05. ご主人様の正体
異世界へ来てから一週間が経った。
一週間経ったが、残念ながら魔力の使い方はまだ分からない。こればかりは人それぞれだから色々と試すしかなかろうと、クロードさんは『まりょくのつかいかた 100のほうほう』という本を私に与えてくれた。使い古した形跡の無いこの本は、私の為に買ってくれたようだ。有難い。有難いのだが……。本の隅に表記された対象年齢は2歳~7歳。内容は全てひらがな。非常に空しい。魔力の練習は幼い内からされるそうだから、大人向けの本は逆に無いのかもしれない。そう頭では理解してもやはり空しい。
空しさはさておき、文字が難なく読める現状は助かっている。こちらの世界での文字……ひらがな、カタカナ、漢字、私が普段使っていたものと同じであった。魔力の使い方の前に、文字の習得から始めることになっていたら大変だったと思う。
お蔭で生活も全くと言って良い程、苦が無い。一週間も過ごせば、家の中に何が何処にあるかも把握出来たし、生活面では全く問題が無い。あるとすれば、クロードさんと私の部屋を間違えそうになること。
クロードさんの部屋は、我が家では私の部屋。その習慣から、うっかり間違えそうになる。現にこちらに来た初日、クロードさんの部屋で寝てしまった。翌朝焦るわ気まずいわどう誤魔化そうかと思ったけれど。クロードさんは「親が恋しかったのだろう」と頭を撫でてくれて。……そういうことにしておいてもらった。実年齢が知られたら猛烈に恥ずかしいけれども。
それよりも、寝床を一緒にして女だとバレなくて良かった。バレていたら、今こうしてここで生活出来ていない。女だと気付いてもらえなかったことを少なからず悔しく思うけれど、やはりここはバレなくて良かった安心感の方が勝る。
こちらに来たときに身に付けていた下着……女性特有の下着は、クロードさんが出勤している際にこっそり洗って部屋干しして、今は鞄の一番底に見つからないように片付けてある。現在身につけている下着は男性物。多少抵抗はあったけれども今は慣れた。女性物に近いデザインの下着を選ばせてもらったことも大きい。
胸はさらしを巻くとか特別なことはせず、少し厚着をしているだけ。……それで誤魔化せてしまう自分の体型が悲しい。とはいえ、夏の薄着になる季節だったら誤魔化しきれなかっただろう。……多分ね。今が夏でなくて良かったと思う。遅くても薄着になる夏までには元の世界に帰りたい。
ともかく、魔力の習得とは反比例して、こちらでの生活は順調だ。
順調どころか……。
「マコトくん、おやつにしましょう」
「はーい」
随分と楽な生活をさせてもらっている。居候なのに良いんだろうか、これで?
机におやつのクッキーと紅茶を並べてくれているのは、この家にお手伝いで来ているサラさん。私が来るまでは週に一回、この家に来て掃除、洗濯等の家事をしていたそうだ。しかし私が居る今、週に三回、月曜、水曜、金曜に来てくれることになったらしい。
今日は金曜日、サラさんに会うのは三回目。毎回完璧に家事をこなして帰っていくので、私がやることはあまり残っていない。サラさんが来ない日の掃除、洗濯、食事の用意は、流石にやっているけれど。サラさんが掃除した翌日は、掃除する程の汚れは無く。洗濯も二人分しか無い洗濯量に、水がもったいないかな? と、火曜日に一度洗濯機を借りたけれども、木曜日は使わなかった。よって私が畳む洗濯物も無い。食事はサラさんが作り置きをしておいてくれるので、私が料理する機会は殆ど無い。サラさんが料理している時に一緒に手伝わせてもらう程度だ。
家事って意外に時間を取られるから、サラさんが来てくれて、魔力の使い方の練習に専念出来るのは嬉しい。でも家政婦を雇えるなんて、クロードさんていったい何者? 別に家政婦が居る家が物凄く珍しい訳ではないけれど。我が家は勿論のこと、私の周り、友人の家で家政婦を雇っている所は無かった。家政婦を雇う家って、それなりに裕福な家ってイメージなんだよね。クロードさん、実はかなり稼いでいるとか、或いは実家が裕福なお坊ちゃんだとか? そういえば私を拾おうとしたぐらいだ。それなりに金銭面で余裕があるのかもしれない。
……って、そういえば私、クロードさんのことを殆ど知らない。聞く機会はあったはずなのに、生活面のことばかり質問していて、すっかりクロードさんについては何も聞いていなかった。一週間お世話になっていて今更だけれど。
「ねぇサラさん、クロードさんってヒューマンではないんですよね?」
「ええ、勿論」
ですよね。背は高いけれども、人とは変わらない容姿をしていたので念の為の確認。やはりヒューマンではない。
「じゃあ、獣人?」
サラさんは猫の獣人だそうで、ほぼヒューマンと容姿は変わらないが、耳だけは猫耳だ。非常に可愛い。サラさんが獣人なので、もしかしたらクロードさんもそうなのかな? と思い聞いてみた質問だったのだが。サラさんは「もしかして聞いていなかったの?」と瞠目している。
「私から教えて差し上げても宜しいのだけれど。でも、もしかしたら一週間もお話にならなかったのは、お考えがあってのことかもしれないですし……」
という訳で、直接聞いてみることにした。
私からクロードさんに質問するのは、大抵食事の時。クロードさんが「何か聞きたいことはないか?」と尋ねてくれるので質問がしやすいのだ。と言っても、この問いかけは一昨日からは無くなったのだけれど。
問いかけてもらえないのであれば、どのタイミングで聞けば良いのだろう。あまり食事を邪魔したくもないし。それに何て質問しよう。
夕食の肉じゃがを口に運びながら、向かいに座るクロードさんをちらりと窺う。その私の視線に気付いたクロードさんが「何だ?」ときっかけを作ってくれた。
「えっと、クロードさんって何者ですか?」
クロードさんもだが、質問した私ですら一瞬固まる。確かに何者? とは思っていたが、ストレート過ぎて失礼な質問だ。
「サラリーマンだ。IT関係の仕事に就いている」
私の質問の仕方を気にしないとばかりに答えてはくれたが、聞きたいのは職業ではない。いや一応知ってはおきたかった事項だけれど。
「あの、そうじゃなくって。クロードさんて、ヒューマンでも獣人でもないんですよね?」
その質問で私の意図を分かってくれたのか、クロードさんが一つ頷く。
「俺は……魔族だな」
「……魔族ですか」
「ああ」
「随分と大雑把ですね」
ここは元々魔族の世界。住んでいる殆どが魔族だ。サラさんだって魔族。人間が少数居るけれど、本来の人間……魔族との混血ではない人間はごく僅かだ。ゼロとは言わないが、居ないと言っても良い程の人数らしい。
魔族との混血の人間で、人間の遺伝子を強く引継いだ子は人として扱われるが、こちらではヒューマンと呼ばれている。
最初こちらで言うヒューマンは、私の思う人間とイコールだと思っていた。しかしヒューマンは、人間の純血ではなく、魔族の血が混じっている人。人間は、魔族の血が混じらない純血の者を指すということをサラさんに教えてもらった。
サラさんと顔合わせの時、私はヒューマンとして紹介された。その時はヒューマンイコール人間だと思っていたから不思議に思わなかったけれども、サラさんから教えてもらった後では違う。私、正確には人間だよね? と、そのことをクロードさんに話したら、人間は魔力を持っていない生き物だから、魔力を保持している私は、どこかで魔族の血が入っているヒューマンなのではないかという意見。例え人間だったとしても、この世界で人間は珍し過ぎるので、ヒューマンとして生活した方が都合が良いだろうということで、人間とは訂正せずにヒューマンとして過ごしている。
と、少々思考が脱線してしまったが、その間、クロードさんは口元に手をあてて悩んでいた。
「クロードさん?」
「確かにマコトが言う通り大雑把だな。しかし今まで考えたことが無かった」
まぁ普通、考えるようなことではないよね。私の場合、自分が人間だってことは、考えずとも知っていることだし。
「誰も俺にそういう問いをする者はいなかったしな」
確かに。貴方は人間ですか? 何て質問、したこともされたことも無い。私が居た元の世界では。
「マコト、君はどういったヒューマンなのかい?」
「えっ?」
質問していたのに、質問で返された!? 突然の話の転換に驚く。
「私は……」
年齢は19歳。……だが今のところ秘密だ。こちらに来た初日の夜の失態を思い出せば、永遠に明かしたくない。
性別は女性。これも秘密だ。年齢以上に明かせない秘密だ。
って、自己紹介のメインどころで躓くと、先に進みにくいものだな。クロードさんの問いは、私の年齢や性別、血液型や誕生日とかそういうものを聞いているのではないと分かってはいるのだが。
「マコトが俺にした質問はそういったことなんだ。己を知るというのは意外に難しい」
うーん……。上手くはぐらかされたような。クロードさんは食事を再開してしまったので、この質問はここで終わりということなのだろう。私も皿に残っている肉じゃがを口に運び、食事を再開した。
私はどういった人間なのか……。次に同じ質問をされた時には答えられるようにしておこう。そうでないと、クロードさんのことを尋ねた時に、またはぐらかされてしまいそうだ。
あぁ……。お父さん、お母さん、サトシ、マコトはどういった人間なんでしょうね? 今の内にきちんと自己分析しておくのも良いことですよね。就職活動で使えると思いますし。でもクロードさんみたいに大雑把な方でも、就職出来るようですよ。もしかしたらこちらの世界での就職活動は緩いのかもしれませんね。それは惹かれますが、就職活動する年齢までここに滞在するつもりはありませんから。また明日も、マコトは魔力使用の練習頑張ります。