれを実感できない、と言った方が正しいか。
私はレナに呼び掛ける。
「このままじゃ埒が明かない!一度撤退した方がいいんじゃ!?」
ストームバードが卵を守るために嵐を呼んだなら、離れれば追ってこないのではないか。
だが、レナは首を振る。
「言ったでしょ、奴等は嵐を呼ぶ事に一番魔力を使うって!一度呼んだ嵐は維持が簡単で一週間は続くの、止めないと一日中雨に打たれ続けて衰弱死する事になるわよ!」
私の耳元を石矢が飛び、反射で喉がしゃくりあげた。日和るようなら、戦わないならば殺すと、暗に言われたような気分になる。
幸いな事に、ストームバードの雷の頻度が控えめになっていた。どうやら、一方的に数が減らされ、落雷が効いていない事で攻めあぐねているようだった。私にとっては朗報だ。
だが攻めあぐねているという点では同じように、私も争いの終わりが見えないでいる。
自分が弓矢を放っている訳でもない、戦っている実感がわかずただ耐えるだけしかない私は、冷たい雨に身震いした。
「あと、何体ストームバードを撃ち落とせば終わりになる!?」
「狩ってみればわかるわよ!踏ん張りなさい!」
一喝を入れ、矢よ、とレナが叫ぶ。再び地面から石矢が顔を出す。
空が瞬く。また雷が私達に向け落ちたのだ、と理解するのは結界が防いだ後だ。
既に何回稲妻を受け止めたのかわからない。結界は私たちを護ってくれるが、レナの言い方から考えるに限界もあるのだろう。
稲妻の衝撃で震える地面に、たたらを踏みそうになる。
「か、神様……!」
寒さか興奮、それとも恐怖だろうか?勝手に震える手で風鈴を掲げ誰に届くかも知らぬ祈りを捧げた。
「……嵐が弱まってる!喜んでスズナ、あと少しで終わる!」
やがて、風鈴を掲げて縮こまる私の祈りが通じたかレナの希望が灯った声を聞く。
顔をあげれば確かに陽を遮る曇が薄くなり、遠方にいたっては日がうっすらと射しているのすら見える。
地面こそ鳥の死体で死屍累々と言った感じで、本来なら胸を痛ませるような光景だったが今の私達にとっては優勢の証だ。
勝てるかもしれない。
そんな考えが頭によぎる。
だが、そうそう物事とは上手くいかないものだ。
チチチ――!
「うっ……!?」
強烈な風の魔法を結界が受け止めた直後、頭の奥に痛みが走った。
同時に体の芯から力が抜けるような―――頭痛と吐き気を伴った貧血のような感覚に陥る。
視界で結界が明滅したのが見えた。
「スズナ!?」
足が支えきれずふらつき、近くにいたレナがそれに気付き支える。
すぐに視界も歪み始める。
まるで目の前の風景をカフェラテの如く撹拌されているようだ。気持ち悪い。
「レナ……さん。なんだか、気分が…良くなくて……。」
視線だけ寄越したレナが私の顔色を見て眉をしかめる。魔力切れか、と呟いたのが聞こえた。
つまりは、結界は私の魔力で展開されていて、今それが尽きかけているということなのだろうか。
――チチチ!チチチチ!
ストームバードが私の様子がおかしいのを感じ取ったようだ。ここぞとばかりに激しく鳴いている。
「あと少しよ、踏ん張って!」
ごめんなさい、と呟く口に丸薬が押し込まれる。最初に食べた舌が痺れる苦い丸薬だ。
噛むとすぐに吐き気や頭痛が収まり、思考する余裕が返ってくる。どうやらあの丸薬は魔力切れにも効くようだ。
これだけ強力な薬だ。副作用があるのかもしれない、と一瞬だけ考えた。
チチチ――!
旋風の魔法が結界に防がれる。
私の中のリソース、つまり魔力が削れたのか頭にくらりときたが、歯を食い縛り耐える。
気付けば、ストームバードは稲妻を撃たなくなっていた。いや、撃てなくなった、という方が正しいか。
もはや天候は小雨に近く、それも私達の周りに降る程度だ。
向こうも稲妻を落とすための条件が不足しているのだろう。今や彼らの攻撃は旋風の魔法だけだ。レナも風がやんだせいか、石矢を一度に三本つがえて撃ち抜いている。
それほどまで成鳥を減らして、卵を守りたいのだろうか。普通の野鳥ならば子を諦めて逃げ出すほどにストームバードの群れは数を減らしている。
だが、彼らには退く気配がない。生存本能が欠如していると言ってもいい。
魔物だからなのだろうか。それとも、コカトリスに呼び集められたからだろうか。
「これが最後!死ね、魔物が!」
レナが怒気を込めた声で叫び、矢を撃つ。彼女はストームバードに殺されかけたのだから、思う所があるのだろう。
放たれた矢は最後の個体、その片翼を吹き飛ばした。
刺さる、というよりは穿つと言った方が正しい勢いでストームバードを打ち緒とす。
片翼をもがれたストームバードはチチチ、と悲痛そうに鳴きながら地面で羽をバタバタとやっていたが、すぐに動かなくなった。
最後の一匹が力尽きると同時に、雲の隙間から太陽光が射し始めた。。
耳を済ましても、新たな小鳥の鳴き声が聞こえる事はない。
「……勝った……の?」
「ええ、なんとかね……。」
嵐ではない、自然で柔らかな風が私達をなぜる。
私の後ろでレナが細く息を吐いて頷く。
旋風の魔法でボロボロになった木や、稲妻で焦げた地面。周りは戦闘が残した傷でぐちゃぐちゃだったが、私達はまだ死んではいない。
そう、生きている。
嬉しさと安堵と、よく分からない感情がない交ぜになって喉から何かが込み上げ、涙が出そうになる。
今の表情を見られたくなくて、レナの方を振り向くわけにもいかず、そのまま顔を隠す。
「助かったわ、スズナ。……本当に。」
横からレナにねぎらいの言葉をかけられて、それもまた嬉しくて、私は―――。
「うぇおろろろろ」
「スズナ……。」
唐突に込み上げた嘔吐感に耐えきれず、盛大に吐いた。
「魔力切れね」
私を見てレナは簡潔に言った。
「魔力……切れ……?うっぷ」
「そう」
私達は濡れた服を出来るだけ絞ったあと、ストームバードが巣食っていた大樹に登り横にはった太い枝に腰かけていた。
最も、腰かけているのはレナだけで、私は襲い来る吐き気や眩暈に耐え兼ね、ほぼ寝転んでいると言った方が正しい。
寝転ぶスペースはレナが作ってくれた。
彼女は大樹から太い二本の枝を見繕うと、その間に何度も糸を通して蜘蛛の巣を何重にもしたような足場を作り上げてしまったのだ。蜘蛛人、便利。
一応、そんなに糸を出して大丈夫なのか心配したのだが彼女的にはいたって問題ないらしい。
「魔力切れは魔法や加護で魔力を使いすぎると陥る一時的な症状よ。無理な活動で魔力が足りなくなって体に異常が発生するの。……吐き気なんかは典型的ね。」
つまりは体の危険信号。
この吐き気は喉が乾いたとか眠いといった体の危険を知らせるサインだという事か。
そんな事を話しながら横目で見ると、レナは私に背を向けてナイフを動かしている。
どうやら撃ち落としたストームバードをいくらか回収し、さばいて加工しているようだ。
「丸薬を貰ってなおこんな醜態を見せるはめになるとは……申し訳ないです……あ、また吐きそう……。」
「え?あぁ、ごめんなさい。あれは薬じゃなくて麻痺薬なの」
「え?」
レナが巾着袋を見せる。私が世話になった、丸薬が入っている袋だ。
「これの中身は体の反応を鈍くして、刺激を短時間緩和する鎮静剤よ。体の感覚や反応を鈍くするだけだから、激しい光で眼が眩んだ時や体調不良を感じなくするには使えるけど、魔力欠乏を緩和する効果はないの。……あの時はなにがなんでも倒れられたら困るから、無理矢理使わせたけど……ごめんなさいね?」
「……なんかそんな事言われたら、余計に吐き気が込み上げて来たような……。」
「今吐いちゃだめよ?ただでさえ体力を使ったのに、雨に濡れて体だって冷えてるんだから。」
プラシーボ効果……思い込みの力が消えたようで、急に込み上げて来た胃液を私は全身全霊を持って押さえ込む事となった。
―――――――――
「ほら、無理にでも摂らないと体に悪いわよ?」
「い、いや、それはわかっているんだけど……さすがに、急には……。」
今、私はむごい選択を迫られている。
私の前に座るレナはなんの迷いもなくその行動をとってみせたが、私には軽々とはできそうにない。
「スズナの為に多めにバラしたんだから。魔力切れも回復しやすくなるはずよ?」
差し出されたのは、沢山の肉片……いや、小鳥のモツの山だった。しかも、生で。
「いや、えっと……せめて、火は通したいかなって……。」
「嵐で軒並み湿気って今は火は点きそうにないわ。美味しくないけれど、食べないと体に良くないわよ?」
食べたら逆にお腹壊しそうなんですけど。
そう思う私をよそにレナはひょいとモツを摘まむと口に放り込んだ。そのままくにくにと咀嚼する。
臭いとか……大丈夫なんだろうか。
「新鮮な内は大丈夫よ。むしろ後で食べる方が臭いが出て辛いわよ?」
「う……。」
正直な所、お腹は空いている。
レナが言うに、消費した魔力を回復するにはどうやら栄養を補給したり、体を休めるのが効果的らしく、魔物の内蔵なんかは特に魔力を回復させやすいらしい。
だから食べる事でだいぶ体が楽になるらしいが……。
生で、鳥で、レバー。
それに狂暴だったとはいえ、見た目は可愛らしかった小鳥の内蔵……。
極めつけに、私の手を鈍らせる懸念が……。
「……この鳥、人も食べてるかもしれないんだよね?」
「そうね。」
「……それを私に勧めてるんだよね?」
「そうね。」
話を聞く限り、ストームバードは人も補食対象だ。加えて彼女らのパーティーはストームバードに負けたと言っていた。それならば、何人かはストームバードに食べられたと考えていいだろう。
その鳥を食べるという事は……それは、間接的に人が人を食べた事になるんじゃないだろうか……。
「えっと、食人って一般的なの?」
「まさか!……ああ、それを禁忌してるのね。それもそうか、貴方は冒険者じゃないし、ともすれば――こほん!」
否定の言葉に続いて何かを言いかけたレナは咳払いをしてその言葉をなかった事にした。
ともすれば。それに続く言葉はなんだろう。
だが、彼女のばつの悪そうな顔をみるに、何かを邪推でもしているのではないだろうか。
しばらく一緒に過ごしてわかったが、彼女は一人で意見を決めた後は盲信するきらいがある。今回も彼女は私の過去を予想して、そこから何かを決めつけて考えているのではないだろうか。
「―――ともかく、冒険者は人を食べた魔物を食べるのはいけない事だとは考えてないわ。貴族や王族には良く思われてないけど、冒険者には人を食った魔物を食い返す事で食われた人への鎮魂と礼節になると考えられているの。……まぁ、詭弁だと言われても仕方ないけど……どうしても、食べなきゃいけない時だってあるの。その時の心の言い訳に使うのよ、これは。」
食わねば食われた人の魂が休まれない。だから、食って魂を解放する……という事か。
説明している間、彼女は私に諭すように瞳を真摯に見つめていた。まるで、これが常識なんだよと母親が子供に教えるように。
そして話終えたなら、さぁ食べてみなさいとばかりに私を見るのだ。優しげな顔で。
……そんな瞳で見ないでほしい。
私の視線は積まれたモツの山とレナの顔の間を何度も往復して―――最後に、折れた。
「……そう、ですね。食べないと……鎮魂にならないなら……食べてあげないと。」
食べてあげる。そう、魂囚われた他人のために仕方なく。
自分にそう言い聞かせ、肉片を一つ指に取ってみる。
熱は飛んで生暖かくはなかった。その事実に私は少しだけ緊張が解ける。変に熱が残って生き物だった事を意識させられるよりかはずっといい。
感触はぷりぷりだ。しっかりと弾力があり、新鮮であると主張している。
意を決して口に運ぶ。とたんに血の臭いが口の中に広がり吐き戻しそうになるが、喉に外から指を押さえつけて我慢する。
四回ほど噛んで、すぐに飲み込んだ。これ以上気持ちの悪さと口の中の感触に耐えられそうになかったのだ。
「はい、よくできました」
「あのね、子供じゃないんだから……。」
というか大人でも普通は食べないだろう。
ぱちぱちと小さく拍手をするレナを恨みがましく睨み、ぷっと口に残った臭いを唾と一緒に吐き捨てる。
そんな私を見て、レナはどこか楽しそうに新しく山から肉片をつまむ。
あろうことかそれをそのまま私へ近づけてくる。
「ほら、まだ一杯あるから頑張って食べてね!今日食べておけば、明日には回復するだろうし!」
「い、いやぁ……、私はもう満足かな……あ、やめて、あんまり近づけないで、生臭……んぐっ!」
「はい、噛んで飲み込んで。あと十五個くらいは食べてねー。」
これを十五個食べろと?
抗議の視線を送ったが、レナは面白そうに笑うだけ。私に有無を言わせるつもりはないらしい。
嵐で太陽が遮られていたため時間感覚がややおかしくなってしまったが、時刻は昼頃。
遅めの昼食―――食事とは思いたくないが―――として、そのモツの山に挑戦する覚悟を私は、悲壮な表情と共に決めたのだった。