解答
「それってどういう意味?」
やはり棘があった。
「言葉通りだよ。君の意見は聞くことができない」
興奮気味の高阪さんが、今の落ち着いた部長に勝つ事は無いだろう。
「なんでよ」
「君はさっき言ったよね、ラブレターを書いている所に付き添った、って」
「それがどうしたのよ。まさか、私が三沙子を図書館に行かせたっていうの?」
「そうじゃないよ。その逆。君は、笹野原芽守君を、図書館に向かわせたんだ」
部室に沈黙が続いた。次に口を開いたのは、高阪さんだった。
「どこに、そんな証拠が有るのよ」
「まあ、状況証拠だけどね。ねえ、谷崎君、事件の有った日の朝の会、早く終わったよね」
どうして僕に話を振るのか分からなかったが、一応返事をしておく。
「ええ、そうですが」
「そのあと、すぐに大沢君は図書室に向かったんだよね」
「はい、丹波さんに呼ばれた、とかなんとか言って」
部長は一人頷いている。
「それじゃあ、もう一つだけ。同じ日の朝にさ、谷崎君は丹波君を追っていたよね」
「そうですが」
「でもさ、変でしょ」
「何が、ですか?」
「手紙のこと」
「図書館に有ったはずのラブレターが、下駄箱に有ったこと、ですか」
「そう、それ。つまり、図書館にいたのは、丹波君ではない」
「どういうこと。それじゃあまるで、私が図書館にいたみたいじゃないですか」
「そういう事だよ」
彼女は押し黙る。
「あ、でも今のは状況証拠に過ぎないけどね」
「それじゃあ」
高阪さんが口を挟もうとするのを、無理矢理止める。
「でも、でもだ。ねえ、谷崎君、図書室に行ったとき、なにか見なかった」
何か見なかったか、と言われても。薄暗い図書室に差し込む朝日。光の当たらない所にいる女子。たしか、カウンターに。
「返却ボックスに、『赤毛のアン』が有りました」
「うん。有ったよね」
「それと私とどんな関係が」
「まあまあ落ち着いて、ゆっくり話すから。事件のあった後、何で彼女が図書室に行ったのか、気になってね。別に何かを書くのなら教室でも良かったじゃあないか。朝の早い時間だったんだし。でも、彼女は図書室に行った。さて、谷崎君に質問です。図書室で普通は何をする?」
「図書室で何をするって、本を読んだり、借りたりするんじゃあないでしょうか」
「そうだよね。あと借りたら返さなきゃね。だから、コンピュータにハッキングして、ちょこっと見てみたんだよ。するとあら不思議、二年三組の高阪幸の『赤毛のアン』がその日の朝に返却されているではないか」
「それは、昨日の放課後に」
「いいや、司書の人は昨日の五時過ぎに返却手続きをしている。それ以降の返却は認められていない。それに、事実谷崎君が『赤毛のアン』と女子生徒一人を見ている訳だからね」
外からは野球部の元気な声と吹奏楽部の楽器の音が絶え間なく響いてきていた。
「分かったわよ。確かに、私はその日の朝に、丹波さんから借りた鍵を使って図書館に行って、本を返して、紙に色々と書いてたわ。でもね、私が書いていたのは、英語の授業ノート。ノートを忘れたから鞄の中に入ってた紙を使っただけで、別に人をもてあそぶような事は書いてないわ」
「さて、本当かな。それならなぜわざわざ図書室まで行って、事件の起こる日に、『赤毛のアン』を返したのか、教えてくれないか」
「それは、その前日に、夜遅くまで読んでいて、寝る前には読み終わったから」
「それならわざわざ図書室に行かなくても、返却ボックスがあるじゃあないか、職員室の前に。それがあるのだから、鍵を借りる必要は無いはずだ」
「なんとなくよ」
部長の顔は微笑んでいた。相当なミステリーマニアだ、この部長。
「まあ、それはいい。所で谷崎君、図書館で色々と書いたことには、もう一つ理由があるんだよ。分かるかい」
急に振られたので、返事が遅くなった。
「えっ、とー、書くものがある、とか」
「学校に筆記用具を持ってこない人がどこにいる。まあ稀にいるようだが。正解は、遺書を作って置いておく為だよ。原稿用紙だから、見てもすぐには遺書だと分かるまい」
部長は高阪さんを見る。彼女は部長を睨んでいた。
「そうだそうだ、君達に紹介しておくのを忘れたよ」
部長がわざとらしい演技で言った。わざとやっているのかもしれない。
「入ってきてくれたまえ、長門真砂子君」
そう言うと、部室の扉が開いた。
「初めまして。長門真砂子です」
扉が開いた瞬間、僕と高阪さんは目を見開いた。
そこに立っている彼女は、あまりにも似すぎていたからだ。丹波三沙子に。
彼女はこっちに歩いてきて、空いているパイプ椅子に座った。
「紹介しよう。長門真砂子君、君達と同い年だ」
部長は大笑いするのをなんとか堪えているようだった。
「彼女はね、北条家の次女だ」
「……え?」
「彼女はね、北条家の次女だ」
「は?」
「彼女はね、北条家の次女だ」
絶対遊んでる。
「いや、そうじゃ無くて」
「はっはっはっはっはっ、まあ驚くのも無理は無い。あまり世間には知られていないようだが、北条家は六人家族だった。長女が三沙子君。その双子の妹が、彼女、真砂子君。三女が美佐で長男が健だ」
丹波さんは、四人姉妹だった、という事、だよな。
「まあ、ジョークはこれくらいにして。では、高阪君が『赤毛のアン』を読んだ事、そして丹波君には双子の妹が実在していた事。ここにもう一つの要素が加わると、事件は無事解決だ」
「それは、チャットです」
長門さんの言葉に、高阪さんがビクッとした。
「そう。チャットだ。それもごく一部の人しか使わないな」
「そのチャットでは、私は『ASAKO』という名でログインしていました。知っていますよね。『R−Ann』さん」
丹波さんに良く似た長門さんは、そう高阪さんに聞いた。
「私はそんなもの知りません」
「ではなぜ、あの日の朝早くに、本を返す必要が、あるいわ、返そうと思ったのでしょう。単なる偶然とは、思えませんよ、高阪君」
「それは」
「偶然ではありません。君は『赤毛のアン』に心のどこかで後ろめたさを感じていた。人に知られてはいけないと思った。見つかれば、自分に嫌疑が掛かると思った。だから事件が起こる前に、返却しなくてはならなかった」
「そう。『R−Ann』はレッド・アン、つまり赤いアンということ。あなたはログインネームに最近聞いたものの一つを使ってしまった。それがたまたま『赤毛のアン』だった。ただそれだけよ」
部長と長門さんの言葉に、なす術も無く黙る高阪さん。ちょっと彼女に同情してしまう。
「あ、そうだ。この事件に関わるもう一つの『KAMO』っていう名前。これは」
「三沙子、これからSとIを取って並べ替えれば、KAMOになるわ」
諦めたかのような口調で、高阪さんは言った。
「やっと認めてくれた」
部長が呟いた。
なんか、しんみりした雰囲気になった。
「でも、私だって、あんなに人が死んじゃうとは、思わなかった。七組の皆が殺されるなんて予定に無かったし、司書の人や大樹君、もちろん丹波さんも、本当は死んじゃうなんて、無かったのよ」
泣き崩れていく高阪さんに、部長は優しく語り掛ける。
「君だけじゃあないんだよ。本当に苦しいのは、丹波君の妹の彼女さ」
高阪さんは、はっと顔を上げる。目線の先には、今にも泣きそうな、それでいて泣く事は無い顔が合った。
「私が皆を殺してしまったのよ。笹野原がまだ恨みを持っているなんて、思わなかった。楽観的だったのよね。両親が近所の人に迷惑をかけていて、その事で私達姉妹が虐められる事も良くあったわ。でも私達姉妹の責任ではない、っていう事が何か責任逃れになってたのね。私達は恨まれるはずが無いって。どこかで楽観視していたの。それに六年も経っているから、許してくれるとも」
僕の心に違和感があった。ただ、まだ言葉にはできない。
長門さんは続ける。
「笹野原さんも可哀想。高校に入った時から虐められていたんでしょ。私が彼女を解放してあげた、のかな。そんな事は無いよね、だって四十人も死んじゃったんだから」
「違う」
一瞬、誰の言葉だか理解できなかったが、自分のものだった。
「違うよ、それは。悪いのは、やっぱり笹野原さんだよ。ただ迷惑なだけで人を何人も殺したり、殺した事が気付かれないからって普通に暮らしていたり、虐められていたからって殺したり、皆を殺してしまったからって自殺したり。そんな事、許されない」
「でも、それは」
「だけど」
高阪さんと長門さんが言い返そうとするのを、部長が止めた。
「確かに、笹野原君はやってはいけない事をした。勿論、高阪君も長門君も例外ではない。だが、それは一つの結果にしか過ぎないのだよ。結果は事実としてそこに存在し続ける。変えられない、変更できないんだ。たとえ過去に戻れるマシーンができたとしても、過去仁戻ったことがまた別の結果になるだけだ。ここは、この世界は変わることが無い。我々が考えるべきなのは、過去の考察とこれからの事だ。感想を、意見を、批評を言うだけでは、何も始まらないんだよ。無意味だ。それらの事から考察し、未来を、良いと思う方向に持っていく為の、努力をするべきなんだよ」
三人は、呆然と部長の演説を聞いていた。いつの間にか高阪さんの涙は消えていた。
「分かったか、諸君」
ぎこちなく首を下げ、そして上げる。
「よし。それでは、質問を受け付ける」
三人で顔を見合わせた。困惑している三人と、勝ち誇る部長。
僕の口は自然と開いていた。
「あの、どこで長門さんと会ったのですか」
「なんだ、そんな事か。長門君とは」
長門さんの攻撃で、部長はそれ以上言葉を繋げる事ができなかった。




