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第一章 目覚めた先は美女としての人生で

 今日も疲れた。


 俺は居酒屋を後にし、裏路地へと出る。


 少し飲み過ぎたか?

 少し足がふらつく。


 ……それも仕方無いか。


 俺は真っ暗な裏路地を千鳥足で進む。


 毎日、毎日、上司の愚痴ばかりを聞いているんだ。


 ちょっとの酒じゃあ、長年鬱積してきたこのストレスは発散出来る筈も無い。


 ……そろそろいつもの遊びを再開しないと持たないかも知れないな……。


 そんな事を考えながらヨロヨロとした足取りで裏路地の曲がり角まで到着する俺。


 弱々しい街灯が照らされたその先に靴が見える。


 スニーカーだろうか。男物とも女物とも見分けがつかない。


 最近はこういう靴が流行っているのか……。


 そう思いながらふと顔を上げる俺。


 刹那。


 右の耳の下辺りに強烈な衝撃を受けコンクリートの壁に吹き飛ぶ俺。


 ???


 何だ? 一体何が起きたのだ?


 衝撃を受けた部分に手を宛てる。


 掌には真っ赤な血液が付着した。


 殴られた? 何か鈍器のような物で?


 俺は尻餅を付いたまま上を見上げる。


 街灯の影になって相手の姿が全く見えない。


 加えてかなり酒を飲んだせいで目の照準が合わない。


 ……いや、殴られたせいで眩暈を起こしているのか?


 俺の思考をよそに、目の前の人物は何かを振り上げる。


 ああ、それで殴ったのか……俺の頭を。


 そしてその人物は鈍器を俺に振り下ろす。


 何度も。


 何度も。


 その度に俺の頭蓋骨が砕ける音が裏路地に響き渡る。


 でも、もうこんな時間だ。


 そこの居酒屋の店主もこれだけ離れていては気付かないだろう。


 ああ、俺は死ぬのか。


 『死ぬ』ってこういう事なのか。


 酒を浴びる程飲んでおいて正解だったな。


 痛みを全く感じずに死ぬのってありがたいよな。


 ああ、眠い。


 さあ……


 もう、寝ようか―――。






◆◇◆◇






「?」


 俺は目を覚ます。


 起き上がり頭を抑える。


 ……血が出ていない?


『……目覚めましたか。ご気分は如何でしょうか?』


 目の前には長い金髪の女性が微笑んでいた。


「……ここは……?」


 俺は辺りを見回す。


 真っ白な空間。


 何も無い、空間。


『……貴方は先程、ある人物に殺害されました。貴方には選択肢が御座います』


 俺の質問を無視し、目の前の金髪の女性はマニュアル通りとでも言わんばかりの言葉を俺に向ける。


「……殺された、のか」


 そりゃあそうだ。

 あれだけボコボコに鈍器で殴られたんだ。


 でも、選択肢?


『このまま潔く成仏するか。それとも第二の人生を歩むか』


 金髪の女は両の手を広げ、それぞれの掌の上には淡い光を放った球体が出現する。


「……第二の人生が……選べるのか?」


 俺は殺された。


 しかし第二の人生が選べるのであれば、当然選ぶだろう。


『……分りました。貴方は第二の人生を選ぶのですね?』


 金髪の女は右手の球体を俺に差し出す。


 俺はその球体を受け取る。


『……しかし貴方には試練が御座います』


 金髪の女は説明する。


『……これから貴方は転生致します。……しかし、転生出来る時間は30日だけで御座います』


「え……? たった30日だけ……?」


 俺は肩を落とす。


 たった一ヶ月の『第二の人生』。


 そんなものに何か意味があるのだろうか?


 お別れを済まさなかった人間に対し御礼廻りでもして来いと?


『……その30日の間に、貴方は探すのです。……貴方を殺害した者を……』


 渡された光の球体が輝きを増す。


「……犯人を……捜せと言うのか……?」


 一ヶ月の犯人捜し……。


 だが、探して、どうする?


 俺の疑問に対し金髪の女はこう答えた。


『……そしてその者に対し『報復』するのです……。そしてそれが時間内に達成されれば―――』


 光の球体が俺の身体を包んで行く。


 俺はその光の眩しさで目を瞑る。



『―――貴方は、第二の人生を、天寿を全うするまでの期間分、手に入れる事が出来るでしょう―――』








◆◇◆◇







 再び目を覚ます俺。


「……ここは……また別の場所か……?」


 今度はベッドの上らしい。


 30畳はあるかという程の見た事も無いような豪勢な部屋。


 至る所にぬいぐるみやら女性物の洋服やらがひしめいている。


 ……女の部屋か?


 それにしても広いな……。


 何処かのお嬢様の部屋なのだろうか……。


 と、部屋の入り口のドアにノックの音が。


あかねお嬢様。入っても宜しいでしょうか?」


「!!」


 ……やばい、誰か来たぞ……。


 咄嗟に隠れようと思ったがすぐにドアが開き、心臓が止まりそうになる俺。


「あ……えと……その……」


 ドモる俺。


 ……なんだこの声?


 どうしてこんなに声が高い……?


「? ……どうかされたのですか? 茜お嬢様?」


「・・・」


 メイド服を着た女と目が合う。


 ……こいつ、今、確実に、俺に向かって『茜お嬢様』って言ったよな?


 俺はふとベッドの横に大きな鏡があるのを発見し、視線を向ける。


 そこには綺麗な長い黒髪の美少女が映し出されていた。


 ……誰だ? この俺好みの美少女は?


 鏡に寄ると同じく動く鏡の中の美少女。


「……一体何をされているのですか?」


 メイドが怪訝な表情でこちらを伺っているが俺はそれどころでは無い。


 右手を上げる。

 鏡に映った美少女が左手を上げた。


 今度は左手を上げる。

 鏡に映った美少女が右手を上げた。


「・・・」


「……茜お嬢様?」




 ……『転生』。


 あの金髪の女の言葉が蘇る。


 あの女め……。




 『転生』だけじゃなく、『性転換』までされてるじゃねえかよ………。





◆◇◆◇






 俺こと大泉大輔おおいずみだいすけは謎の金髪の女より『第二の人生』を与えられた。


 しかし『転生先』は今までの俺とは全く違った世界。


 蓮城寺れんじょうじ財閥とかいう巷では結構有名な大金持ちの一人娘の『蓮城寺茜れんじょうじあかね』。それが今の俺。


 ならば元々のこの娘の『魂』とやらは何処かに行ってしまったのだろうか?


 それともそもそもそんなものは実在せず、同じ様に見えても全く別の『世界』とやらに俺は飛ばされて来たのだろうか?


 転生してから3日が経っても全くその答えは見付からない。


 俺の記憶の混乱を心配してか、父である蓮城寺貞治れんじょうじさだはるはかなり豪勢な病院の一室を貸し切ってくれた。


 取り合えず検査に異常は見られなかった為、『原因不明の一次的な記憶欠如』とかいう診断を下され、大事を取って入院。


 そして3日目の今日が晴れて退院出来る日となった。



・・・



「……お父さん。心配掛けて御免なさい……。私はもう大丈夫よ?……記憶はまだ戻らないけど、少しずつまた覚えて行けば良いだけだから……」


 目の前の父に向かい精一杯『良き娘』を演じる俺。


「そうか……。本当に心配したんだからな……。主治医からも特に脳に異常は無いとは言われているから、徐々に記憶も戻ってくるだろうからあまり心配し過ぎるなと念を押されてしまってな……」


 父は安堵の溜息を吐く。


 記憶には無いが、俺は早くに母を無くし、父と5人のメイドと共にあの豪邸で生活をしているらしかった。

 父である蓮城寺貞治れんじょうじさだはるはある財閥の会長らしい。

 この若さで会長とは恐れ入る。

 世の中にはこういう人間もいるのだなあと、父の顔を見ながらも感心する俺。


「……じゃあ、父さんは仕事に戻らなくてはいけないから……。後の事は墨田さんに任せてあるから、分らない事があれば彼女に聞くと良い」


 墨田祥子すみだしょうこ

 俺が転生した初日に会ったメイドの一人だ。

 年は今の俺とそんなに変わらないくらいか。

 ほか4人のメイドも顔を合わせてはいるがまだ名前を覚えられてはいない。


「……うん。何かあったら祥子さんに聞くわ」


 俺の頭を軽く撫で、病室を後にする父。


 ……妻を早くに亡くし、娘を溺愛、か。


 気持ちは分らなくも無いが、大学生の娘の頭をぽんぽんは世間的にどうなのだろうか。



 そんな事を考えながらも俺は、父の背中を見送った。





◆◇◆◇





 祥子さんの迎えのベンツに乗り込んだ俺は自宅へと戻る事になった。


 大学には父が『休学』の届けを既に出してあったが、明後日からは大学も長い夏休みに入る。


 俺はせっかくなので明日も大学を休む事にし、そのまま夏休みを迎える事にした。



「……では、茜お嬢様。何かお体に不調が御座いましたら、すぐに私をお呼び下さい」


 そう言い部屋から出て行く祥子さん。


 部屋に一人残された俺。


「……ふぅ。やっぱり疲れるな……。使い慣れていない口調で話すのは……」


 既に俺は金持ちの娘の女子大生である『蓮城寺茜』という人間として『転生』してしまっている。

 ならばそれなりの行動や言動に尽くさなければならないのは当然の事。

 あの金髪の女が俺に課した『試練』とやらをクリアすれば、俺はこの第二の人生を謳歌出来るのだ。


 残りは27日。

 

 俺は自室の奥の扉を開け、専用の書庫へと向かう。


 まるでちょっとした図書館のような書庫。

 俺はその書庫の一番奥にある大きな木のテーブルに腰を掛ける。


「……ククク……まるで本物の『図書館』だよなぁ……」


 俺の声が本棚の隙間を通り書庫全体へと広がって行く。


 それに満足した俺はテーブルの上に置いてあるノートとボールペンを手に持ち詳細をメモする。


 あの金髪の女が俺に課した『課題』。


 それらをノートにまとめる俺。




201〇/07/10


①『蓮城寺茜』として転生していられる期間は30日間。今日(7/10現在)で残りは27日間。その間に俺を殺した犯人を見つけ出し『報復』しなければならない。

②俺にはこの『蓮城寺茜』としての記憶は無い。これから先もその記憶が戻る事は無いだろう。何故なら俺は『蓮城寺茜』では無く『大泉大輔』だからである。

③ではどのようにして犯人を探し当てるのか。俺は犯人の顔を見てはいない。特徴的なスニーカーを穿いていた事だけは記憶にあるが、あれだけでは男なのか女なのかも判別出来ない。

④そして何故俺は殺されたのか。思い当たる節が全く浮かばない。何処にでもいる普通の会社員として、何処にでもいる風貌の30代の中年だった俺が、何処にでもあるような居酒屋で酒を飲んだ帰りに、鈍器で殴られ殺された。通り魔の犯行か?それとも何か恨みを買うような行為でもしていたのだろうか?




 ささっと箇条書きした俺はその下に【考察】と銘打ち新たに記入して行く。



【考察】

●『報復』とは具体的には何なのか。警察に突き出す事か?それともあの金髪の女は『犯人』を『殺せ』とでも言うのか?情報があまりにも少な過ぎる。

●何故『蓮城寺茜』として『転生』したのか。これは俺がいた『世界』と『同じ世界』での出来事なのだろうか。ならば『大泉大輔』が死亡しているという事を突き止めなければならない。

●『犯人』を探し出すにはどうしたら良い?警察を頼る?それとも探偵か?どちらにせよ時間が無い。何か良い方法は無いものか。




 俺はボールペンを置き思考する。


 この静寂は極上物だな。


 俺は静かな場所で思考を張り巡らせる事が大好きだ。


 計画を練り、熟考し、実行する。


 そして目標を達成した時のあの『高揚感』。


 どうして俺の元上司はその達成感をいつも邪魔していたのだろうか。



 今となってはそんな疑問も無意味なのだが。




 そして俺はノートをそっと閉じた。





◆◇◆◇





 

 次の日。


 俺は祥子さんに断りを入れて自宅を出、以前自分の住んでいたアパートに向かう事にした。


 まずは俺の転生したこの『世界』が、俺が殺されるまでにいた『世界』と同じ世界なのか。


 『転生』やら『性転換』が存在するのだ。


 もしかしたら『別の世界線』なんていう話が出てきてもおかしくは無い。


 そんな事になっていたとしたら、俺を殺害した『犯人』を見つけ出すなんてほぼ不可能だろう。


 『殺人』そのものが行われておらずに、『大泉大輔』は生きている。


 そんな『別の世界線』が用意されていたとしたら、俺はもう付いて行けない。


 しかし、それが絶対に無い、とも言い切れない所が俺の頭を悩ます部分だ。


 金髪の女は俺がこちらに『転生』してから四日。全く姿を現していない。


 まるで『伝える事はもう伝えた』とでも言わんばかりの完全スルー。


 あの少ない情報量だけで残り26日で『犯人』を探し出し『報復』を完了させなければいけない。




 俺はちょうど目の前を通り掛ったタクシーを拾い、昔の俺が住んでいた住所を告げる。


(……さて。この『世界』で俺は生きているのか、死んでいるのか……)


 俺は後部座席のシートに深く身を沈めながらも再び思考を開始した。






◆◇◆◇






 アパートに到着した途端、全ての事態を飲み込めた俺。


 警察の車両がアパートの前に停車している。


 戸惑うタクシーの運転手に少し先のコンビニで降ろしてくれと頼む俺。


 そして料金を支払いコンビニに一旦寄り、中から道路向かいの俺が元住んでいたアパートの部屋を覗き見る。


(……俺の部屋に警察官が入っているな……。あのドアの横に立っているのは管理人か……?)


 警察が管理人に頼み、俺の部屋に入ったと考えて間違いは無いだろう。


 通り魔殺人に遭った被害者の自宅に訪れ、犯人の目星となる物でも探そうという魂胆か。


 どうする? 警察に事情を話すか?


 ……いや、駄目だろ。そんな事をしても無意味だ。


 何よりも俺の部屋を捜索した所で、犯人の目星になるような物は見付からない筈だ。


 誰かに脅迫を受けていたとか、部屋に女を連れ込んでいて浮気相手に恨まれ殺されたとか。


 俺には全く無縁な話だ。


 こんな仕事と酒にしか興味が無いような独り身の彼女も居ない男に、誰が恨みを持つのだろうか。


(……やはりただの『通り魔』の犯行なのか……?)


 俺はふと雑誌コーナーの隅にある新聞記事に目が行った。


 そして端の方のきちんと見なければ見落としそうな場所にその『記事』が載っていた。



『昨夜未明、都内の〇〇に勤める会社員、大泉大輔さん(36)が何者かに鈍器で頭を殴打され死亡しているのが、近くを通り掛った男性に発見され―――』



 俺はその新聞をレジに持って行き、購入する。





◆◇◆◇





 コンビニから少し行った先にある喫茶店。


 俺が良く休日に利用していた珈琲の上手い店だ。


 俺は新聞を片手にその店へと入店する。


「いらっしゃいませ~」


 いつもの笑顔の可愛い店員に迎えられ、一番奥の席に座り珈琲を注文する。


 そして先程購入した新聞記事をもう一度見返した。



(……やはり俺はあの裏路地でそのまま死んだのか……。発見者は地元の男性としか書いていない……。『人通りの少ない裏路地で、頭蓋骨に数十箇所の傷』か……)


 すぐさま珈琲が運ばれ、店員に礼を言う俺。


 記事には『ほぼ即死』とあるのにも関わらず、『数十箇所の傷』という事は、死んでいるにも関わらず、何度も何度もあの鈍器で俺の頭部を叩き続けたのだろう。


 それだけでもこの俺に対し相当な『恨み』があった事だけは頷ける。


 だが俺には思い当たる節が全く無い。


 ……いや、待てよ……。


 俺が恨まれる覚えが無くても、相手がそう考えるとは限らない。


 そもそも『恨み』なんてものは思いも寄らない所から発生する厄介な『呪い』みたいなものだ。


 俺は即座に3人の名前を記憶に上げる。



 大森恭一郎おおもりきょういちろう

 佐川美紀さがわみき

 飯島透いいじまとおる



 俺の仕事の同僚達。


 俺を含めて4人のメンバーであるプロジェクトを推進していた矢先、俺は殺された。


 このプロジェクトのリーダーだった俺と俺達の上司とは決してうまが合っていたとは言えなかった。


 だからこそ『あの日』、俺は上司との言い合いのストレスを解消する為にあの居酒屋で自棄酒を浴びていたのだ。



(……あいつ等の中に『犯人』が……?)


 俺が居なくなればあいつらの中の誰かがプロジェクトリーダーになり、あと僅かで完成する原案を元に『昇進』という地位と名誉を受け取る事になるからか……?


 しかし、そんな事で殺人などを犯すだろうか?


 それよりも部長と口論した帰りの深夜の居酒屋後の出来事だ。


 疑うのならば部長の方が疑い深いのでは無いか?


 俺は頭の中に部長の『神田信吾かんだしんご』という名前を呼び出す。


(……確かにあの日のプロジェクト方針に対する会議はかなり熱が上がったのも事実……。)


 最終的には俺が部長の否定案を論破し会議は終了したのだが、その事で恨みを買い『犯行』に繋がったとも取れるかも知れない……。


 これで容疑者は4名。


(……後はこの第一発見者の男性も容疑者の一人か……?)


 『犯人』が『第一発見者だった』という事も無きにしもあらず。


 俺はこの記事に載っている『Aさん』という男性を探し出す事にする。



 ここで一旦頭を冷やす為に珈琲を飲む俺。


 そう、いつも通りだ。


 俺はいつもこの席で計画を立て、熟考し。


 そしてある程度の計画をイメージ出来たら冷めた珈琲を啜る。


 これが一番頭が冴える俺なりの思考法の一つ。




 そして俺は半分ほど飲んだ珈琲をテーブルに置き。



 他の容疑者がいないか思考を再開し始める。





◆◇◆◇






 その他に俺を殺す『可能性』のある人物。


 俺は思考する。


 あの居酒屋に居た人物ならどうか?


 客を装い俺が泥酔するのを見届け、店を出て裏路地の人通りの少ない場所まで尾行し殺害する。


 殺害理由は分らないが、俺の顔見知りでなければその方法が最も確実に俺を殺害出来そうな気もする。


 俺は酒を飲む前の居酒屋の様子を思い出す。


(……確か……あの時は既に深夜の閉店間際だったから……店内には俺以外には……)


 ……確か、2人しか客は居なかったはず。


 俺は記憶を遡る。


(……若い男が一人と……もう一人は女だったか……?)


 そうだ。

 確かに男が一人と女が一人、そして俺の計三人が最後の客だったように思う。


 こいつ等も容疑者に入れるとしたら計……7名か。


 満足した俺は立ち上がり、会計を済ませ店を出る。






◆◇◆◇






 帰りのタクシーを捜している最中、後ろから声を掛けられる。


「あれ~? こんな所で珍しい! 学校サボって何やってるのよ~、茜っ!!」


 軽い突き飛ばしに合う俺。


「……って! な……なんですか……?」


 不意打ちに驚く俺は後ろを振り向き心臓が飛び出そうになった。


「あ……あすみっ!?」


 俺の目の前には俺の良く知る女が立っていた。


 ……いや、良く知っていたわけでは無い。


 『たった一度』関係を持っただけ。


「?? ……なんで茜、急に私の事を『あすみ』なんて呼ぶの?……いつもは『七貝さん』って呼ぶのに……」


 俺は突然の事に頭が混乱する。


 今の俺は『蓮城寺茜』であって『大泉大輔』では無い。


 では何故あすみは今の『俺』に声を掛けて来る……?


 ……理由は一つしかない。


「あの……あす……七貝なながいさん……?申し訳無いのですが……私と貴女のご関係は……?」


「へ?」


 あすみが素っ頓狂な声を上げる。


 こいつはいつもかんな感じだった。


 純粋無垢な女子大生。


 しかし一回きりの情事の際は、最も淫らで厭らしい女だった。


 だから俺は一気に冷めてあすみを振った。


 たった一週間の『恋人同士』。


 あすみも笑いながらそう言い、その後は二度と会う事も無かったが……。


「……あ。そう言えば茜……。『記憶喪失』とか何とか言ってたっけ……」


 あすみが俺に顔を近付ける。


 クリクリとした目が俺の顔に焦点を当てる。


つい俺の心を見透かされているような気がして目を逸らしてしまう。


「……えー、こほん。それでは改めて自己紹介~」


 あすみは大げさな仕草で喋り出す。


「私は〇〇女子大学の二年生を勤めさせて頂いております、『七貝あすみ』と申しますです! ……えーと、茜とは小学校からの腐れ縁、て奴? ……てか茜……? 貴女本当に記憶が……?」


 自己紹介を終えたあすみが俺の顔を心配そうに覗き込む。


 ……あすみが『蓮城寺茜』の幼馴染……?


 確かあすみからもお嬢様学校に通っているという話は聞いたことはあったが……。


 まさかこんな偶然が起こり得るなんて……。


(……でも何故、『こんな場所』にあすみが居るんだ……?)


 あすみと別れたのはもう半年も前の事だ。


 それ以降は連絡も取っていなければ会った事も無い。


 何よりもお互いの『合意』の上での別れだったのだ。


 最後はあすみも笑っていたでは無いか。


 なのに何故……こいつは『俺のアパートの近く』にうろついているのだ?



(……まさかこいつも俺を恨んでいたのか……? そしていつの日か『復讐』を果す為に……?)


 疑えばきりが無いのも事実。


 だがこんな場所で、しかもこのタイミングで、偶然と考えられる程俺の頭は上品には出来ていない。



 俺は『七貝あすみ』を『8人目の容疑者』として頭にインプットした。






◆◇◆◇





 あすみと軽くお喋りをした俺は彼女と別れ、帰宅していた。


 家ではメイド達が忙しそうに仕事に邁進している。


 これだけ広い豪邸だ。掃除をするだけでも大変な事なのだろう。


 俺は挨拶を交してくるメイド達を笑顔でねぎらい、自室の奥にある書庫へと向かう。



「……はあ……。やはり疲れる……。お嬢様というものに慣れるのも時間が掛かるなこれは……」


 凝りに凝った肩を解しながらもいつものお気に入りの木のテーブルに付き、落ち着きを取り戻す俺。


 この『蓮城寺茜』という娘もこうやって書庫のテーブルで気持ちを落ち着けていたのだろうか。


 もしもそうならば『転生』とは、自分と性格や趣味が合うものの場所へと『転生』するものなのかも知れないな。


 ならば俺が女として転生してしまったのも、たまたま俺の趣味と合う転生先の人間が『蓮城寺茜』しか居なかったのかも知れない。


 そう根拠の無い考えをしながらも俺はノートとボールペンを手に、現状を書き出す。




【容疑者/容疑理由】


大森恭一郎おおもりきょういちろう/一大プロジェクトの主導権の奪取?

佐川美紀さがわみき/一大プロジェクトの主導権の奪取?

飯島透いいじまとおる/一大プロジェクトの主導権の奪取?

神田信吾かんだしんご/会議の議論での論破による逆恨み?

⑤第一発見者『A』/第一発見者=犯人の可能性?

⑥居酒屋にいた客(男)/酒に酔い潰れる隙を伺い殺害?

⑦居酒屋にいた客(女)/酒に酔い潰れる隙を伺い殺害?

七貝あすみなながいあすみ/俺に捨てられた恨み?





 俺はボールペンを置く。



「……取り合えずは『第一発見者』の身元と、居酒屋に居た客の身元、か……」



 俺の声がまた、書籍の隙間を通り書庫に響き渡る。


 今夜はもう寝て、また明日に備えよう。





 残りはあと25日―――。





◆◇◆◇





 

 次の日。


 俺は聞き込みを開始し、以外にも容易く『第一発見者A』の身元を割り出した。


 こんなにも早く割り出せたのには当然理由わけがあった。


 俺は等間隔にブロック塀に張られている選挙ポスターを眺める。


 『〇〇党から出馬:尾崎信二おざきしんじ:日本の未来を共に変えて行く!』


 ポスターにはまだ幼さの残る若手の議員立候補生のぎこちない笑顔が載っている。


(……ククク……まさか第一発見者が〇〇党から出馬する新人議員候補だとはな……)




 聞き込みを開始して1時間後、犯行のあった現場から少し離れた集合住宅の脇の道路での主婦達の例の集い。


 その脇をすり抜ける際に、別に聞き耳を立てていなくとも勝手に耳に入ってくる彼女らの噂話。


 どのように第一発見者の身元を割り出そうか考えていた最中での意外な朗報。


 俺は彼女らに詳細を聞いた。


 自分達の話を聞こうとする若い女性に躍起になる主婦の集団。


 普段から話を聞いてもらうことに貪欲な彼女らは、別に求めていない情報も含め30分も俺を拘束。


 流石に頭痛がして来た俺は『人と会う約束があるので』と、何とか束縛から解放され、今に至る。




(……これで残るは、あの日居酒屋に居た2人の客のみ……)


 俺はその足で件の居酒屋へと向かう。





◆◇◆◇





 居酒屋に着いた俺は『準備中』と書かれた札を確認し、裏口へと回る。


 まだお昼を過ぎた辺りだ。店が開くのは夕方の帰宅ラッシュになってからなのだろう。


 狭い通路を横切り裏口へ回ると小気味良い包丁の音が聞こえて来る。


(……仕込み中か。今なら話を聞けるか……?)


 俺は裏口のインターホンを押す。


 すぐに包丁の音が止み、裏口のドアを開け出てくる店主。


「あ……すみません、お仕事中に……」


 一応女性らしい態度を取っておく俺。


「……あー、うちは勧誘とかはお断りしているんだけどー……」


 お決まりの勘違いをする店主。


 俺は適当な理由を付け加え、あの日居酒屋に居た客の情報を店主に尋ねた。


「ああ、あのすぐ近くで通り魔殺人があった日の事かい?警察にも聞かれたけど、まさかうちで食事した帰りに殺されちまうなんてよぅ……」


 店主は警察の尋問にあった際の愚痴を零し始める。


 俺は女性らしく相槌を打ちながら二人の身元の話になるまで辛抱強く待った。


「まあ、あんまりうちの客の個人情報を喋っちまう訳にはいかねぇんだが……でもお嬢ちゃんべっぴんさんだから……」


 鼻の下を伸ばした店主は舐めるように俺の全身を眺める。


 ……そうか。今の俺は『若い女』なのだ……。


 この『現状』を利用すれば色々と『有利』に事が進む事もあるかも知れんな……。




 店主は一人の女性の名前を提示する。


 『三島智子みしまともこ』。近所に住む、この店の常連らしい。


 俺はその名前を頭にインプットする。


 そしてもう一人の男は店主の記憶に無い所を見ると一見客の可能性が高い。


「……確かにあの殺された仏さんと同じ時間に店に居たのはその二人だったと思うが……。男の方はちょっと分んねぇな……。すまねぇなあ、嬢ちゃん」


 すまなそうに謝る店主にお礼を言い、帰ろうとした矢先、家の奥から女性が現れた。


「あんた! これあの事件があった日の客の忘れ物じゃ………あ、お客さんかい?」


 店主の奥さんと思しき人物が何やらカードのような物を手に持っている。


「ああ? ……今お客さんと喋ってる所……んん?ああ、このお客さんじゃないかい?」


 店主は奥さんが持つカードを受け取り、そこに載っている写真を見た。


 ……これは……免許証……?


「この人だよ、お嬢さん。あの事件があった日にうちの店に居たもう一人の男ってえのは……。あー……きっとお会計の時に財布から落ちたんだなぁ……」


 俺は店主から免許証を受け取る。


 そこには少し長めの髪の爽やかな顔の男性が映っていた。


 名前は『九条直人くじょうなおと』。


 俺はお礼を言い店主に免許証を返した。


 書かれている住所は頭にインプットした。


 これで8名全員の名前と住所が揃えられる。


 残りの奴らは調べれば簡単に分るからな。



 俺は店主に再度お礼を言い、その場を後にする。





◆◇◆◇






「お帰りなさいませ、茜様」


 祥子さんに迎えられ俺は珈琲を頼みいつもの書庫へ。


「……最近は良く書庫に居られる様ですが……何か調べ物ですか?」


 部屋に向かう途中で祥子さんが声を掛けて来る。


「え? ……ええ。もう明日から夏休みでしょう?早めに課題をやっておこうと思ってね……」


「左様でしたか」


 綺麗なお辞儀をした祥子さんは、そのまま台所へと向かう。


 俺はその後姿を見送り、自室へと向かう。


(……あまり書庫にばかり入り浸るのも疑いを掛けてしまうか……)


 あの墨田祥子とかいうメイドは色々と鋭そうな雰囲気を持っている。


 流石に俺の正体がばれるという事は無いだろうが、用心に越したことはない。




 書庫の扉を開ける。


 もう夏だというのにこの部屋はひんやりとしていて本の独特な香りで包まれている。


 特に冷房を付けている訳では無いのにこれだけ涼しいのは、この書庫が日の当たらない半地下室のような形になっているからだろう。


 俺はいつもの木のテーブルに座りノートとボールペンを取り出す。




201〇/07/12



【容疑者/容疑理由/その他】※改訂※


大森恭一郎おおもりきょういちろう/一大プロジェクトの主導権の奪取?/会社の元同僚

佐川美紀さがわみき/一大プロジェクトの主導権の奪取?/会社の元同僚

飯島透いいじまとおる/一大プロジェクトの主導権の奪取?/会社の元同僚

神田信吾かんだしんご/会議の議論での論破による逆恨み?/会社の元上司

尾崎信二おざきしんじ/第一発見者=犯人の可能性?/〇〇党の新人議員候補

九条直人くじょうなおと/酒に酔い潰れる隙を伺い殺害?/落し物の免許証で判明

三島智子みしまともこ/酒に酔い潰れる隙を伺い殺害?/居酒屋の常連

七貝あすみなながいあすみ/俺に捨てられた恨み?/元彼女





 俺はボールペンを置き、ノートを閉じる。


 そして思考する。


 容疑者の『リスト』は作った。住所も明日中には全て判明するだろう。


 この中に俺を殺した『犯人』が居たとして、どうやってその証拠を見つけ出し『報復』する?


 書庫のドアにノックの音が鳴る。


「どうぞ」


 ドアが開き祥子さんが珈琲とお茶菓子をお盆に乗せ室内への階段を下りてくる。




 取り合えず、今は珈琲を飲んで頭を休ませよう。




 俺はここ数日で覚えた大学生のあどけない笑顔で祥子さんにお礼を言った。





◆◇◆◇





 

 翌日。


 俺は朝からリストを片手に、まだ判明していない者の住所を探し、夕方には遂に8名全員の住所を割り出した。


 残りは24日。


 この中に確実に『犯人』が居たとしても、一人一人証拠を集めながら『報復』まで繋げたとしても確立は1/8だ。


 もしもこの中に『犯人』が居らずにただの通り魔殺人だったとしたら、そちらの方が『犯人』を探し出すのに時間が掛かるかも知れない。


 何よりも先に警察に『犯人』が捕らえられてしまったら『報復』そのものが出来なくなってしまうのではないか?


 俺の中では『報復』の定義とはイコール『殺す事』だと確信している。


 はっきりとあの金髪の女がそう言った訳では無い。


 しかしあの『最初の情報』以外は全く新しい情報提示も無ければ姿も現さない。


 それに元々俺はそんなに我慢の効く体質では無い。


 何か一度に容疑者達を集め、尋問出来る方法は無いものか……。


 俺はそんな事を考えながら帰宅する。





◆◇◆◇





「お帰りなさいませ」


 祥子さんに迎えられいつも通り自室へと直行する俺。


「本日は貞治様がお帰りになられておりますが……」


 伏し目がちに祥子さんが言う。


「お父様が……?」


 珍しい。


 俺がこの世界に『転生』してから初めてではないだろうか。


 大概会社近くのホテルに泊まり自宅には滅多に帰って来ないと聞いていたが……。


「……ご挨拶してくるわ。祥子さんは珈琲を準備してくれるかしら?」


「畏まりました」


 俺はリビングに向け歩を進める。




・・・




「ああ、お帰り、茜。どうだ?調子の方は?」


 既に夕食を済ませたのだろう。


 父は豪華なソファに深く腰掛け、ワインを片手にくつろいでいた。


 俺は向かいのソファに腰掛け、父に返答する。


「……まだ思い出せない事も沢山あるのだけれど……調子は悪くは無いわ」


「……そうか。まあ、焦らずにゆっくりと思い出して行けば良い」


 父はワインを揺らしながらそう言った。


 ……そうだ。


 ここは父に相談してみるのも手かも知れない。


「……お父様。少し相談したい事が……」


「……相談? なんだい? 記憶についてかい?」


 祥子さんが珈琲とお茶菓子を持ってテーブルに置いた。


 父はジェスチャーでワインのお代わりを祥子さんに頼む。


 ……酒に酔っている今ならば、愛娘の大概の我侭は聞いてくれるだろう。


 俺は立ち上がり父の座るソファへと歩み寄る。



 そして愛娘らしい愛らしい笑顔で父の横に座り『ある事』をおねだりした。






◆◇◆◇





 書庫。


 すでにここは俺の憩いの場と化している。


 父への説得は上手く行った。


 そして『理由』は適当に思い付きで話した。


 ワインをかなり開けているのだ。そんな些細な『理由』など明日には忘れているだろう。


 既に話を聞いていた祥子さんに指示を出していたから、明日には事態は動き始めるだろう。


 使えるものは何でも使う。


 俺の父が財閥の会長であるならば尚更だ。使わないほうがおかしい。



 俺は祥子さんの淹れてくれた珈琲を飲みながら、いつものノートとボールペンを取り出し書き込む。




201〇/07/13



●容疑者8名全員を『偶然を装い』、とある湖畔にある長年『蓮城寺家』が受け継いできた洋館に招待する。

●父は『やり方』は墨田祥子に任せる、と言っていた。今までもこういった影の指示(?)を出していた可能性有?

●湖畔にある『洋館』は年に一度、蓮城寺家の催しで使われる以外は全く使われていないらしい。この書庫にあった資料を見る限りではフランスの有名な建築家に依頼し、半世紀近く前に建てられたものだとか。




 俺はボールペンを置き、思考する。



(……墨田祥子がどうやってこの『8名』を洋館に集めるのか興味はあるが……)


 しかし俺の目的はそこでは無い。


 この湖畔にある洋館まで『容疑者』を一同に集めて貰えればそれで良い。


 洋館までのアクセスは蓮城寺家の用意した客船しか存在しない。


 もしも『犯人』を追い詰めたとしても湖畔の近くにあるのは林と草原のみ。


 遠くまで逃げ出す事は出来ない。


(……そう。これはちょっとした『密室』になるという訳だ……)


 俺はこの広い『密室』の中で『犯人』を割り出し『報復』を済ませるのだ。


 そうすれば晴れて『蓮城寺茜』として第二の人生を寿命まで謳歌する事が出来る。


 ……しかし『報復』、俺の場合は『殺人』か。


 それを済ませたとしてあの金髪の女は、その後『俺が捕まらないような何か画策』でも用意してあるのだろうか。


 でなければ『第二の人生を謳歌』など無理な話だ。


 『殺人犯』として牢屋にぶち込まれるだけだろう。


 しかしそれらに対する詳細な情報は何処にも無い。


 彼女は『30日のタイムリミット』と『報復』という二つのキーワードしか提示していないのだから。


(……しかし人の生き死にの狭間に立ち、『転生』の道を選択肢として与える人物だ。……ならば『報復』を完了させたその後の『第二の人生』も、何かしらの守護線を張ってあるのだろうな……)


 そうでなくては『ゲーム』は成立しない。


 もしかしたら『報復』を済ませれば、今一度『彼女』の元に飛ぶのかも知れない。


 そしてあの『白い空間』で、彼女の口より『完了コンプリート』の言葉を聞き―――。




 ―――俺は晴れて『本物の』第二の人生を謳歌出来るのかも知れない。





◆◇◆◇





 

 あれから1週間が経過した。


 タイムリミットまで残り17日。


 しかしここで焦った所でどうしようも無い。


 俺はこの1週間で様々な物を用意していた。


 人を殺すのだ。


 しかも確実に『一発目』で犯人を特定し『報復』出来るとは限らない。


 もしかしたら時間の関係上、『全員を殺さなくてはいけないのかも知れないのだから』。


 タイムリミットは決められている。


 そして確実に『この8名の容疑者の中に犯人がいる』と決まった訳では無いのだ。


 常に最悪の事態を考える。それが俺の考え方だ。


 俺は珈琲を啜りながら一本のナイフを取り出し、刃に映る輝きに目を細める。


コンコン。


 書庫のドアのノック音が聞こえ、俺はナイフを引き出しに仕舞う。


「どうぞ」


「失礼致します」


 祥子さんが入り口の階段を降り、俺の居る一番奥のテーブルまで近付いて来る。


「例の件、準備が整いました。明日の午後、『洋館』への客船にお乗り下さいませ」


「そう……。有難う、祥子さん」


 俺は張り付いた笑顔で祥子さんに例を言う。


「……『洋館』へはわたくしも同行致します。……これは貞治様の御指示ですので……」


 軽く礼をし、踵を返す祥子さん。



 流石に得体の知れない8名の人間と愛娘である俺だけを、あの人里離れた『洋館』に向かわせはしないか……。


 俺は書庫のドアが閉じるのを確認し、ノートとボールペンを取り出す。


(……それにしても、よく俺の元同僚達や元上司を『洋館』に招待する事が出来たよなぁ……)


 ノートをペラペラと開きながらも俺は思考する。


 一体どんな手を使い、あの毎日が激務で休みすら取る事の出来ない企業の主要メンバーを一同に集める事が出来たのか。


 まさか父の関連企業が俺が前世で勤めていた会社だったという事は無いだろうが……。


 しかし、間違いなく『金』は動いているのだろうな……。


 そして、立候補したての新人議員候補。


 奴も今は選挙戦の真っ只中だ。


 そんな最中に豪華クルージングで『洋館』に招待され、接待紛いの事を有名財閥の会長から受けていても大丈夫なのだろうか。


 今回の『洋館』への8名の『招待』は『蓮城寺財閥主催』と銘打ってある事は既に聞いている。


 招待への理由は祥子さんが適当に考えたのだろう。俺は関わっていないので全容は分らない。



 ペラペラと捲ったノートを白紙のページで止め、俺は書き始める。




201〇/07/20



●『洋館』へと向かうのは『容疑者8名全員』と『俺』、そして『墨田祥子』の合わせて10名。

●『蓮城寺財閥主催』と銘打ってある事から俺の『蓮城寺茜』という名前は伏せなければならない。

●あくまで『招待された一般人』として参加する為に、『蓮城寺茜』の正体を知る『七貝あゆみ』には既に協力を要請済み(偽名を使い参加の旨を伝えてある)

●既に事前に『洋館』の清掃、備品の管理は行われているが、一週間の『洋館』でのおもてなしは全て『墨田祥子』一人で行う事になっている。




 俺はボールペンを置き、冷めた珈琲を啜る。


 そしてもう一度引き出しを開け、先程まで眺めていたナイフを取り出す。


(……本当に殺せるのだろうか……俺が……人殺しなんて……)


 蛍光灯の明かりがナイフを照らす。


 磨き込まれた刃の部分には美しい女性の姿が映る。


(……なのに何故俺はこんなにも落ち着いていられる……?)


 明日から一週間の間に、俺は殺人を犯す。


 もしかしたら最終日には全員殺しているのかも知れない。


 その中には墨田祥子も含まれている。


 そして俺は残りの日数全てを掛けて、また最初から『犯人捜し』を始めるのだろう。


 なのに何故、こうまで『躊躇い』が起こらないのだろう。


 当然人など殺した事は無い。


 殺したいと思った連中なら沢山居たが、結局はそう思うだけで実行出来る程の気力も根性も恨みも無い。


 同僚や上司も想像の中ではズタズタにしてやった事は何回もあるが、次の日には大抵落ち着いて接していた。


 あまりにもムシャクシャし過ぎて収まらなければその日の晩は風俗に向かい発散していた。


(……『女』として転生したからか……?『女』という生き物は他者を殺す事に躊躇しないものなのか……?)


 俺は答えの出ない疑問符を脳内に投げかけ続ける。


 『女』として転生して約2週間が経った。


 その中でおれ自身の『考え方』も『女寄り』となって来てしまったのだろうか?


 そして『報復』が無事完了し『第二の人生』を『蓮城寺茜』として生きる俺は、徐々に『心』までもが女として支配されてゆくのだろうか?


 俺はナイフの先に指先を軽く当てる。


 綺麗な指先から一筋の赤い線が流れ落ちる。


 ドク、ドク、と脈打つ指先。


 滴る血が一滴、白いノートを赤く染め上げる。



 俺はその赤を眺めながら―――。




 ―――もう一度明日からの『殺人計画』を入念に練り直す。


















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