13.開店(3)
「チャルカ様と獣人様には砂糖とミルク、お姉様にはミルク、おじい様はブラックですね」
ホットコーヒーを配ったあと、それぞれの好みに合わせて用意する。手は自然に動き、まるでずっと前から繰り返してきた作業のように迷いがなかった。
「ニャー……そこまで引き継がれていたのかニャ?」
「さすがチコ殿。ぬかりない」
「フォッフォッフォッ。こりゃあ嬉しいわい」
「言わなくても分かってくれるなんて……本当に幸せね」
私の仕草に四人は目を丸くしつつも、やがてそれぞれが嬉しそうに微笑んだ。自然と自分の好みに合ったものを差し出される。その喜びは、誰にとっても変わらないのだろう。
「祖母から受け継いだものは、どれも素敵なものばかりです。こうして、初めて会う皆さんの好みまで知ることができるんですから」
誰かが誰かを思う気持ちは、とても素敵なものだ。形は違えど、そのすべてが尊く、温かい。
働いていた頃の私は、自分の仕事で精一杯で、周囲のことを気にかける余裕なんてなかった。常に追い詰められていて、ただ前だけを見て走っていた。
けれど、ここは違う。ゆったりとした時間が流れ、好きなひとときを堪能できる。そして、ほんの小さな気遣いが、何倍もの喜びになって返ってくる。
ただコーヒーを出すだけで、その温もりを実感できるのだ。なんて凄いことだろう。
三人は砂糖やミルクを加えて調整し、やがて四人そろってカップの取っ手に手をかけた。
「いい匂いじゃ……チコさんのと同じ香りがする」
「懐かしい……」
「心がぽかぽかしてくる匂いね」
「この時間、好きニャ」
口をつける前に、香りを楽しむ。それぞれが幸せそうに表情を緩め、待ちわびたひとときを少しでも長く味わおうとしていた。
やがて、四人がそっとカップを傾ける。私にとっては緊張の瞬間だった。おばあちゃんの味を、本当に再現できているだろうか。
ごくり、と喉が鳴る音が聞こえ、次の瞬間、四人はカップを置き、ゆるやかに口元を綻ばせた。
「これぞ、我が求めていた味」
「……変わらんのぅ」
「すごいニャ! チコさんと同じだニャ!」
「ふふっ、そうね。不思議なくらい同じ味……」
その光景に、胸いっぱいの安堵が広がる。よかった。本当に、おばあちゃんと同じ味で。
「そう言っていただけて嬉しいです。では、ミックスサンドをお作りしますね」
山場を越え、ようやく肩の力を抜くことができた。保管庫からパンと具材を取り出し、次の一品のミックスサンドに取りかかる。
「アカネも、チコさんのコーヒーを飲んだことがあるの?」
不意にお姉さんから問いかけられた。私は手を動かしながら、懐かしい記憶を思い出す。
「はい、あります。おばあちゃんの家に行くと、必ず最初の一杯として出してくれました。その一杯を飲みながら近況を報告するのが、もう定番でしたね」
「チコさんは聞き上手だったんだニャ?」
「そうですね。とても聞き上手で……つい話しすぎてしまったくらいです。そのせいで、逆に心配をかけてしまったこともありました」
「ふむ、わかる。我も気づけば余計なことまで話してしまったことがある」
「若いのぅ……。わしはそんなことは無かったぞ?」
自然とおばあちゃんの思い出話に花が咲く。語り合うそのひとときは、心をひとつにしてくれるようで、不思議と穏やかな気持ちになれた。
カウンターに広がる賑やかな空気。お客さんの言葉に耳を傾けながら、こちらも言葉を返し、同時に手を動かす。そんな時間が、かけがえのないものに思えた。
そうしているうちに、ミックスサンドが出来上がった。皿に盛り付けて、それぞれの前にそっと差し出す。
「お待たせしました。ミックスサンドです」
長方形に切られたサンドイッチが四つ。飾り気はないけれど、パンの隙間からのぞく具材が彩りを添えて、目にも美味しそうだ。
「おお、これも同じだな」
「うむ、チコさんのミックスサンドじゃ」
「この断面、いつ見ても心が和むわね」
「よし、早速いただくニャ!」
四人は顔を綻ばせながら手に取り、思い思いにかぶりついた。ゆっくりと噛みしめるように味わい、そして飲み込む。
「うん……これも、変わらない味だ」
「我はこれが食べたかった」
「素朴で、ほっとする味じゃ」
「美味いニャ!」
その言葉を聞いた瞬間、胸に安堵が広がる。おばあちゃんから受け継いだものは、確かにお客さんを笑顔にする力になっていた。もし失っていたら――皆を悲しませてしまっていたかもしれない。
「ご満足いただけましたか?」
「はいニャ! 変わらぬ味に安心したニャ!」
「またこの味を堪能できるとは思わなかった。我は満足だ」
「もう味わえないと思っていたから……本当に嬉しいわ」
それぞれが口にする喜びの言葉。その中で、ただ一人おじいさんだけが黙ったまま俯いていた。胸が少しざわつく。どうしたのだろう? そう思った矢先、おじいさんはゆっくりと口を開いた。
「……アカネさん」
「はい。なんでしょうか?」
「……この世界に来てくれて、本当にありがとう」
その一言に、胸が大きく跳ねた。
「わしらに生きる糧を与えてくれて……心から感謝しておる」
「そ、そんな! 大げさですよ! 私はただ、おばあちゃんの大切な場所を守りたくて来ただけで……」
「それでも、それは大きな決断だったはずじゃ。どうして、そこまで思えたんじゃ?」
おじいさんの真っ直ぐな眼差しに、胸の奥が熱くなる。逃げられないと思った。
「……私、仕事に追われるうちに、ずっと心に穴が空いたような気持ちになっていました」
声に出すと、不思議とすらすら言葉があふれていく。
「毎日、必死に働いて……でも結局、何を残せたのか分からなくて。ただ疲れ果てて、心がすり減っていくだけで。でも、そんな私を支えてくれたのがおばあちゃんでした。おばあちゃんがいてくれたから、私はなんとか生きてこられたんです」
そこまで言って一度深呼吸をし、胸の奥の想いを確かめるように続ける。
「だからこそ、おばあちゃんが亡くなったときは、本当に悲しかった……。それでも、大好きな気持ちは変わらなかった。そんなおばあちゃんが最後に託してくれたのが、この星見亭だったんです。そこには、おばあちゃんの想いがぎゅっと詰まっていて……私への想いも一緒に残されているように感じました」
自分の声が震えているのが分かる。それでも止められなかった。
「その想いに触れたとき、自然と継ごうって思えました。でも、本当のところは……ただ、おばあちゃんの気持ちに包まれていたいという、子どもじみた願いなのかもしれません」
そう口にした瞬間、胸の奥に絡みついていた重さがすっと溶けていくようだった。
改めて四人の顔を見渡し、私は深々と頭を下げる。
「精一杯頑張ります。どうか……おばあちゃんのいない星見亭を、これからもよろしくお願いします」




