とある調査員の運命
足をとられる泥濘の中、私達調査隊は必死に帰還の道を辿っていた。
「おら、気ィ緩めんな!今は斥候がいないんだ、注意しろ!」
私達のリーダー、オットーがメンバーの士気を保つため、必死に声をあげている。
彼の率いるパーティーは、最早出発の時の形を成してはいなかった。
私達は当初この森の調査隊として一ヶ月を目安に探索に入った。
行きに一週間、調査に一週間、帰還に一週間。
目標は今だ未踏破の森のマッピングと踏破。そして、あわよくば秘宝が納められた遺跡の発見。
一月前の調査隊の派遣は討伐数が上々で今回は危険が少ないとされていたし、もちろん私達だってそこらの化け物には負けないほど技術を積んできたつもりだった。
最初の一週間は成果がよく、森の中を渡る大きな川を越えた私達はすぐに未踏破エリアにたどり着いた。
森の瘴気を中和するための石、『金木石』も予定通りまだ多量に残っていたし、夜に火を焚けばあちこちで他の調査隊が焚いた煙立ち上るのをみる事ができた。
異変が起きたのはマッピングを始めた次の日からだった。
その日から、豪雨が私達を襲った。
時期的には明らかにおかしい。私達が帰るまでは晴れる予定だったのだが。
雨は一日経っても降りやまず、森の中を流れる川があっという間に増水して氾濫し、おそらく全ての調査隊は帰還の道が途絶えた。
同時に、雨で判断しにくいが明らかに夜に確認できる立ち上る煙の数が減っていった。
夜に火を炊かない探索隊などあり得ない。
何か、異変が起きている。不安感が私達の精神をジリジリと焼く。
さらに一日様子を見たが雨は止むことはなく、いたずらに時間が過ぎていく。
帰りの七日分の物資を考えて、自由に動ける日数は残り、5日。それを過ぎれば、帰還するだけの金木石が足りなくなる。
川の側、ギリギリまで戻る事も検討されたが、この雨は明らかに作為的だ。
恐らく原因を解決しなければ雨はやまないだろうし、止まなければ帰れない。慎重な協議の結果、私達はそれを特定する事に時間を注ぐ事にした。
大雨で視界が悪い中、私達は寝る間も惜しみ必死の探索を行った。
原因が百匹を越える集団で鳴いて嵐と雷を呼び、それで狩りや身を守る雑食性の小鳥、ストームバードの群れが此方にやって来たのだと判明した時には残り日数は既に1日となっていた。
ストームバードは渡り鳥で、本来こんな時期にやって来たりしない。
その固定観念が私達の判断を鈍らせた。
ともあれ、わかってしまえば対処はできる。
嵐を呼び寄せるといえども小鳥は小鳥、未知の脅威には気弱な彼らは遠くから気付かれないように弓を何度も射掛け続けるだけで、直接戦わずともいずれまいってここから去っていくだろう。
だが、残された動ける日数は残り1日。
今回ばかりは時間が足りない。
おのずと私達は強行策をとることになる。
すなわち、直接相対して数を減らす事にしたのだ。
彼らは数匹ではせいぜい雲を集める程度なので、数を減らせばこの雨を止める事ができる。
だが、直接戦うというのは怪我や死人のリスクが出るということだ。
パーティーのメンバーは6人。
斥候の私、重戦士のアレク、魔法使いのサミィ、呪術士のルガー、探検家のレジン、そして軽戦士のオットー。
小鳥を狩るには重い鎧で脚が遅く、弓の学がないアレクと広範囲に被害を及ぼす魔法を覚えていないサミィは今回の作戦には不向きだったので、裏方で周囲の索敵を行うことになった。
私達は4人でストームバードに挑む事になった。
その戦いは恐らく、私がこのパーティーに入ってから一番酷いものとなった。
連日の雨で体力が無くなっていた事。
寝ずの探索で集中力も欠けていた事。
さらに言えば、時間も押していたし焦りもあった。
様々な要因が絡まりあった結果、悲劇は訪れた。
最初に、ルガーが雷に打たれて死んだ。
一瞬だった。群れで木に止まったストームバードがいっそう激しく鳴き、雷を落とすための前準備に彼の体は反応しなかった。
本来、体が反応していれば十分に避けられるか、防御できたはずだった。
----シュシュウッ!
「きゃぁっ!?」
次に、ルガーの有り様を見て動揺した私がストームバードの旋風の魔法をもろに受けた。
身体中に深く切り傷が刻まれ、激しく血が迸る。
致命傷ではなかったが、重傷と言って差し支えなかった。
追い討ちをかけるように、遠方で大きな火の玉が打ち上げられ音を立てて爆発した。
見慣れたそれはサミィの魔法、フレアボム。
事前の打ち合わせで決めた非常事態を表す信号だった。
何が起きたか、二人の元に移動し確認したかったが、ストームバードが私達を逃がさない。
彼らは小鳥だが、狩りもする。弱った獲物を逃がすわけがなかった。
結局、ストームバードが嵐を維持できぬほど数を減らし同時に私達が逃げ切った時、私は最早一人で歩けないほど出血し、オットーやレジンも細かい怪我だらけだった。
幸い私はレジンの持っていた応急処置用のキットで止血だけはできたが、合流を果たした私達はさらに辛い事実に直面する。
そこには、泣いて草むらに隠れるサミィと、そこから少し離れた所で石となったアレクがいた。
石となった、というのは文字通りの意味だ。彼は、持ち物ごと動かぬ石像と化していた。
震えるサミィの口からは、この一連の騒動の原因が語られた。
コカトリスだ。凶悪な魔物がここに住み着いたのだ。
コカトリスは鶏のような頭に、蛇の尾を持つ魔獣で、他の小さな鳥の魔獣を従えることがある。
時期はずれのストームバードはこのせいだ。
そして何よりもその血には強力な呪いがこもっており、多量に浴びると体が石化する。
アレクはサミィを逃がすため、囮になって石化したらしい。
すぐにでも呪いを解きたかったが、直ちにそれをできるルガーは死んでしまった。
私たちにも解けない訳ではないが、そのためには多量のアイテムと、何より時間が要る。
とてもではないが、今の私達では手に負えなかった。
その日はそこから少し離れた所で休むことにした。
ルガーが死んだ事を知って、サミィはさらに塞ぎ込んでしまった。アレクが自分を逃がすために石になった事もあり、強烈な自責心が彼女を責め立てているのだろう。
その日の夜はオットーとレジンが交代で火の番をした。
私とサミィもやると言ったが、怪我人と心の制御ができていない奴はしばらく休めと言われた。
夜、ついに私達以外に立ち上る煙を見る事ができなかった。たぶん、皆魔物に殺されたか、コカトリスに石にされたのだろう。
翌日、友人とも言えるメンバーの離脱に悲しむ暇もなく、私達は帰還の道を辿り始めた。
天気は快晴だが、まだ足元が泥濘む。
あと4日もすれば増水した川の周り以外は乾くだろう。
歩き始めて2日。
ふと気が付けば、私はレジンに背負われていた。
どうやら、途中で気を失い倒れてしまったらしい。
恐らくは、体の血が足りないのだ。あの戦いで流しすぎてしまった。
私が倒れ、歩けなくなった事で、パーティーの歩みが大きく遅れる事になった。
3日目。
レジンが金木石の数と地図を見ながら、額にシワを寄せていた。
どうやらこのスピードで帰路を辿っては金木石の数が足りないらしい。
金木石は食べる事で森の瘴気を中和し、中毒症状を防ぐ。
つまり、この森で呼吸するための道具と言っても過言ではない。
それが足りないと言うことはつまり。
私の考えを遮るように笑ったレジンは 、自分の荷物を捨てる、そうすれば少しは早くなると言った。
そして今日。
増水して一時は普段の何倍までも広がっていた川の近くまで辿り着いた私達はゴブリンと遭遇した。
オットーが奇襲を仕掛け、ものの見事に三匹をあっという間に切り裂く。
戦果は見事だが、本来は回避できた戦いだった。その役目を果たす斥候である私が重傷で動けず、荷物となっている事に不甲斐なさを感じた。
河を越えれば後3日、休憩や睡眠を挟んで歩き続ければ街に帰れるのだが。
河にかけられたからくり橋は当然のように流されていた。
今は泥も沈み、元の透明な水を湛えた大きな河に戻っているが、ストームバードがいたときは随分酷かったようで、川沿いのあちらこちらに折れた木の枝などが取り残されていた。
橋がない場合は、ロープで命綱を通し、十分に注意して渡る必要がある。
当然、自分で歩けないほど弱った人を背負いながら行けるようなものではないし、私の回復を待つだけの時間もない。
私は意を決する。
「オットー、レジン、サミィ...聞いて欲しい事があるの。」
「...なんだ?言ってみろ。」
私を背負っているレジンも、隣を歩いているサミィも返事をせず、リーダーのオットーだけがゆっくりと答えた。
きっとこの先私が何を言うか予想がついているのだろう。
二人は判断をリーダーに委ねることにしたのだ。
「私を、ここで下ろして、置いていって欲しい。」
「なぜ、そうするべきだと?」
オットーは振り向かない。そのまま、話を促す。
「このままじゃ、外に出る前に絶対に金木石が尽きてしまう。それに、川だって渡れるか怪しい。今この場で私を置いていけば、パーティーの速度も上がるし、私の分の金木石を持っていけば、森の中でも休む事だってできる。」
「......。」
オットーは何も言わない。
情に厚く、仲間思いだった彼は仲間を見殺しにする事を躊躇っているのだろう。
だがこの川は、私を切り捨てるのに最適なタイミングだ。
「ね、レジン。このままで間に合うの?」
私は、レジンに話を振る。
彼はオットーと同じくらい仲間思いだが、利害の計算を感情抜きにできる男だった。
パーティーとしての生存を考える彼は、言いにくそうにしながらも、口に出す。
「...いや、間に合わない。俺は...彼女の意思に、敬意を表して賛成したい。」
つくづく彼は損な役回りだと思う。
オットーの勇気が出ない決断をいつも後ろから押す役目だ。
しかも置いていく仲間を自分で背負っているのだから、彼の心は穏やかじゃないだろう。
話の立案者が私とはいえ話を振られては罪悪感に辟易したに違いない。
サミィは俯いていたが、肩を震わせて泣いていた。
「だが、仲間を捨てるというのは...。」
オットーの声も震える。
怒っているのだろうか。
悲しんでいるのだろうか。
彼だって理解している、現状を貫くのならば全滅だ。
だが、彼はできない。
天秤にのった3を取るために1を払い落とす事ができない。
「オットー、決断の時だ。今でなくては間に合わない。」
レジンは言葉を続ける。
それはきっと彼の罪悪感を薄めるためのもので。今までもこのパーティーはこうやって利口な選択をして生きてきた。
情熱をもってパーティーを纏めあげるオットー。
その裏で数字を管理するレジン。
全くもって、上手くやっていたパーティーだった。
誤解しないで欲しいが、私だってこういう決断ができるパーティーだからこそ今まで付いてきたのだ。
大事な時に足を切り捨てる事ができるパーティー。
自分が切られる時は努めて想像しなかったが、自分から切られても良いと思えるほど時を過ごした仲間達だった。
果たして、私は無事に置いていかれる事になった。
「隠して燃やして欲しい物は?」
「ないわ。男じゃないんだから。」
「誰かに遺言はあるか?渡したい物は?」
「ないわ。遺言は、宿においてある。」
「用意周到だな。」
「皆やってるでしょ?」
レジンが私に最後の確認をしている。
近くでサミィがすすり泣いていて、オットーが遠くで涙を見せぬよう彼方を向いている。
少し角度が違うだけで何度も見た風景なのに、涙が出て止まらない。
レジンの口が最後の確認を行う。
「墓に、埋めて欲しいものは?」
「っ...。」
ああ、私、死ぬんだ。
こんなこと、一生聞かれる事がないと思っていた。
冒険者の死体は、大抵の場合瘴気で跡形もなく腐るか、鳥や獣につつかれ、回収に来たとして残っている事はない。
そんな時、冒険者は身近な小物を自分の代わりとして墓に埋めるのだ。
耳を塞ぎたくなるほど具体的な質問で、私は背筋が寒くなる。
それでもどうにか叫びだしたくなる衝動をこらえ、私は震える手で懐から貴金属の鎖を引き出す。
ちゃらりと揺れるそれには、時を刻む高価な装飾品が付いている。
「この...懐中時計を...。」
「確かに受け取った。約束は果たすぞ。」
「あ...。」
私の手とレジンの手が一瞬触れ、離れる。
もう二度と触れられないその熱に、私の口を突いて震える声が漏れる。
レジンはそれに気付かない振りをして立ち上がった。
さよならの言葉も、喉がひきつって。
そうして、私は彼らと別れた。
夕刻、オレンジ色に染まった視界の中で遠ざかって行く彼らを、私は木陰で見送る。
残されたものは、私の私物と、少しの食料。
川を挟んでるとはいえ森の中なので、すぐに背中は見えなくなった。
「行っちゃっ、た...。」
じわじわと後悔が胸を焼く。
泣いて、置いてかないでと言えば良かった。
黙っていれば、ギリギリ帰れたのではないだろうか?
そんなはずがないのに、私の頭は都合の良い事を次々と考える。
ついと頬を、涙が滑る。
「嫌だ...嫌だよ...!見捨てないで...!」
自分勝手な言葉が、喉を衝く。
朝に食べた金木石の効果は、おおよそ日が沈むまで。
魔獣に襲われなくたって、そこで瘴気が体に溜まって終わり。
彼らが救助に戻ってきたって、その頃には私は瘴気の中毒で死んでいるだろう。
それに何より、そんな望みのない事をするパーティーではない。
次に来た時、きっと彼らは新しく何人も私の知らない仲間を引き連れ、私の知らない物語を紡いでいるのだろう。
だけど、私はここで終わり。
せめて苦しみたくなくて、でも自害する勇気もなくて。
私は眠る事にした。
もう二度と起きないよう、願いを込めて。
血を失い体温が低い体は、存外に寝やすかった。
日は、静かに傾いていく。
意識が深い泥に沈む直前、清んだ鈴のような音が聞こえた気がした。