15.開店(5)
調理台を拭きながらお客さんたちとの会話を楽しんでいると、扉の鈴が軽やかに鳴った。顔を上げると、一組の夫婦が静かに入ってくる。
「やぁ、知らせを受けて来たんだ」
「新しいマスターさんは、どちらの方かしら?」
穏やかそうな雰囲気の夫婦だった。少し遠慮がちに、けれど期待を隠しきれない様子で店内を見渡している。
「いらっしゃいませ。私が新しいマスターのアカネです。どうぞ、これからよろしくお願いします」
私はすぐに声をかけ、笑顔を添えた。すると二人の表情がほっと緩み、柔らかな笑みを浮かべる。
「チコさんに似て、やさしい空気をまとった方だね」
「えぇ、本当に。すぐに馴染めそうですわ」
「そう言っていただけて嬉しいです。どうぞ、お好きなお席へお掛けください」
そう促すと、夫婦は小さく頷き合った。
「その前に……ホットコーヒーを二つと、ミックスサンドを二つ、お願いします」
「かしこまりました」
緊張を解いたように自然な声で注文する二人に、私は伝票へさらさらと記入する。
そのとき、夫婦の視線がカウンターへと向いた。
「おや? あなたたちも来ていたんだね」
「うむ、久しぶりだな」
「やほー」
「見慣れた顔が揃うと、落ち着くのぅ」
「なんだか、安心するニャ」
「ふふっ、本当にそうですね」
どうやら顔なじみらしい。四人と夫婦は穏やかに挨拶を交わし、懐かしい笑みを浮かべ合った。そのやり取りは、見ているだけで心を和ませる。
やがて夫婦は席に腰を下ろし、談笑が始まる。私はその間にエプロンの裾を整え、コーヒーとミックスサンドの準備を始めた。
店内ではお客さん同士の賑やかな声が心地よく木霊していた。その輪は自然と私にも広がり、時折話を振られては笑顔で応じる。会話の火が途切れることはなく、温かな空気が流れていく。
楽しく充実したひとときが続いていた時、また扉の鈴が軽やかに鳴った。
「やぁ! 新しいマスターって誰!?」
弾けるような元気の声が店内に響き、みんなが一斉に入り口へと目を向ける。私は手を止め、青年に向かって笑顔を向けた。
「いらっしゃいませ。私が新しいマスターのアカネです」
「君がそうなんだね! これからちょくちょく通うから、よろしく頼むよ!」
「はい、楽しみにしてます。ご注文はお決まりですか?」
「もちろん! ホットコーヒーとミックスサンドで!」
「かしこまりました」
勢いよく注文を告げた青年は、迷わずカウンター席へ腰を下ろす。そしてすぐに、顔なじみの四人へ声を掛けた。
「ほら、やっぱりいると思った!」
「なんじゃ、悪いか?」
「いやいや、むしろ安心したよ! “戻ってきたんだな”って感じがしてさ!」
「うむ。我も同じ気持ちでここに足を踏み入れた」
「ここは私たちの居場所だからねー」
「お店が閉まってた時は、体がそわそわして落ち着かなかったニャ!」
再会を喜ぶ声が重なり合い、店内はさらに明るく華やぐ。その笑い声に包まれながら調理する手元は自然と軽くなり、心も弾む。
きっと美味しく味わってくれるだろう。笑顔になってくれるだろう。そんなことを考えるだけで、料理を作る時間が楽しくてたまらなくなる。
やがて、夫婦に頼まれた品が完成した。私はトレーに丁寧に載せ、そっとテーブルへ運ぶ。
「お待たせいたしました。ホットコーヒーとミックスサンドです」
差し出すと、二人の目がぱっと輝いた。
「そうそう、これだ! これが食べたかったんだよ」
「あら……何も言っていないのに、砂糖とミルクまで添えてある」
「お好みに合っていて良かったです」
にこりと笑みを浮かべると、夫婦も穏やかに頷いて微笑んだ。
「星見亭が閉まった時は、本当に寂しかったんだ。でも、こうして再開してくれて……アカネさんが引き継いでくれて、本当に嬉しいよ」
「えぇ、またこの場所に帰って来られたことが嬉しいです。だからこそ、ありがとうございます」
その言葉に二人は満面の笑顔を返してくれる。それだけで、私の胸にも温かさが広がった。
「私も……おばあちゃんの大切なお客さんとこうして言葉を交わせて、嬉しいです。ここはとても温かい場所ですね」
「あぁ、本当に。何度も来たくなるくらいにね」
「会話を楽しむときも、一人になりたいときも……この星見亭があったから救われたんだ。だからこそ、こうしてまた戻って来られて、本当に嬉しい」
その穏やかな声に、私の胸の奥でも同じ思いがそっと重なっていった。
「これからも通うから、ぜひ星見亭を続けていってほしい」
「えぇ、それが私たちの願いです」
夫婦の真っ直ぐな言葉に、胸が熱くなる。
「……はい。皆さまの大切な場所を、これからも守っていきます。どうぞこれからもよろしくお願いします。それでは、ごゆっくりおくつろぎください」
深く頭を下げてから、私は静かにカウンターへ戻った。ほんの短い会話だったけれど、それだけで胸がじんわりと満たされていく。
星見亭は、おばあちゃんの店であると同時にたくさんの人にとって、心の拠り所なのだ。なくてはならない場所を受け継いだのだと、改めて実感する。
よし、次は青年の注文を仕上げよう。そう気持ちを切り替えたその時、再び扉の鈴が鳴った。
「いらっしゃいませ。星見亭へようこそ」
私はいつも以上に柔らかな笑顔で、新たなお客さんを迎えた。




