01. たぶん異世界トリップ
直ぐには異変に気付け無かった。いつもとは違う光景を認識してはいたけれど、「今日って何かのお祭りでもあったっけ?」程度にしか思わなかった。
大学の5限目の講義を終えた後、小腹が空いたからと友人とファーストフードに立ち寄って、ポテトとシェイクで程好く満たされたところに、最近彼氏が出来たばかりの友人の惚気話で少々胸焼け。いや、最初は聞いていて楽しかったのよ。でもさ、彼氏の居ない独り身の私にとっては少々糖度が濃すぎたというか。今が楽しい時だから友人も話したくて仕方がないのだろう。それに付き合っていたら、お店を出た時には外はもう暗くなっていた。長居し過ぎたとは思ったが、そんなこと珍しいことではない。何時には帰ろうね、なんて最初に決めてはいても、話が盛り上がって時間を過ぎていることなんてしょっちゅうだ。
そう、取り立てて珍しいことはなかったし、ごくごく普通の一日だった。
……そのはずだ。
「まいったな……」
自宅の最寄駅。ホームのベンチに腰を下ろす。
電車から降りた瞬間感じた違和感。見える景色はいつもと変わらない。だがホームに居る人々がいつもと異なっていた。……って人々って言っても良いのだろうか? 人間……なんだよね? 違うと言われても困るのだが。
猫耳或いは犬耳、はたまたウサギ耳、要は獣耳に尻尾をつけた人々。耳と尻尾だけではなく、服から出ている素肌の部分もしっかり毛に覆われていて、顔も猫や犬になりきっている人々。白い羽やら黒い羽をつけた人々。死神が持つような鎌を携えている人々。勿論偽物だろうが……本物だったら銃刀法違反だしね。乗車する際に駅員によく止められなかったなと思ってみたり。とにかく、ここはどこのコスプレ会場か!? と言いたくなる光景。それにしても良く出来ている。質感が本物に近い。それにあからさまに衣装を纏っているという感はなくとても自然だ。本当に人間なんだよね? というか人間であってくれ。
私と似た身なりの者ももちろん居る。が、何故か皆異様に背が高い。コスプレしている人もしていない人も背が高い。私の身長は平均以下なので、彼らと並ぶとかなりの身長差だ。同じ女性でも頭二つ分ぐらいは軽く差がある。私と同じぐらいの身長の者も居ないことはないのだけれど、目につくのは髭を豊かにたくわえた男性ばかり。ファンタジー物に出てくるアレだ。ドワーフなイメージ。どうやら私が出来そうなコスプレは、この状況ではドワーフが有力か?
……いや、しませんから、コスプレ。
最初何かのお祭りかとも思ったけれど、そんなイベントがあるなんて話は聞いていない。
アニメ発祥の地とか、萌えを提供するお店があるわけではない、住宅街がメインの駅。
ホームに降り立って呆然とすること30分。ベンチに座って更に30分。流石にこの状況が楽しいイベントではないことには気付いている。認めたくないだけで。
ちらりとベンチ脇の看板を見遣る。
「闇が峰なんて知らないし」
ベンチ脇の駅名が記されている看板には『闇が峰』の文字。私が利用している最寄駅名は『光が峰』であって、『闇が峰』なんて駅は知らない。
万が一駅名まで変える様な大掛かりなイベントを開催していたとしても、事前に告知されるだろうし、注意書きも目立つところにあるはずだ。それらが無いのだから、今私が居るここは『光が峰』ではなく『闇が峰』で正しいのだろう。
友人と別れて、乗った電車はいつもと変わらなかった。帰宅する乗客で混んでいた車内では、座ることなくずっと立っていたので寝過ごして違う駅に着いてしまったということもない。そもそも私が利用していた沿線で『闇が峰』という駅は存在しない。
ホームに降りた瞬間、この『闇が峰』に迷い込んでしまった……のだろう。
これがいきなり森の中とか、海の上とかだったりすれば「瞬間移動? それとも異世界トリップ?」とかいう思考に直ぐに辿り着けたものの、なまじ駅の風景が『光が峰』と同じものだから俄かには信じがたい。
しかしここが『光が峰』でないことは事実。そして『闇が峰』であることも事実。
携帯は勿論圏外。果たして私が持っている定期で改札から出られるのか。出られなくて精算することになった場合、私が持っているお金は使えるのか。
改札を無事出られたとしても、どこに帰れば良いのだろう? まずは自宅があるはずの方面に向かうつもりではいるけれど。そこに家族が居る可能性はかなりかなり低い。
となると…………。
「おとーさん、おかーさん、ついでにサトシ……」
急に心細くなった。どうやったら自宅のある『光が峰』に帰れるのか分からない。すぐに帰れるのか。それともずっとこのままなのか。それは嫌だ。時々ウザく感じることもあるけれど、やっぱり家族の元に帰りたい。
あっ、ちなみにサトシは弟の名前。ついででゴメン。だって最近ちょっと生意気なんだもの。昔は「おねーちゃん」って片時も離れれずくっついていたくせに。弟のくせに可愛くない。弟だから可愛くないのか? ……まぁ今はどっちでも良い。可愛くなくても、サトシは私にとって大事な家族であることには代わりないのだから。
家族を思い出したら余計に心細くなったのか、鼻の奥がツーンとして目に涙が集まってきた。やばい。こんな公共の場で泣くのは恥ずかしい。咄嗟に俯き、ギュッと目を閉じて泣きそうになるのをやり過ごす。
そして俯いたまま目を開けると、紳士物の黒の皮靴が目に入った。こちらを窺う視線を感じる。恐る恐る顔を上げれば、黒髪で西洋風の顔立ちをした男性と目が合った。
「随分長いことそこに居るが、もしかして迷子か?」
「ち、違っ」
いや違くありません。思いっきり迷子です。が、この歳で迷子と言うのは恥ずかしくて思わず否定してしまった。ここは素直に迷子を認めて助けを求めるべきところだっただろうに。
「では捨てヒューマンか?」
「……は?」
「ヒューマンなのだろ?」
ヒューマン……人間であることは認めるが、それって確かめるようなこと? それに『捨て』って聞き捨てならない言葉がついていたのは気のせいか?
「ヒューマンでここまで魔力があるのは珍しいな。だからってまだこんなに小さな子を捨てるとは赦しがたい」
やっぱりさっきの『捨て』は気のせいではないのか。捨てられたのではない。現状を把握しきれてはいないが、十中八九迷子だ。「あなたのおうちはどこですか?」と聞かれても答えられない迷子だ。住所は言えるが、恐らくこの世界には存在しない住所で、それでもってここからの帰り道が分からない迷子だ。
それに小さい子呼ばわりされているけれど、只今19歳。童顔ではないつもりだが、平均以下の身長のせいで、実年齢よりも下に見られることはある。でも小さな子呼ばわりされる程下に見られたことはない。……が、ここ『闇が峰』の背の高い人々の中では、子供扱いされても仕方ないのかもしれない。非常に不本意だが。
そういえば捨てるとか小さな子供とか以上に、もっと聞き捨てならない単語があったよね。『魔力』って何? そんな物持った覚え全くないのだけれど。とういか、ここは『魔力』なる物が存在する世界ってこと? あーこれは異世界トリップ確定?
「名前は? 俺はクロード。お前は?」
「……マコト」
「マコトか。よし、俺が拾ってやろう」
「は……い……?」
差し出された右手に、流されるまま自分の右手を重ねるが……。ちょ、ちょっと待った! これで契約成立とか言われたら困る。捨てられたわけじゃないんだから拾ってくれるな。
「今から俺が主だ。宜しくな、マコト」
あぁ……。お父さん、お母さん、サトシ、マコトは名前しか知らない男に拾われてしまいました。来年成人を迎える女性としてこれで良いんでしょうかね?