3つのお話
鼻をつままれてもわからない、真っ暗闇の中で、ふと、誰かが怪談の糸口を作ります。そうなるともう、とても横になっているどころではなくなります。
気がつくと、暑いのに、なぜか全員が寄り添って、順々に怪談を語り、蚊帳の中で震えているのです。
これもまた、夏の風物詩なのでしょうね。
そうした中、わたしが聞いた印象的な話を、これからしてみたいと思います。
たしか三人目の子が、白い着物を着た母子の幽霊が、町外れの隊道に出るという伝統的な怪談で、その場にいる全員をゾクゾクッとさせた後のことだったと覚えています。いちばん年上のみさこちゃんという子が、父方のおじいさんから聞いたという、風変わりな話を始めました。
「うちのおばあちゃんがまだ子供のころの頃、近所に人付き合いの悪いおじいさんが、たった一人で住んでたんだって。いつも機嫌の悪そうな顔してて、あいさつしたって返事もくれなかったらしいよ。
おばあちゃんね、学校の行き帰りをその人の家の田んぼのあぜ道を通らなくちゃならなかっただって。それがいやでいやで、たまらなかったって言ってたなぁ。
わけても、その田んぼに立ちんぼうのカカシが怖くてしかたなかったんだって。
カカシなんて、ぼろになった麻布に絵の具でへのへのもへじを描いただけのものでしょ? それなのに、遠目に見ると、ぞっとするほど生身の人間にそっくりに見えたんですって。
秋もふけて、田んぼは収穫も終わり、例の気味の悪いカカシも役目を終えて片づけられて、おばあちゃん、ほっと安心したそうなの。
年が明けた頃だったかしら、あのおじいさん、風邪をこじらせて亡くなったそうなの。で、なにしろ独り者でしょ? 近所で集まって葬式をして、家の整理をすることになったのよ。
おばあちゃんも納戸の片づけで、手伝いをさせられることになったんだって。そのうち、納戸の奥のほうから、あのカカシが出てきたそうなの。おばあちゃん、ああ、いやだなぁ、って思いながら、それを引きずっていこうとしたんだけど、間近で見てやっとわかったらしいの。
麻袋なんかじゃなかったのよ、カカシの顔。それ、本物の人間の皮だったんだって!
すぐに駐在さんが呼ばれて、村中が大騒ぎになったって。おばあちゃんの話だと、しばらくして新聞に載ったらしいけど、結局事件の真相はいまも不明のままらしいわ」
わたしはその後、かなり長い間、カカシが怖くてたまらなかった覚えがあります。
2.「ネズミがちゅうっ」
あの恐ろしさは今でも忘れられません。もっとも、大人たちは誰一人として、それを信じようとはしてくれませんでしたけれど。
そもそも、わたしはその親戚のおばさんが嫌いでした。太っていて、けちんぼで、おまけにガミガミ屋さんでしたから。
ついでに言えば、その家はもっと嫌いでした。古くて、じめじめしていて、なんとも言えず陰気なたたずまいだったんです。
時々、「法事」だとかなんだとかで、おばさんのところへ連れて行かれるのが嫌でたまりませんでした。
大人たちが退屈な世間話を長々と続けている間、わたしは奥のうす暗い台所に立ち、じっと耳を傾けていました。
と言うのは、使い込んだ鍋だとか、ぼこぼこになったタライが積み上げられた、半ば物置のような暗がりのどこかから、チュウチュウという鳴き声がさっきから聞こえていたからでした。
時折、タタタッと地面を蹴る音がする様子からして、ネズミが潜んでいるのに違いないんです。
「ネズミーっ」とわたしは、相手がどうせ言葉も理解できない下等な生き物だと蔑んで、声をかけてみました。「おまえなんて怖くないよっ。出てこられるものなら、出てきてごらんっ」
言い終わるが早いか、小さな獣がチュチュチュッ、タタタタッとわたしの足の回りを二つ三つ駆け巡って去って行きました。
あっという間の速さです。裸足の踝に、ぞわっとした毛皮が触れていったのがはっきりわかりました。
「ネズミが足に触った!ネズミが足に触った!」
わたしは大声をあげながら居間へ飛んで戻り、たった今起こった恐ろしい出来事を大人たちに報告しました。
「そんなばかなことがあるわけない。ネズミに言葉がわかるんなら話はべつだがねっ。おまけに、人間さまの前に、自分からわざわざ出てきたりするもんかね」と一笑に付されてしまいました。
以来、わたしは動物をむやみとからかったりしなくなりました。
3.「まの農道」
「魔の農道」とよばれる通り、不思議と事故の多い場所でした。
田んぼばかりでさえぎるものも何もありません。道幅だって、2台の車が楽にすれ違うほどあるんです。
わたしは車の免許を持っていないので、自転車でいつも農道を通るんですけれど、一年の間に、多いときでは三度ばかり事故処理を見ました。
それも、側溝に脱輪したり、曲がり角で車同士が接触したり、比較的軽いものばかりなんです。
警察も、重大事故が起こっていないせいか、これといった対策もしていないように思います。
その日、用事で農道を通りかかると、またしても事故に出くわしました。
白い軽自動車が、田んぼの真ん中に落ちていたんです。こんななんでもないところで、いったいどうして? と自転車に乗りながら首をかしげました。
事故は起きた直後らしく、運転者らしいおじさんがあぜ道に立って、のんびりとパトカーの来るのを待っていました。
タイヤの半分まで田んぼに沈み、あれじゃ引き上げるのも手間だろうなぁと、つくづく気の毒に思いました。
その直後、ふいにペダルが軽くなり、あれっ? と思ったときには、田んぼの中でした。自転車もわたしも、ぬかるんだ泥にずっぽりはまり、なんだか、どうしても抜けられないんです。
ほどなくしてパトカーが到着し、なぜか全然違う場所でそれぞれ田んぼにはまっている車と自転車を交互に不思議そうに眺め、とにかくも、引っ張り上げてもらいました。
「あちらさんの車となにか関連があるの?」と警官。
「えっと―」わたしは口ごもり、「つい、気を取られていて落ちました」
二人の警官はあきれたように顔を見合わせ、
「ここが『魔の農道』とか言われているの、知ってるよね? おたくさんの場合、まぬけの『まの農道』だねぇ」