04. 慣れとは恐ろしいもので
とりあえず熱めのシャワーを頭から浴びる。何となくではあるけれど、血行が良くなり頭の回転も速くなった気がする。うん、あくまでそんな気がするだけなのだが。
しかしこの短時間で考えねばならないことがある。風呂から出たら、私は男性の振りをしなくてはならない。これからずっと。ここで生活している間は。決して女性だと勘付かれてはならないのだ。
今後男性の振りをするにあたり、注意しなくてはいけない点を考える。
「ぼ、僕…………うわぁーっ、駄目だっ!」
まず一人称を私から僕に変えてみようかと思った。手っ取り早く男性を演出する方法だ。と思ったのだが、シャワーを浴びている腕は鳥肌が立っている。ボクっ娘キャラじゃないのに、自分のことを僕と言うのは痛すぎる。居た堪れない。
「無理だ、無理。『私』のままでいこう」
男性だって自分のことを私と言うし問題無いだろう。少々堅苦しく子供らしくも無い気もするが。そこは居候という身で謙虚に振舞っていると誤魔化す方向で。
振る舞いは……女性らしいと言われたことは無い。寧ろサトシには「もう少し女っぽくしろ」何て言われていたし。特に気をつける点は無いのかもしれない。言っていて空しくなるが。
「後は……声か」
男性を意識して、多少低めに話した方が良いのだろうか? しかし数日ならまだしも、ここでの生活が長くなる場合ボロが出そうだ。だったらこのままの方が自然だろう。都合の良いことに子供と間違われているようだし、まだ声変わりしていないってことにしておけば何とかなりそうだ。
結論、何も変更点無し。……まっ、いいか。
風呂を終えルームウェアに袖を通す。子供用らしいがサイズはピッタリ。
ダイニングに向かう前に、今まで着ていた洋服を置きに二階の部屋に戻ると、既に布団が敷かれていた。クロードさんが敷いておいてくれたようだ。それは有難い。しかし布団の大きさに驚愕した。
「何これ。もしやこれが通常サイズ? 軽く二人は寝られそうだし。足元すごく余るんだけれど」
掛け布団をめくり、大の字に寝転がる。両手を広げても布団からはみ出ることは無い。大は小を兼ねると言うが、これは良い。大きな布団を独り占め。贅沢な気分だ。 それに普段はベッドを使っていたので、布団で寝るのは新鮮だ。どこか旅館にでも来た気分が味わえる。
まぁ、旅館……ただの旅行先であったら良かったのだけれど。ここは異世界。
いつ帰れるのかは分からない。ただ救いなのは帰れる可能性がちゃんとあるということだ。そして帰れるまでの間、お世話になれる場所も見つけた。
「早く魔力の使い方、身につけないと」
魔力があることは分かった。分からないのはその使い方。それさえ分かれば私は元の世界に帰れる。お父さん、お母さん、サトシの所に帰れる。
だから、早く、早く……。
ふと目を開けると、部屋の明かりが消えていた。足元に避けておいた掛け布団が何故か肩まで掛けられている。
どうやら横になった後、寝てしまったようだ。いつまでもダイニングに現れない私を、クロードさんは気に掛け、ここまで来たに違いない。寝ている私を見て、電気を消して布団を掛けてくれたのだろう。
起こしてくれても良かったのに……。でもお蔭で体はすっきりした。自分が思っていた以上に、異世界渡りの負担が体にきていたのかもしれない。現にすっきりはしたけれども、まだ体は睡眠を欲している。夕飯を食べていないけれども、今は食欲よりも睡眠欲の方が勝っていた。
鞄の中に仕舞っておいた腕時計を手探りで取り出す。時計の脇のボタンを押すとバックライトが光り、現在の時刻が表示された。
「十一時過ぎているのか……。流石にクロードさん、寝ちゃっているかな」
そっと部屋の扉を開けると暗い廊下。階下を覗いて様子を窺うが、物音もしなければ明かりも漏れてはいない。やはりクロードさんは寝ているようだ。
勝手知ったる我が家……ではないけれど、我が家と同じ間取りの家。廊下の明かりは点けずに、暗い中一階に下りる。
お腹は空いていないが、喉は渇いている。何か飲ませてもらおうとキッチンへ向かった。
勝手に人様の冷蔵庫を開けて、しかも飲み物頂戴するのは気が引けたが、でも冷たい物が飲みたい。たぶん冷蔵庫に入っている飲み物を飲んだぐらいだったら、クロードさんは怒らない気がする。そう思い冷蔵庫を開いたが、私が飲めそうな物は入っていなかった。入っていたのは、私が食べずに残った、ラップの掛かった惣菜。それにビール。
ビール飲んだら……やっぱり怒られるよね。そもそも私未成年だし。こっちの世界の成人の年齢は知らないが、明らかに子供扱いされているのだから、アルコールは不味いだろう。
「仕方ない。水で我慢するか」
食器棚から出したグラスに水道水を注ぎ、それを煽る。それでもまだ乾きは癒えず、再度水を注いだ。今度はゆっくりと口を付ける。
冷蔵庫には残った惣菜が入っていたが、それが無ければビールだけ。男性の一人暮らしらしい冷蔵庫の中身……なのかもしれないが、普段どんな食生活をしているんだろう。
ぱっと見た感じ、最低限の調理器具は揃っているようだ。しかし普段それらは使われていないのかもしれない。
今まで料理は母親任せで、手伝う程度にしかやってきていなかった。正直得意分野ではない。でも全く出来ないという訳でもない。居候させてもらう身だし、ここは料理当番を買って出よう。せっかく揃っている調理器具、使わなければ勿体無い。それに毎日外食、店屋物、惣菜購入なんて贅沢はしていられない。所持金は余り残っていない身で、クロードさんに養ってもらうのだから、節約できるところは節約しないとだよね。
二杯目の水が空になったグラスを洗って、洗いカゴに伏せる。布巾が見当たらなかったので、そのままにさせてもらう。明日、布巾の場所も聞かないと。
布巾だけではない。この家で生活していく上で必要になることを聞かねばならない。
夕飯の時に聞ければ良かったのだけれど……。明日の朝、聞くのは難しいだろう。朝は忙しいのが相場だ。寝てしまったのが悔やまれる。でも体が休息を欲していたのは事実。今だって喉の渇きが落ち着いたら、眠気が襲ってきた。
早く部屋に戻ろう。
誰が見ている訳でもないので、出た欠伸で開いた口を特に隠すこともせず。下りてきた時と同様、暗い階段を上る。
上りきった所にある扉に手を掛け部屋に入った。部屋の中は暗いけれども、暗くてもどこに何があるか分かっているから大丈夫。大丈夫……なはずなのに、途中何かにぶつかりながらベッドにダイブする。
……ん? ベッド?
あれ? と思ったけれども、睡魔には勝てずそのまま寝てしまった。そう、何かおかしいと思ったのに寝てしまったのだ。そして寝てしまったことを翌朝後悔した。
翌朝、私はクロードさんが敷いてくれた布団の上ではなく、ベッドの上に居た。「おはよう」と挨拶しているクロードさんの真横に。
そうだった。ここは私の部屋ではなく、クロードさんの部屋だったんだ。
あぁ……。お父さん、お母さん、サトシ、マコトは男の人と同じ布団で一夜を過ごしてしまいました。でも安心して下さい。不埒な行いは何もしていませんから。クロードさんが私の頭を撫でる手が、子供をあやすかのごとく優しいです。……こちらが空しくなるぐらいに。