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35歳、年下御曹司に本気で溺愛されていました  作者: 真夜中さん


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10/17

何もしなくていい日


蓮さんが出ていってから、


部屋は驚くほど静かだった。


高層階のせいか、外の音もほとんど届かない。


冷蔵庫の低い唸りと、


時計の秒針の音だけが、やけに大きく感じる。


「……何しよう」


そう呟いてから、


すぐに気づく。




——何もしなくていい、って言われたんだった。


ソファに座り直す。


昨日は気づかなかったけど、


沈み込み方が深くて、立ち上がるのに少し力がいる。


(……私、重いな)


そんなことを考えてしまって、


慌てて首を振った。


ダメだ。


今日は考えないって、決めたのに。


キッチンをそっと覗く。


ピカピカに磨かれたシンク。


整然と並んだ食器。


勝手に触っていいのか分からなくて、


結局、何もせずに扉を閉めた。


洗濯機も、


クローゼットも、


冷蔵庫も。


全部、「使っていいよ」と言われているのに、


どこにも手を伸ばせない。


(……居場所、借りてるだけだもんね)


鏡を見て、思わず目を逸らす。


借りたTシャツの下で、


自分の体のラインがはっきり分かる。



35歳。

75キロ。

無職。



昨日より、何も変わっていない。


なのに、


昨日よりも、少しだけ——苦しい。


「はぁ……」


窓際に立つと、


街が遠くに見えた。


人も、車も、小さくて、


まるで別の世界みたい。


(この人たちには、


 私がここにいることなんて、関係ない)


そう思ったとき、


テーブルの上の鍵が目に入った。


重たい、金属の感触。


「出てもいいし、帰ってきてもいい」


そう言われた、あの言葉。


……帰ってきても、いい。


胸の奥が、きゅっと縮む。


私は鍵を握りしめて、


玄関まで行き、


それでもドアを開けられずに立ち尽くした。


外に出たら、


現実に戻ってしまいそうで。


ここにいたら、


いつか追い出される気がして。


どっちも、怖い。


そのまま、


ゆっくりと床に座り込んでしまった。


「……私、何してるんだろ」


情けなくて、


でも、涙は出なかった。


泣き疲れたのかもしれない。


そのとき、


スマホが震えた。


——蓮さんからだった。


『体調、大丈夫ですか』


短い文。


それだけなのに、


胸が一気に熱くなる。


『はい。大丈夫です』


すぐに返したあと、


少し迷って、続けて打つ。


『あの……何もしなくていいって言われるの、


 実はちょっとだけ、つらいです』


送信してから、


心臓が早鐘みたいに鳴り出した。


重いって思われたかもしれない。


面倒な女だって。


数秒後。


『そうでしたか。ごめんなさい』


即レスだった。


『じゃあ、ひとつだけお願いしてもいいですか』


お願い。


その言葉に、指先が少し震える。


『夕方、少し散歩してください。

 帰りに、コンビニでプリン買ってきてほしい』


……プリン?


『それが、今日の仕事です』


画面を見つめたまま、


ふっと、息が抜けた。


仕事。

役割。

私に、やること。


たったそれだけなのに、


胸の奥が、じんわり温かくなる。


『分かりました』


そう返して、


私は初めて、


玄関のドアに手をかけた。


鍵を回す。


外に出る前、


一度だけ振り返る。


(……帰ってきて、いいんだよね)


誰もいない部屋に、


小さく言い聞かせてから。


私は、


「居場所を借りているだけの女」として、


でも確かに——


今日を生きるために、外へ出た。





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