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侯爵家に嫁ぐ平民妻と入れ替わった王女様、鞭打ち冷水熱湯侮辱を全部くらったので断罪することにしました

作者: 鉄人じゅす
掲載日:2026/06/13

 貴族用の王都行きの馬車に揺られ、私は故郷の地へ足を踏み入れた。


 私の名はシルヴィアーナ・ロザリーア・アルバール。アルバール王国第一王女として生まれて十八年。

 2年前に留学先のカルディア帝国学術院へ向かった頃の私はまだまだ青臭い小娘に過ぎなかった。

 でもそれから2年が経ち髪は長くすらりと伸び背も高くなった。

 ただ王家直系の血を引く金色の瞳と胸元の絹のリボンに下がる母様の形見の小さな金の指輪だけは変わらない。

 私の中の名は大好きな母様から賜った名前だ。

 母様は小さい頃、流行り病で亡くなられたけどこの指輪がいつも母様の温もりを私に伝えてくれる。


「2年前と大きく姿が変わったから身内以外はなかなか私と気付かないでしょうね」


 留学の2年間はアルバール国の社交場には一切顔を出さなかったから私をシルヴィアーナと気付くものはいないだろう。


 そんなことを思う街道の交差点。まさかと思うような出会いをすることになる。

 国境を抜け、王都へあと半日といった所。

 私の馬車と反対側から来た貴族の馬車が道の真ん中でぶつかったのだ


 正確にはすれ違おうとした車輪同士が噛み合ってしまった。扉の取っ手が外れて私は街道の砂利の上に転がり出てしまうことになる。

 反対側の馬車からも同年代の令嬢が転がり出てしまった。


 私と馬車の令嬢は起き上がり、顔を見合わせる。その時私も相手も息を呑むような表情をしたと思う。

 顔が似ていた。似ているどころではない。髪の色、肌の質、骨格。鏡で自分の顔を見ているようだった。

 ただ私の瞳は王家の金色。彼女の瞳は薄い蜜色。注意深く見れば違うけれどぱっと見では判別がつかない。私は思わず声をかけた。


「お一人かしら」


 私が問うと彼女は怯えた顔で頷いた。身なりは良いが振る舞いはどうにも貴族らしくない。

 おそらく彼女は平民だろう。だから王族である私を見て恐れているのか。

 私がにっこりと笑うと彼女は安心したような顔を見せた。王女たるモノ怯えさせてはならぬってね。


「はい……。実家を昨日出ました。婚家から自分一人で来るようにと言われまして」

「どこの家系か聞いてもいい?」

「ヴァ、ヴァルテンベルク侯爵家です。今日の夕方到着の予定でした」


 ヴァルデンベルク家には覚えがある。昔、侯爵家が挨拶しに来たっけ。

 お父様やお兄様に擦り寄る印象が強く、あまり良いイメージはなかったわね。

 私はもう一度彼女の顔を見つめた。頬の薄い痣に震える指。怯えきった瞳。


「あなたお名前は」

「リリベルと申します。実はわたしは平民出身で魔力が強かった為、国命でヴァルテンベルク侯爵閣下の妻として迎えられる。そういう事情でした」


 なるほど。

 魔力持ちは絶対的に数が足りない。

 国命として女性の平民の魔力持ちは貴族家に嫁がせ、魔力持ちの子を遺伝させる。男性の魔力持ちは高待遇で魔法研究所で働いてもらう。そういう方針となっている。


「リリベル。頬の痣はどうしたの?」


 まるで叩かれたような跡が残っており気になっていた。リリベルは目を伏せる。


「婚約の御挨拶に侯爵家に伺った時に大奥様から扇で打たれました」

「なんですって、他には」

「侯爵様からは人格を否定する言葉をいくつも。使用人からも冷たい扱いを。一日の挨拶でこれですから。屋敷に入った後どうなるのかと思うと震えが止まらなくて」


 平民の魔力持ちを嫁がせる場合、粗末な扱いをしてはならないと決まっているはずだが。

 何のために嫁がせるのか侯爵家は理解していないのか。

 まぁ、少し落ち目の貴族家に嫁がせているので悩ましい事情もある。あと魔力がない貴族に嫁がせることも多い。子供を作らせて再興させる狙いもあった。


 リリベルは震える両手で顔を覆う。私はしばらく彼女を見つめ、そして決めた。


「ねぇリリベル。私と入れ替わってみない?」

「……え?」

「私は王女シルヴィアーナよ。他国の留学から帰ってきたばかりなの」


 リリベルの顔から血の気が引いていく。


「お、王女殿下! まさか、そんな! 申し訳ございません!」

「跪かなくていいわ聞いて」


 私はリリベルの手を取った。


「私は二年留学してたから多分、誰にも正体が気付かれないと思うの。今日から三日。三日だけ私が貴女の代わりにヴァルテンベルク侯爵家に入って様子を見ましょう。結果次第で問題がなさそうなら貴女はそのまま嫁ぎなさい。問題があれば、王女として対処することを誓うわ」

「本当ですか!」


「魔力持ちの平民は守る対象よ。貴女の身を王家が守ると誓いましょう。万一、侯爵家が値しない方々なら相応の処分を行います」


 リリベルは長く沈黙した。

 そして静かに頭を下げた。


「シルヴィアーナ様が私の予想通りのことになった場合……」

「安心なさい、さすがに殺されたりはしないでしょう。三日くらい大丈夫よ。リリベル、何かお護りの品を貸してくれる? 何も身に着けていない平民妻として伺うのが不安だから」


 リリベルは首元から小さな銀の十字架を外した。


「母の形見でございます。どうか御無事にお返しくださいませ」


 その言葉に私の胸が静かに軋んだ。

 私の胸元にも同じように母様の形見が下がっている。形見の指輪を外してリリベルに渡した。そして手持ちの鞄も一緒に渡す。


「この先の王宮の東門でこの私のサイン入りの王宮通行証を渡しなさい。最低でも騎士団長。運が良かったらお兄様が出てくるからこの指輪を渡して事情を話してね。この指輪は母様の形見だから大事にしてよ」

「王妃様の! 分かりました。大切にします」


 王宮東門に行って申し開きをして派兵するまで約三日って所かしら。

 形見の指輪には魔法もかけておいたから分かるでしょう。

 私はその十字架を首にかけリリベルのドレスに着替えた。

 そしてリリベルの馬車に乗り換えヴァルテンベルク侯爵家へと向かう。


 今更だがこの行為を軽く考えていたのかもしれない。

 これから想像を絶することが起こるとは予想もしなかった。


 ◇◇◇


 侯爵家の屋敷は王都郊外の立派な白亜の邸宅だった。

 馬車から降りた私を出迎えたのは当主のヴァルテンベルク侯爵であるエルナン閣下。その父であるアルフレート前侯爵、母のヘルミーネ前侯爵夫人、そして十数名の使用人。

 ヘルミーネは私の顔を見るなり口の端を歪めた。


「あら来てしまったのね」


 挨拶もなしである。昔、一回だけ社交パーティで会った時は王女様は素敵ですって擦り寄ってきたけど本性はこうなのね。


「平民の小娘が婚家の門を潜るとは随分な身分の上昇ね」


 私はリリベルの口調を真似て深く頭を下げた。


「リリベルです。本日より侯爵家の一員として至らぬ点ばかりでございますが御指導のほどをお願いいたします」

「ふん」


 エルナンが低い声で私を呼んだ。


「貴様の名は本日より平民と呼ぶ。返事をしろ」

「……はい?」

「はいではない。はい、御主人様だ。お前ごとき平民の女に貴族の挨拶はもったいない。下民として振る舞え」

「あの……私は御主人様の妻としてこの侯爵家に嫁いだのですよね」


 エルナンの眼差しの奥には平民への侮蔑を超えた、暗い炎があった。


「うるさい! 平民の女など抱くものか! 魔力など持っていても所詮は平民の血。ヴァルテンベルク家の高貴な血筋を貴様ごときに穢されてはたまらん」


 その口振りで私は気付いた。

 エルナンには魔力がない。

 国命でリリベルが侯爵家に嫁がされたのはヴァルテンベルク家の血脈に魔力を取り込む為。つまりこの侯爵家は何代にも亘って魔力なし。エルナン自身が一筋の火花も呼べぬという事実を妻となる女が自身よりも強い魔力を持っていると現実を嫉妬と恥辱で受け止めている


 それを「平民の血」という侮蔑で覆い隠している。

 情けないわね。西方の魔力のない伯爵家に魔力のある平民の妻が嫁いだけど大層愛されて、魔力持ちの子供が何人も出来て伯爵家が再興したという話を知っているわ。

 私が顔を上げるとエルナンの隣で白髪混じりの老紳士が私を上から下まで舐めるように見つめていた。

 アルフレート前侯爵。

 前侯爵は一言も発しない代わりに私の胸元やドレスの腰に視線をねっとりと這わせていた。思わず寒気がしてしまった。


「リリベル殿」


 前侯爵が初めて口を開いた。


「ようこそヴァルテンベルク家へ。無理をしてでも血筋をお繋ぎいただかねばなりませんからな」


 そう言いながら前侯爵の御手が私の肩に触れた。肩から二の腕へと滑った。

 私は気持ち悪い手を振り解き、深く頭を下げた。


「至らぬ身ではございますが努めさせていただきます」


 気持ち悪い! 何この人……。

 前侯爵は唇の端で笑った。


「楽しみにしておりますぞ」


 その夜の夕食。

 私の前に置かれたのは冷えた固いパンと水だけだった。エルナンや前侯爵夫人、前侯爵は温かい御馳走を召しあがっていた。


(いくら平民でもこれは無くない?)


 私が温かい料理に指を伸ばそうとした瞬間、ぱしんとヘルミーナの扇が私の手の甲を打った。


「平民の妻に貴族の料理は勿体ないと何度言わせるの」

「……申し訳ございません」


 義母様は私の首元の銀の十字架に目を留めた。


「あらその安物の十字架は何?」

「……母の形見です」

「ふん、どうせあなたの母も卑しい身分だったのでしょう。あんな物を侯爵家で身に着けて、卑しい出自を自慢でもしたいの?」


「……」

「何よその顔は」


 ぱしんと再び、扇で頬を叩かれる。

 この形見は私の物ではない。だが母を亡くしたのは同じ。形見を侮辱されるのは私の母を侮辱していることと同じと思ってしまった。

 リリベル、この人達はダメね。あなたが嫁いでも何にも幸せにならないわ。


 あと二日我慢しないと……。

 そしてもう一つ。

 私の腿の上にテーブルクロスの下から冷たい感触がゆっくり這い上がった。

 向かいに座った前侯爵の手だった。前侯爵の指が私の太腿を撫でていた。


 私はぞっとしてその手を膝の上で押さえつけた。前侯爵は薄く笑いながら指を引いた。

 このエロじじい!

 息子は私を毛嫌いしてるくせにどうして父親はこうなの。

 王女になって初めての屈辱的な食事をして、私はここで寝るようにと言われた部屋へ通される。そこは想像の倍、ひどかった。


「屋根裏部屋じゃない……」

「下人である奥様にはお似合いの部屋ですわ」


 ここに連れてきたのはこの家のメイド長、マルガレーテ・グレーフェ。顎にある大きな艶ぼくろが印象的な年頃の女性だ。


 侯爵家のメイド長だから下位貴族出身かしら。平民を装っている私に礼儀もまったくない対応だ。

 埃が掃除されていない屋根裏の固い寝台の上で眠りについた。こんな部屋で寝るのは初めてだったわ。

 あと二日我慢すればこの地獄から抜け出すことができる。絶対に我慢を貫いて、こいつら全員後悔させてやるんだから。


 二日目の朝、空が白む前。

 私の屋根裏部屋の扉を、メイド長マルガレーテが蹴り開けた。


「奥様、大奥様がお呼びです。早く準備してください」

「こんな朝から!?」

「ちっ、これだから平民は。奥様が遅れると怒られるのは我々なのです。さっさとして欲しいものですね!」


 何という態度だろうか。リリベルは王命でこの侯爵家に嫁いだのにそれをまったく理解していない。

 私は寝巻きのまま屋根裏部屋を出てヘルミーネ前侯爵夫人の寝室へ行く。

 部屋に入るといきなり怒鳴り散らされる。


「いつまで待たせるの! さぁ、暖炉の灰かきをしなさい」

「はぁ……、あの道具は」


 ぱしんと扇で叩かれる。


「道具はその手があるでしょう? 平民如きが道具を使うなんて図が高いのよ」


 嘘でしょ。この量を手でやるというの。

 腹が立ってきたが今の私はリリベル。平民の妻だ。シルヴィアーナとして正体を明かすのはリリベルが騎士達を連れてきた時。それまでは我慢。この程度のことで怒り狂っては王女の名が廃るわ。


 掃除が終わった時には指は黒く汚れ、爪の間に灰が深く入り込んだ。


「はぁ、この程度のことも容易くできないなんて所詮は卑しい身分ね」

「義母様はされたことがあるのですね。元侯爵夫人なのに。すごいです」


 ばしんと扇で今まで1番強く頬を叩かれた。リリベル本人の頬の痣はこれね。


「本当に生意気な……。後で徹底的に躾けてやるわ。出ていきなさい」


 いったん、外に出されたが指の消耗が目に見えて分かる。

 爪の手入れはきちんとしてたのにこんなことになるなんて……。

 かなりの時間を費やしてしまったので朝食は当然なし。手洗いの用意もされるはずがなく、自分で何とかするしかなかった。

 午前中はエルナンの書斎の埃を一冊一冊払うことになる。


 その合間にエルナンは何度も私の容姿を侮辱した。だが今日はその言葉の端に別のものが混じっていた。


「お前の魔力など貴族の前では意味がない。たかが平民の小娘が何故魔力を持っている。卑しい血筋に過ぎた力など似合わぬ」

「……申し訳ございません」

「魔力は本来貴族の血筋に宿るもの。貴様ごときの平民が振るって良い力ではない」


 エルナンの声には怒りよりも嫉妬が滲んでいた。

 ヴァルテンベルク家の血筋に魔力が宿らぬこと。自身が火すらも出せないこと。それを国命という形で平民の魔力持ちの娘を妻として与えられたこと。エルナンの自尊心がその全てを許せずにいるようだ。

 私は頭を下げたまま黙って聞いていた。

 書斎の本を一段、二段、三段と払い終えると、ヘルミーナが見に来た。


「埃が残っているわ」


 ヘルミーナの手には太く、しなやかな革鞭。

 何、それまさか。


「もう一度、最初から」


 私は本棚の一段目から再開した。

 二段目に手をかけた瞬間、ぴしりと革鞭が私の背を打った。


「っ!」

「遅い」


 ぴしり。

 薄手のドレスの背中越しに革鞭の跡が三本、平行に走った。

 私は痛みで声も上げられずに本を払い続けた。

 王女として鞭打ちを受けたのは生まれて初めての経験だった。痛みよりも何故か嘲笑が込み上げてくる。


「もっと頭を下げよ」


 ぴしり。


「もっと深く」


 ぴしり。

 私は本棚に額を擦り付けるほど深く頭を下げた。ヘルミーナは満足げに鞭を撫でて書斎を出ていった。

 書斎の窓から差す朝の光の中。革鞭の線が私の背に六本、七本、八本と刻まれていった。


「不様だな。俺を見下すからこうなる」


 母の行為を咎めず、ただ侮蔑の言葉を投げかける小さい男。

 こんな男がこの世にいるなんてね……。


 昼食ももちろんなかった。


 鞭で打たれた背中が痛む。王宮に帰れば回復魔法で傷は治ると思うけど帰るまでこのままなのが辛い。

 午後、メイド長マルガレーテが私を屋敷の長い廊下の雑巾掛けに就かせた。


「大奥様からの命令です。廊下から正面玄関まで雑巾で拭き上げてください。ちゃんとしなきゃまで夕食も無しですよ」


 意地の悪い声をマルガレーテは放つ。聞けば男爵令嬢だとか。男爵令嬢に床磨きをさせられる王女の私。お父様やお兄様に見られたらどうなるかしらね。


 誰もいない奥の廊下を必死に磨く。あと1日半耐えれば元の生活に戻れる。

 足音が一つ近付いてきた。アルフレート前侯爵だった。


「リリベル殿、精が出ますな」


 前侯爵は私の隣に立った。


 そして私が屈んで雑巾を絞っているところに後ろから自身の手をぴたりと私の臀部に当てた。

 全身が硬直した。


「家の血筋の為にその身を捧げるその心構え、まことに殊勝ですな」


 前侯爵の手がゆっくりとなで上げる。

 私は雑巾を握ったまま立ち上がり、半歩距離を取った。


「床の相手は儂がしてやっても良いですぞ。何も息子との子を宿すことだけが王命ではありませんからなぁ」


 心の底からぞっとした。おそらくこの前侯爵は若い女に手を出しては楽しんでいたのだろう。元とはいえ侯爵ともあろうものとは思えない。私が知っている別の侯爵様は理知的で使用人や領民からも慕われていた。それと比べてたらこの男は……。


 私は深く頭を下げ、雑巾の桶を持って後退した。前侯爵は追ってこなかった。だが薄笑いを浮かべて私の背中を見送っているのが見えた。


 廊下の角を曲がると上の階から使用人の若い男が桶を抱えて降りてきた。

 廊下の脇でマルガレーテが腕を組み、見ていた。


 私は廊下の脇に身を寄せて道を譲ろうとした。

 すれ違いざま、男は意図的に桶を傾けた。

 冷たい水がばしゃりと私の頭から肩、背中まで一気に流れた。


「あぁ、ぶつかってしまいましたな。失礼」


 男は薄笑いを浮かべながら空になった桶を持って階段を降りていった。

 マルガレーテは口の端で笑った。


「あら、下民の奥様はお風邪を召されてしまいますよ。そのぞうきんで自分で拭いてくださいよ」


 私はずぶ濡れのまま再び廊下に屈み込み雑巾を握った。

 冷たい水が鞭の傷の上を流れてひりひりと痛む。私は奥歯を強く噛み締めた。

 夕方近くマルガレーテが私を犬舎に呼んだ。


「大奥様の御命令です、今日は下民らしく犬舎の掃除をしろとのことです。素手で構わいません。それが下民の身分にふさわしいからです」

「う、嘘でしょ」


 四頭の大型猟犬の檻の中の排泄物。

 使用人が檻の周りに集まって私を見物していた。先頭でメイド長が侮蔑の言葉を吐き続ける。


「下民妻は犬の糞の臭いがよく合う」

「おいおい、この方は旦那様の大切な御方だぞ」

「でもその旦那様から平民としか言われてないらしいぜ」


 笑い声が私の頭上から降ってきた。使用人にも平民がいるはずなのに、古くから仕えているからか自分は違うと思ってるらしい。全員私の敵だったとは……。一人として心配するものはいない。全員心の底から腐っている。

 私は両手で犬の糞を掴み、外の溝へ運んだ。当然こんなことしたことはない。犬の糞掴む王女がいるわけないでしょう。あまりにも屈辱的で唖然としてしまった。

 指に染み込んだ排泄物の臭いは、洗っても洗っても取れなかった。


 その夜の夕食。


 私の前には今夜、皿さえ置かれなかった。


「おい平民」


 エルナンが低い声で私を呼んだ。


「お前は今日、書斎の掃除が遅かった。本日は食卓に着く資格がない。仕置きとして床に正座しろ」


 私はゆっくり食卓から下がり、石床に膝を着いた。


「メイド長、この平民にパンを与えよ」


 マルガレーテが私の前の石床に冷えた固いパンの欠片を皿に乗せず直接置いた。


「両手は背に回せ。平民の身分にふさわしく口で取れ」

「あー」


 もうこいつら全員滅ぼそうかしら。

 もしリリベルが騎士団を連れてこない可能性も考えていた。

 その時は全魔力を使い侯爵家を滅ぼすつもりだ。魔力なしの侯爵家ではどうにもならないだろう。


「どうした? 出来ないのか。平民なら容易いだろう」


 だけど約束の3日は経っていない。ここで私がブチギレてしまったらこの程度の屈辱にも耐えられない弱い王女となってしまう。

 私は将来的にはさる方の妃となる以上どんな屈辱にも耐えなければならない。国が滅ぶわけじゃないんだ。この程度造作もない。

 だから私は耐えると決めた。

 私は両手を背に回し頭を下げて石床の冷えたパンを口で取った。

 塩辛い石床の感触が舌に伝わる。


「ふふっ」


 どいつもこいつも嬉しそうに眺める。私が敵国の姫ならこうなるのも分かるが、自国の格上の姫と分かった時にどんな顔をするのか。それだけが楽しみだった。


 二日目の夜、私は屋根裏の固い寝台の上で目を閉じた。

 背中の革鞭による傷が布の寝台に擦れる度に痛みで目が冷める。

 あと一日。次の夜には騎士団がやってくるはずだ。

 我慢だ。我慢。私はもうブチギレて我を忘れないと決めたんだ。


 私は石の床に倒れたまま息を整えた。


 その時、なぜかカルディア帝国学術院の記憶が蘇った。

 留学初年の冬。私はカルディア帝国学術院で地方貴族の令嬢三人組からいじめを受け続けていた。服装が地味、訛りが田舎風、アルバール王国は小国。その程度の嫌がらせだ。

 最初の半年、私は王女の身分を伏せており小さな爵位の貴族令嬢として留学していたのだ。

 それは大国であるカルディア帝国との将来のため。王女であることが知られると擦り寄ってくることが分かっていたからだ。

 本当に優秀な人材を自分の目で見つけるため身分を偽り、生活をしていた。

 相手の侮辱をずっと聞き流していたのだ。


 しかし、彼女らが私の母様の形見にいたずらをして壊そうとした瞬間、私の怒りは爆発した。気づけば令嬢三人は血を流し倒れていたのだ。

 小さな爵位と思って訴えられたが私が実際は経済強国であるアルバール王国の王女だと知り、土下座する勢いで謝られた。カルディア帝国の貴族はアルバール王国と密接な関係を築いており、アルバール王国を敵に回したら家は潰れるのは必然だったからだ。


 だけどそれから私はアルバール王国の王女として振る舞わねばならなくなった。

 もっと私が我慢強ければ。母様の形見を奪われなければ良かった。そうすれば偽りの身分のまま留学生活を終えられたのに。

 それが出来なかった時点で私の敗北だ。

 その日私はあの方と約束した。


「シルヴィアーナ、留学初年の冬のような感情に任せた断罪はしないでくださいね。貴女が自身の品位をその怒りで損なってはいけませんよ」


 私は頷いた。


「ええ…。あの醜態をもう二度と致しません」


 三日目の朝、空が白む前。

 私の屋根裏部屋の扉が軋みながら開いた。

 私は薄手の寝間着のまま寝台の上で身を起こした。

 入ってきたのはアルフレート前侯爵。夜着のガウンを羽織り、手に小さな燭台を持っていた。


「リリベル殿、夜分に失礼するぞ」


 囁き声。

 血が一瞬で凍るかと思った。

 前侯爵は燭台を床に置き、私の寝台の縁に腰を下ろした。


「家の為じゃ。家の血筋の為じゃ。お前さんも判っておるじゃろう」


 前侯爵の手が私の薄手の寝間着の襟に伸びた。

 私は寝台の上で素早く後退り壁に背を着けた。背中の鞭傷が壁に擦れ痛みが走った。


「出て行ってください」

「貞淑など演じておるな。お前ごとき平民が」


 前侯爵の手が寝間着の裾に伸びた。

 私は手を翳す。


「これ以上近づくなら魔力を解放させます」


 前侯爵の動きが止まった。反撃されると思ったのだろう。


「……気の強い小娘じゃ」


 前侯爵は燭台を取り直し、舌打ちをして扉を出ていった。

 去り際の小さな声が私の耳に残った。


「覚えておれ。侯爵家に従わぬのなら、それなりの始末をしてやる」


 夜が明けるとマルガレーテが私をヘルミーナの寝室の前まで連行した。

 扉が内側から開く。

 そしてヘルミーナの手で大きな桶の冷水が私の頭上からばしゃりと浴びせられた。

 冷水は瞬時に薄手の寝間着越しに私の全身を濡らした。背中の革鞭の傷の上に冷水がしみる。


「お前の体臭が屋敷中に染みておる。これで少しはまともになろう」


 私は廊下の真ん中で、ずぶ濡れのまま立ち尽くした。

 ヘルミーナは私の濡れた肩を扇で軽く叩いた。


「そのまま、書斎で本の埃を払いに行け」


 私は震える唇で「はい」と答え、ずぶ濡れの寝間着のまま書斎へ向かった。

 書斎ではエルナンが朝食用の白湯を口にしていた。


「ほう、朝の挨拶か。ずいぶん意気込んでおるな」


 エルナンは私に向かって熱い水を振りかけた。濡れた肩に熱湯が注がれたのだ。

 背中に広がる火傷に私は思わず声を上げてしまった。


「お前のような卑しい平民の女が侯爵家の一員になるというのはこういう屈辱を毎日受け止めるべきだ。それが侯爵家の血筋への務めだ」


 エルナンが冷ややかに笑った。

 私は無言で本棚に向かい震える手で雑巾を取る。

 書斎の掃除を終えた時、ヘルミーナがマルガレーテを従えて様子を見に来た。


「まだ濡れておるか。それでは座っておれ」


 ヘルミーナは私の腕を取り廊下の中央の石床に押し座らせた。


「正座じゃ。背筋を伸ばせ。動くなよ」


 メイド長マルガレーテが私の隣に椅子を出し、扇を煽ぎながら見張りに就いた。

 私は正座を組み頭を下げた。

 時間が流れる。

 通り過ぎる使用人共がメイド長に目配せに頷きながら、私を一瞥して各々笑う。


「平民の妻は寒そうですな」

「この扱いも慣れただろう?」

「侯爵家の格を下げる平民妻はこうして床に置いておくのが一番だ」

「我々侯爵家の使用人は特別なんですよ」


 笑い声が廊下を流れていった。

 私の両足は感覚を失った。背中の鞭傷は熱で麻痺していた。

 2時間ほど経った頃ヘルミーナが戻ってくる。手には小さな宝石箱。


「立て」


 私は立ち上がろうとした。だが脚が固まって動かなかった。

 私は石床に手を着いてようやく身を起こした。


「臭いを取る為に床に座らせたのに情けない。今度は別の用よ」


 ヘルミーナは私の屋根裏部屋へ向かった。


「わたくしの宝石箱から宝石が一つ無くなっているわ。マルガレーテ」


 マルガレーテが私の麻布の寝台の下を覗く。そしてそこから石を取り出した。


「大奥様、間違いありませんね」


 自分で置いたくせにと私は即座に理解した。ヘルミーナの顔の勝ち誇った微笑み。メイド長の口の端の薄笑い。


「やはり平民の血よ。盗みを覚えてしまった」


 ヘルミーナは私の髪を鷲掴みにしてきた。


「地下に投げ入れよ」


 メイド長の合図で使用人の数名が私の両腕を掴んだ。

 屋敷の中央、大階段の脇の拷問部屋。扉が軋みながら開いた。

 私は石の床の上に突き落とされた。十字に拘束された。

 それからはよく覚えていない。鞭で100回以上は叩かれて、冷水、熱湯をかけられて、排泄物をぶつけられた。顔から体までボロボロになったと思う。


「強情な女ね」


 そこでようやく分かった。こいつらは私が泣き叫ぶことを狙っているのだ。

 泣かないから未だ折れない。そう思っているのだろう。

 私の首元にある十字架がヘルミーナの視界に入り指で引き千切られた。

 心が抉られるかと思った。その形見は私のではない。だけど母様の形見と同じもの。それを壊されたらもう……。

 引き千切られた銀の十字架は地下の石床に投げ落とされた。

 カランと銀の鎖が石床に砕けた。


「平民の家族の形見、もう不要だわ」


 靴の踵でその十字架を踏みつぶされた。


「ああっ!」


 その瞬間。

 母上の形見を壊されてしまったのだ

 私はここ三日間ずっと守ってきた。

 鞭打ちも、冷水も、熱茶も、犬舎の臭いも、床のパンも、2時間の正座も全て堪えてきた。

 両目から涙が流れる。


「ようやく屈しわね」

「長かったですね。ですがこれからですよ」


 ヘルミーネもメイド長も嫌らしく笑う。


「マルガレーテ、あとは任せます」

「大奥様、好きにして宜しいのですか?」

「ええ、自由になさい」


 ヘルミーネは拷問室から立ち去った。そしてマルガレーテがゆっくりと近づく。


「何が奥様よ。エルナン様に選ばれるのは私だったのに! この平民がぁぁああああ!」


 マルガレーテが重たい鈍器を握りを振り上げ、私の頭にこれを叩きつけられた。

 額から血が流れて、瞳を覆う。我慢とはここまで屈辱的なのだろうか。

 そもそも我慢って本当に必要なのだろうか。

 これ以上我慢する必要ある?

 相手がこいつらならもう良くない?

 頭が割られたのと同時に私の脳内の何かがブチギレた。

 バキっと手の拘束を割る音がする。少し魔力を込めて、身体能力を上げればわけもない。


「え……なに」


 私はこのマルガレーテという女のニヤけた笑みが勘に障っていたので、身体能力を上げたまま手を差し出した。そのまま、目の前の女の顎の艶ぼくろを引きちぎる。


「その鼻くそ見てるだけでイライラすんのよ!」

「ぎゃあああああああああっっ!」


 激しい痛みにマルガレーテはのたうち回る。そのまま私は頭を割られた鈍器を掴んでマルガレーテのメイド服の襟を掴んで持ち上げた。そのまま鈍器を振りかぶる。

「ま、待ちなさい。私は男爵令嬢……貴族なのよ! 下位の身分の者が上位の身分の者に手をかけたら重罪!」

「先に仕掛けたのはあなたでしょ。それに私は下位じゃないから」


 そのまま気にせず、身体能力を強化したままマルガレータの頭に打ちつけた。


「がっ!」


 意識が飛んだようだ。死んではいないだろう。まだまだやることはあるのだから死んでもらっては困る。

 私はマルガレーテの首根っこを掴んで歩き、侯爵家の中を歩いた。

 使用人やメイドが悲鳴をあげる中、私は猟犬のいる犬小屋へといく。


「ほら、今日はあなたがお掃除してよね」


 排泄物の捨て場にマルガレーテを投げ入れて、足で顔を押し付けて掃除させた。

 この女はこれでいいか。あと……三人。


 侯爵家の屋敷の中に戻る。背中の鞭傷も額の血も、魔力で身体能力を上げて何とか痛みを抑えていた。完全には消えないけれど、戦うには十分。


 廊下に飛び出すと、屋敷の使用人達が私の姿を見て叫び声を上げて散っていった。一人、二人、三人。私の手の血まみれの鈍器を見るなり廊下の奥へ消えていく。


 私の手には鈍器。額には血。寝間着もずぶ濡れ。全身に裂傷。それでも私の足は止まらない。

 私への三日間。全部お返しさせていただくわ。


 前侯爵の部屋は屋敷の北棟の上階。

 そしてゆっくりと部屋をノックした。


「大旦那様。リリベルでございます。大旦那様にわたくしの愛を受け止めて頂きたくて、扉を開けてよろしいでしょうか」

「ほほっ! 良い心がけですな! さぁ参りなさい」


 ほんとエロじじいだわ。前侯爵の部屋の前へと立つ。髪をいじって血を隠し、鈍器も正面から見えないようにした。

 部屋へ入るとすでにエロじじいを服を脱いでおり、応戦態勢だった。


「大旦那さまぁ。わたくし、お願いがありましてぇ」

「なんだなんだ。何でも申していいですぞ!」

「その性欲断ち切らせてもらっていいですかぁ?」


「は? って何だその鈍器! よく見たら血まみれじゃないか!」

「平民の小娘が魔力で暴れている。ただそれだけのことですよ。お得意の『家の血筋』とやらは、こんな時には何の役にも立たないのね」

「ま、まさか本当に魔力で」


 私は鈍器を床にたたき付けるとエロジジイはひっ! 情けない声を上げて私から距離を取る。


「家の為。侯爵家の血筋の為と昨夜、私の寝どころで囁いていらしていましたよね。その血も価値なんてあるのかしら」


 前侯爵の唇が震えた。


「儂は侯爵として長年、この領地を栄えさせてきた! それを愚弄するか! ん? ぎゃああっ!」


 近づいて、鈍器をエロジジイにぶつけると情けない声を上げる。そのまま2度ほど鈍器でぶん殴ってやった。


「やめろぉぉ! この結婚は王命じゃろう。お前を子作りの道具して侯爵家に来たはずじゃ!」

「道具? 魔力の無いのゴミが何言ってるの。ねぇ」


 私は目の前の男の喉をぐっと絞めた。

 魔力で身体能力を上げているのだから魔力無しの抵抗など無意味そのもの。


「貴族に嫁いだ女性に対する発言をよく覚えておくわ。王命の意味をはき違えたことも含めてね! ほんとありえない」


 私は男の身体をぱっと廊下の絨毯に投げ落とした。背中から落ちて声も出せずに咳き込んだ。

 私は男の前に立ち、ドレスの裾を片手で持ち上げた。


「床の相手儂がしてやっても良いですぞと言っていたわね」


 私は男の股間の上に靴の踵をぴたりと置いた。

 そして体重をゆっくり乗せた。


「おぎょおおおおおおおおおおおおおおお!」


 私はもう少し体重を加えた。男の顔が痛みで紫色に変わっていく。


「あなたの股間で魔力ありの子供を授けるなら、ヴァルテンベルク家は栄えていたはずでしょう? 血筋に魔力が宿らぬ元凶はここよ」

「ぎ、ぎぃ」


 男の口から空気しか漏れなかった。


「劣等感に苛まれた子にヒステリックで知能の無い妻。二人を放置して女の尻を追っかけてばかりのエロジジイの性欲なんて不要ね」


 私は最後に一度、踵でぐりと押し付けた。

 男で無くなった前侯爵は白目を剥いて意識を失った。


「あと二人か」


 私は踵を引き、絨毯の上の不能になった前侯爵を跨いで通り過ぎた。


 ◇◇◇


 ヘルミーナの寝室は二階の南棟。

 私が扉を蹴り開けるとヘルミーナは奥のテーブルで驚いた様子を見せていた。

 私は気にせず、部屋であるものを探す。あった……。

 壁に立てかけられている革製の鞭だ。体に何重も跡を残すこの鞭の威力を身をもって知っていたのだ。

 手に持ってみると意外に馴染む。適正武器なのかもしれない。


「何をする気!? まさかお止めなさい。平民が貴族に手を挙げてどうなるか。死罪だけではなすまなくなるぎゃっ! 痛いっ! やめてぇっっ!」


 声を聞くだけでも鬱陶しいのでさっそく振り回してみた。

 弱い者に鞭を振ることの何が楽しいのかさっぱり理解できないがやられたからにはやり返す。

 ただそれだけでヘルミーナの体にただ鞭を何度もたたき付けた。


「あぅ……あぅ」


 たった20発程度で縮こまるなんて情けないこと。


「あなたには冷水と熱湯もぶっかけられたっけ。用意するのは面倒なので……」

 鞭に炎の力を滾らせて、赤く変色させる。


「あ……あ……そんなの受けたら大やけどする」

「だから?」

「ぎゃああああああっっ! 熱いっ、痛いっ!」


 過度に熱した鞭を打ち付けて、ヘルミーナに声を上げさせる。

 大やけどと裂傷を刻みつけた後には氷属性を付与して傷つく口を抉る冷気の鞭をたたき込んだ。


「ゆ、許さない。この私にこんなことをしてぇ……」

「下位の爵位の者が上位の爵位の者に失礼を働いたら罪となる。でしたっけ」

「その通りよ!」

「じゃあ問題ないですね! 侯爵家みーんなぶっ壊して問題ない」

「何を言って……ぎゃああっ!」


 最低100叩きはしないと。私はまともな感性だから倍返しまではしない。

 私は傷だらけのヘルミーナの胸ぐらを片手で掴み上げた。


「もう……やめて」

「私の母の形見覚えますか? さっきあなたが踏みつぶした銀の十字架」


 ヘルミーナの目が見開かれた。


「私の母の温もりの籠もった証だったんですよ」


 本当の意味で私のモノではないが。母の形見を侮辱されたことは絶対許されない。


「あなたも形見になりましょーか。あの侯爵に渡すのに何がいい? 首? 指?」

「ひぃぃぃっっ!」


 私は移動中に手に入れた短剣の刃をヘルミーナの白髪の根元に当て、一気に斬り裂いた。

 斬りにくかったので髪を思いっきりひっぱり、ぶちぶちと切れていく中で髪を半分以上を分離させた。


「汚い髪ね。これじゃあ形見にならないわ」


 床に無造作に捨てて、再びヘルミーナの首根っこを掴む。


「ぎえええっ、な、何を」

「侯爵に直接聞きましょう。形見は何がいいかって」


 隣の部屋なのですぐたどり着くはずだ。私はヘルミーナを引き摺ったまま、侯爵の部屋の扉を蹴破った。

 書斎の中、エルナンは机の上の本に目を落としながらお茶をゆったりと啜っていた。


「お……お前か、平民。何の用だ。書斎の掃除は昨日済ませただろう」

「ごきげんよう、ご主人様。お話があって参りましたの」


 私の静かな口調にエルナンはようやく違和感を覚えていた。

 ずぶ濡れた寝間着。額の血。全身の裂傷。エルナンの視線は私の手の方へ行く。


「それはまさか母上か! 何をしている!」

「お義母様に形見を壊されたので、お義母様に形見になってもらおうかと思い、何がいいか聞きにきました。首? 指? 頭そのものでもいいですよ」


「気がおかしくなったのか!」

「常識的でないのはあなた方も同じだと思いますが」


 すでにヘルミーナは気を失っており、何も言えなくなっていた。


「ご主人様」


 私は静かに机に歩み寄った。


「私の魔力をご主人様に見て頂きたいと思い、参りましたよ」


 この惨状にエルナンの顔から血の家が引いていく。


「ふん、所詮平民の魔力。たかが知れているだろう!」

「あら、本当にそう仰いますの? まだお見せしてもおりませんのに」

「平民の魔力など火が出る程度であろう。それで侯爵家の当主たる私を脅すというのか」


 エルナンの声は強がっていた。けれどその手は机の下で震えている。


「ではお見せいたしましょう。一属性目『火』」


 私は片手を机の上のエルナンの書類の山に向けた。

 指から炎が伸び、書類の山が瞬時に燃え上がった。


「お、俺の書類が、契約書があああああああ」


 エルナンが慌てて手を伸ばすが、炎は私の指先一つで、ぱっと消えた。書類は炭になって崩れた。


「魔力で出して魔力で消す。この程度、私の指一つで可能ですよ」

「お、お前!」

「二属性目『水』」


 私は反対の手をエルナンに向けた。

 指先から頭ほどの大きさの水の球が生まれた。エルナンの目の前でふわりと浮かぶ。


「水を出して何をする気だ」

「ご主人様、お顔が汚いので洗って差し上げますね」


 球がエルナンの顔を覆う。エルナンは首を押さえて逃れようとするが逃げられるはずもない。

 ただ溺れさせる意味はないので魔力を解放し、顔と襟元を水浸した。

 エルナンは椅子にもたれかかり大きく咳をする。気管に水が入ったのだろう。


「げほっ! げほっ! 殺す気か……。平民のくせに」

「あら、まだ二属性ですわ。三属性目『風』」


 私は指をエルナンの椅子に向けた。

 風の刃がエルナンの椅子の脚を一瞬で切り裂いた。椅子は彼の体重を支えきれずにガタンと崩れエルナンは床に投げ出された。


「痛っ!」

「あらお足元お気をつけて」


 私は微笑んだ。


「四属性目『地』」


 私は足を書斎の床に踏み下ろした。

 書斎の石床が私の足元からエルナンの倒れた位置までぴしりと亀裂を走らせた。床がぐらぐらと揺れエルナンは這って後退する。


「や、やめろ。やめてくれ。もういい!」

「もういい? ふふっ、ご主人様は情けないですね」


 気にせずに私は続けることにした。


「五属性目『光』」


 私は指を彼の顔に向けた。

 指先から白い目の眩むような光が、エルナンの目を焼いた。


「ぐっ、ぅ、目が、目がああああああああああ!」

「弱い光なのですぐに戻りますよ。ちゃんと魔法をその目で見てもらわないとなので。ラスト六属性目『闇』」


 私は両手を軽く上げた。

 書斎の空気が一気に暗くなった。窓も暖炉も燭台の炎すらも黒く包まれた。そのまま闇は手のひらに収縮していく。そしてそれを押しつけるように地面にたたき付けた。

 その時。闇のエネルギーがエルナンのすぐ、横を飲み込んだ。


「……」


 エルナンの目に光が戻り、その光景に震えてしまっていた。


「ろ、ろ、ろ、六属性、まさかそんなはずが」

「いかがでした? あなたの嫉妬していらした『卑しい平民の血の魔力』、ご堪能いただけましたか」


 エルナンの顔は土色になっていた。床に転がったまま震えていた。


「平民が六属性を扱えるはずがない。そ、そんなことがあ、あり得るはずが」


 平民でここまで行使できる者はわずかだろう。だが。


「ゼロではありませんよ。古の大賢者様は平民だったという話は常識ですし」

「……」

「御主人様のような魔力なしに嫁いで子を成し、魔力を持った子供が埋まれば侯爵家は栄光を取り戻せるというのに……御主人様のご両親はどうしようもなかったですね」

「……けるな」

「はい?」


 エルナンは目を見開き、声を上げた。


「侯爵位は未来永劫俺のものだ! 魔力のある子も魔力のある妻も必要ない! どうせ魔力が無いと俺を見下すだけだろう! 俺から爵位を奪うつもりだろう!」


 その言葉にもはや説得する気も失せてしまった。

 だからここまでリリベルを拒絶したわけだ。自分にとって誇れるものは爵位しかないから。

 元々あの両親から生まれたこの侯爵、弁護の余地などないわけだが……なるほど。


「どうやらこの侯爵家は御主人様で終わりにした方が良さそうですね」

「っ! 卑しい平民が、俺を見下すなぁ!」


 エルナンは壁にかかっている剣を掴み、飛び出してくる。


「死ねっ!」

「私を殺したら多分旦那様はもっと悲惨な目に合うと思いますよ」


 まぁ魔力なしの剣に貫けるほど私の防御壁は弱くない。

 魔力で出現させた光の壁にエルナンの攻撃は貫けない

 王女たる者、いついかなる時も死と隣り合わせ。攻撃よりも防御の方が得意だ。

 それでも鞭打ち100回は堪えたけど。


「がはっ!」


 防御壁の出力上げて、エルナンを跳ね飛ばした。


「御主人様、非力ですね」

「っ!」


 激しい剣幕を見せるエルナン。

 私は机の上の冷めた水が入ったコップを持って、側に寄りエルナンの頭上から振りかけた。

 中の残った冷たい水がエルナンの顔を濡らす。


「あら冷めてますのね。つまらない」

「平民があああああっっ! 侯爵家の騎士達よ出会えっ! この女を捕まえよ」

「そろそろ終わりにしましょうか」


 私は窓を開けて、侯爵家の庭師によって綺麗に整われた庭園を見据える。

 そのまま飛び終わりて、最も大事に育てている樹木を潰すように降り立った。

 植物に罪が無いのは分かっているわ。でも庭師も一緒に笑っていたからね。

 私は侯爵家の入り口の門の方まで進んでいく。


「これ以上逃がさんぞ!」

「この屈辱を何倍にも返してやるわ。覚悟しなさい!」

「おのれぇ儂の、儂の大事なものを潰しておってぇ」

「この私の顔に排泄物を……平民の小娘がぁあああ」


「あらあら、皆さん揃って良い顔をしてますね」


 エルナンだけではない。目を覚ましたヘルミーナ、アルフレード前侯爵、マルガレーテと怒り狂い迫っていた。後ろに侯爵家の騎士だけでなく、使用人一同が揃っていた。

 この状態で捕まってしまったら死は免れない。

 幸い侯爵家の面々全員揃っているなら……ちょうどいいだろう。

 平民の小娘から受けたと思い込んで屈辱だと思っているようだけど、私の方が何倍も屈辱だということをそろそろ知らしめるべきでしょう。

 だからこの魔法を使うわ。


 ヴァルテンベルク侯爵家の屋敷そのものを地上に残しておくつもりはない。

 私は両手を挙げて、夜空に誓った。


「我が血脈と魔力に誓って天よ、鉄槌を具現せよ」


 夜空が唸り、暗闇の雲が渦を巻く。空が一瞬光り、私の魔力を全解放したことで真白の魔法陣が侯爵家屋敷全体を包み込み、やがて回転し始めた。


 魔力を込めたことで私の金色の瞳が光り輝く。

 その禁術とは即ち隕石落下(メテオ)

 三秒。

 二秒。

 一秒。

 火を纏った岩塊が空からゆっくり降ってきた。ヴァルテンベルク侯爵邸の真上に突き刺さる。


「あははははははははっ! 潰れてしまいなさい!」


 久しぶりに放ったこの術に私のテンションは弾けてしまった。

 前回、放ったのは二年前。帝国学術院でいじめを受け耐えていたのだが、小娘どもにいじめを指示してた主犯格が実は学術院の理事長の娘で学術院にアルバール国は多額の資金提供をしていた。

 その恩を仇で返された怒りで気づいたら学術院を隕石で粉々にしてしまっていた。


 あれで私が王女だとバレて、学術院理事長に謝り倒されたのよね。

 そしてもうこの術を二度と使わないと婚約者と約束したわけだが……。


「仕方ないですよね! だってむかついたんですから! 形見を壊されたんですか! こんな屈辱許せない!」


 そしてヴァルテンベルク侯爵邸が一瞬で更地になった。

 主人や使用人達一同全員外へ出ていたため、人的な被害は恐らく無い。

 だがエルナン筆頭、侯爵家の面々は伝統ある侯爵家屋敷を更地にされてしまったので唖然としていた。

 私は魔力を遣い尽くしてしまったので寝転がる。


「あー、ちょっとすっきりしたわ」

「ふざけるなああああああっ! 侯爵家になんてことをしてくれた平民がぁぁぁあ!」


 大声を上げるエルナン。メテオまで撃ったのにまだ気付かないのかしら。

 魔力を放出する時、王家を象徴する金色の瞳が光ったはずだけど、平民に対する偏見から現実を直視できないのかもしれない。

 倒れる私に侯爵家の皆が迫る。危機的な状況となるが……私はもう何もしてなかった。


 なぜなら。


「ここで何があったっ!」


 多数の王立騎士団の騎馬隊が大きな音を立ててやってきたのだ。

 メテオの存在を見て、馬の足を速めたのだろう。

 その先頭にいたのは騎士団長アーレント・グリーゼン閣下だ。


「ヴァルテンベルク侯爵、これはいったいどうなされた」

「どうなされたもない!王命で嫁いできた平民女が偉大なる侯爵家を破壊した。即刻危険極まりないこの女を捕縛し、死よりも恐ろしい罰を!」


「この女?」


 アーレント閣下と目が合う。そんな瞬間、アーレント閣下の顔が強ばる。


「なぜこの女性はこんなに傷だらけなのですか」


 その疑問に侯爵家の面々は次々と言葉を並べる。


「この平民女が侯爵家を乗っ取ろうとしたから! 平民に相応しいしつけを与えたにすぎない」

「その通りですわ! この卑しい血筋の女が高貴な私達にこの上ない屈辱を与えたのです!許せるはずがありません。鞭打ち熱湯冷水を与えただけじゃ生ぬるい! もっと大きな罰が必要です」

「この儂の体をこの女子は……! たくさん可愛がってやろうとしたのに仇成したのだ!」

「使用人一同も旦那方と同じ気持ちです! この平民妻の存在が罪です。排泄物の処理以上の仕打ちを与えてやるべきです」


「あらあら、嫌われてしまってますね」


 アーレント閣下が身を震わせているのを見て、勝ちを確信する。このお方とは幼少の頃からの付き合いで留学中の帰省時にも出会っている。もちろん金色の瞳も知っていた。


「な、な、なんということをこの方にしたのだ……。国王様は亡き王妃様の生き写しのこの方を溺愛されており、兄である王太子殿下とも仲睦まじい関係で……。しかも強国であるカルディア帝国皇帝の婚約者であられるんだぞ」


「何の話をしている。今はこの平民女の話をしているんだ! さっさとこの女を捕まえろ!」

「シルヴィアーナ様!」


 その時だった。アーレント閣下の横を通り過ぎ、私の側に現れた子がいた。


「ああ……まさかこんなことになるんて。申し訳ありません。全て私のせいです。こんなに傷だらけになるなんて……。美しいお顔が」

「リリアナ。ちょっとキツイ時もあったけどこの仕打ちをあなたが受けて事態が闇に葬られるよりはマシよ。閣下を連れてきてくれてありがとう」


 リリアナと私は話す。そんな様子をエルナン達が意味の分からない感じでキョロキョロ見ていた。


「なぜ平民女が二人いる。まさか双子だったのか」


 まだ気付いてない。どうしようもないわね。


「シルヴィアーナ!」


 その声は王太子であるお兄様だ。


「リリアナがおまえから受け取ったという母上の形見を見て心底驚いたぞ。全然帰ってこないし、父上も頭を抱えるぐらい心配を。えっ……」


 私のボロボロの姿を見て、お兄様がフリーズする。

 そしてもう一人。


「シルヴィ!」

「ローレンツ様!? なぜここに」


 彼はカルディア帝国の若き皇帝。そして私、シルヴィアーナの婚約者でもある。

 留学が終わって、アルバール国に戻るのはカルディア帝国に嫁ぐ前の最後の仕事をするためだった。

 ローレンツ様は国境までずっと側にいてくれたがまさか国境を越えてこの国までやってくるとは。

 ローレンツ様からはかなり愛されている自覚はある。


「シルヴィと会えない日が辛すぎて、無理言ってこの国に来たのだ。陛下や義兄上にも挨拶もしたかったしな。ところで……君の姿が想像絶するものに見えるのだが、僕の目がおかしいのか」

「お兄様、ローレンツ様。私、この侯爵家の皆様にボコボコにされました」

「どういうことだぁぁぁ、ヴァルテンベルク侯爵ぅぅぅぅ、説明しろぉおおおっ!」


 兄様が激怒する。小さい頃、転んで膝をすりむいた時でも医師を呼ぶくらいに私のことを大事に思っている兄だ。こうなるのは必然だろう。


「ま、まさかおまえは平民女じゃなくて本当に」

「おまえ? 誰に向かってそんな口聞いてるの」

「ひっ!」


 私が睨みながら冷たい声で聞くとエルナンは震え上がった。


「たまたまリリアナと出会って、侯爵家の扱いに疑問を持っていたから私、シルヴィアーナと入れ替わったのよ。あなた達はよくもまぁ王女である私を容赦なく叩きのめしてくれたわね」

「っ!」


 さっきまでうるさかった筆頭四人が黙りこくってしまった。

 平民女と思って糾弾したら実は格上の王女だったわけだ。気付く機会は一杯あったはずだったのに。


「カルディア帝国の全てをかけてこの者達を全員殺す。我が婚約者への暴力、到底許せるはずもない」

「ローレンツ様、お待ちくださいませ。私への愛を嬉しく思いますが簡単に終わらせては困ります。さて」


 私はにこりと笑って見せた。


「この者達にされたことを振り返ってみましょうかね。ね、マルガレーテ」


 メイド長マルガレーテは大きく震える。


「あなたグレーフェ男爵家の令嬢よね。私のことずっと下民って言ったけど、私って下民なの? ねぇ、男爵家からすれば王女って下民なんだ」

「そ、そ、そ、そのようなことは……」


「あなたにはたくさんの仕事を押しつけられたわね。掃除、そう一番大変だったのは動物の排泄物を手で処理させたらことよね。お兄様、排泄物を手で触ったことあります? ツメに入ったらなかなか匂いが取れないんですよ」


「お、俺の大事なシルヴィアーナになんということを……」

「申し訳ありません王女様! 知らないこととはいえ大変失礼なことをしてしまいました!」

「いいのよ」


 私はマルゲリータの肩に触れる。


「あなた、これに見覚えある?」

「ひっ!」


 そう、鈍器だ。


「この鈍器に二つ血痕があるわよね。一つは私があなたがぶん殴った時の血痕。もう一つはね。何か分かる?」

「あ……あ……」

「王女である私の頭をあなたがぶん殴った時についた血痕よ」


「この者を捕らえよ! 王女への暴力許せるはずもない! 徹底的に調べて生まれたことを後悔させろ!」


 兄様の指示により、騎士団はマルガレーテを連れていってしまった。

 さて次は……。


「アルフルート前侯爵」

「っ!」


 この男は私がすでに不能にしちゃってるから、罪状は一つね。


「私、この男に尻を触られました」

「妹に対する性的暴行、引っ捕らえ処罰せよ!」

「ぼ、僕でもまだシルヴィに触れたことないのに! 許せん!」


 あっという間にエロ元侯爵は引っ捕られてしまった。

 これでもうこのジジイに悩まされる女の子は出てこないことだろう。

 さて、次。


「は~い、義母様」

「ごめんなさい。ごめんなさい。申し訳ありません。申し訳ありません」


 現実逃避しているのか。ずっと謝り続けていた。


「あのね」

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」


 私はヘルミーナの胸ぐらを掴んだ。


「聞けって言ってんのよ。聞こえないの!?」

「ひぃぃぃいいいいい!」

「あなた言ったわよね。下位の爵位の者が上位の爵位の者に失礼を働いたら罪となるって」

「は……はい」


「まぁ王女は爵位とは言わないから、百歩譲ってあげることにするわ。それで私の母様の悪口もいっぱい言ったわよね。私の母はろくでもない身分だとかさ」

「そ、それは王女様のことでは」

「私の母様を誰か言ってみなさい。あなたなら知っているでしょ」

「ろ、ロザリーア様です」


「そう。母様はローゼンフェルト大公国の大公女だったわ。それでアルバール国王である父様に嫁いだのよ。ローゼンフェルト大公国は叔父上が治めてただけど急死されて、まだ幼い公子が成長するまで誰か変わりに大公の代わりをしなきゃいけなかったの」


 それでその役目として声がかかったのは亡くなった大公の姉の子供であるお兄様と私。

 お兄様は王太子だから駄目。だから私が帝国に嫁ぐまでは大公という立場になったわけよ。ま、お飾りだし来年には成長した公子に引き継ぐんだけどね。


「今は私は王女であり、ローゼンフェルトの大公の爵位を持つの。ね、侯爵って大公よりも偉かったっけ。教えなさいよ」

「あわわわわわっ」

「下位の爵位の者が上位の爵位の者に失礼を働いたら罪となるって言葉を身をもって知りなさい。お兄様、ローレンツ様」


 私は少し恥ずかしいが寝間着の紐を緩めて、肌を晒す。

 二人、特にローレンツ様は目線を外して恥ずかしがったが、すぐに私の体に刻み込まれた傷を見て驚愕の表情を見せた。

 全身に多数の血の滲んだ鞭の跡が痣となって残っていたからだ。


「全部この女にやられました」

「シルヴィへの狼藉! こやつを引っ捕らえよ! 帝国法に基づいて極刑にしてくれる!」

「ち、違うのです! ごめんなさい、ごめんなさい! いやああああっ!」


 ヘルミーナも捕まって連れ去れてしまった。もう彼女の姿を見ることはないだろう。


「最後に残ってしまいましたね。御主人様。ごほん、ローレンツ様の前でその言葉を言いたくないのでもう止めますね」

「こんなはずでは……。どうしてこんなことに……」


「すべて自分の責任でしょう。大した才能も無いのに平民な妻を侮辱しようとした報いです。王家は平民妻を道具として送り込んでいるわけではありません。希少の才を持つ平民の子には成り上がりの機会を。貴族家には再興の機会を与えるためです。それをはき違えてなりません」


「……申し訳ありませんシルヴィアーナ様」

「分かってくれたらならそれでいいのです。でも」


 私はエルナンの顎をがっと掴んだ。


「私への暴挙が許されるわけがないでしょう」

「ひっ」

「ローレンツ様、お兄様。私、この男に石床の上でパンを捨てられて手を使わず、犬食いで食べろと命じられました。床の味を感じたのは生まれて初めてです」


 ローレンツ様とお兄様の表情が般若のように激しいものとなった。


「王太子の妹で、皇帝の妻となる者が受けた屈辱。どうすれば良いでしょう」


「もう良い。リリベル、シルヴィアーナを連れて医務官のところへ。これから先への取り調べは俺とローレンツ殿で行う」

「ヴァルテンベルク侯爵。我が妻となるシルヴィへの暴挙、ご主人様などと呼ばせるなど許せるはずもない。しっかりと調べさせてもらうぞ」


 二人の上位の為政者の手によりヴァルテンベルク侯爵家はその日消滅することになる。

 残った使用人達も私は一切許すことはない。少なくとも貴族家で使用人達が働くことはもうできないだろう。


 リリベルに肩を貸してもらって馬車へ乗り込んだ時には疲れと魔力切れで気を失ってしまった。

 そして1日が過ぎた。

 目覚めた時は何だか世話になったことのある王宮の医務室だった。

 魔力を鍛えるには限界まで放出することを繰り返すことなので、何度か魔力切れで運ばれて家族の皆に怒られたものだ。


「傷……」


 側にあった鏡を通して自分の姿を見た。

 傷が全て治っていた。王城の中にあるあらゆる回復道具を使えば傷は完全回復するのは分かっていたが、使われる対象だったことは喜ばしいことだ。


「ローレンツ様」


 私の手を掴み、眠る婚約者の姿があった。

 隣国の中では一番の強国カルディア帝国の若き皇帝。見た目も麗しいその姿に魅せられる者も多い。私もその一人なわけだが。


「っ! シルヴィ、目が覚めたのか! 良かった。一日眠ったままだったから心配で」

「申し訳ありません。回復魔法で体が休息を求めたのだと思います。ローレンツ様には本当にご迷惑を」

「本当だ!」


 ローレンツ様の意外な言葉に面を食らう。


「愛しい人の傷だらけの姿など見たいわけが無いだろう。もうあんな無茶は二度とやめてくれ」


 ローレンツ様は涙を浮かべ、私に深い愛情を示してくれる。逆の立場だったと思うとぞっとするだろう。

 多分この後、お父様やお兄様にも叱られる気がする。


「あの禁術をまた使ったのだな……」

「はい……。もう使わないと約束したのに。母の形見を穢されてカッとなってしまって」

「僕が悪いんだ。君に我慢を強いてしまった。学術院の時とは状況が違う。すぐに手を出すべきだったんだ」


 確かに状況は違うのかもしれない。

 カルディア帝国学術院への留学は皇妃として嫁ぐ際、将来、信頼できそうな者を側に置きたかったため身分を偽わり生徒達を観察していた。

 結果、目立つ者に目を付けられ、怒り、学術院をメテオで粉砕することになってしまった。

 当初の計画が行えなくなり、ローレンツ様にも迷惑をかけてしまったゆえの我慢だったわけだが。


「こんな私でもまだお側において頂けますか」

「当然だ! 僕は幼少の頃から君を慕い、君を迎え入れるために皇帝になったのだから。体と心の傷を治したら一緒に帝国へ帰ろう」

「はい、もちろんです」


 この後、ヴァルテンベルク侯爵家がどうなったのか。知らされることはなかった。

 でも大体予想はつくし、私にはやることがあるので構っていられなかった。


 王国中、あとローレンツ様にもお願いして帝国を含めた魔力のある平民妻の行方を探った。

 もうリリベルのような目に遭うこともないように貴族に嫁ぐ平民妻の重要性を改めて説き、失礼な扱いをしてはならないという話もした。

 ヴァルテンベルク侯爵家ほどではなかったが扱いが良くない貴族家もあったようで結果は様々となった。


 そして王国での全ての仕事を終え、帝国へ嫁ぐ日となった。


「お嬢様、失礼致します」

「リリベル、ご苦労様」


 リリベルはいったんは私の側付きとなった。

 さすがにあんな事態に巻き込まれた以上、貴族家に嫁がせることはできない。本人も難色を示したし私も無理にはとは言えない。同じ立場で考えるなら到底無理だから、

 ただ魔力持ちは貴重なため側付きの仕事と一緒に帝国の魔導研究所で働いてもらうつもりだ。もちろんリリベルの意思は確認済だ

 そこで新たな出会いがあればそれで良しと言える。


 ちなみにリリベルの母の形見は国中の職人をまわって修復させた。大事なものだからね。


 帝国へ向かう馬車へ乗り込み、国境を過ぎる頃だった。

 そこは王国と帝国以外の国へ向かうところの要所。休憩中だった私達はたまたま同じ年頃くらいの娘を見つけた。何だか震えていて、そう初めて会った時のリリベルのような感じだったのだ。

 時間があったため、その子に話かけてみる。


「実は隣の教国の貴族に嫁ぐ予定なんですが……、どうしても婚家に違和感が拭えなくて」

「ふむ」

「あ、あのシルヴィアーナ様、まさか」


 リリベルの不安に対して私はこう言った。


「ちょっと入れ替わってみよっか」


 また少し寄り道が始まってしまったのであった。


貴族ファンタジーにおける平民、貴族の絶対的な差は面白いですよね。

でもリリベルのような目に遭った平民妻はいっぱいいたんじゃないかなって思います。


思ったより文章量が増えて焦りました。書き終えるのに2週間くらいかかるわけだよ!


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