10.開店準備
「えーっと、品物はこれで全部かな?」
「こっちの世界で必要なものは、私が揃えたニャ!」
「畑の収穫もきちんと終わっているな」
バインダーに挟んだチェックリストを見ながら、カウンターの上に並べた品物を一つずつ確認していく。終わった分は異空間の保管庫にしまっておけば安心だ。
「コーヒー豆は日本から仕入れてるんだね」
「そうニャ。こっちの世界にもコーヒーはあるけど、チコさんは日本の豆を使っていたニャ」
「チコはその豆の味に惚れこんでいたからな。どうしても譲れなかったらしい」
「なるほど……。じゃあ、コーヒー豆はおばあちゃんのこだわりなんだ。星見亭の大事な味だから、これからも変えずにいこう」
わざわざ日本から取り寄せるくらいだもの。おばあちゃんの強い想いが詰まっているのが伝わってくる。
「豆の仕入れは問題なかったのか?」
「うん。担当の人、おばあちゃんが異世界で喫茶店をやってるってことを知ってたみたいでね。私が後を継ぐって話したら、すごく喜んでくれたんだ」
「そっちの縁も大事にするニャ。これから長い付き合いになるニャ」
「もちろん!」
ハイドから受け取ったおばあちゃんの手帳には、星見亭を続けるために必要なことが細かく書き残されていた。その中に、コーヒー豆の卸し先の連絡先もあった。
そこに電話をすると、担当者さんはすぐに豆を車に積んで家まで運んできてくれた。対応もとても丁寧で、「何か困ったことがあれば力になります」とまで言ってくれる。
おばあちゃんに関わっていた人は、みんな本当に温かい。そんな人たちと接するたびに、社畜生活ですり減っていた心が、少しずつ元の色を取り戻していく気がした。
「うん、品物はこれで完璧。じゃあ、チャルカ、支払いを済ませよう」
「はいニャ! これが請求金額ニャ」
カウンターの端に置かれた四角い銀色の機械に、互いのカードを差し込む。私が金額を入力して決定ボタンを押すと、ふわりと光が走り、すぐに支払い完了の合図が出た。
「ちゃんと入金されたニャ! 毎度ありニャ!」
「なるほど、慣れれば本当に便利だね」
「この機械でのやり取りも大事だけど、現物で支払う客も少なくない。そっちも間違えないように気をつけろよ」
「うん、分かってる」
チャルカはホクホク顔で、耳としっぽをぱたぱた揺らしていた。そんな姿を見て、思わずこちらも笑みがこぼれる。けれど、支払い方法はこの機械だけじゃない。現金でのやり取りの方が、むしろ気を張らなければいけないのだ。
「これで準備は大丈夫だね。あとは当日の仕込みか……。ほんとに、練習しなくても平気なの?」
「心配いらん。チコの力を受け継いだんだろ? その中にはチコが積み重ねてきた技術も含まれている。つまり、アカネはチコと同じように動けるはずだ」
不安になって尋ねたけれど、ハイドは自信に満ちた表情で言い切った。どうにも実感が湧かないが、私はもうおばあちゃんのように振る舞えるらしい。
確かめるように目を閉じ、頭の中でコーヒーをドリップする光景を思い描く。すると――まるで記憶の映像が投影されたかのように、鮮明な手順が浮かんできた。
その映像に合わせて手を動かすと、驚くほど滑らかに体が応えてくれる。湯を注ぐ角度、手首の返し、香り立つ蒸気の感覚まで、まるで長年やってきたかのように自然だった。
「不思議……。初めてのはずなのに、初めてじゃないみたい」
「チコは偉大な魔法使いだったからな。その魔法があれば、常識では考えられんことでも可能になる」
「そんなすごい魔法、私も使えるの?」
「もちろんだ。チコは魔法を駆使して、この星見亭を経営していた。アカネも同じように、魔法を使いこなすことになるだろう」
「……魔法で経営、か」
自分が魔法を扱えるなんて、まだどこか夢のようで現実味がない。けれど、映像の中のおばあちゃんは確かに魔法を使い、楽しそうにコーヒーを淹れていた。
自分にもそんな風にできると思うと、胸の奥がわくわくと弾んだ。美味しいコーヒーを淹れて、お客さんが嬉しそうにカップを口に運ぶ。その光景を想像しただけで、自然と笑みがこぼれる。
「早く、喫茶店を再開させたいな」
「その意気ニャ! アカネさんなら絶対に大丈夫ニャ!」
「アカネの準備も整ったな。では、常連たちに知らせておこう」
「知らせるって……どうやって?」
「こうやってだ」
ハイドが背筋を伸ばし、宙を見上げる。すると、その視線の先に柔らかな光が生まれ、やがて星のきらめきのように広がっていった。光は細い線となり、扉の隙間へ放たれるように飛び散っていく。
「これは……?」
「星見亭再開の合図だ。常連たちへ知らせを送った。時間ができれば、きっと顔を見せに来てくれるさ」
「へぇ……。魔法って、こんなことまでできるんだ」
これで星見亭の再開を、みんなが知ることになる。もう後戻りはできない――でも、それでいい。もう覚悟は決まっている。
「とうとう明日が開店だニャ! 一番に駆けつけるから、その時はよろしくニャ!」
「ふふ、チャルカが最初のお客さんか……。なんだか安心するな。ここまで助けてくれて、本当にありがとう」
「いいんだニャ! 星見亭は私にとっても大事な場所だから……。再開出来るのなら、なんだってするニャ!」
チャルカが嬉しそうに言ってくれるその声が、胸にじんわりと染み込んでいく。ここまで辿り着けたのは、ハイドとチャルカが支えてくれたおかげだ。二人がいなければ、きっと途中で心が折れていたかもしれない。
あとは、開店を迎えるだけ。
窓の外を見れば、空はすっかり夕闇に包まれていた。灯りを落とした店内には、ほんのりと豆の香りが漂っている。それだけで、心が穏やかになった。
明日、この扉を開ければ、お客さんが訪れてくれる。私が淹れるコーヒーで笑顔になってくれるだろうか。星見亭の味を、また好きになってもらえるだろうか。
不安はあるけれど、それ以上に胸の高鳴りの方が大きい。
「……よし。明日は、頑張ろう」
小さくそう呟いて、カウンターをそっと撫でる。おばあちゃんが愛したこの場所で、いよいよ私の物語が始まる。
明日が来るのが、待ち遠しくてたまらなかった。




