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風鈴の巫女  作者: モノクロ信号機
一章 「会いたい」は遠く
1/13

扉に落ちて

始めまして。

拙い文章ですが、読んでくださると幸いです。



仰向けに倒れ、都会では見ることができないであろう満天の星が輝く夏の夜の空を私は眺める。

見知った星座を探すが、天文学などかじった事すらない私には夏の大三角どころか北極星だって分からなかった。


名前は葦切(よしきり) 鈴菜(すずな)

年端もまだそんなにいかないが、一人前と言っても差し支えない程度の年齢。


今まで私は、小さな神社を継ぐ家系の生まれでありながら、占い、縁起、祝詞。

その他オカルト的なものを私は何も信じてはいなかった。


なぜなら私は観測できないものは信じない質だっから。それか、幼い頃から両親が随分と厳しく兄を後継ぎにしようとしていたのを間近で見て同情し、そういうものに反発的な感情を抱くようになったのかもしれない。


だが、こうなっては最早信じるしかあるまい。


「....ここ、どこ?」


私は簡素な巫女装束のまま、月が2つある夜空の下、虫の鳴く大森林に一人ぼっちとなっていた。




経緯を話そう。

時は夏の夜、我らが神社では地元一丸となって小さな夏祭りが行われていた。

それはもう地方の大都市と比べればささやかなもので、所謂地元の人しか知らないような祭事だ。


私はこの祭りで巫女を勤めた。

といっても神楽を踊ったり、儀式を行うような上等なものではない。

私がやっていたのは助勤、いわゆるバイトで神職や職業巫女を裏方から雑用でもって支える、そんなものだった。

今こそ諦めているが、昔両親は私も神職にしようと頑張っていた時期があり、その時に基本の「き」くらいは私も知っていたからこその採用であった。


バイトである事を示す為に本来緋色であることが多い巫女装束は、私や他のバイトの子の分はやや地味な紺色となっていた。


私の兄は神職を正式に引き継いだ事を、この日初めて地元の人に見せるのだと張り切っていた。

私は兄が頑張っているのを嬉しく思い、そして何だか自分の慕っていた兄が遠くなったような気がして寂しくも思っていた。

ともかく、私は兄のサポートをするため幼少期以来、久しぶりに巫女服を着て駆けずり回ったのである。

まぁ、あまりマナーなどを覚えていなくて何度か怒られたのだが。




祭りも落ち着いてきた深夜、私は神事を勤めきり疲れた表情をしていた兄を労うために握り飯とお茶を盆にのせ、兄の部屋に向かうべく縁側を歩いていた。

巫女は歩くときはなるべく足音をたてないようにとは母の言葉だったか。何事もおしとやかにと口煩く言う母だ。


「はぁあぁ……。今日は大変だったなぁ……。」


一日を思い返し、私は達成感の籠った溜め息をつく。

今日は本当に朝からずっと荷物を運んだり立ちっぱなしで働きづめだった。お陰で足は筋肉痛に近い。


チリンチリン、と縁側に掛けられたまるっこい金属製の風鈴が澄んだ音をならし、未だ石垣を越えた遠くから祭り囃子が微かに響く。

そのお陰でやや生ぬるい風も涼やかに感じた私は少し足運びを緩めつい目を閉じてしまう。


ああ、風情に浸るとはきっとこういうことなのだ、としょうもない事を考えていたからだろう、私は自分の足運びがやや外側にずれていったのに気づきやしなかった。



がっ。


「いっづぅぅーー!!」


縁側の屋根を支える柱に右足小指を思いっきり打ち込んだ私は突如襲ってきた地獄のような激痛に耐えることとなった。


食べ物が乗った盆こそ取り落とさなかったが、私は涙目で柱の横にかがみこむ。

ひょっとして小指は折れてしまったのでは?

ひぃひぃ言いながらお盆を置き、足を確認する私をバカにするかのようにチロリン、と風鈴が鳴り。


「いだっ!」


カツンと頭に降ってきた。

なるほど、これが泣き面に蜂というやつか。金属製ゆえになかなか痛い。

風鈴は私の頭で跳ねた後、リンリンと鳴りながら庭の茂み、その中へ転がった。

神社は綺麗にされているものの、その代償とでも言うかのように自宅の庭は人手足らずで管理されておらず、脛ほどもある草が好き放題に生い茂っている。

探しに行けば、時間がかかる事請け合いだ。


「あーもう、何でこんなことに……。」


私はただ兄ちゃんにご飯を持っていこうとしただけなのに……。


一先ず風鈴は後回しだ。

私はせかせかと茶が冷める前に盆を運ぶ。

少し歩けばすぐに兄の部屋だ。

盆を取り落とさないよう、注意しながら横開きの扉を何度か叩く。


「兄ちゃん?今日はお昼から何も食べてないでしょ?おにぎり持ってきたよ!」


私は声をあげて兄を扉越しに呼ぶ。

3秒ほどの沈黙の後、兄からだるそうに返事があった。


「あぁー...助かる。今開けるから待っててくれ。」


のそのそと人が動く音がして、すぐに兄が引き戸を開けた。

つい先程まで祭事用の服を着ていたのだが、

私がおにぎりを作っている間に役目が終わったらしく既にラフな格好となっていた。

さらりと流れる黒髪は私と同じとは思えないほど艶やかだが、その下に覗く顔はまさに社畜同然だ。

今にも溜め息を吐きそうなその顔は、神職が楽ではない事を物語っている。


だが、私は兄がこの仕事に誇りを持っているのも知っている。


私は何度か、逃げちゃえばと兄に甘言を囁いた事があった。それは私自身が両親に職を強制されるような目にあったがゆえの、反感のようなものだ。

だが、その度に兄は「俺はこの仕事にやりがいを持ってあたっている。心配しないでくれ」と言うのだ。


この決意を聞いてから、私はたまにおざなりになっている兄の身の回りを整えたりするようになった。

今回のおにぎりデリバリーサービスもその一貫である。


「もう、いくら忙しいからって。食べるもの食べなきゃダメだよ!」

「そうは言ってもだな、時間がなければ食べられないだろ...。」


兄がちらと自室の奥を見る。

気になってひょいと跨ぎ見ると、小さなローテーブルに飲みかけのスポーツドリンクと手をつけられてないゼリー飲料が並んでいるのが見えた。

どうやら、兄も事前に食べ物を買っていたが食べる時間がなかったようだ。

だが、時間がなかったにしてもせっかくの食事がこれでは戴けない。

私はお盆を兄へとぐいぐい突き出す。


「ほら、あれ飲むよりせっかく作ってきたんだからこれ食べて!」

「ああ、わかったわかった、押すな溢れる」


兄は盆を危うく取り落としそうになりながらもそれを受け取った。

その拍子に、どうやら掌に握り混んでいたらしい鍵束がポトリと落ちる。

手入れされ、小綺麗ながらも随分とものものしい雰囲気を放つ鍵たちだが、私はそれが何を開けるか知っている。


ちらと部屋の奥を見ればずいぶん昔からある鍵かけ箪笥がある。

ひとつひとつが大きく、中にかなり大きなものまで入る、兄の唯一のプライバシ。

両親も知らない、本人以外は私しかその中身を知ってはいない。

鍵束はこれの引出しひとつひとつに対応している。


「あ、鈴菜。それ拾って持ってきてくれないか」

「はーい」


兄が落ちた鍵を見て言い、私はそれを拾う。

久し振りに中を見たくなった私はそれをそのまま鍵かけ箪笥に差し込んだ。


「ほう、人の箪笥を勝手に開けるとは貴様、死にたいらしいな」

「さっきまで手に持ってたって事はどうせ開ける気だったんでしょ?」


兄がそれを見て茶々を入れるが、本気で止めようとしているわけではないのは私も分かっている。

カチリと音がして引き出せるようになった箪笥の中身を見るとそれまでの和風な雰囲気から一転、物騒なアイテムが顔を出す。


「相変わらずゴツいなー。父さんに見られたら何を言われるか」

「言われる前に捨てられるさ。『神職は仕事中以外でもその品格を損うような行為はしてはならない』ってな」

「あは、声真似すごくにてるー」


中に入っているのは大小様々な銃器だった。


勿論本物ではない。モデルガン、玩具、ガス銃、言い方は色々あるだろう。

兄ちゃんは仕事の合間を見つけては友人とモデルガンを撃ち合いに都会へいくそうだ。


勿論、両親に見つかればこれらは当然のように捨てられるだろう。

故に小さい頃に偶然知ってしまった私だけが知る秘密なのだ。

兄は隣の引出しを開け、何やら布を取り出した。


「ほれ、パーツばらして整備するから出てった出てった」

「明日遊びに行くの?整備手伝ってあげようか!」

「この前そう言ってパーツ踏み潰したろ。ほら、今日はもう休みな。また明日。」

「……ちぇー。兄ちゃんも早く寝なよー。」


私はそう言ってさっさと部屋を後にした。

再び縁側を歩き空を見れば月は天頂に近く、もうすぐ日が変わる事を知らせている。

月を眺める視線の中にちぎれた紐が見えて、そう言えば風鈴を落としてしまった事を思いだし、少し憂鬱になる。


辟易しながら共用として置いてある庭用の靴---ぞうりである---をはいて転がっていた方を追う。

盆はその場に置いておいた。

これを持てば裾が持ち上げられない。


硝子製の風鈴だったら割れて後片付けが大変だったな、などとお気楽にものを考えながら草を分け進む。


「おっ、あった。もう離さないぞぉ~..。」


少しばかり時間がかかったが、なんの問題もなく風鈴を拾う。その瞬間、そこでひょうと冷たい風が頬を撫ぜた。

夏に似つかわしくない風に思わず顔をあげると、そこには石垣に立て掛けられた一枚の古い枠なし扉。


木の板を張り合わせて作ったような扉で、雨風に晒され年月を経たお陰で木材が浮いて噛み合わず、やや隙間が見える。

ドア自体はそこにある事は不思議ではなかった、前からそこに立て掛けてあったのだ。


勿論、準和風建築である我が家には本来洋風のドアはない。


いつの間にか誰かが勝手に捨てていってしまったドア。

我が家所有の土地はそれなりに広く、それこそ雑草の処理をすら手に負えなくなるほどなのだがゴミを捨てるのはどうなのか。

空地だとでも思ったのだろうか。思ったのだろうな。


放置しておくのも問題だが、処理するために家の近くまで運んだ後に誰かが捨てたゴミを私たちが捨てるのもばからしいと後回しに後回した結果、苔が生えるほどまでになった昔のドアだ。

自治体に言ったって処理をしてくれるわけではないので、今さら運ぶ気にもなれない。

今となっては苔が良い感じに生えて味があるんじゃないだろうか?ないか。


本来そんな変哲もないはずの扉だが一つ、おかしな部分を挙げるとするなら。

冷たい風はその扉の浮いた隙間から吹いてきているということだった。



興味が湧いた、好奇心が勝った。どんなことでも言い訳はできるだろう。

私は、まるで導かれるように、いや誘蛾灯に誘き寄せられる蛾のように扉にふらふらと近付き、ノブに手をかけた。

一瞬、嫌な予感に背筋がざわついたが私はついに扉を開ける。


外枠がない扉は本来開けるという行為を成立させないが、その扉はそこに固定されているかのようにごく自然に開く。

錆びた、いや苔に埋まった蝶番が小さく軋みをあげドアがその奥を見せる。


瞬間、風すらも凍ったように私は感じた。


その奥は、正に闇というのが正しかった。

夜の暗さなど比べるに値しない、黒。

本来、壁に立て掛けられたドアを開ければ壁が見えるだけだ。

だがそこには、空間に穴が開いたように何もなかった。


純粋な恐怖、理解できない現象への畏怖。

私の体は跳び跳ねるように後ずさる。

体が痙攣に近いほど激しく震え、まるで粘性の液体の中にいるように呼吸が詰まる。


気付いてはいけないものに私は気付いてしまったのだ、と私は遅ればせながら理解した。


見たくないのに、目が離せない。

知りたくないのに、頭に付いて離れない。

こういうのを正気度が削れるというのだろうか、私は喘ぎ、目を見開く。

別にそこから化物が這って出てくるという訳ではない、吸い込まれるという事もない 。


ただ引き寄せられるように、跳びすさったばかりの私の足は前へと進みだした。

視界がドアに、一歩近づく。

魅せられている。それが持つ雰囲気に。

また一歩、闇に近づいて私はようやく自身の状態を理解する。

ムカデか何かが背筋をはい回っているような気分だが、どこか快感でさえある。


一歩。

声はでない。助けを呼ぼうにもまるで急激に時が過ぎたかのようにカラカラに枯れている。

一歩。

そもそも呼べたってこんなの、対処のしようがない。ともすれば巻き添えだ。

また一歩。額を汗が滑る。


「あ....。」


そうして、私はドアをくぐった。

ブリキ兵のようにぎりぎりと首を無理矢理曲げて振り向いて見えた最後の景色は、とても綺麗な満月だった。





「うぁーーー....。」


そうして私は、乗り物酔いのような感覚を味わいつつ、空に二つ上る満月、いや衛星を眺めていた。

いつからここに倒れていたのだろう、記憶は虫食いにあったように定かでない。

首を動かすだけで見える周りから察するにここは森で、その中にぽっかりと開いた木の生えぬ場所。日溜まりというやつだろう。

あの扉をくぐったあと、気が付けばここに寝ていた。


ここはどこだ。月が2つある。地球ではない。呼吸はできる。重力はある。ならばここはどこだ。


答えが「地球以外のどこか」しかでない思考がぐるぐると回る。

どうやら、私はずいぶんと珍妙な所にいるらしい。

体を動かしたかったが、立ち上がったらすぐに吐きそうなほど気分が悪かったので、私はひたすら空を見るしかなかった。

ただひたすらに、星の光のみが私を照らしていた。




人間というものはつくづく欲に忠実だ。

朝、私は顔に注ぐ陽光で目を覚ました。

どうやらいつの間にか睡眠欲の虜になっていたらしい。

昨晩にはとてもそのような事を考える余裕などなかったが、なにもわからぬ場所で防備もなしに眠るなんて、相当ばかをやったものだ。

衛星が2つあった事を考えるに、ここは地球ですらないのだ。何がいたって変ではない。

私は立ち上がると、辺りを確かめる。


回りをぐるりと見れば、夜に感じたままの360度森、森、森。

木々の間に目を凝らしても途切れるような場所を見付けられない。

空を見上げれば、いく匹かの鳥が遥か彼方を飛んで行くのがよく見える。天候は快晴だ。

ビルや煙が見えないかとあちこち見たが、なにも見つけることは出来なかった。


「....うわ、くさっ」


周りを見ている間に、少々嫌な臭いが鼻腔を掠めた。


臭いの原因はすぐに特定できた。

巨大な、コロコロとした--------生物のフンだ。

直径50cmはあろうかという、茶色のフンが私から少し離れた場所にゴロゴロある。

当たり前だが、それは私が今まで見てきた生物の糞のどれよりも大きい。

コレの所有者はまず間違いなく人を越す図体の大きさだ。


一瞬、ゾウかなにかの可能性も考えたがあれはたしか草食性で、フンは干し草が固まったようなものをすると聞いた事がある。

それと比べ目の前のフンは人に近しい、茶色で見慣れたような質感をしている。


人に近しい。

それはつまり、雑食という事である。

私を優に越す大きさで、雑食性の生き物。


思考がそこまで至った瞬間、背筋をゾワゾワとした感覚が走り抜けた。

久しく人類が忘れていた、披捕食者の感覚。

身体中の産毛が逆立つようだった。


肉も食べる巨大な生物がいる、そうした目線で見れば日溜まりは怪しい形跡のオンパレードだった。


まず下草は、生えているほぼ全てが横に薙ぎ倒されていた。

木々も日溜まりに向けて伸ばされた枝は途中で無惨に折られ、木漏れ日の境界線に落ちて既に肥やしと化している。


「...ここ、離れた方が良いよね?」


この日溜りは何か、巨大な生物の巣ということだ。


倒れた草丈は、上に重い何かが定期的に乗った証。

日溜まりに向け、伸ばされた枝のみが折られているのは何かが手入れしたという事。

巣に向かって伸びた枝が全て落とされている事から、空から出入りしている可能性も考えられる。

つまり、着陸に邪魔な枝葉を折って巣を整理しているように見えるのだ。


さては、超巨大な鳥だろうか。


私はそれに食われる様を想像し身震いした。

ここから離れようとした所で、チリンと足元で何かを蹴っ飛ばし音が鳴る。


「あっ!てんめー、よくもやってくれたな!」


それは風鈴だった。私が落とした物で間違いない。私はそれを拾い上げ、指で弾く。

元はと言えばこの風鈴が落ちなければ、ドアに近付くこともなかったのに。

物に当たるのは良くないことだし、言っても何も進展しない事は分かっているが、思わず悪態が口を突く。


もちろん、私の悪口にも風鈴はチリリンと鳴るだけだ。


はぁぁ、ととびきりの溜め息をはいて、私は風鈴に付いた土をぱっぱと落とし、千切れた掛け紐を手早く繕って懐に仕舞い込んだ。


そうして、私は足早に木々生い茂る森の中に足を運んでいった。




何も考えずに森に入ったのは失敗かも知れない、と私はすぐに後悔した。

目的無く森に入ったことも失敗だったが何が一番の原因かというと、服だと私は即答するだろう。

この巫女服、当然草木が繁る所を歩く事は想定されてないため、兎に角引っ掛かる。

すこし歩けば袖が木に掛かり、外して歩けば今度は裾が茂みに掛かる。

お陰で進行スピードは草を食み食み進む太った牛レベルではないだろうか。


「あぁあ、もう!鬱陶しぃ!」


脱いでしまおうかとも考えたが、地球ではないとは言え、森は森。

ヒル、アブ、かぶれと、夏の森には肌を晒すリスクには事欠かない。

私は歩きにくさと未知の毒牙にかかるリスクを天秤にかけ、前者をとった。

勿論これらがいない可能性だってあるが、生態系とは似るものだ、警戒するに越したことはない。


森を進み、空に浮かぶ恒星...いや、もう便宜上太陽と呼んでしまった方が早いだろう。

太陽が空に登り終わる頃 、くうぅと私のお腹がか細く鳴いた。


「う...お腹すいたなぁ...。」


自覚してしまえば後は早い。

昨日の夜からなにも食べてない。

そういえば喉も乾いた。水もほしい。


木々の揺らめきに耳を澄ませるも、水の音は聞こえない。

手慰みに風鈴を鳴らす。特に何も起こらない。熊避けくらいにはなるだろうか。


今まで目を背けてきた食べるものが何もないという事実は、色を濃くするごとに私を焦らせる。


「どうしよう、どうしたらいい...!」


理科や生物系の授業を思い出してみる。

が、あせればあせるほどその手の記憶は頭の奥底に埋没してしまう。


頭を抱えた私だったが、ふわりと何かの香りが鼻孔を掠めた。


「何これ...何だか甘ったるいような...?」


匂い自体はやや甘いが少し不快感を感じる、不思議な匂いだ。

腐った果物のような、ベタついて奇っ怪な匂い。

私はその匂いのする方向へ慎重に、よしんば誰かいたとしても気付かれないように進みだした。

もしかしたら原住民か何かがいるかもしれない。もしいたとして、それが友好的である保証だってないのだ。


やがて、足元が酷くぬかるみ始めた。

地面が水気を含み、ズルズルと滑る。

細心の注意を払い転ばぬようにしたが、履き物が草履故にもう足袋はドロドロだ。

裾はしょうがないので少し巻いて上げた。

素足が少し覗くが仕方がない。


匂いが酷くなってきた。

最初はねとりとした甘い匂いだったが、今やそれは強烈な鼻を刺すような香りに。

そう、例えるなら------。


「っ!う、おぉぇーーー!」


ラフレシアが放つような、腐乱臭。

私は、匂いの正体を知って後悔した。

匂いの発生原因は茶と緑のまだらに変色し裂けた傷口から内蔵が覗く、複数の子供の死体だった。

聞いたことがある。

死臭というものは腐った炭酸飲料のような、崩れた果物のような臭いがするらしい。


「ゲッホ、ケホ!うぇぇ...。」


私は咄嗟に死体から目を離し、えずく。

気持ち悪い。甘い匂いの正体は、死体の腐る匂いだったのだ。

理解した瞬間に、それが忌みすべきものだと体が訴える。

胃が勝手に中の物を追い出そうと、むやみやたらに激しく動く。

昨日の夜から何も食べていないのが逆に救いだ。吐き戻さなくてすんだ。


私はすぐにここから離れようとして、目の端に何かが掛り止まる。

子供の死体がキラリと光った気がしたからだ。


「あれは...。」


目を凝らすとすぐに正体が分かった。

ナイフだ。死体の腰にナイフが掛けられている。

どうやら鞘に合わない大きさのナイフを無理矢理入れたらしい。革製の鞘の先端が裂け、中から刃が覗いている。

あれが太陽光に反射したようだ。

特別錆びているようには見えない、陰鬱なこの場において場違いなほど綺麗だった。


「...どうする、私。いや、迷ってたら私もあれの仲間入り、か。」


私はナイフを頂く事にした。

この状況で刃物があって得する事はあれ、損する事はないだろう。

死体に近づくのはなるべく御免被りたいが、あれが手に入るのなら価値はある。

覚悟を決めて一歩、一歩、ゆっくり近づく。

なるべく、顔を背けながら。鼻は、袖を当てて塞いだ。


子供の死体は3つあった。

ナイフを掛けた死体は、一番近い所にある。

近付くにつれ、この惨劇の詳細が徐々に見えてくる。

まず最初に、あちこちに足跡があった。

他人の足跡から人数を見るなんて高度な技術はないが、少なくとも靴を履いていて、三人以上はいそうな量の足跡だ。

靴先はみな向いている方向が一緒で、どうやら何かの一団のようだった。

方向は私が歩いてきた向きと反対側に向けて歩いていったようだ。

つまり形だけ見れば、私が彼らの後をつけているのに近い。

もしかしたらもっと前からつけていたのかも知れない。この辺りがぬかるんでいて足跡がようやく残ったようだ。


ナイフをもつ死体は背中からばっさりと切られたようだった。鉈か何かでやられていた。

傷口はこちらに向けられていて、中々にグロテスクだった。

子供たちは彼らに殺されたのだろうか?


「勘弁してよ...私、こういうの好きじゃないんだから...。」


ただのホラー映画なら現実味がないと鼻で笑えたのだが、こんな場面でのスプラッタはダメだ。自分もこうなり得るという点においてとても恐怖が煽られる。


ようやく死体の近くに来れた。

近付くと吐き気を催す匂いが漂い、おまけにハエのような生き物が数匹たかっている。

嫌々ながら私はナイフに手を伸ばし、抜き取った。

死体が着ている服は布っぽい腰巻だけだった。やや低品質に見え、近代的な雰囲気はない。

鞘も取ろうと手を伸ばし屈み込んだ時、反対側を向いていた子供の顔が目に入る。

私はそれを見て少なくない衝撃を受け、息が詰まったような感覚に陥る。


「こ、れは...。人、じゃない...?」


それは人と呼ぶにはややかけ離れた顔。

醜悪で、歯もガタガタ。死んでも残るほど悪意に満ちた顔。百人中百人がこれは人類ではないと言うだろう。

しっかりと見れば、肌が緑と茶色なのは腐っているからではない。元からこの色なのだ。


これは、この御伽噺や英雄譚を思い起こさせるこの顔は。



「ゴブリン....?」


凛と、風鈴が私の意識を起こすように懐で響いた。

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