03. 時には嘘も必要です
「おいどうした? 遠慮せず入れ」
現在クロードさん宅前。立ち止まったまま動かない私をクロードさんが玄関に入るよう促すが、驚き過ぎて足が動かない。
ファーストフード店で、クロードさんの所に居候させてもらうことが決まった後、駅ビルで夕食の惣菜など簡単に買い物を済ませクロードさん宅へ。
駅ホームだけでなく、駅ビル内も街の様子も、私が利用していた光が峰とそっくりだなと周りを観察しつつ歩いていたら……。恐ろしい程クロードさん宅までの道程が、私が良く知っている道程と同じで。『まさか……まさか……』と思ったらそのまさかだった。
住み慣れた我が家! ……と全く同じ外観の家。そこがクロードさんの家だった。
「マコト?」
間抜けにもぼーっと口を開けていた自覚は少なからずある。そしてそれを不審そうに見ているクロードさんの視線も何となく気付いてはいる。でもね、驚いたんだから仕方ないじゃない。
だからといって、ずっと立ち止まっている訳にもいくまい。驚きはしたものの、好都合ではないかと自分に言い聞かせて玄関へ向かう。暫くここでお世話になるのだ。だったら自分が居た世界と出来るだけ近い方が、生活がしやすいに違いない。ここだったら駅までの間、迷子になることもないし。
「お邪魔します」
物が置かれていない玄関。良く言えばとても片付いた、悪く言えば殺風景……そんな玄関。
我が家とは違う。私より先に帰っているであろう、サトシの踵を踏み潰したスニーカーはここには無い。下駄箱上に飾られている、お父さんが気に入っている小さな絵画もここには無い。お母さんが毎朝水をあげている、玄関外の鉢植えもここには無い。そして家族四人の名前が記された表札は勿論ある訳が無かった。
とても良く似ているのに、ここは異世界なのだ。……と、今更だけれど実感が湧いてきて、ほんの少し寂しくなった。
「先に部屋を決めておいた方が良いか」
と案内されたのは二階。リビングやキッチン、バスルーム等共用スペースは一階。個室は二階にある。外観だけでなく、中の間取りも我が家と一緒だ。
空いている部屋だったらどの部屋を使っても良いとのことなので、階段上って直ぐの左側の扉を「ここが良い」と指差す。そこは我が家では私が使っている部屋。
しかし残念なことに、その部屋はクロードさんが使っているとのこと。「奥の部屋が広いぞ」とクロードさんは勧めてくれたが、そんなことは百も承知。我が家では両親が寝室に使っている部屋だ。家族が居るのならともかく、クロードさん一人で生活しているようなのに……広い部屋を使用していないことが不思議。
「マコトが左の部屋が良いなら、俺が部屋を移るが」
「いやいやいや結構です。右の部屋使わせて頂きます」
こちらは居候の身だ。クロードさんに部屋を移ってもらうだなんてとんでもない。それに居候が一番広い部屋を使うのも変な話だ。右側の部屋、我が家ではサトシが使っている部屋を使わせてもらうことに決めた。
とは言え、クロードさんが何故左の部屋を使っているのか気になったので尋ねてみたら、単に階段に近いからという理由だけだった。歩く距離が短い方が良いからだと。……もしかするとクロードさんは横着な性格なのかもしれない。
「じゃあ次は一階、キッチンやトイレ、風呂の場所を案内するよ」
恐らく私が知っている間取りと同じはずだろうが、案内してもらうことにする。万が一ということもあるし。
階段下りた目の前がリビングダイニングキッチン。玄関同様、物はあまり置かれておらず、リビングには大きめのソファーが一つ。ダイニングに四人がけのテーブルと椅子。その程度しか置かれていない。
廊下の途中にトイレ。そして廊下奥がバスルーム。やはり間取りは我が家と一緒だ。
最後に案内されたバスルームで、クロードさんが手にしていた袋を手渡される。駅ビルで買い物した時の袋だ。
「俺は夕飯の支度をするから、その間にマコトは風呂を済ませておくと良い」
「夕飯の支度をするんだったら、自分も!」
支度と言っても、惣菜を買ってきたからあまりすることは無いと思うが。とはいえクロードさん一人に押し付ける訳にはいかない。それに家主より先に風呂を使わせてもらうのは気がひける。
「今日は初めての異世界渡りで疲れただろう。支度は俺がしておくからマコトはゆっくり体を休めなさい。着替えはその袋の中に入っている」
駅ビルで食べ物以外の売り場にも立ち寄ったが、てっきりクロードさんの物を購入しているんだと思ったら、どうやら私の着替えを購入していてくれたらしい。何て気が利くのだろうと袋の中を見て……固まった。
「えっと、これ……」
袋の中にはルームウェアと下着。その中から下着……パンツを取り出す。
「あぁ、そのキャラクター、最近子供の間で流行っているヒーローらしいんだが。マコトはこちらに来たばかりだから知らないよな。うっかりしていた、すまない。他のキャラクターにすれば良かったな」
キャラクターがプリントされたパンツ。実はこのキャラクターは知っている。私の世界でもこのキャラクターは存在するから。って問題はそこでは無い。私が手にしているのは明らかに子供用の下着。……と、これも不本意だが今は問題では無い。実年齢より幼く見られているのは承知しているから。問題なのは、この下着が男児用だということ。そう、女性用の下着ではなく、男性用の下着なのだ。
「マコトが男の子で良かったよ。女の子の物は良く分からないからな」
どうやら私、男の子だと思われている模様。誤解されていたのが捨てヒューマンと実年齢だけだと思っていたのに、性別までも勘違いされていたとは。男だと間違われるのは正直凹むけれども、実は元居た世界でもあったこと。普段パンツスタイルが多く、髪もショート。何より女性らしい凹凸が無い体型のせいで、男性に間違えられることは少なくなかった。
とはいえ、この勘違いは不味い気がする。年齢は聞かれるまで黙っていようと思っているけれど、流石に性別は明かしておいた方が良いよね? 一緒に生活するのだ。性別を誤解されたままでは生活しにくい。
「あの、私……」
「まぁ女の子だったら居候させようとは思わなかったけれどな」
私、女です……と言いかけた言葉を飲み込む。
そ、そうだよね。いくら子供と勘違いされているとはいえ、男女が二人っきり、一つ屋根の下で暮らすというのは問題有り……だよね。私だって全く危機感が無かった訳ではないのよ。でもこっちの世界で行く当ても無ければ、ホテル生活するだけのお金も持ち合わせていなかったのだし。
ここは女だっていうことを黙っておくべき? いやでも……。暫しの困惑は、クロードさんの一言でいともあっさり終結した。
「女は苦手だ」
そう言ったクロードさんの声は、元々低音ボイスであるのに更に低く、地を這うかのごとく低く低く。深海に引きずり込まれたかのような息苦しさに背中に嫌な汗が伝った。恐る恐るクロードさんを窺えば、眉間に皺を寄せ、切れ長の目がつり上がり怖い表情になっている。
相当女性が苦手らしい。いや苦手というレベルでは済まなさそうだな。目の前に女性が居たら、容赦なく排除しそうな雰囲気だ。うん、はっきり言おう。今更「女でした」と間違っても言えない。怖くて言えない。私の生存本能が「女だと言うな」と訴えている。
「マコト?」
まだ低さは残るものの、元の声に戻ったクロードさんに呼ばれてドキリとする。
「あの……男で良かったです」
「そうだな」
「お言葉に甘えて、先にお風呂お借りしますね」
クロードさんの視線から逃れるべくバスルームへ入り込む。閉じた扉越しに、離れていくクロードさんの足音を聞いてホッと肩の力を抜いた。
「今から私は男」
あぁ……。お父さん、お母さん、サトシ、女を捨てるマコトをお許し下さい。って大げさですね。男の振りをするだけです。そちらに帰るまでの辛抱です。こちらで生きる為に、頑張って男を演じてみせましょう。