06-5 お前の側にいたい(5) この人しかいない
夜の王城は、昼間の騒乱が嘘のように静まり返っていた。
月明かりが白い石畳を照らし、時折、巡回の兵士の足音だけが響く。
その廊下を、ユリウスは迷うように歩いていた。
向かう先は分かっている。けれど、足が重い。
胸の奥に渦巻く想いを言葉にできるのか、不安だった。
やがて、聖者の部屋の前に辿り着いた。
扉の前でしばし立ち尽くし、拳を握りしめてから、ノックをした。
「……入れ」
低く、しかしどこか優しい声が返ってくる。
扉を開けると、そこには椅子に腰かけたレオンハルトがいた。
戦いの埃を洗い流し、上着をラフに羽織った姿。
その余裕ある雰囲気に、ユリウスの心臓が跳ねた。
「ユリウス……こんな夜更けにどうした?」
「……眠れなくて」
ユリウスはぎこちなく笑みを作り、そっと部屋に足を踏み入れた。
レオンハルトは、こちらに視線を向ける。
「さっきルカから聞いた。エドマンド卿の身柄は拘束されたらしいな」
「ええ。だが……私は何もしていない。結局、全部あなたが……」
言葉が震えた。
ユリウスは拳を握り締め、下を向いた。
「私は王位を継ぐって決意したのに……心の奥じゃ、不安で仕方ないんだ。父のように振る舞える自信もない。結局、全部あなたに助けてもらってばかりで……」
情けない言葉が零れ落ちる。
自分の弱さをさらけ出すことは、王族として恥かもしれない。
けれど、彼の前では隠せなかった。
沈黙ののち、レオンハルトが立ち上がった。
そして、そっとユリウスの前に歩み寄る。
不意に、大きな手がユリウスの肩に置かれた。
驚きに顔を上げると、まっすぐに見つめる澄んだ瞳と目が合う。
「ユリウス。お前は十分に良くやってる」
「……え?」
「不安になるのは当然だ。父親を亡くし、国の命運を背負ってるんだ。だがな――民はお前が逃げなかったことを見てる。叔父に立ち向かおうとした、その姿を信じてる」
言葉は低く穏やかで、けれど力強かった。
「それに……お前には俺がいる」
レオンハルトは片腕でユリウスを抱き寄せた。
広い胸に顔が触れ、鼓動が耳に響く。
ユリウスの頬が熱く染まる。
「だ、大丈夫じゃないかもしれないのに……」
「大丈夫にしてやる。俺がずっと支えてやるからな」
囁きは、甘い呪いのように心を満たしていく。
不安も悲しみも、その声と体温に溶かされていった。
「レオンハルト……」
無意識に名を呼ぶ。
彼の胸元を掴み、言葉を探す。
本当は「好きだ」と告げたい。
けれど、唇は震え、声は出てこない。
代わりに、彼が微笑んで囁いた。
「……子猫ちゃん。そんな顔してると、俺の方が我慢できなくなるぞ?」
「な、なにを……っ!」
耳まで真っ赤にして顔を背ける。
だが、その心臓は嬉しさで破裂しそうだった。
レオンハルトはそんなユリウスを抱きしめたまま、軽く髪を撫でた。
強いのに優しい手。
その仕草に、胸の奥で確かな感情が芽生えていく。
(……私には、もうこの人しかいないのかもしれない)
ツンと澄ました顔を装っても、鼓動は誤魔化せない。
それが自分の本心であることを、ユリウスははっきりと悟っていた。