9.現状把握(2)
「それで……星見亭のメニューって、どんな感じなの?」
二人の協力を得て星見亭を引き継ぐことになった私は、まず基本となる情報を集めることにした。
「メニュー表ならある。これだ」
ハイドが指先を軽く動かすと、不思議な力で一冊のメニュー表が宙に浮かび、ふわりと私の手元へと運ばれてきた。
ページを開くと、そこにはこう書かれていた。
――朝の部――
ミックスサンド 五百バルド
ホットコーヒー 四百バルド
アイスコーヒー 四百バルド
――昼の部以降――
カレーライス 七百バルド
ナポリタン 七百バルド
クラブハウスサンド 七百バルド
オムライス 七百バルド
パンケーキ 六百バルド
ホットコーヒー 四百バルド
アイスコーヒー 四百バルド
「わぁ……本当に喫茶店の王道って感じだね。これをおばあちゃんが一人で作ってたんだ」
「手際よく料理して、合間にコーヒーを丁寧にドリップしてたニャ。朝いちばんに店内に広がる香り……あれは最高だったニャ」
「確かに、あの匂いをかぐと『一日が始まる』って気がしたな」
チャルカが懐かしそうに鼻をひくひくさせ、ハイドも同意するようにゆっくり頷く。その姿を見て、星見亭が二人の心の中にしっかり根付いているのを感じた。
「じゃあ、私もまずはこのメニュー通りにやってみればいいのかな」
「もちろんそれでもいいけど……今の星見亭はアカネさんの店だニャ。少しずつ自分らしく変えていってもいいと思うニャ」
「私の手で……変えていく?」
チャルカの言葉に胸が高鳴った。星見亭を自分の好きな形にできる。今はまだ具体的なアイデアは浮かばないけれど、考えるだけで心が躍る。
けれど、ふと不安もよぎる。もし変えすぎてしまったら……常連のお客さんは離れてしまわないだろうか。
「でも……変えるのって難しいよね。おばあちゃんが作っていたメニューがなくなったら、常連さんは寂しく思うんじゃないかな?」
「それも一理あるニャ……。だったら、しばらくはこのまま営業して、慣れてきた頃に少しずつ変えていけばいいニャ」
「出だしはそれが一番だろうな。まずは常連客に“新しいマスター・アカネ”を受け入れてもらわないとな」
そうだ。星見亭の常連客は大事にしなきゃいけない。いきなり変えてしまえば、きっと不安にさせてしまうだろう。だから変えるとしても、慎重に、少しずつ……。
「うん。じゃあ、しばらくはこのメニューでやってみるよ。その前に、今どんな物が残ってるのか確認しないとね」
「そうそう、食材なら保管箱に入っているぞ」
「えっ……食材が残ってるの?」
私は思わずギョッとした。おばあちゃんが亡くなってから、もう数か月は経っているはず。普通なら食材なんてとっくに腐っているだろうに……。
「そ、それって……処分したほうがいいんじゃ……」
「何を言っている。まだ食べられるぞ」
「えっ!? で、でも数か月も経ってるんだよ!?」
「時間は経っていないんだ」
「……は?」
ハイドの言葉の意味が分からず首を傾げていると、カウンターに座っていた彼の体がふわりと宙に浮いた。
「こっちへ来い」
促されるままについていくと、調理台の下の戸棚の前で止まった。
「ここを開けてみろ」
言われるまま戸棚を開けると……そこには、普通の空間とは違う、きらめく境界のようなものが広がっていた。
「な、なにこれ……?」
「異空間に繋がる保管庫だ。『リスト』と言ってみろ」
「リスト……? ――わっ!? なにこれ!」
口にした瞬間、目の前に半透明のウィンドウが現れた。
「そこに表示されているのが、保管庫にある食材の一覧だ。どれか選んでみろ」
「ほ、ほんとに……? じゃ、じゃあ……キュウリ!」
恐る恐る選んでみると、空間の境目からスッと一本のキュウリが出てきた。
「で、出た……! 本当に出てきた!」
「それは数か月前に収穫したキュウリだ」
「えぇっ!? そ、それなのに……新鮮そのものだよ!」
「当然だ。その保管庫の中では時間が止まっているからな」
「……時間が止まってる?」
それはまさに、異世界ならではの機能だった。食材を異空間に保存し、しかも時間の経過すらしない。
「すごい……! これなら食材を買いすぎても腐らせることがないね」
「そうだ。畑で収穫したものを入れておけば、ずっと新鮮なままだ」
「畑? でも、この星見亭の周りには畑なんてなかったよ?」
「別の場所にある。……これが、その場所へ行くための宝石だ」
ハイドは空中から青い宝石を取り出し、私に手渡してきた。
「まさか、これも……光を当てると?」
「そうだ。別の場所に通じる入口が開く」
まるで、この世界に来た時と同じ仕組みだ。私は胸を高鳴らせながら宝石に光を当ててみた。すると、宝石から伸びた光が空間を裂き、きらめく入口を形作っていく。
ごくりと唾を飲み込み、恐る恐るその光の中に足を踏み入れると――。
「……わぁ。これが……畑?」
目の前に広がったのは、青空の下に広がる大地。草原と森が遠くまで見渡せ、胸いっぱいに風が吹き抜ける。解放感に包まれるその光景の中で、ぽつんと小さな畑があった。
畑の横には簡素な小屋。こじんまりとしていて、まるで家庭菜園の延長のような規模だ。けれど、この世界で自分の手で育てられる場所だと思うと、不思議と胸がときめいてきた。
でも、その畑を見て私は首をかしげた。まるで、ずっと誰かが手入れをしているみたいに整っているのだ。
「おばあちゃんが亡くなって、もう数か月経つのに……どうして?」
不思議に思いながら畑に近づいたそのとき、小さな影がぴょこんと動いた。えっ……動物? それとも――?
目を凝らしてみると、次の瞬間。
「来タ! チコ言ッテタ! アカネ、アカネ!」
「来タ、来タ! オ仕事スル?」
「野菜育テル? ソレトモ手入レ?」
「わっ、な、何これ!? ちっちゃい!?」
野菜の葉の間から飛び出してきたのは、緑色の服をまとった手のひらサイズの小人たちだった。
「それはチコに懐いていた植物の精霊だ。この畑に住み着いて、ずっと手入れをしてくれていたんだ」
「精霊……! そうなんだ……。異世界って、ほんとに不思議だなぁ」
そうか、この子たちのおかげで畑は荒れていなかったんだ。
精霊たちは私の足元まで駆け寄ると、ぴょんぴょん跳ねながら精一杯背伸びをして声をかけてくる。
「何スル? 何スル?」
「今日は見に来ただけだから、何もしなくて大丈夫だよ。ごめんね」
「大丈夫! 畑、手入レスル!」
「おばあちゃんの畑を守ってくれて、ありがとう」
「チコノ畑、大事! 守ル、守ル!」
小さな体を揺らしながらくるくる回る精霊たち。その姿は、まるで踊っているみたいで……思わず笑みがこぼれるほど可愛らしかった。
どうやら、この畑も私が引き継いで守っていかなければならないらしい。正直、少し不安もある。けれど……この小さな精霊たちがいてくれるなら、きっと大丈夫だ。
改めて、私は一人じゃないのだと実感する。胸の奥がじんわりと温かくなり、心強さが込み上げてきた。




