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風鈴の巫女  作者: モノクロ信号機
一章 「会いたい」は遠く
13/13

脱出の糸口


暗い森に夜明けの光が差し込む中、私達は森を進む。

襲撃の晩、私達は睡眠時間を縮め、先に石にされたレナの仲間の救出へ向かっていた。


わざわざ視界の悪い夜に急ぐのには理由があった。

なぜなら、コカトリスは石化した生物をそのまま食べる事ができるから……らしい。


コカトリスの血液による石化は、襲われた時の防衛システムとして機能するだけではなく、戦闘時に血の塊を吐き出して見せたように攻撃手段としても使用する。

偶然、もしくは狩りの最中で石化させた生物は、他の生物が横取りできない獲物として保存する習性があるのだそうだ。


そして、件のコカトリスは弱っている。

消耗した体力を回復させるために、石化させた生物を捕食して回っている可能性が高い。

それゆえ、石化した仲間が食べられる前に回収しようと言うのだ。


レナに肩を貸し、移動することに一日時間を費やした。

何度かゴブリンと遭遇しかけたが、白魚を囮に使い上手く隠れてやり過ごす事ができた。


移動中、レナの怪我にも注目していたが、本人の言うとおりたったの一日で一人歩きできるようになるなど、明らかに治りが早い。

加護というものがどれ程ありがたい存在かを認識させられた。


懸念だった食料は、移動中にレナが見つけた山菜や小動物、あとは虫でまかなった。

私も随分この森に慣れたものだ。

獲物を捌いたりすることこそできないが、虫はよく焼けば口に運ぶ事に抵抗感がなくなってしまった。受け入れてしまえば、外がパリパリしてて美味しいとさえ感じることもあった。

もっとも、美味しいと感じる事が良い事かどうかは考えないようにしているが……。


水は、この時期に瓜のように大きく育つ赤かぶのような形の根菜で補った。

レナ曰く、本来なら後二週間程でやって来る嵐で水を溜め込む植物なのだが、コカトリスが先にストームバードを呼んだお陰で早い内に水を吸ってしまったらしい。

辛味が強い植物だったが、生食もできて水分補給には最適だった。


そうして何度か日が巡り、私達は目的地へ辿り着いた。


「着いたわ。ここが……私の仲間がいる場所よ。」


その惨劇を見て、私はため息とも感嘆ともつかぬ息を漏らした。


「うわぁ……。」


辺りは石になった地面や植物にまみれていた。虫や鳥の音も聞こえず、この部分だけが森から隔絶されてしまったかのようだった。

どれもこれもが一部を石に変質させ、静かにたたずまされている。

横にはった枝の中央が石化し、重みで折れてしまった樹木もあった。


「痛っ……。」


足にちくりと痛みを感じて視線を落とす。

石化した下草が針山のようになっていた。なかなか危なっかしい。

結界は、展開されなかった。こんな些細な事では発動しないのだろうか。

幸い、薄くて脆かったので払うように足を動かせばぼろぼろと崩れていく。

ここまで血が撒き散らされるとは、どれだけ激しい戦いだったのだろうか。想像して、私は身震いした。


レナの案内で少し進むと、茂みに隠されたように石像が転がされているのが見えた。

レナが自分から離れ、安定しない足取りで茂みに近づき枝をはらう。

最初は石像のなかに人肌のような滑らかさが見られず、なんだろうと全体像を捉え目を凝らし。


「……西洋騎士?」

「彼は重戦士なの。名前はアレクよ。」


甲冑、鎧、ヘビーアーマー。

そんな印象がぴったりの石像が、大剣を降り下ろしきった姿勢で転がっているという事がようやくわかった。

石像には若干土がかけられており、所々石の肌を覆い隠している。


「せめてコカトリスに食べられにくくするようにって、私の仲間がここに隠したの。……まだ場所がばれていなかったのは幸いだわ。」


レナがやるせない表情で呟いた。石になった仲間を眺め、ついと息を吐く。

だが、すぐに気を取りなして私の方を見る。


「アレクの無事を確認できたし、これから呪いを解くための素材を集めるわ。」

「何が必要なんです?」

「えと、それは……。」


レナはポーチをがさごそと探り、随分と古ぼけた手記を取り出した。

それには文字が書かれているようで、難しい顔でそれを読み上げる。


「夜間の間だけ酒に浸したチックベリー、晴れの日の夕方に摘んだハチドリ草、若いハートマッシュ、煮沸した液体、あと、糸が必要みたい。」

「うん、何が必要なのかわからないのがわかったよ……。それ、全部この森にあるの?」


大体全部聞いた事がない。シイタケとか南天とか、もっと私に馴染みのあるもので来てくれてもいいんじゃないだろうか。

私が肩を落としたのが面白かったのか、レナは少しだけ笑った。


「この手記に代用品も書いてあるから多分大丈夫よ。例えば……処女の血液、とか。」

「うげぇ……今、わざと一番酷い代用品の名前を挙げたよね?」

「ふふ。さて、どうだか。」


レナは面白そうに手記の頁をめくった。

解呪の手順が示されているらしい。顔は笑いながらも、真剣に読み進めていく。

……よく考えれば石化の解呪に関して書いてある手記って、どこで手に入れたんだろうか。


「その手記、どこで手にいれたの?」

「これ?これはね、パーティーの呪術師が自分がその手の呪いにかかった時のために、全員に配っていたのよ。自分が助けて貰えるように」

「へぇ……」

「雷に撃たれて死んでしまったけど……気の良い奴だったわ」

「……。」


死んだのか。

声には出さなかったが、そう思った。

この森は、私の見えない部分ですでに何人も殺してきている。一見すれば、ただ蒸し暑い夏場の森が。


昨日今日で食べた山菜や小動物を思い出す。

あれだって人の血肉を吸って大きく育ってきたかもしれないのだ。

つらつらと食欲の失せることを考えていると、お腹が内容物を逆転させるために動き出すのを感じた。

私は思考を中断し努めて声を出す。


「早く集めに行こうよ。石化した人…アレクさんを助けなきゃ」

「……そう。そうね、追悼は後でもできるしね。とりあえず、私がいるから糸の心配はしなくてもいいわ。一先ず問題になりそうなのはチックベリーを浸す酒かしら」


酒。

私ははっきりと飲んだことはないが、御神酒の匂いを嗅いだり、杯を間違えて口に運んだ事がない訳ではない。

あの鼻に刺さるような香りは、今も覚えている。


「代替品を探すのもありだけど、ここの迷宮なら『ドランクドラウン(酒精霊の樹)』を探した方が早そうね」

「酒精霊の樹?」

「ワイングラスみたいな形をした低木よ。真ん中にお酒を作るこの迷宮自生の木で、味もいい。迷宮入り口付近に畑が作られるほどなの」

「じゃあ入り口付近に行けば……って、行けないから困ってるんだよね」

「間に問題の河があるからね。まぁ、この程度の怪我ならすぐに渡れるようになる……と思う」


仮に渡る事ができるようになっても、今更石化した人を助けないという選択肢などないであろう。


「とりあえず、迷宮を進みましょう。河からは離れる形になるけど、道中に酒精霊の樹は見かけなかったから、この辺りにはなさそうだし。」

「他の材料は見かけなかった?」

「チックベリーとハートマッシュはちたちらと見かけたわ。道すがらにでも摘めるでしょうね。」


まだ日も高い、しばらく行動できるだろう。

私達はより入念に石像に土をかけ隠すと、移動を始めた。







「うぁぁ~……もう足が棒みたいだよ……。」


結論から言うと、今日は酒精霊の樹を見つける事ができなかった。

レナが言っていたチックベリーとハートマッシュを採集するだけで、あとは解呪の助けになるものは見つけられなかった。

連日歩き詰めだった体を採取物ごと地面に投げ出すと、励ますように風鈴がりんと鳴った。


「チックベリーとハートマッシュが採れただけマシかしら。両方ともある程度は日保ちするけど、早い内に他も見つけてしまいたい所ね……。」


横にレナが座る。

二人で運んだ採取物から枯れた枝葉を取り出して組むと、ポーチを探り点火道具を取り出した。そのまますぐに点火装置を使い始め、基板が焼けたような匂いが立ち始める。

そのままにするのも悪いので、私は体を起こす。


「何か手伝える事ない?」

「そうね、チックベリーを少し分けてくれる?今日の夕食用に多めに採ってきたから」


私はいくつかの根菜と足をもいだバッタみたいな虫を何匹か包んだ葉を押し退けて、チックベリーと言われた一房を取り出す。


「これ、美味しそうだよね……どんな味するんだろ。」


チックベリーは赤い海ぶどうのような、つぶつぶした見た目をしていた。

夏から秋にかけて実るらしいチックベリーは、透き通っていてビーズ玉のような輝きを放っている。

因みに、小鳥が好んで食べるという所からその鳴き声を真似てチックベリーと言うらしい。

私はそれを手に取りながら言う。


「ハートマッシュの方は食べないの?」


チックベリーと並ぶように置かれたハートマッシュを眺める。

ハートマッシュは実に肉々しい質感と見た目をしており、なるほど心臓キノコとはよく言ったものだと頷きたくなるくらいには、グロテスクなキノコだった。

ついでに言うなら、採取する時に血液っぽい液体も出た。おかげで服に数ヶ所、真っ赤な染みができてしまった。


個人の感想で言わせてもらえばそんなキノコなど食べる気にはさらさらなれないが、レナが食べると言うならば覚悟は決めるつもりだ。

その言葉を聞いたレナはにやりと笑う。


「食べる?スズナも何回か世話になった丸薬の主材料だけど」

「自分で言っといてなんだけど、遠慮しようかな」


無意識に何回か食べてしまっているようだ。

あの丸薬を食べた事を少しだけ後悔した。


「ハートマッシュは興奮剤になるの。その効果を調整して、都合のいい鎮静剤にしたのがあの丸薬よ」

「そのままで食べるキノコじゃない事はよくわかったよ」


私はチックベリーの側に転がっていたハートマッシュを人差し指の爪で押して少しだけ遠くに追いやった。

キノコの事はいったん忘れ、懐から白魚で包んだナイフを取り出し、チックベリーの実を茎からはずしていく。

その最中に、パチリと視界の隅で光が跳ねた。


「……よし。準備ができたわ。虫でも焼きましょう」


レナが着火に成功したようだ。

基板が燻っているような臭いの中に、微かに木の燃える匂いが混じり始めた。

すぐにぱちぱちと水分が跳ねる音と共に火が立ち上る。


バッタのような虫を串に通し、火で炙る。

今回は虫としてはかなり大きいので、単に質量で言うなら食べごたえはある。

ちなみに、レナのもつ串の内、私がコカトリスに突き刺した一本は先端が石化し、使えなくなってしまった。

残った一本の串を使い回し、二人で順番に焼いて食べる。


レナが食べている時は、私は森に耳を澄まし妙な足音が聞こえたりしないか確認する。

この数日の間に自然ととるようになった行動だ。私が食べている最中、レナが何も言わず警戒していた事に気付き真似する事にしていた。

串を置き、レナが言う。


「明日はどこを探しましょうか。何か意見はある?」

「……酒精霊の樹がどんな生態をしているかで、場所を絞れないかな?お酒を作る樹の生態なんて私にはとんとわからないけど。」


私の言葉に、レナは難しい顔をした。

かりかりと頬を掻き、思考を巡らせているようだった。


「生態、生態ね……。生物学者じゃないからあんまり詳しくないけど、迷宮産の植物だから瘴気溜りに生えてる事が多いと思うわ。」

「瘴気溜り?」

「どんな迷宮にも必ず瘴気があるのは前に言ったでしょ?瘴気は何もない中空からわいて出るようなものではないの。」


確かに、気になる所ではあった。

魔法とか加護とかあるし、おおよそ私の理解を越えている物なのかと思い疑問を声にはしていなかったが。


「迷宮には、瘴気が吹き出す『亀裂』があるの。一つの大きい亀裂と複数の小さい亀裂。今回はこんな目にあったけど、調査隊の本来の目的はこれを発見する事なの。」

「え?でも、前に調査隊は迷宮の資源と遺産が目的だって言ってたような。」

「そ、それも言ったけど……!それは調査隊員の懐に入る取得物というか、なんというか……。」


調査隊としては亀裂の調査が目的で、個々人で言うならそのついでに資源拾いで金儲け……という事のようだ。

雇われながら副業をしているような物だろうか。


「拾うのは向こうも認めてるし……。とにかく、迷宮にしか生えない植物は亀裂の周りに多く生えてる事はあるわ。」

「じゃあ、その亀裂って言うのを探せばいいんだね?」

「そうね。大亀裂は基本的に迷宮の最深部にあるから見つからないだろうけど、小さな亀裂ならこの辺りにあってもおかしくないわ。」

「じゃあ、明日はそれを探す?」

「そうしてみましょうか。さ!話も纏まった事だし、チックベリーを食べましょ!」


落ち着いた夜の森に、話し声が小さく響く。

月に似た星が二つ上る空は、穏やかに地を見下ろしていた。


ちなみに、チックベリーは甘酸っぱくて美味しかった。




「今よ!いって、『白魚』!」


リリン。日が中天で輝く中、風鈴の音に合わせて森の中を白い風が翻る。

白魚がその端にナイフを絡めとり、四足歩行の化物に急接近していく。

そのまま、地面に接するほど低い場所から繰り出された斬撃は、痩せ細った狂犬のような魔物の鼻から右眼にかけて大きな傷を付けた。


「せゃあっ!」


血を撒き散らし、キャンキャンと鳴きながら尻尾を巻いて逃げ出した犬のような魔物の尻にさらに弓矢の追い討ちがかかる。

しかし放たれた矢は何本か命中したものの、狂犬は茂みを潜って姿を消してしまった。

深い茂みは、矢も布である白魚も容易に通り抜ける事はできない。

茂みから茂みへ、低い体躯を活かして狂犬は逃げていってしまった。


「く、悔しいっ……!逃がした……!」


レナが地団駄を踏んで悔しがる。

狂犬はスコーチドッグと言うらしく、狂暴で執念深い性格の奴らは自分を傷付けた相手をいつまでも覚えているとのこと。

それゆえ、レナはあれが襲撃して来た時に仕留めたがったらしいのだが。


「まぁ、逃げちゃったなら仕方がないんじゃない?追いかけても追い付けるとは思えないし……先に進もう?」

「……そうだけど。そうなんだけどぉ……!くそっ、酒精霊の樹を見つけたらやけ酒してやる……」

「えと、ほどほどにね……?」


単純に悔しがってもいるのだろう。

そんな私達だったが、耳に小さなざわめきが聞こえて身を固くする。方角は、スコーチドッグが逃げていった方だ。

レナが弓を構え、『白魚』がふわりと浮き上がり、亡霊のように短剣を構える。

各々が茂みから何が飛び出して来ても対応できるような構えをとって、十数秒。


「……気の、せい?」

「バカ。二人とも、いや、そこの宙に浮く布も加えたら三人も同じ音を聞いたのよ。気のせいな訳ないじゃない」


少し様子を見たが、何かが飛び出してくる雰囲気ではない。

目立つ白魚を袖に戻し、風鈴を音が鳴らないよう腕に巻いてからレナと私で茂みに近づく。どうやら茂みの向こう側、やや離れた場所になにかいるらしい。

茂みの奥からこっそりと覗いて見ると、その正体ははっきりと分かった。


「ゲグ,グロロロロ!!」

「……ゴブリン?」


低い体躯に、体に合わぬ長さの槍。

ゴブリンかと思われたその生き物はしかし、ゴブリンにはない灰色の毛皮と獣のような耳を持っていた。

もっとも、その毛皮は上質そうには見えない。どちらかというと、鼠や野犬といった清潔ではない印象を与える。


その異形は、今しがた私達のもとから逃げ去っていったスコーチドッグを槍で仕留めており、一人で手を叩いて喜んでいた。

地に伏せたスコーチドックには槍が執拗に突き刺されたようであり、どす黒い血が辺りを濡らしている。

レナが茂みから見きわめるように目を細め、言った。


「あれは……コボルトね。普段ならこの迷宮でゴブリンの次に繁栄している魔物ね。」

「へぇ、でも何日もここで過ごしたけど、コボルトなんて初めて見たよ?」

「そりゃあ、ね。そもそも、コカトリスがいなければ迷宮はもっと魔物がいるはずだもの。コカトリスっていうのは大食らいなのよ。」

「あの化物鳥、ゴブリンとか食べたりするんだ……」


逆に言えば、この辺りから先はコカトリスの縄張りではない。多くの魔物がいる迷宮本来の顔が見えてくるということ。

それにしても、ならばあの環境で生きていけるゴブリンとは一体。

私の葛藤をよそに、レナが茂み向こうのコボルトを睨みながら言った。


「それにしても、まずいわね。コボルトは特定の巣を持たなくて、見張りをたてて群れで遊牧民のような生活をするの。つまり、この辺りには…」

「コボルトが他にもいるかも知れない、てことね……!」


たとえ『白魚』がいたとしてもゴブリン数匹にも苦労していた私がどうにかできるとは思えない。

縮こまって、結界頼みに耐えることしかできないだろう。そもそも、魔力不足で白魚の行使をし続ける事すらできないかもしれない。


私が考えている間に、スコーチドッグを仕留めたコボルトは上機嫌にその死体を引き摺って運び始めた。

どうやら、群れの本隊に獲物として持ち運ぶつもりのようだ。

レナが呟くように言う。


「今はあまり戦いたくない相手ね。できれば、群れがどちらに進んでいるかを知って離れておきたいわ。」

「じゃあ、追いかける?」

「それはそれで敵の懐に飛び込むようなものよ。奴らはしばらくスコーチドッグを解体するのに忙しくなりそうだし、早めに進みましょう。」

「わかった。それじゃあ、このまま戻って……ん、白魚、どうしたのちょっと……!」


下がろうとした私達だったが、唐突に白魚が懐から滑り出る。

そして、唖然とする私を無視してゆっくりとすでに森に隠れたコボルトの姿を追い始めるではないか。


途端、体が釣り針に掛かったようにくい、くいと白魚へ引っ張られてゆく感覚に襲われる。

痛みはないのだが、どうしようもないもどかしさのような感覚が心の底から沸き上がってくる。

まるでブレーメンの笛の音を聞いたような気分だ。抗いがたい感覚に体が引っ張られる。

ふらふらと茂みから出て白魚とそれを追い始めた私を見て、レナが目を丸くする。


「スズナ、どうなってるの?説明してもらえない?」

「し、白魚が、勝手に行ってしまうんです……!それに、なんだか引っ張られるような変な感覚が……!」


まるで風に乗った凧だ。私は白魚に引かれ、コボルトの後を辿っていく。

そんな私の横にレナが素早く駆け込んで、ため息をつきつつ足並みを合わせる。


「引っ張られるのはわかったから、もう少し静かに歩いてよ。コボルトに気付かれちゃう」

「う、うん。ごめん」

「別にいいわよ。あんたのその変わった加護諸諸が無ければ私はとっくに瘴気で死んでるんだから。……融通の効かない加護だとは思うけどね」


森を進むにつれ、少しずつだが獣の臭いが濃くなっていく。手入れされていないタワシのような、長い間は嗅いでいたくない臭いだ。

空気が粘着質めいて来たような気分がして、私は頬を擦った。


微かだが、騒がしい唸り声も聞こえだす。

慎重に足を運んでいくと、前方にひらりと翻る白い布が見えた。白魚で間違いない。

白魚は私達の姿を確認すると、身を翻して私の袖に潜り込んだ。

どうやら案内はここまでらしい。

レナが私の肩を叩き、囁く。


「コボルト達、すぐ近くにいるわ。気を付けて」

「うん、鳴き声が聞こえる。それに、酷い臭い」


獣の賛歌が聞こえる。茂みの向こうで食事する音が聞こえる。

捕らえた獲物の肉を裂き、鮮血を舐め取る音が交互に響く。

獣達に悟られないよう、注意しながら眼を覗かせる。


その場には四体のコボルトがいた。

一際大きなコボルトとそれに寄り添う二体、最後に獲物を運んだ一体だ。

群れの長、そしてそれに寄り添う雌二匹といったところだろうか。もしかしたら逆かもしれないが。

長と雌が肉を食い、獲物を運んだ一体が彼らの食事が終わり、自分の番が来るのを待っている。


そして、そのすぐ脇には私と同じ程の背丈のある小さなオブジェのような物があった。

ねじ曲がった蔦が絡まりあって形作られた、自然のワイングラスと言ってもいい。

杯の周りには、夜に見る蛍の光を大きくしたような奇妙な光が数個、ふわふわと舞っていた。


「……レナ、あれなに?」


私が尋ねると同時、レナもそれが眼に入ったらしい。うめき声とも取れるような声で呟いた。


「……なんてこと。あれよ、あれが酒精霊の樹。見つけられて幸運だというべきか、あんな場所にあって不運だと言うべきか……。」

「あれがそうなんだ……。白魚、もしかして案内してくれたの?」


私が声をかけると、袖のなかで白魚がもぞりと動いて肌を掻いた。たぶん、肯定の返事だろう。


「酒精霊の樹は、窪みの中に酒を造って溜め込んでいるの。そして、自身の世話をした生物にそれを分け与える事で有名よ」

「へ、へぇ……」

「あ、あれ見て。あんな風にお酒をくれるの」


コボルトが、肉を粗方こそげ落とした腿の骨を酒精霊の樹の根本付近に放り投げる。

それを見て駆け寄りかけた子分コボルトを唸って追い返し、そして、何かを待つように座りこんだ。

少しして、酒精霊の樹が植物とは思えないような動きを始めた。

ワイングラスを構成する蔦の一本がするすると解け、コボルトの前までしなだり落ちる。


すぐに酒がその蔦を伝い、コボルトの前で蛇口のようき静かに垂らされ、溢れ始めた。

コボルトはそれに舌を這わせ、酒を舐めとると満足げに喉を鳴らす。

そのまま三十秒ほど酒を垂らすと、蔦は元の位置に戻っていった。

満足したのか、コボルトはごろりと横になり目を細める。

動きがない事を確認して、レナが私に言う。


「肥料になるものを与えたり、邪魔な他の樹を斬り倒したりすると、ああやって造った酒を分けるのよ。後は魔力を与えてもお酒を返してくれる。」

「……えと、なんか、変わってる植物だね」

「え?別に特別異色な植物ではないわよ?」

「えぇー……」


相変わらず、私の常識が通じない世界だ。

食事を終えたコボルト達は寝息すら立て始めた。起きているのは子分だけで、その子分は酒精霊の樹に渡してなお余っていた骨にかじりついている。

どうやらすぐに動くわけではなさそうだ。レナがため息をつく。


「仕方ない。今日は引きましょう。明日には、コボルトもいなくなってるかも」

「うん、そ―――うわっと……!」


うん、そうしようか。

私はそう口を開けようとしたが、唐突にぐらりと地面が揺れた事で言葉を出せなかった。

同時に近くでスプレー缶に穴を開けたような、空気が吹き出す音が響く。

突風のようでいて、ストームバードの嵐よりも遥かに粘つく空気が吹き抜ける。

ほんの少しだが、魔力が削られていく感覚がした。


「な、なになに!?何が起きてるの!?」


風に負けないよう、慌てて地面に手をつき、よつんばいの姿勢で周りを見る。服が汚れてしまうが、気にする暇はない。

レナが木に手を回し、体を支えながら立ち上がる。その口から今日何度目かの呻き声が漏れた。


私もそれに習い、何とか立ち上がる。

音の発生源へ眼を向ければそこには異様な光景が広がっていた。


酒精霊の樹は『亀裂』があるところに生えやすい。

それは、逆に言えば酒精霊の樹が生えている所は『亀裂』とやらが起きやすい、という事ではないだろうか。


「これ、が……亀裂?」


目の前の地面は一文字に切り裂かれたように裂け、その先には私がこの世界にやって来た扉のような、ただただ黒い空間が広がっていた。

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