置かれたもの
その違和感は、
急にやってきた。
ゴミを出そうとして、
玄関を開けた瞬間。
光莉は、
足元を見て、止まった。
——紙箱。
小さな白い箱が、
玄関マットの端に置かれている。
(……なに、これ)
マンションの廊下。
誰もいない。
エレベーターの音も、
階段の足音も、聞こえなかった。
箱は、
見覚えがありすぎるデザインだった。
淡い色のロゴ。
角の少し潰れた形。
——昔、よく好きで通ったケーキ屋。
喉が、
ひくりと鳴る。
(……違う)
違う、と思いたいのに、
体が動かない。
そっと、
箱を持ち上げる。
軽い。
中身は、一つだけ。
シュークリーム。
包装紙を留めるテープの位置まで、
記憶と同じだった。
(……なんで)
圭介と一緒に、何度も買った。
帰り道。
特別な日でもない、
ただの平日。
「今日はこれにしよっか」
そう言って、
二人で半分に分けたこともある。
——誰にも、話していない。
今の生活に、
持ち込まれるはずのないもの。
手が、震え出す。
食べたい、じゃない。
懐かしい、でもない。
触れない。
その感情だけが、
はっきりしていた。
「……蓮さん」
声が、
思ったより小さくなった。
すぐに、リビングから足音。
蓮は、
箱を見て、すべてを察したように、
一瞬だけ表情を変えた。
「……開けましたか」
「……中を」
それ以上、聞かれなかった。
蓮は、箱を受け取ると、
静かに蓋を閉める。
「これは、食べない」
断定だった。
「捨てます」
光莉は、
何も言えなかった。
甘い匂いが、
一瞬、空気に残る。
それが、ひどく気持ち悪い。
「……私」
言葉を探す。
「私、どこかで見られてますか」
蓮は、
少しだけ考えてから、答えた。
「はい」
否定しなかった。
「でも、もうここまでです」
——その言い方が、
逆に怖かった。
その夜。
圭介は、
スマホを眺めていた。
通知は、来ない。
当たり前だ。
怖がらせるつもりは、なかったといえば嘘になる。
連絡する気は、
まだない。
ただ。
分かってほしかった。
俺は、
まだ“知っている”と。
俺は、
まだ“覚えている”と。
なのに。
光莉は、
泣いてもいない。
縋ってもいない。
もう、
次に進もうとしている。
——それが、
どうしても許せなかった。
「……違うだろ」
誰に言うでもなく、
呟く。
圭介は、天井を見つめる。
——次は、
もう少し、はっきりさせよう。
そう思った自分を、
止めなかった。




