10-3 思い出を下さい (3) 灰色の城壁の中で
王都を発ち、二日目の街道。
馬の蹄が土を叩き、乾いた風が頬を撫でていく。
レオンハルトは馬上で伸びをしながら、のんびりと空を見上げていた。
「……しかし、久しぶりだな。王都の外に出るのは」
隣で馬を進めるロイが視線を向ける。
「戦場ではなく、外交の旅というのは不思議なものですね、レオン様」
「ああ、俺には似合わねぇよ。国を出る時は戦であってほしいなぁ」
レオンハルトは笑って肩をすくめた。
「そうですね、私も剣を振るっている方が性に合っています」
そんな軽口に、二人は苦笑した。
「でも、今回はレオン様の存在こそが交渉の鍵になります。……隣国は“聖者”が目的なのだから」
「聖者ねぇ」
レオンハルトは鼻で笑う。
「拳しか取り柄のねぇ俺を、持ち上げすぎだろ」
「それでも、レオン様は英雄です。少なくとも、国にとっても、私にとっても」
ロイは静かに言い切った。
そして、ちらっとレオンハルトの顔色を伺う。
レオンハルトは「そうか?」ととぼけたように答え、すぐに前を見据えた。
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三日後。
二人は隣国シュタイン帝国の城門前に到着した。
灰色の城壁は高くそびえ、兵士たちの目は鋭い。
「……歓迎してる雰囲気じゃねぇな」
レオンハルトが低く呟く。
兵士たちは無言のまま槍を構え、入国の手続きを進めた。
形式上は礼儀を尽くしているが、そこには露骨な敵意がにじんでいた。
「ようこそ、聖者殿」
やがて姿を現したのは、金糸の刺繍をまとった青年だった。
その笑みは柔らかいが、瞳は冷たい。
「私は宰相、ディートハルトと申します。遠路はるばる、お疲れでしょう」
ロイが一歩前に出て、礼を取る。
「アルビオン王国より参りました。ご挨拶を賜り光栄です」
ディートハルトは微笑んだまま、視線をレオンハルトへ移した。
「そして……噂の聖者殿。あなたにお目にかかれることを、我が国の栄誉といたしましょう」
「……へぇ」
レオンハルトは口の端を上げる。
「歓迎って割には、槍がやたらとこっち向いてんじゃねぇか」
一瞬、場が凍りつく。
ロイがすかさず割って入り、空気を和らげた。
「お気を悪くなさらず。道中の警戒が続いているだけでしょう」
ディートハルトは笑みを崩さず、手を振った。
「その通り。魔族の影が迫っているのです。……どうか、お気を悪くされませぬよう」
その声音は礼儀正しい。
だが、どこか底知れぬ意図を含んでいた。
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夜。
用意された客室に入ったレオンハルトは、窓辺に腰を下ろした。
街を見下ろす視線は険しい。
「……やっぱり怪しいな。この国のやつらは」
ロイは椅子に座り、書簡を広げていた。
「同感ですね。表面上は友好を装っているが……警戒が強すぎる」
「歓迎じゃなく監視だな」
レオンハルトは苦笑し、拳を握る。
「いざとなりゃ、拳でぶち破ればいい」
ロイは溜息をついた。
「外交の場ですよ、レオン様。もう少し自重してください」
「ははは。そうだな」
しかしその口調には、わずかに笑みが混じっていた。
二人の間に流れる空気は張り詰めていながらも、不思議と心地よい。
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その頃。
隣国の奥深く、豪奢な部屋の奥で、ディートハルトは一人呟いた。
「……聖者。確かに力はある。だが、愚直な拳では世界は変えられまい」
その瞳には、薄い狂気の光が宿っていた。




