四・明里の決心
シンシアさんの家を出て、あたしは呆然とした。
木造のおしゃれな建築物が建ち並ぶ、中世ヨーロッパ風の街並み。足元には石畳。
それらを見て、あたしは思わずつぶやいた。
「これが、異世界……」
あたしは、辺りをきょろきょろと見回す。まるで上京してきたばかりの田舎者みたいだ。
「ほれ、お上りさん丸出しの娘よ。早く行くぞ」
「なっ!」
あたしはカチンと来て、リンフォードさんを睨み付けた。
そして、苛立ちを含んだ声でこう尋ねる。
「どこに行くんですか? 何も聞かされてないんですけど」
「さっき言ったじゃろ。この世界の守護者になれと」
「そんな荷が重そうな役目、お断りです。だいたい、あたしは魔法陣が通れるようになったら、すぐ元の世界に帰るんですから」
「そういう訳にはいかん。ようやく見つけた守護者候補なのじゃ。こちらにも都合がある」
リンフォードさんの発言に、あたしはますます頭に来て、思わず街のど真ん中で大声で叫んだ。
「都合!? 何よそれ! あたしの都合は無視するくせに!」
周囲の人達の視線が、一気にあたし達に集まった。
しかし、それでもリンフォードさんは澄ました顔をしている。一方シンシアさんは、困ったようにあたし達を見ていた。
「お、お二人とも、落ち着いてください」
「だって! 知らない人にいきなり死と隣り合わせの世界に連れて来られて、『こちらにも都合があるから元の世界に帰るな』って言うんだよ!? これが落ち着いていられる!?」
「ア、アカリさん……」
「シンシアよ、我は落ち着いているぞ」
「……っ! そんで、あたしを死の世界までさらった張本人が悪びれた様子もなく平然としてて、加えて自分勝手で、謝罪の一つも口にしないからムカついてるのっ!」
「そうか。それはすまなかったな」
「あ、あんたねぇ! 『とりあえず謝っとこう』みたいなノリで謝らないでよ! それで許されると思ってんの!? 気持ちがこもってないのよっ!」
「では、どうしろと言うのじゃ」
「こ、こいつっ……!」
ついに怒りが頂点に達したあたしが、リンフォードさんに平手打ちを食らわそうと、右手を上げるとーー。
「やめろ」
「……っ!?」
突然、誰かに横から右手首を掴まれた。
すごい力だ。右手首に痛みが走る。
誰だろうと思い、横に視線をやるとーー。
「あ……」
あたしは、その人物に目を奪われた。
丁寧に切り揃えられた、美しい銀色の髪。
少し吊り上がった青い瞳に、目鼻筋の整った顔立ち。
そして、黒いポンチョのようなものを着込んだ、あたしと同い年くらいと思しき少年が立っていた。
少年に見惚れ、あたしが言葉を失っていると、リンフォードさんが少し目を見開き、口を開いた。
「ヴィンス。どうしたのじゃ、こんなところで」
ヴィンスと呼ばれた少年は、ゆっくりとあたしの手を離すと、リンフォードさんの方に向き直る。
「散歩をしていたら偶然、リンフォードさんとシンシアを見かけたので」
少年は無表情で、声のトーンも低めだ。
「……それで、彼女は?」
少年はあたしを一瞥すると、リンフォードさんに問いかけた。
「異世界から連れて来た柏明里という娘じゃ。守護者の適性がある」
「……カシワ、アカリ……?」
何故だろう。少年が少し驚いたような顔で、あたしを見た。
「あ、あの……何か?」
すると少年は、首を小さく左右に振った。
「……いや、何でもない。俺はヴィンス・ダートだ」
「あ、あたしは柏明里……です」
「そうか。何故、リンフォードさんに手を上げようとした?」
「……この人、あたしを無理矢理この世界に連れて来たの。魔瓶とかいうのを持ってないと死ぬっていう説明もなしに。しかも、守護者になれとか言ってくるし……」
「そうか、それは迷惑をかけたな。すまない」
そう言って、何とヴィンスは頭を下げた。
あたしは慌てて両手を左右に振る。
「えっ!? あ、謝らないでよ! あなたが悪い訳じゃないんだし……」
「だが、リンフォードさんは俺の親のようなものだ。そんな人が迷惑をかけたのなら、謝るのは当然だろう」
ヴィンスは顔を上げ、淡々とした口調で言う。
あたしは何となくいたたまれなくなって、リンフォードさんの方を見た。
「……ヴィンスに免じて、今回の事は許してあげる。けど、今後は気を付けてよ?」
すると、リンフォードさんの口から、意外な言葉が飛び出した。
「……すまなかったな。まさか我を殴ろうとする程怒っているとは思わなかった」
「え……」
あたしは驚きを隠せなかった。さっきまであんなに自分勝手な言動をしていたリンフォードさんが、急にしおらしくなったからだ。
「……だが、おぬしにはどうしても守護者になってもらいたい。この世界を守って欲しいのじゃ。おぬし以外にはできぬ事なのじゃ、頼む」
「……アカリ、俺からも頼む」
「えっ!?」
リンフォードさんとヴィンスが、あたしを見る。
あたしは、二人の目を交互に見た。
「もし、守護者になっても……元の世界に、帰れるの?」
「ああ。転移魔法陣が開けば、いつでも帰れる」
「あたしは、どれくらいの間、守護者でいれば良いの?」
「とある事件を解決するまでじゃ。その事件が解決したら、元の世界に帰って構わない。まあ、長期的に滞在してくれた方がこちらとしてはありがたいがの」
「そう……」
あたしは顎に手を当て、思案した。
……あたしにしかできない事だなんて言われて、しかも二人の人間に頼まれたら、断れないよね。
あたしは、リンフォードさんの目をまっすぐに見据えーーそして、こう言った。
「……わかった。あたし、守護者になる」
リンフォードさんは、あたしの答えに満足したのか、微笑を浮かべた。
「すまない。助かる」
「ううん。あたしの方こそ、色々ひどい事言ってごめんなさい」
魔法陣が開くまで、あたしはこの世界で生きていくしかない。
だったらその間、この世界での生活を思いっきり楽しめば良い。
異世界に来るなんて、滅多にできない経験だ。きっと、あたしは運が良かったんだ。そう思う事にしよう。
こうして、あたしは守護者になる決心をしたのだった。