第四章 謎のメイドに共犯を持ちかけられ
冷めた珈琲を啜り、足を組む俺。
大分落ち着いては来たが、未だ祥子さんの腹の中が読めずにいた。
「……で、『計画に協力したい』とは、どういう意味なのかしら?」
俺は最初の祥子さんの言葉の『意味』を質問する。
「……何故、茜お嬢様が『大泉大輔』を殺した『通り魔』を見つけ出そうとしているのかは分りませんが……」
やはりそこまで勘付いているか。
祥子さんはきっと『蓮城寺茜』と『大泉大輔』が、例えば将来を約束した恋仲だったとか、そういう事を連想していたに違い無い。
そして、愛する人を何者かに殺された『蓮城寺茜』が『犯人』を自ら見つけ出し『報復』しようとしている……。
多分ここまで考えが及んでの行動なのだろう。
「……神田様を『毒殺』されたのは……茜お嬢様ですね?」
核心を突く祥子さん。
もうこのメイドには隠し通せない。
「……何故、分ったの?」
昨日俺が神田の部屋に入った所は誰にも目撃されていない。
もしや……神田の部屋に食事を運んだ際に、神田が余計な事を喋ったのだろうか?
「……はい。……昨晩、神田様のお部屋にお食事を運んだ際なのですが……。お部屋に入った瞬間に、茜お嬢様が『先程までこの部屋に居た』という確信を致しましたので……」
「入った『瞬間』に……?」
神田が俺の事を漏らしたのでは無く?
「……はい。茜お嬢様が普段から御使用されている、その『香水』で御座います」
「あ……」
俺は慌てて手首の匂いを嗅ぐ。
本当に注意して嗅がなければ分らないほどの弱い香水。
「……普段から利用されている本人からすれば、鼻が慣れてしまっているせいで『香り』に気づく事は少ないそうなのですが……他者からすれば……特に同じ『女性』からすれば、部屋に入った瞬間の『残り香』で気付いてしまうものなのです」
……やられた。
俺はこの『蓮城寺茜』として転生するまで香水の類は一切使用した事が無かった。
しかし財閥の令嬢として転生したからには身なりや『匂い』までも気にしなくてはならない。
まさかそれで足が付く事になるとは……。
ここまで来てしまうと、まだ他にもボロボロとミスが浮き彫りになるかも知れない。
今一度『計画』を練り直さなければ、『報復』にどんな支障をきたす事か……。
「……何故『殺人まで犯したのか』……その理由をお教え頂く必要は御座いません」
「え……?」
祥子さんが何を言っているのか分らない。
どう『殺害理由』で誤魔化そうか考えていた俺は意外な答えに声を失ってしまう。
「……一番最初に申し上げた通り……私は茜お嬢様の『計画』のお手伝いをさせて頂きたいのです」
祥子さんは私の目をじっと見つめて来る。
表情は全く変化が無い。
「……それは……私の『復讐計画』の『共犯となる申し出』……そう受け止めても良いのかしら?」
「……はい。その通りでございます……」
一体何を考えている?
俺を今後一生強請るつもりなのだろうか?
そんな事でいつ自分が殺されるかも分らないのに?
目的はなんだ? 金か? それとも蓮城寺茜に恨みでもあったか?
これを契機と捕らえ、一生『蓮城寺茜』に恩を売り続け『支配』でもするつもりか?
「……目的は何?」
「茜お嬢様の『計画』が達成される事で御座います」
「そうじゃないわ! 貴女の『目的』よ! どうしてわざわざ『殺人の共犯』なんて―――!」
そこまで言い口を噤む俺。
誰が何処でこの話を聞いているか分らない。
そのあたりも踏まえ、祥子さんは管理人室に俺を招いたのだ。
何故だか二歩も三歩も『先』を読まれている気がするのは考え過ぎだろうか……?
俺は寒気にも似た感覚を味わう。
「……私は物心付いた時から『蓮城寺家』で働かせて頂いておりました」
ぽつり、と祥子さんは呟く。
「身寄りも無く、孤児院に捨てられていた私を、茜お嬢様のお母上様……麗佳様に拾って頂いたのが始まりで御座います」
蓮城寺麗佳。
『蓮城寺茜』が小さかった頃に病気で無くなったと聞かされたが……。
生前に孤児院に赴き、『墨田祥子』を引き取っていた……?
「……『恩返し』、という訳、ね……」
俺は珈琲を飲み干しそう言う。
「その通りで御座います。……茜お嬢様はまだお記憶がお戻りになられていないので覚えていらっしゃらないとは思いますが……。私は麗佳様や貞治様、そして茜お嬢様に養われなければ、ここまで生きる事さえも叶わなかった身なのです」
それが『共犯』の申し出の理由。
確かに過去の『記憶』の無い俺にはその経緯を知らなくて当然なのだが……。
しかし相手はこの『墨田祥子』だ。
その話自体が『嘘』という可能性もある。
今すぐここで父に連絡し、確認する事も出来ない。
……あすみならば少しは事情を知っているだろうか?
祥子さんも俺が事実確認の為にあすみに過去の話を聞く事も計算済みなのだろう。
ならば今、祥子さんの話した内容は『真実』だと言う事……。
祥子さんが、俺の『犯行計画』の『右腕』となる……?
もし仮にそうだとしたら―――。
―――俺の『報復』達成が一気に現実味を帯びてきた事になるな。
◆◇◆◇
俺は祥子さんの部屋を出、中央階段を上り、自室へと戻る。
(……『共犯者』、か……)
先程までは神田と美紀が共犯して俺を殺したのでは無いかと勘繰っていた矢先。
今度は俺に祥子さんの方から『共犯』を持ちかけられるとは何たる皮肉なのだろう。
(……墨田祥子……読めない女だな……)
たぶん『嘘』は吐いていないのだろう。
しかし『隠し事』はしている。何故かそう『確信』に似た感情が俺の中に存在する。
理由は分らないが、俺の第六感が危険信号を発している。
(……しかしあの女は使える……。それに俺の『報復』が達成されれば……)
きっと全ての『殺人』が『無かった事にされる』か。
もしくは『不慮の事故』という結果で世間に認知されるか。
どちらにせよ『第二の人生』を勝ち取った俺に悪い形にはならないはずだ。
でなければ『ゲーム』は成立しない。
犯罪者として一生隠れながら暮らす事が『褒美』なんて馬鹿げている。
(……まあ良い……どの道残り6日間で『報復』が完了しなければ……)
きっと俺は『墨田祥子』も含め、全員殺すのだろうから……。
◆◇◆◇
自室のドアを開き上着を脱ぐ。
やはり今日は暑い。
先程の船着場でのお喋りでもかなり汗を掻いた。
軽くシャワーでも浴び、気分をすっきりとさせたい。
そう思っていた矢先、ドアにノックの音が響く。
「……はい。どなたでしょうか?」
『あ、ごめーん絵里~! 何か私の部屋のシャワーの調子がおかしくてさあ~』
……この声はあすみだ。
『悪いんだけど、部屋のシャワー貸してくれないかな~。外で遊んでたら汗ビッシャリになっちゃってさぁ~』
俺はそのままの格好でドアの鍵を開け、あすみを部屋に招き入れる。
「祥子さんには? 見てもらったの?」
「ううん、まだ~。とにかく先にシャワー浴びたくて、ここに直行しちゃった~」
軽く舌を出し笑うあすみ。
「……あれ? その格好……もしかして絵里もシャワーを浴びるとこだった?」
「え? あ……まあ、ね」
そう言えば警戒もせずにドアを開けてしまったな。
もしもあすみだけで無く、透や恭一郎まで居たとしたら、少々刺激の強い格好だったかも知れない。
「お! じゃあちょうど良いじゃん~! 一緒にシャワー浴びようよ! ここのお風呂場広いから二人くらい余裕っしょ~!」
俺の手を引き脱衣所まで引っ張って行くあすみ。
……一緒に……入る……だと?
「ああ、もうベトベトでヤダ~!」
脱衣所に着くなり一気に服を脱ぎ出すあすみ。
「ほうら、絵里も早く脱ぎなって!」
「あ、ちょ……!」
既に全裸になったあすみは俺の服を脱がそうと手を伸ばす。
(……まずい……スカートの下にはまだナイフが……!)
俺は咄嗟にあすみの腕を掴む。
「ああ! 私の脱がし攻撃に抵抗する気だな絵里~!」
「い、いや……そうじゃなくてね、七貝さん……!」
必死に抵抗する俺。
笑いながら脱がそうとするあすみ。
まずい。
力は俺よりもあすみの方が上の様だ。
このままでは脱がされてしまう……!
「わ、分ったから……! 先に入っててよあすみ……!」
すると突然あすみの攻撃が止む。
「……? ……どうしたのよ、いきなり……。」
「へ? ……あ……ごめん……。だって絵里……また私の事を『あすみ』って……」
……またか。
どうも俺は予想外の事が突然起きるとポカをやらかす習性でもあるらしい。
呼び名をまた間違えるとは……。
「で、でも……私と七貝さんは随分と長い付き合いなのでしょう?なら下の名前で呼んだって……。」
「うん……。まあ、そうなんだけど……。でもそれは茜が嫌だって言うから……。」
あえて『絵里』では無く『茜』と呼んだあすみは少し落ち込んだ様子で先にシャワールームへと向かって行った。
確かにあすみの言うとおり、俺にはまだ『過去の記憶が戻っていない』事になってはいるが、ずっと続いていた『習慣』はそうそう記憶から消えるものでは無い。
呼吸の仕方、食事の取り方を忘れてしまう事が無い様に、『長期的な記憶』が欠損する事は滅多にないそうだ。
その事をすでに祥子さんからも聞いているのだろう。
だからこそ俺のあすみに対する『呼び方』一つとっても不思議に感じてしまうのだろう。
(……くそ……男よりも女の方がやりづらいな……。美紀もそうだったが、どうして女共はこんなに鋭い奴ばかりなのだろうか……)
俺はシャワーの音が聞こえだしたのを確認し、素早く太ももに固定してあるナイフを取り外し、隠した。
丁寧に服をたたみ、あすみの待つシャワールームへと入って行く。
(……半年ぶりのあすみの『全裸』か……。まさかこんな形でまた拝む事になるなんてな……)
俺は広いシャワールームであすみの裸体を眺めながら―――
―――たった一度っきりのあすみとの『情事』を思い出していた。
◆◇◆◇
「ああ~! やっぱシャワーは最高だわ~!」
シャワールームから出たと同時に冷蔵庫を開けカクテルサワーを飲み出すあすみ。
そう言えばあすみはかなりの酒好きだったな。
だからこそ俺と付き合っていた一週間は、毎日の様に居酒屋で酒を飲み明かしていたのだが。
「あれれ? 茜、何をそんなにニヤニヤしているのかな~? さては何か良い事でもあったでしょう?」
あすみが俺を指刺しながらも言い放つ。
……ニヤニヤしている? 俺が?
いや、それよりも、あすみの様子の方がよっぽどおかしい。
この部屋に来た時もそうだったし、シャワールームでもそうだった。
そして今も酒を片手に異常なほどのハイテンションだ。
……無理にでも明るく振舞っているのだろうか。
神田が死んだから?
まだ誰も『殺された』と気付いていない筈。墨田祥子以外は。
俺はあすみの様子を注意深く観察しながら、バスタオルで自身の髪の水分を取る。
「……良い事なんて、これっぽっちも無いわよ……。せっかく皆をお父様が招待したのに……死者が出てしまうなんて……」
これは『蓮城寺家主催』のパーティなのだ。
当然招かれた客共は『蓮城寺貞治』から招待されたと思っている事だろう。
「……うん……まあ、そうなんだけど……。別に茜が気落ちしたって仕方の無い事だし……」
あすみが俺を慰めようと、優しい言葉を掛ける。
「それに、神田さんって人もお酒を大量に飲んでたって墨田さんも言ってたから……。多分心臓麻痺か何かなんでしょう? 死んじゃった理由って……」
神田の死因については憶測しか出来ない。
ここに医者はいないのだから当然だが。
殺した当人である俺が喋らない限り、この6日間で神田の死因は不明のままでしかない。
「そう……みたいね。七貝さんも気を付けてね? ……その年でお酒の飲みすぎで『心臓麻痺』なんて、私いやだからね?」
「私は大丈夫だって~! 普段はそんなに飲まないようにしているし。こういう時に一気に飲んで騒ぎたいから我慢してるんだよ? これでもね~」
カクテルサワーを飲み干したあすみはご機嫌でそう言い放った。
数時間前の青ざめた表情は何処へやら。
いつものあすみに戻った様だ。
「ねえ、これからまた透さん達と遊ぶ予定なんだけど、茜もどう?」
服を着ながらあすみが聞いてくる。
「ううん、そういう気分でも無いし……それにやる事も残ってるから」
「もう~、また課題? 茜は根っからの真面目さんなんだから~……。少しは息抜きとかしないと潰れちゃうぞ~?」
膨れっ面でそう言うあすみをなだめながら、ドアまでエスコートする俺。
「ふふ……そうね。じゃあ、残りの『課題』が全て終わったら……私も混ぜてもらおうかな?」
そう言い笑顔であすみを見送る俺。
そう。
『全ての課題が終わったら』
その時にあすみがまだ生きていたら。
新しい人生の門出に、盛大にパーティをしよう。
◆◇◆◇
あすみを見送った俺は冷蔵庫から緑茶を取り出しテーブルに着く。
そしていつもの通り『メモ帳』と『ボールペン』を取り出し今後の『計画』をまとめる事にする。
201〇/07/22
●殺害した『神田信吾』は俺を殺した『犯人』では無かった。
●残りの容疑者は7名。この中で一番可能性が高いのは『佐川美紀』と俺は考える。
●美紀は神田と共犯だったのか?二人で計画し、あの日俺を殺害したのではないか?
●動機は同じく『部下に論破され逆上』、それを愛人(?)である美紀に話し、二人で『殺害計画』を立てた(?)
●実行犯はあの犯人が履いていた特徴的なシューズから推察しても『佐川美紀』である可能性が高い。
●そして神田は美紀の『アリバイ証言者』としての役割と『凶器』を何処かに隠すことか。
俺は次のページを捲り、更に書き出す。
●墨田祥子に俺の『計画』がばれてしまった。
●彼女は『共犯』を申し出て来た。しかしまだ俺に『内緒にしている事』がある模様。
●しかし彼女が『共犯者』となってくれれば『報復』の成就はグッと近くなる事は確かだ。
●彼女の『共犯の目的』は『蓮城寺家に対する恩返し』らしい。
●その事実はシャワールームであすみから聴取済み。墨田祥子は『蓮城寺家』にかなりの恩を感じているらしい。
俺はボールペンを置き、緑茶を一気に飲み干した。
やる事は二つ。
佐川美紀の『犯行』を裏付けるもう一つの物が欲しい。
現時点ではまだ黒と決め付けるのは早い。
だが時間が無い事も確かであるし、どちらにせよ『報復』が完了しなければ全員殺すつもりなのだ。
だが俺も鬼では無い。
全く無関係な人間を、何の疑いも無く無尽蔵に殺せるほど悪では無いと考えている。
そしてもう一つは『黒田祥子』の役割だ。
彼女は一体何処まで『共犯者』として動けるのだろうか?
俺が命令すれば人を殺すことも出来るのか?
それとも証拠を隠滅する、アリバイを証言するだけの『サポート』に徹するだけの『共犯者』なのか。
俺はこの二つの事を確かめるため―――。
―――予備のナイフのベルトを太ももにしっかりと固定し、部屋を出る。
◆◇◆◇
俺は中央階段を降りもう一度【103】とプレートに書かれた部屋の前まで到着する。
周りに誰も居ない事を確認し、ノックをする。
返事が無い。
もう一度ノックをしようとした際に、部屋の中からシャワーの音が聞こえて来た事に気付く。
(……入浴中か……どうするか……)
俺は何気なくドアノブを回した。
開いている?
美紀の奴……ドアに鍵も掛けずにシャワーを浴びているのか……。
少し考えた俺は、もう一度周りに誰もいない事を確認し108号室へと足を踏み入れる。
念のために鍵を掛け、シャワー室の前まで足音を消し近付く俺。
「♪~♪~♪」
中からは美紀の鼻歌が聞こえて来る。
念のため数秒耳を澄ませたが美紀の鼻歌しか聞こえない。
もしかしたら先程の俺とあすみの様に誰かと2人でシャワーを浴びている可能性だって捨て切れない。
一人だと確信した俺は美紀に気付かれないように部屋を物色する事にした。
(……確か美紀は『超』が付くほどの長風呂だったはず……)
よく朝風呂が長すぎて会社に遅刻して来る事もあったな。
その度に神田に怒られていたが、あいつは全然気にした素振りなんて見せなかったし……。
俺はまず美紀の鞄を漁る事にする。
(……10分くらいならば風呂から出る事もないだろう……)
そんな事を考えながらも俺は美紀の鞄から財布、携帯、ポーチ、着替え、化粧道具、その他もろもろを慎重に取り出してゆく。
(……特に変わったものは無いか……)
そう思い別の場所を漁ろうとしたが、鞄の一番下に仕舞ってある物に目が行く俺。
(……デジタルカメラ……)
俺は何気なくそのカメラを取り出し、中の画像を確認する。
「!!!」
そして『あるもの』を発見する。
そこには俺が今までに見たことも無い『神田信吾』の笑顔に満ちた写真だった。
これは……多分何処かに出掛けた時の写真だろうか。
ページを捲るとその先も何枚も神田の姿がカメラ目線で映っていた。
中には美紀の写真や、神田とツーショットの写真も何枚かデータが残っていた。
俺はカメラを鞄に仕舞い……太ももに仕舞ったナイフのベルトのボタンを外す。
(……決まり……だな。)
あの写真は確実に『不倫』の証拠となる。
俺が想像していた通りの結果だった。
そしてあの日の夜の会議に美紀も同席していた。
俺が神田をコテンパンにする現場を生で見ていたのだ。
(……自分の愛する不倫相手がボロクソに言われるのを黙って見ているのはさぞ辛かったんだろうな……)
俺はシャワーの音のする浴室へと向かう。
既に右手には切れ味の良いナイフを握り締めている。
(……船着場での独り言……あれは殺害した『俺』に対する『謝罪の言葉』だったのか……)
俺の中で全てが一つに繋がる。
あの日みた特徴的な女性物のスポーツシューズも。
船着場での『独白』も。
会議室での俺の論破に対する恨みも。
全てが―――。
―――一つに繋がってしまったのだ。
◆◇◆◇
シャワーの音はまだ続いている。
俺は慎重にシャワールームの扉を開ける。
扉の隙間からはこちらに背を向けながら鼻歌を歌っている美紀の姿が伺える。
(……美紀……あの時は『痛かった』ぞ……)
何度も。
何度も。
俺が死んでからも。
お前は俺の頭蓋骨を、脳髄を、あのコンクリートで敷き詰められた裏路地に撒き散らしてくれたんだよな。
俺はナイフを強く握り締める。
俺の手にあるのはあの時の様な『鈍器』では無いけれど―――。
「!!!誰っ!!?」
―――同じ様な目に、遭わす事は、出来るんだよ。
俺は振り向いた美紀の右目にナイフを突き刺した。
「――――――――――!!!」
声にもならない叫び声を上げる美紀。
俺はそのまま更に奥まで、眼窩から脳髄に刃が届くまで、力一杯に、ナイフを押し込む。
「―――――――!!!!」
おい、もっと声を上げて叫んだって良いんだよ、美紀。
この洋館の客室はある程度の防音設備は整っているんだ。
このシャワールームのシャワー音だって、ドアの中央下にある新聞受けの扉を外から開き、
耳を押し当てでもしないと外に漏れる事も無い。
お前が叫び声を上げたって、隣の部屋にも廊下にも聞こえやしないんだ。
「―――――――」
力なく倒れた美紀の右目からナイフを引き抜くと、大量の血が噴出して来た。
俺は気にせず、今度は美紀の左目にナイフを突き刺す。
もう何の抵抗もしない美紀。
でも俺は渾身の力を込め、ナイフを左目の眼窩の、更に奥へと突き刺した。
ずりゅ
という何か柔らかい物に当たる感覚。
きっと脳みそだろうな。
俺は力を込めたまま、美紀の脳髄をナイフでかき混ぜるように、
何度も、
何度も、
既に息絶えた美紀の脳髄を、
『憎しみ』を込めて、
俺の満足の行くまで、
掻き混ぜた。
◆◇◆◇
「――――――――」
もう動かない美紀に対し、俺は何度も眼窩から脳を掻き混ぜてやった。
「――――――――」
俺の服は美紀から飛び出た血液やら脳髄の液やら、
そして何故か失禁してしまった美紀の小水やらでグチャグチャに汚れてしまっていた。
「――――――――」
なぜだ?
「――――――――」
美紀は俺を殺した『真犯人』だろ?
「――――――――」
ならば何故俺は、
「――――――――」
―――あの『白い空間』に転送されないのだ?
◆◇◆◇
そのまま美紀の遺体の横でシャワーを浴びた俺は、美紀の鞄の中に入っていた着替えを拝借し着替えを済ます。
そして扉を開け、外に誰も居ない事を確認し、踊り場を挟んだ先にある【105】の部屋へと足早に向かった。
ノックをするとすぐに中から返事が返って来る。
「(……祥子さん……開けて貰えますか?)」
俺の声の様子に気付いたのだろう。
異変を察知した祥子さんは俺を部屋へと招き入れる。
・・・
「……事情は大体分りました」
アイスコーヒーを用意しながらも祥子さんは俺の話を聞いてくれた。
顔色一つ変えずに、ただただ頷き、俺の目を見据えて。
「……御免なさい、祥子さん……。また私、『間違えてしまった』みたいなの……」
「そうですか……。後は私のほうで何とか致しますので、茜お嬢様はこのまま誰にも見付からない様に自室へとお戻りになっていていただけますか?」
今後の後始末を買ってくれた祥子さん。
だが……。
何故『聞かない』?
俺が犯人を間違えたと『どうやって断定できたのか』。
もしかしたらそれも俺の勘違いかも知れないのに。
本当は美紀が『犯人』で合っているかもしれないのに。
何故、俺が『間違えた』と思った事に対し、何も言い返さないのだ?
「……間違いは誰にでもあります。ただ、次からは『犯行』に及ぶ際は、事前に私にお知らせ下さい」
淡々とした口調で話す祥子さん。
「……ええ。次からは必ずそうするわ……。でも、祥子さん。貴女……どうやって『殺害の痕跡』を消す気なのかしら……?」
後数時間で夕食の時間に入る。
その時に美紀がリビングに来なければ誰だって不思議に思うだろう。
「……それは難しいでしょうね。……なので、茜お嬢様のアリバイを私が証明し……」
「証明し……?」
「この洋館にいるメンバーの誰かが、『神田信吾』と『佐川美紀』を殺害した、という事に致しましょう。」
◆◇◆◇
そして俺は言われた通りに誰にも見付からない様に自室へと戻り時間を潰す。
もちろんその間も『次のターゲット』を見極めるべく思考は怠らない。
そして『その時』は訪れた。
けたたましくなるドアのノック。
返事をし外に出ると、既にこの洋館にいるメンバーが勢ぞろいしていた。
皆青ざめた顔をしている。
そりゃあそうだろう。
昨日に続き死人が出たのだ。
そして今度は『明らかな殺人』。
青ざめた顔をしていない奴が居たら、きっとそいつを『犯人』と疑うのだろう。
現にリビングに皆を集め、事の詳細を淡々と話す祥子さんに野次が飛ぶ。
「お、おい、貴様! 人が一人殺されたというのに、何だその釈然とした態度は!」
新人議員候補の尾崎が吠える。
「そうよ! 昨日からおかしいとは思ってたけど、貴女何か変よ!」
三島智子が尾崎に続く。
「……申し訳御座いません。これが私の性格で御座いますので……」
二人に対し丁寧にお辞儀をする祥子さん。
「ちょ、ちょっと待って下さい二人とも! 管理人さんにそんな言い方しなくても……!」
透が祥子さんのフォローに回る。
「一体何が起きているんだ……! どうして昨日に続き今日も犠牲者が……!」
九条が頭を抱えながらも青ざめる。
「……いや……」
「……? 七貝さん……?」
「もういやああああああああ!!!!!」
あすみが俺の脇をすり抜け中央階段を上って行く。
「……なんで……佐川が……」
うな垂れるように呟く恭一郎。
「……とにかく皆さん……七貝様は…仕方ありませんが……」
祥子さんが場を仕切る。
「……これはれっきとした『殺人事件』で御座います」
『殺人』という言葉にはっと顔を上げる面々。
「……ですので……非常に言い辛い事なのですが……」
あすみを覗く面々を一人ずつ見回してゆく祥子さん。
「……この中に……『犯人』がいるって言いたいんですか……?」
九条が生唾を飲み込みながらも皆を代表して先を続けた。
「馬鹿な……! ここに『殺人犯』が居るだと……!」
九条の言葉に唖然とする尾崎。
『疑心暗鬼』。
今、まさしくこのメンバーの中で渦巻いている感情。
「……この湖畔は外部からの接触を完全に遮断されております。何処かに『殺人犯』が潜り込める場所も無ければ、10名もの人間が生活しているこの場所で『誰にも気付かれずに』いる事などほぼ不可能に近いと思われます」
淡々と先を続ける祥子さん。
「……ですので、非常に言い辛いのですが……」
さっきと同じ言葉を敢えて選び、発言する。
「……皆様の『アリバイ』を調べさせて頂きたいと思います……」
◆◇◆◇
一人一人のアリバイが調べられる。
ここにいる全員が既に疑心暗鬼状態。
『誰が殺人犯なのか』
きっと心の中では皆、その言葉が渦巻いている筈。
(……この中に、絶対に居るはずなんだ……。俺を殺した『犯人』だって……)
アリバイが検証される中、俺はひたすら皆の表情を観察する。
透は恭一郎と何やらヒソヒソ話をしている。
尾崎は何が気に入らないのか、アリバイの検証中も祥子さんに口を挟んでいる。
九条は事の成り行きをじっと見守っている様にも見える。
そして三島は神経質そうに膝をゆすってタバコを吸い始めた。
(……方向性を変えるか……いや、しかし、どう考えてもあの『プロジェクト』絡みの犯行としか……)
何処かに大きな見落としは無いか。
俺は思考する。
誰が一番得をする?
俺を殺して得をするのは……ここに残っているメンバーでは透と恭一郎だ。
俺に恨みを持っていそうなのは?
神田と美紀はハズレだった。
ならば残るはあすみだけだ。
それ以外の可能性は?
『得』でも『恨み』でも無い可能性なんて存在するのか?
「……次は……篠塚様ですね……」
祥子さんが俺に視線を向ける。
アリバイの確認の順番が回って来た。
皆の視線が俺に集まる。
「……あ、はい……。私が最後に佐川さんに会ったのは……確か……船着場でお話した時だと思います……」
ここは嘘を吐く事は出来ない。
あの時俺が洋館を出て行く所は何人かに目撃された筈なのだ。
「その後一緒にここまで戻って来て……それから私は墨田さんの部屋で一緒にお喋りをして……」
あの後俺は中央階段で祥子さんに呼び止められ、部屋に付いて行った。
そこで俺の『計画』がばれた訳だが。
「どれくらいお話したのかしら……それから部屋に戻って……あ、そうだわ、七貝さんがシャワーが壊れたから貸して欲しいと私の部屋に来ていたわ」
そして一緒にシャワーを浴び、俺は誰にも見付からない様に部屋を抜け出し―――。
「その後は?」
尾崎が怪訝な顔でこちらを見やる。
さっきからこいつは他の人のアリバイに食って掛かってばかりだ。
誰でも良いから早く『殺人犯』を断定したいのだろう。
「……そこからは私がお話しましょう。その七貝様の部屋のシャワーの調子が悪いと、わざわざ知らせに来て下さったのですよ、篠塚様は……」
祥子がフォローを入れる。
「ただそれを修理する為の備品が部屋の奥のほうに仕舞ってありまして……。篠塚様は御一緒に探すのを手伝って頂き、そのお礼にと思いまして、篠塚様の自室にて自慢の珈琲とお茶菓子をご用意させて頂きました……」
「じゃあ管理人さんは篠塚さんと一緒に居た……て事で良いのね?」
三島がタバコを吹かしながら言う。
「はい……。そしてその帰りに各部屋を周らせて頂いている中……」
一瞬沈黙する祥子さん。
「……佐川さんの部屋の鍵が開いていて……遺体を発見した……」
その先を九条が怯える声で続けた。
「……その通りで御座います。……そこから先は皆様がご存知の通りだと思います……」
祥子さんは美紀の遺体を発見後、すぐに全員の部屋を周り人を呼んだのだそうだ。
そして最後に俺の部屋を訪れ、今に至る。
「……後はあすみちゃんだけか……」
何処かに走り去っていったあすみを心配する透。
「彼女のアリバイは俺が証明するよ。外の林で一緒に遊んでたし、その後はきっとすぐに絵里ちゃんの部屋でシャワーを浴びたんだろう。それからまた俺の部屋で一緒に酒を飲んでたんだ。墨田さんが俺の部屋にくるまでずっと……」
確かにあすみは透達とまた遊ぶような事を言い、俺の部屋から出て行った。
時間的には美紀を殺害する時間はなさそうだとその場に居る全員が頷く。
「……今の時点でアリバイが無いのは……」
誰とも無しに言葉を告げる。
アリバイが無いのは2人。
尾崎信二。
九条直人。
2人共自室に籠もっていたらしい。
それを証明出来る人間が何処にも居なかった。
「……何故皆、そんな目で俺を見る……?」
尾崎が皆の視線に文句を付ける。
先程まで犯人を決め付けるような言動が自身にそのまま返って来ている。
自業自得とはこの事だろう。
「……ぼ、僕は何もしていませんよ……!」
九条も両手を挙げ無罪を主張する。
「でも貴方達二人だけよ? アリバイが証明出来ないのは。」
三島がタバコを灰皿に押し付けもみ消しながら言う。
「それは……」
何か言い返そうとした九条だが、アリバイが無ければ言い訳にしか聞こえないと諦めたのか、その先を続けずに押し黙る。
「馬鹿馬鹿しい! 何故俺が見ず知らずの二人を殺さねばならないんだ!」
机を叩き当り散らす尾崎。
「尾崎様……確か以前……〇〇党の『裏金疑惑』で、神田さんが勤めていた〇〇株式会社から金を受け取ったという記事が出回った事が御座いましたよね……」
「なっ……!」
祥子さんの言葉に一同がハッとなる。
「それ……確か〇〇って言う雑誌の記事じゃなかったかしら……! 私、読んだ記憶があるわ!」
三島が話しに乗る。
「まさか……その関係で神田さんと佐川さんから脅しを受けて……」
九条が話すと皆の視線が尾崎に集まる。
「ち、違う! それは出任せだ! 我が党は裏金など受け取っていない! そ、そうだろう! 飯島君に大森君!」
「え?」
いきなり話を振られて困惑する透と恭一郎。
「そ、それに裏金がらみが犯行の動機だったのならば、こいつ等にだって動機はあるんじゃないのか!」
仕舞いには透達を犯人呼ばわりする始末。
ククク……良いぞ……疑心暗鬼にまみれてもらった方が今後動きやすくなる……。
そして纏まらずに単独で動いてくれれば―――。
―――それだけ殺害する『チャンス』が生まれてくるのだから。
◆◇◆◇
結局アリバイの証明が出来なかった尾崎と九条は『容疑者』として一同に認定され、それぞれ交代で他のメンバーから監視される事となった。
特に動機も十分な尾崎は、既にほぼ全員から『犯人』として断定されてしまっている。
俺は部屋に戻る傍ら思考する。
祥子さんはここまで計算していたのだろうか?
確かに〇〇党と俺が元いた企業との癒着問題は記事になった事があった。
しかしすぐにデマだと分り、雑誌の記者達は次のスキャンダル探しに躍起になっていた筈だ。
そんな情報を咄嗟に集めたのか?
それとも事前にそこまで調べていたのだろうか……。
俺は墨田祥子という女に多少の『恐怖』にも似た感情を抱き始める。
(……しかしあの女は使える……そして『敵』には回したくない人材だ……)
まさか最後の最後で『蓮城寺家』を裏切る事もないだろう。
謎の多い女ではあるが、返し切れない程の『恩』を感じているのも事実であるのだから。
(……考え過ぎか……とにかく『次の計画』を練らねば……)
俺は部屋のドアを開け、自室へと戻る。
◆◇◆◇
ふう、と溜息を吐きソファへと深く座る。
少し頭痛がする。
肩もだいぶ凝っている様だ。
(……やはり緊張していたか……無理も無いな……)
俺は肩の凝りを解しながら、そのままソファに横たわった。
そして開いている方の手を上空に翳す。
美紀を殺した手。
眼球を刺した時の感覚。
脳髄を抉った感覚。
つい数時間前に、俺はナイフで美紀を刺し殺したのだ。
(……???……)
何かデジャヴのような物が俺の脳裏を横切る。
(……なんだ……?)
俺はこめかみを押さえる。
先程よりも頭痛が増している気がする。
(……誰だ……?)
何かが脳裏に映る。
怯えている?
何に怯えていると言うのだろうか?
(……子供……?)
少女が怯えている。
あれは……蓮城寺茜なのだろうか?
茜の記憶が戻って来ているのか?
俺はこめかみを押さえながら薬箱を探す。
確か常備薬が置いてあった筈。
部屋の奥にあるクローゼットを開けると上段に薬箱が置いてあるのを見付けた俺は中を漁る。
そして鎮痛剤を飲み、ベッドへと横になった。
(……少し休むか……流石に疲れが出て来たんだろう……)
少女はもう俺の脳裏から消えていた。
もしかしたら何かの拍子で『蓮城寺茜の記憶』が戻って来たのかも知れない。
しかし、もしも『記憶』が戻ったらどうなるのだろう。
俺の記憶は?
茜の記憶と混ざってしまうのか?
それとも『報復』が済んだら、完全に記憶が『蓮城寺茜』の物とすり替わってしまうのだろうか?
もしそうならば、それは『俺』の『第二の人生』と言えるのだろうか?
……答えは返って来ない。
相変わらずあの『金髪の女』は『あの日』以来姿を現さない。
俺はこのまま犯行を続けるべきなのだろうか?
俺は自分自身に疑問を投げかけながら―――。
―――いつの間にか眠りに落ちていた。
◆◇◆◇
夢の中では少女が泣き叫んでいた。
何故泣いている?
あれは『蓮城寺茜』なのか?
彼女は順風満帆な生活を送って来た筈では無かったか?
母である麗佳を早くに亡くしはたが、父である貞治の愛情を一身に受けた少女。
墨田祥子とは生まれて間もなく姉妹の様に接して共に育ち。
友人にも恵まれ、容姿にも恵まれ、財産もあり。
何不自由なく育ってきた筈のお嬢様。
では、何故あの少女は泣き叫ぶ?
虐待? 誰に?
何故あの少女は、あんなに酷い事を―――。
・・・
目が覚める。
俺は枕もとの時計に目をやる。
いつの間にか眠っていたらしい。時刻は深夜の3時を指している。
俺は起き上がり冷蔵庫を開け、スポーツドリンクを取り出しそのまま口を付ける。
(……頭痛は……取れたようだな……)
念の為もう一錠を取り出しそのままスポーツドリンクで胃に流し込む。
そしてそのまま奥のテーブルに向かい、スタンドライトに灯を燈す。
いつもの様にメモ帳を取り出し、ボールペンで書き込む。
201〇/07/22
●佐川美紀をナイフで刺殺した。しかし『白い空間』への転移は行われなかった。彼女は『犯人』では無かったらしい。
●ならば誰が本当の『犯人』なのか。次に可能性が高いのは飯島透と大森恭一郎だ。彼らの『動機』は『リーダーの座』か?
●佐川美紀殺しでアリバイが立証出来なかった尾崎信二と九条直人は皆で交代で部屋の前で見張る事となった。特に尾崎は動機も十分として厳重に見張りを付けるという結論に至った。
●容疑の強い尾崎には常時2名、九条には常時1名、部屋の前に見張りを付けようという案が出たが、尾崎と九条の部屋が同じ通路沿いの見通しの良い場所にある事から、各部屋の前で一人ずつ監視すれば問題ないだろうという結論に至った。
●但し墨田祥子は食事の準備、その他各部屋の清掃等の仕事を考慮して見張り役からは除外。残りの俺、七貝あすみ、飯島透、大森恭一郎、三島智子での交代制での見張りとなる。
俺はボールペンを置き思考する。
そして見張りのスケジュールを頭に叩き込む。
殺人の容疑者が2名、特に尾崎に容疑向いている今は非常にチャンスだった。
それにこっちには祥子もいる。
いくらでも殺害するチャンスはある。
問題は透と恭一郎のうちのどちらが『犯人』なのか。
俺は透とは同期で入社した。
最初は何度もぶつかり合ったが、同じプロジェクトに抜粋されてからは意気投合し、何度も危ない所をお互いに助け合ったりもした。
俺が前任からプロジェクトリーダーを任された時も一番に喜んでくれたのは透だった。
一方、恭一郎は中途入社でいきなりプロジェクトに抜粋された、云わばヘッドハンティングされた人材。
最初は恭一郎をプロジェクトリーダーに推す声が多かったみたいだが、それまでの俺のプロジェクトに対する情熱と『チーム』としての纏まりを優先した幹部の決定により、直前で俺にリーダーのお声が掛かったという経緯がある。
そこから推察すると恭一郎の方が透よりも、俺に『恨み』を持っていたとも考えられる。
しかし、やはり決定打に欠ける。
何だかんだ言っても俺達3人は様々な困難を乗り切ってあそこまでプロジェクトを進めて来れたのだ。
あと一歩。
プロジェクトが成功を収めるまで、本当にあと一歩の所まで来ていたのだ。
これが成功を収めれば、関連企業には莫大な利益が生まれる事になる。
当然それらの貢献人としてプロジェクトのメンバーは全員昇進するのは確実だ。
かなりの金額のボーナスが入る事も事前に幹部から知らされていた。
なのに、ここに来て突然裏切ったと言うのだろうか。
名誉欲しさに? 殺人のリスクまで背負って?
どう考えても警察だって透や恭一郎、もしくはプロジェクトに関わったメンバーを一番最初に疑う筈だ。
この世の中には『完全犯罪』なんてものは存在しない。俺はそう思っている。
いずれ必ず捕まるのに、そんな馬鹿な事を考えるだろうか?
捕まれば名誉も金も無いだろうに。
一生塀の中でマズイ飯を喰らいながら生活する事になるか、死刑になるかのどちらかだろう?
『人を殺す』とはそう言う事だ。
では何故?
俺を殺してまで手に入れたいものとは、一体何なのだろうか?
◆◇◆◇
ドアのノックの音で目が覚める。
『絵里さんいらっしゃいますか? 見張りの交代の時間ですよ?』
俺は目を擦りながら柱時計を見る。
お昼前の時間だ。
(……そうか……あのまま俺は考え事をしながら寝てしまっていたか……)
椅子から立ち上がり最低限の身なりを整えドアを開ける。
「ああ、絵里さん……。お返事が無いのでいらっしゃらないかと……」
恭一郎が笑顔でそう答える。
「すいません……。何だか私、テーブルで寝ちゃっていたみたいで……」
正直にそう話す俺。
「そうですか……。仕方無いですよ、こんな事が起きてしまったのですから……。眠れなかったのでしょうね……。お気持ちお察ししますよ」
紳士的な態度を見せる恭一郎。
そう言えばこいつも、俺を見る目が透や神田そっくりだった事を思い出す。
「……ええと、確か見張りは……」
俺は記憶を呼び起こす。
「はい。絵里さんは九条の扉の前、そして俺が尾崎の扉の前、ですね」
そうだ。
そして今は確か透とあすみがそれぞれ見張りをしている筈。
「そうでしたね。……では、行きましょうか……」
俺は恭一郎と共に中央階段を通り抜け、真っ直ぐに通路を歩いて行く。
U字に曲がった通路を歩くと透とあすみが扉の前の椅子に待機しているのが見える。
「あ……絵里……」
私の姿を発見し、少し笑顔を見せるあすみ。
「大丈夫……? ごめんなさいね……。私あの後部屋に戻って、すぐに眠っちゃったみたいで……」
あのリビングでの『アリバイ立証』の後、祥子さんと透はあすみを探しに向かったが、その後の顛末を俺は聞いていなかった。
「ううん、私こそ取り乱しちゃって……。何か怖くなっちゃって、部屋に戻って鍵を掛けて震えてたんだ……」
今にも消え入りそうな声で肩を抱き小さくなるあすみ。
無理も無い。
あすみも見たのだから。
シャワールームで両目から血やら脳髄液を垂らして死んでいる美紀の姿を。
「もう交代……?」
あすみはそのままの格好で俺を見上げる。
「うん……。祥子さんもそろそろお昼の準備をしてるだろうから、リビングに行って休んできて?」
俺は恭一郎に目で合図をし、あすみが座っていた席に交代で座る事にする。
「じゃあ、俺は透と交代しますから……」
「ええ」
恭一郎はU字の廊下を奥へと進む。
あすみは弱々しい笑顔で俺に手を振り、リビングへと向かって行く。
しばらくして奥の通路から透がこちらに近付いてきた。
「お疲れ様、絵里ちゃん」
「ええ、飯島さんも」
「あすみちゃんはもう戻ったのかな?」
「ええ…。今さっきリビングに向かって行きましたわ」
「そっか……。うん、有難う」
礼を言い中央階段の方角へと向かって行く透。
俺は透の後ろ姿を見送った後、通路の奥に目を向けてみた。
(……この位置からだと尾崎の部屋と恭一郎のいる位置は見えないのか……)
この位置から見えるのは右手に中央階段、左手には207号室までしか見えない。
209号室の尾崎の部屋の前に座っているはずの恭一郎の姿も見えないが、外に出るにしろここを通って中央階段を下りるか、通路を奥まで突っ切ってテラスから外に出るしか方法が無いのだ。
各部屋の窓には鉄格子が嵌められているし、そもそも洋館を外に出ても周りは湖。
逃げ場なんて何処にも無い。
(……まあ、犯人は『俺』なんだから、真面目に監視なんてする必要は無いんだけどな……)
しかし皆で決めたことには従わなければならない。
取り敢えず俺はこの時間を有効に使い、次のターゲットの推察と新たな証拠探しを脳内で再開する事にした。
◆◇◆◇
そして半日が過ぎ、ようやく見張りの交代時間となった。
「お疲れ様、絵里ちゃん」
俺の席に近付いてきたのは三島智子。
「大変でしょう? 半日もずっと座っているのって……」
「いいえ、意外に苦痛では無かったですよ。墨田さんが本もいっぱい用意して下さいましたし……」
俺は見回りに来た祥子さんから受け取った数冊の小説を三島に見せる。
「へえ……。それ、私も借りても良いかしら?」
「ええ、私は全部読んでしまいましたから…」
三島と席を交代し、立ち上がった所で透の姿が見える。
「はあ……。もう交代時間かよ……」
透は溜息を吐きながらも廊下の奥へと歩いて行く。
「5人で2交代制だもんね……。ほぼ12時間置きに監視役が回ってくる計算だし……」
そうなのだ。
一人ずつずれての2交代制。
12時間後は俺は飛ばしであすみと恭一郎。
そしてその次の12時間で今度は俺と三島での監視となる。
(……という事はチャンスは今しかないか……)
そう考えた俺の前にちょうど透と監視を交代した恭一郎がやって来た。
「お疲れ様、絵里さん。どう? ちょっとテラスでも行って軽く飲まないかい?」
こちらから誘うまでもなく恭一郎の方から俺に声を掛けて来る。
「……ええ、そうですわね」
俺は小説を三島に渡し、恭一郎と共にテラスへと向かった。