表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風鈴の巫女  作者: モノクロ信号機
一章 「会いたい」は遠く
3/13

血生臭い出会い



何てこった。初めて出会った動物----死んでいるが----が珍獣、もとい化け物とは。

しっかりと見れば、既に輝きのない瞳孔はまるで蛸や烏賊を連想させる、やや湾曲した扁平円形だ。間違えても人間には見えない。


人間は理解できない事に何度も出会うとやがて思考を放棄するようになるとは言うが、今まさに頭がどうにかなりそうだ。


懐の風鈴がくぐもった音を鳴らし私の心を律しなければ、きっと気をやっていただろう。


「うぇ..ぇぇぇ...。」


気味の悪い怪物の死体。

乾いた口の中に込み上げてきた胃液に顔をしかめながら、私はそこからなるだけ早く、すり足で離れる。

これ以上この場にいる必要はない。

もうナイフは取った。用事がないのなら、さっさとここから離れるべきだ。

ぐずぐずしていると、私と同じように死体の臭いに誘われ一体何が出てくるか見当もつかない。


私は足跡を追い掛けることにした。

先程の死体が人間ではなかった手前、追っているものが同じように怪物である可能性は否めないが、足跡は素足ではなく靴跡だった。

少なくとも、文明はある。

ならば、いずれの判断を下すにせよ、追う価値はあるだろう。

同時に私は歩きがてらナイフを何処にしまうか模索する。

革鞘も取ったので刃は大部分隠れているのだが、大きさが合っていないので先端部のみ刃が突き破って顔を覗かせている。

お陰で危なかしくて懐にしまう事もできず、片手にもっての歩みとなった。

巫女服で、刃物をもって、山の中を歩く人間...。

子供が見たら「山姥だ!」と言って逃げ出すかもしれない。



急な出来事で頭の中からすっぱ抜けていたが、私は食糧を探していたのだった。

ただ、お腹は空いているのだが食欲は先程の惨劇で随分と減衰した。

今は、水を探す事に集中しよう。

人間は何も食べなくても一週間以上は平気で生きられると言うが、水がなくては二、三日

で死んでしまうと聞いた事がある。


そう方針を決めた矢先に、木に実った食べられそうな果実を見つけた。

当面は水を探す、食べ物は後回しなんて決めた手前、少々カッコ悪いがツイてるのは間違いない。


果実は二粒だけ実った手の平大の葡萄いう表現がしっくり来る。

いや、一房に二つしか実らない巨大な紫色のさくらんぼといった方が近いかもしれない。食べられないかとよく調べてみると幾つか鳥につつかれたように丸い穴が空いていた。

中を覗き込むと、綺麗にくりぬかれて食べられている。

少なくとも食べられる生き物はいるようだ。


実った果実はやや地面から離れており、殆どの場合、採るには木を少し上る必要があったが、幸運にもいくつか地面に近い所に実っていた。


私は一房、つまり二つ採って懐に入れた。

手に持ってみると以外に硬く、未だ熟れていないような気さえする。

食料もっと取りたかったがこれ以上は懐に入らない。

そもそも物をいれる場所ではないため、いびつに膨らんでパンパンだ。

本当は袂、つまりは袖の下のスペースに入れたいのだが、あまり知られていない事に基本的に巫女服というものは袂の後ろは縫われていない。

まぁ、要するに物を入れても枝を避けようとふと手をあげた拍子にポロポロ落ちる、というわけだ。


歩き続け、時刻はそろそろ夕方に差し掛かっている。

足跡は依然として私の前に続いていた。

いまだ地面は乾いていないので、つい最近通ったと思われるのだが、なかなかどうして追い付かないものだ。


日が暮れれば、足跡の主もきっとどこかで休む準備をするだろう。

歩き続ければ追い付くかもしれないし、彼らが休む予定の街だって近いかもしれない。




ここも地面がぬかるんでいる。先程のゴブリンの死体があったところよりもぐちゃぐちゃで、水溜まりまで散見できる。まるでつい最近、この辺りだけ雨が降ったようにさえ見える。それか、土壌が緩く水場が近いのかもしれない。


「...?これ、水の音...?」


少しして、さらさらと水の流れる音を私の耳が捉えた。

視界を遮るほど高く伸びた藪を回り込むとそこは木々が途切れており、川の流れを見る事ができた。


「うわぁ...!水だ!」


キラキラと夕陽に輝く流れは、淀んだ川が当たり前の景色としてある私からしてみればそのまま飲んでも大丈夫と思えるほど綺麗で、澄んでいるようにさえ見える。

喉の渇きをより鮮明に感じ、つい何も考えず駆け寄ろうとしてそこに人影がある事に気付き、慌てて木々に身を隠す。


それは三人の人影だった。


幸いこちらに気付いた素振りは見えない。

何だか騒がしくしており、耳を傾けるとギャイギャイと何かを言い争っているようだった。

枝葉の隙間から覗き見ると、人影の正体が明らかになる。


「ゴブリン...!」


あれらは少し前に見つけた死体にそっくりだった。違う点と言えば今回は生きている、それくらいだ。顔つきなど見分けは付かない。

悪鬼かと見紛う、いや、悪鬼そのもののような、悪意に満ちた醜悪な顔。やや前に出た腹。そして粗末な服から覗く、緑色の肌。

それが動き、気味の悪い鳴き声でお互いにがなりたてあっている。

それは人と同程度の知恵があるのだろうか、彼らの声は動物が使う原始的な意味を持つ鳴き声ではなく、より高度な、つまり文化を孕んだ言語的な意味を持っているように聞こえる。


騒ぎ立てる彼らは、お互いに罵倒するような身振り手振りを荒々しく行っており、今に殴り合いを始めたっておかしくない雰囲気だ。

まるでそれは、子供の口喧嘩を連想させる。


私は黙って彼等の持ち物を観察する。

靴は履いていない。私が追っている集団ではないようだ。

しかし、彼らは皆、大きな革袋のようなものを背負っていた。

それはパンパンに膨らみ、やや濡れた光沢を放っている。

どうやら川の水が詰まっているようだ。

腰には何もないが、粗末な槍が地面に3本、つまりここにいる彼等の人数分が乱雑に放り出されていた。

察するに水を汲みに来たようだ。


彼らが私に敵対的かどうかは分からないが、無為に危険をおかす必要はない。

喉はカラカラだが、彼らが去るまで我慢できないほど切羽詰まっている訳でもない。

ここは様子を見るべきだ。


私が慎重に下がり始めた時、彼等の内の一体ギャイと鳴いて示すように指を指した。

そしてまた三匹で騒ぎ立て始める。

こちらに指を指しているわけではない。

細く歪な指は私とは見当違いの方向を指していた。

その指の先を追った私は息を飲む。


「人...?」


彼等の指差した木陰には人がもたれ掛かっていた。

その顔はゴブリンのような非人間的な顔ではない。

少なくとも、私には女性の人間に見えた。

年端は私より少し上くらいに感じる。

ゴブリンは、その人に関して争っているようだった。


木にもたれている少女は、身体中が包帯だらけだった。

それは大半が赤黒く変色していて、傍目にはひどい怪我に見える。

近くで危険そうな生き物がギャイギャイ騒いでいるのに、少女はピクリとも動かない。

よく見れば顔色だって悪い。人形と間違えられたっておかしくないほど血の気が失せている。いや、人形なのだろうか?


どれ程目を凝らしても結論はでない。この距離からでは細かい部分は見えないので、精巧な人形にも見えるし人にも見える。

仮に人だったとしても、既に死んでいるのかもしれない。

あれが死体だという事は精神衛生上考えたくもないが、どう取り繕おうとどちらにせよ目の前の景色は変わらないのだ。


「ゲギャ、ギャギャグギャギャ!」


ひときわ大きい鳴き声が聞こえ、私は怪物共に視線を戻す。


そこには一先ず言い争いの落ち着いた様子のゴブリン共がいた。

彼らは皆一様に、よだれを垂らしている。

その目は完璧に少女を捉えており、内一匹が、御馳走を前にしてまるで我慢が効かないとでも言うように一歩、足を木陰の少女に向け踏み出す。

まずい、と直感的に感じた。

彼らはきっとあの少女を...食べる気なのだ。

十中八九、そうだ。あの目には介抱する意思は感じられない。


身体中に鳥肌が立つのような悪寒が走り抜けた。

だが血の気が引き体が冷めたせいか、胸の奥で逆に沸々と煮えるような感情が内包されている事も感じる。


止めなければ。あの冒涜的な行動を。


人間としての本質に関わる行動と言ってもいいのだろうか、ともかく考えるよりも早く私の体は動いていた。





俺はなんてラッキーなんだ。

ゴブリンは足りぬ頭で、自分の幸運を喜んだ。

彼らは近頃大雨で荒れた川がようやく落ち着いたので、群れの長に命令され水を汲みに渋々やって来たのだが、まさかそこでこんなに良い見つけものをするとは思ってもみなかった。


なんと、少女を見つけたのだ。

しかも、随分と弱っている。これなら自分だけでも仕留める事ができる。


早速味わおうとしたのだが、残りの2人が自分達にも分けろと煩く言ってきた。

特に今回のリーダーだった奴が自分が最初に

食うべきだと言って聞かない。

しまいにはお前が仕事をサボったと長に伝えるぞと脅かしてきた。


癪に触るがそんな事を言われては引くしかない。

まったく、大雨の内に雷にでも打たれてしまえば良かったのに。

リーダーの野郎がよだれを垂らして俺が見つけた女に近付いていく。

リーダーがその指で触ろうと手を伸ばした時、ガサリと何かが森の中で動いた音がした。


「グゲィヤ!?」


リーダーの指が女に触れようかとした瞬間、森から飛んできた木の実が見事にリーダーのに当たった。

リーダーはそのまま気絶したらしい。

無様に飛んできた木の実に打ちのめされ、倒れて動かなくなった。


「グギャギャ!」


木の実が飛んできた森を見やると、純白に近い色の服、そして慌てたような女の横顔が森の茂みの中に一瞬捉える事ができた。

それはすぐに木々に隠れ見えなくなったが俺は見逃すことはなかった。


人間だ!食い物だ!

たまらず俺は駆け出した。

放り投げていた槍を拾い上げ、最後に見えた場所へ突撃する。

見えたのは一瞬だったが、最初に見つけた女よりずっといいのは間違いない。

何故ならば大抵の場合、白かったり小綺麗な奴は神官職だからだ。

神官職、特に女は動きが鈍くてその上、あまり運動しないせいか肉が柔らかい。

大抵は長が一人で平らげてしまうが、たまに食卓に並べば、皆競って奪い合ってしまう。


正に今日はツイている。

あれが手に入るならば、さっき見つけた動かない女を別の仲間に渡しても悔しくもない。

もう一人の仲間は森に見えた白服の奴には気付かなかったようだ。

リーダーが気絶しているのをいい事に、蹴り跳ばして起こそうとしている。

一生そうやって鬱憤を晴らしているがいい。

俺はもっと良いことをやりに行くのだ。


俺は茂みに飛び込んだ。

どこだ?どこに行った?

大きな茂みの裏に隠れるように、白い服がはためいて消えたのが見えた。

茂みは随分と大きく繁っており、奥を見通す事ができない。


獲物はこの裏に隠れた。

俺はジリジリと足音をたてないように見えなくなった白服の後を追う。

狩りはこの瞬間が一番好きだ。追い込んでいるという感覚は自分がより強くなったように感じる。

慎重に回るうち、白い服がちらと先にいるのが見えた。


その瞬間、俺は獲物を驚かせるよう雄叫びをあげ飛びかかり槍を突き出す。

槍は違わず獲物を見事に突き刺さる。

だが、手応えは異様なほどなかったし、白服から血が滲み出る事もない。

獲物が着ていた服だけが、茂みから飛び出した枝に掛けられていた事を理解するのに少し時間がかかった。


くそ、謀れた!

白服はとうに離れた場所にいるに違いない。

俺は腹いせに掛けられた服をビリビリに破こうとして手を伸ばし、その滑らかさに驚愕する。

これはとても良質だ。長が自慢げに身に纏っている布の服よりもずっと。

持っていけば、これはきっと手柄になる。

あの女、期待はずれだと思ったが最低限ものはわきまえているようだ。

だが、自分の利益の計算に考えを巡らせ始めた俺は僅かに響いた泥を踏み分ける音を聞き取る事ができなかった。


「グギェ!?」


唐突に猛烈な勢いで背中を突き飛ばされ押し伏せられる。

顔が泥まみれの地面に頬を勢いよく衝突させ、視界が一瞬白に染まる。


誰だ!?

すぐさま立ち上がろうと四肢を動かすが、それよりも早く上に重いものがのし掛かってくる。


「グギェグブッ!?」


敵だ!敵がいるぞ!

大声で仲間を呼ぼうとしたが、声は全くと言って響かず、遅れて喉が焼けるように熱くなる。

喉を刃物で突き刺されたのだと気付いたのは続けて持ち上げられ、もう一度降り下ろされた血だらけのナイフが俺の耳をこそいだからだ。

どうやら後頭部に降り下ろされたナイフが頭蓋に阻まれ滑ったらしい。

べろりと視界の隅に自分の耳が垂れ下がる。

続けて右肩。背中。首。

乱暴に降り下ろされた凶器は骨に弾かれ残酷に傷口を広げる。


「はぁっ...!これ、で!くたばって!」


乱れた裂帛の声と共に、滅茶苦茶に降り下ろされるナイフにいつしか俺の意識は奪われ、消え失せていった。

突然の事で痛みすら感じる事はなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ