つけ洗い
「おはよう」
2階の自室から階段を降りてリビングに入ると、お姉ちゃんがキッチンで朝食の用意をしていた。
「おはよう。陽菜、あんたお弁当の用意してないけど大丈夫なの?」
「うん、行きにコンビニでパン買おうと思ってたから」
「えッ、そうなの? トースト用意しちゃたんだけど」
お姉ちゃんの動きが止まる。私は朝昼パンでも全然いいけどなぁ。
「気にしないで、お昼はおにぎり買うから」
「そう」
お姉ちゃんは再び手を動かし始めた。
でも、変われば変わるものだよね。お父さんが生きてた頃は、家事なんてほとんどやらなかったお姉ちゃんが、議員の仕事で忙しいお母さんの代わりに、かいがいしくするようになるなんて。
私も変わってきてるよ。自分でお弁当を作るようになったし。ただ、今日はサンドイッチが食べたかったの。
「顔洗ったら、手伝ってよ」
「は〜〜い」
私は洗面所に行って歯ブラシをくわえた。そしてコシコシ磨きながら、ハタと思い出した。
そう言えば、お父さんどうなったんだろう。
洗面をそこそこに急いでリビングに戻ると、お姉ちゃんに駆け寄った。フライパンには、目玉焼きとウインナーが焼かれている。
「お姉ちゃん、お父さんって見かけた?」
「そう言えば、まだ見てないなぁ。案外、成仏しちゃったんじゃない」
えぇ、そうなのかなぁ。もうちょっといてくれても良かったのに・・・でも、成仏出来たほうがお父さん的には幸せなはずなんだよね、きっと。
「おはよう。ねぇ、ちょっと聞きたいんだけど」
起きてきたお母さんを見ると、小脇にペンギンの抱き枕を抱えていた。
「誰かベッドに、お父さんの抱き枕入れた? 起きたらすぐ横にあったんだけど」
私とお姉ちゃんが、同時に頭を横に振った。
「じゃあ、誰が入れたっていうのよ」
お母さんは納得できないように愚痴った。
そう言えば、お父さん寝るって寝室に入ってったけど、そうなると当然、お母さんと共有のダブルベッドだよね。
お父さんが寝てたところに、お母さんがベッドに入って行ったんだよとは、言っちゃいけないだよねぇ・・・。
「お母さん、昨日だいぶん酔っぱらっていたから、自分で抱えてベッドに入ったんじゃないの? お父さんが寂しくなってさぁ」
お姉ちゃんが目玉焼きをお皿に移しながら、上手な嘘をついた。
「記憶はあんまりないけど、そんなことしないと思うんだけどな。そもそも、これオジサン臭が抜けないどころか、なんか変異臭になってきてるからさ」
お母さんはそう言いながら、ペンギンを両手で持ってマジマジと眺める。
「・・・まぁいいか。ついでだからこれ、ゴミに出しちゃおうか」
ヤバッ!
「ちょ、ちょっと待ってお母さんッ。はやまってはダメだよ。まだ、動くかもだし」
私が少し取り乱してそう言うものだから、お母さんは驚きで目を見開いて、それからクスクス笑った。
「どうしたの? 動くって何で抱き枕が動くのよ。だいたい、2人だってお父さんの遺品整理してる時に、臭いからさっさと処分しろって言ってたじゃない。あの時は、処分方法がいまいち分からなく保留にしたままにしちゃったけど」
お母さんは再び、マジマジとペンギンを見た。
「・・・生ゴミと一緒の袋で良いわよねぇ? 念の為、カッターで裂いてバラバラにして捨てたほうが良いかしら」
それはちょっと、今の私たちにはスプラッターだよ。
「私、大学で凄い消臭力のある洗剤をもらったの、ちょっと試してみたいから、その抱き枕使わせて欲しいな」
「別に構わないけど、使い終わったら処分しておいてくれる?」
「うん、分かった。さぁ、できたから食べて」
お姉ちゃんは出来上がった料理をテーブルに運ぶ。私も手伝う為にお姉ちゃんに近寄ると、
「ナイスだよ、お姉ちゃん」
と小声で囁いた。
「コーヒー淹れるわね」
お母さんはペンギンの抱き枕をソファーに置いて、キッチンに入って行った。
私はチラッとソファーを見ると、ペンギンは少し体の向きを変えて私を見た。
まだいるんだね、お父さん。
「ヒナ、おはよう」
「あ、おはよう、サチ」
教材を机にしまっていると、隣の席に座った井上佐智が明るい声で話しかけてきた。
「聞いた? 今度の中間考査で科目ごとに平均点以下だったら、放課後に居残り学習があるらしいよ。部活で噂になってた」
「ふ〜〜ん」
私はハタと疑問がよぎった。
「じゃあ、平均点が85点だったら、84点とってても居残り学習になるってことかぁ。なかなかハードだね。でも、平均点が30点なら31点取ればいいから、それは楽かも・・・」
すると、サチは天井を見上げて、少し考えるふうになった。
「ごめん、誤情報っぽいわ。まぁ、私が何が言いたいかというと、また勉強会をやらない? てこと」
「それは、別にいいけど」
「やったッ。じゃあ、前みたいにヒナの幼なじみの男子らも呼んで、一緒にやろうよ」
あぁ、それが目的か。サチ、聡太さんのこと気に入ってたもんね。
「あの2人はダメだよ。私の大事な推しなんだから」
「推しなのはいいけど、2人ともっていうのは欲張りなんじゃない?」
明らかに不満そうな表情で、サチが顔を寄せてくる。
「ごめんね、2人じゃないとダメなの。たとえサチでもそれは譲れないわ。私と2人で勉強会なら、いつでもいいから・・・」
あッ、そう言えば。
「ごめん、今はうちで勉強会出来ないよ。うち事故物件になってたんだった」
「え? 事故物件って・・・お父さんが亡くなったのって去年だよね。この前だって、遊びに行ってるし・・・もしかして、また不幸があったの?」
サチが心配そうに私をみた。
あれ? 事故物件って幽霊が出ることじゃなかったけ。
「あ、ごめん。死んだのお父さんだけだから」
「もうッ、驚かせないでよ。」
「・・・ちょっとね、家の中がゴタゴタしていて、ひとを呼べる状態じゃないんだ」
私が神妙に言うと、サチは何かを察して優しい眼差しになった。
「・・・いろいろあるよね。じゃあ、うちで勉強会やろう。聡太くん達も呼んでさ」
「それはない」
「駄目かぁ」
私とサチの笑い声は、チャイムの音にかき消されていった。
「ただいま」
鍵を開けて玄関に入る。
お母さんは議員の仕事で役場に行くって言ってたけど車もないし、まだ帰ってないようだ。お姉ちゃんは大学のあとバイトと言ってたから、帰りは遅くなるはず。
だとしたら、お父さんが動いてると思うんだけど、テレビの音は聞こえてこない。
「お父さん、居るの?」
私は家中に聞こえるように呼んでみた。しかし、物音1つしない。
リビングに入り、見渡してみるがペンギンの姿は見あたらなかった。しかし、テーブルの上にスケッチブックと、マジックが置いてあるのに気がついた。
何か書いてある。
(しずんだら いきできないんじゃないか?)
(だきまくらなんだけど)
なんのことだろう?
私は前のページをめくった。
(せんたっきは やぶれるんじゃないか?)
(ぬのが うすくなってるだろうし)
(つけおきって どこで?)
あぁ、そういうことか。
私は浴室に向かうと洗濯機が目に入り、一応覗いた。
うん、入ってない。
それから浴室の引き戸を開けると、そっと足を踏み入れた。
「お父さ〜〜ん?」
呼んでみると、浴槽から微かに水音がした。
私はおそるおそる浴槽をのぞく・・・居た。
半分ほど貯められた水の中で、浴槽のフタを重しにペンギンが沈んでいた。顔から上だけのぞいているのは、お姉ちゃんの優しさだろうか。
「お父さん、大丈夫?」
そう声をかけると、お父さんがわずかに動いて水面に波が立った。
シュールだよ、お父さん。
私はスマホをポケットから出すと、カメラで思い出に1枚撮っておいた。
あれ? そう言えば、いつまでつけておくんだろう。
私はLINEを開くと、お姉ちゃんに聞くことにした。すると、すぐに返事は返ってきた。
『ごめん、忘れてた。バイトに行く前に上げるつもりだった』
そうなんだ。じゃあ、どうすればいいか、LINEする。
『水洗いして干しといて』
了解。
私は浴槽の栓を抜くと、重しのフタを持ち上げて横に置いた。
すると、お父さんが起き上がろうとするが、水分を含んだ体が重いのか、バタバタもがくだけだった。
私は手を差し伸べると、腰のあたりを持って立たせてあげた。すると、ペンギンが体をわずかに前に倒して、感謝を表したようだった。
「お父さん、水洗いするけどかけて良い?」
私はシャワーを持ちながら確認すると、ペンギンはさっきより大きく前に傾いた。
あれ? かけるのって水でいいのかな、それとも温水のほう? まぁ、ペンギンだったら水だよね。
私はレバーを捻ると、ペンギンの頭から水をかけた。かけられている間、ペンギンは微動だにしない。寒くはないようだ。
泡も出なくなったので、水を止めると浴槽からペンギンを持ち上げた。
うッ、結構重い。
ボタボタと、ペンギンの股から水が垂れる。
私は排水口の上にペンギンを置くと、先に洗剤でヌメッている浴槽を洗った。それから、洗濯機の前に置いてあった洗濯かごを取ると、ペンギンを中に入れる。
少し軽くなったかな。
私はかごを持ち上げて、物干し竿のある2階のベランダに出た。外は夕方5時を回っているが、まだ明るくて日差しも届いている。
さて、どうやって干すかだよね・・・。
円柱形に近いペンギンを、洗濯バサミでつかむのは難しそうだ。何か紐でくくって吊り下げるのが良いだろうか。
私は室内に戻ると、1階に降りて新聞をまとめる用のビニール紐と、スケッチブックを持ってベランダに戻った。
「お父さん、今から吊り下げて干すけど、何か言い残すことある?」
そう尋ねながらスケッチブックを広げて、マジックを差し出した。
(いつまで?)
ペンギンはそう書いて、私を見上げる。
「どうかなぁ・・・明日の夕方くらいまでには乾くんじゃないかな」
私もぬいぐるみを干した経験がないので、推測でしか言えない。
(わかった がんばる)
「うん、頑張って」
私はビニール紐を伸ばすと、ペンギンのヒレの下で2周回した。そして、紐の先を物干し竿に結びつてペンギンを吊り下げる。
バランスが悪いのか、体全体が斜め下を向いてしまった。なんだか、時代劇で見る罪人が吊るされてるみたいになってしまった。
直そうかと考えていると、ペンギンがブラブラと揺れ始めた。
・・・楽しそうだから、まぁいいか。
私は洗濯かごを持つと、窓を閉めて室内へと戻った。
チラッと振り返ると相変わらず揺れていて、チラッチラッと夕日が隠れたり覗いたりしていた。




