【異世界業種交流】出会い
仕事帰りの深夜のコンビニで、夜食の弁当とビール2本につまみのチーズとタコわさを買い、細い裏道を歩いていたところまでは覚えている。
今着ているのも、よれよれだが、いつものスーツ一式だ。
コンビニの袋に入った弁当とビールもある。
お気に入りの革カバンの中には、家でやろうと思った仕事の書類がいくつか入っている。
もちろん財布と手帳とスマホもある。ペンもある。
だが、自分が今いるところは、だだっ広い草原で、地平線まで見える。
北海道の牧場がこれくらい広かっただろうか。
夕方になりつつあるが、空はまだ青く、太陽も少し眩しい。
確実に言えるのは、東京には見えない。
「…夢にしては、やけにリアルだなあ」
呟いた声が思ったよりも大きくて驚いたが、周りに人気はおろか、動くものの気配も全くない。
しばらく歩いてみたが風景はほとんど変わらず、唐突に草の陰から手頃な岩があったので、そこに座ってビールを開けた。まだそこそこ冷えていた。
冷えたビールは美味く、今日は昼から何も食べずに夜まで働いていたことを思い出す。
タコわさをつまみながら着々と陽が沈んでいく草原を眺める。
非現実感があるのは、動物も虫も何も動くもののない世界だということだ。
そして、ビールも冷えているということは、買ってからそんなに時間が経っていないのだろう。
白昼夢を見ているにしては、草原も岩もリアルで、触れると草の柔らかさはあるし、土は乾いているのが見て取れる。
たまに風が吹いてコンビニの袋が飛ばされそうになるのをビールで押さえているが、夢もそこまでリアルにしなくてもいいだろう。
ビールを1本飲んで、チーズ以外を食べ尽くしても、目の前の草原が変わらないままなのを確認して、おそるおそるカバンからスマホを取り出した。
いつも通り、ボタンを押すと画面は明るくなり、パスコードを確認してくる。
左上にあるアンテナを見ると、圏外となっていて、もちろん地図を起動しても現在地がわからない。
「…夢には思えないけど、現実とも思えない」
太陽は着々と沈んでいき、空は赤く染まっていく。
こんなに綺麗な夕暮れを見るのは久しぶりだが、それに見惚れていると、夜になってしまう。
いくら動くものの気配がないとはいえ、夜も安全かどうかは怪しい。
何が起きているのか、これからどうするべきか紙にでも書き出して検討しようかと思った矢先に、声が響いた。
「そこにいるのは、だれじゃー!?」
やけに声量があるが、年寄りの声だ。
異常なこの状態で、その声は救いの声にしか聞こえなかった。
「たすけてください! ここがどこだかわからないんです!」
必死で、声が響いた方向に手を振って、大声をあげた。
「…何をいっているんじゃ? ちょっとそこで待っておれ!」
人影は見えなかったが、こちらに来てくれるようだ。
どこから来るのだろうか、と弁当とビールのゴミを片付けながらキョロキョロしていると、空中がチカチカと瞬き始めた。
目の錯覚かな、と瞬きを繰り返したが、やがて音のない花火のように空中で派手に光りだし、パッと散ったかと思うと目の前に人が立っていた。
とんがり帽子、ボロボロのローブ––小さい頃、絵本で見た、おとぎ話の魔法使いにしか見えなかった。
「お主、何者じゃ? なぜここにおるのじゃ?」
魔法使いからは先ほどと同じ声で、訝しげにこちらを見ていた。
「ここは、ワシの実験場所じゃ。外からは誰も入れんはず」
「私もどこから来たのか、わからなくて。気が付いたらここにいて…。失礼して申し訳ないのですが、どのようにここから出ればいいのでしょう?」
魔法使いからあまり印象が良くない様だったので、なるべく下手にお願いをしてみたが、魔法使いの眉根は寄せられたままだった。
「ふむぅ。何かの拍子にどこかの扉が開いたのか? 見たところ、違う世界の人間のようじゃしの。わかった、何か元にいた時の手がかりになるものを貸せ。そうさな、一番価値の低い通貨は持っているか?」
魔法使いのしわがれた柳のような手が目の前に突き出された。
カバンの中から財布を取り出し、1円玉がなかったので5円玉を渡す。「ほう。なかなか良い加工じゃのう」といいながら、魔法使いは5円玉を手のひらに起きブツブツと小声で何かをつぶやき始めた。
見る間に手のひらから丸い球体のような白い光に囲まれて、やがて光は弾けた。
「ほう、意外と近い様じゃ。これならすぐに帰してやれる」
魔法使いはこちらを向いて、目だけで笑った。口元は真っ白なヒゲがあって、笑ったかどうかはわからなかった。
「それは、ありがたいです。…ところで、失礼を承知で伺いたいのですが、えーと、あなたは魔法使いですか?」
我ながらすっとぼけた質問だとは思ったが、単純にどう聞けばいいのかわからなかった。
だって、まさか、魔法使いっぽい?人に会って、それっぽいことをされて、そんな時にどう聞けばいいのかなんて想定していない。
「…ぶは! まさか、そんな風に聞かれるとは思わなかったな。そうじゃのう、世間では魔法使いと呼ばれておるが、わしは次元と時間の研究者じゃ。それでも、別の次元と時間の人間と接触することは珍しい。帰してやる前に、ちょっとお主の次元の話を聞きたいんじゃが、いいか?」
キラキラした目で聞かれてしまっては、もう断りきれない。そしてこっちとしても、色々聞きたいことは山の様にある。思わず零れてしまった笑いと共に、魔法使いに快諾した。
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翌朝、目を覚ましたら、いつものベッドの上だった。
だが、弁当のゴミの塊はあったが、手をつけていなかったビール1本とチーズはどこにも見当たらなく、多分あの魔法使いにあったことは夢ではなかったのだと思いたい。