02-5 なぜこんなにも胸がかき乱される(5) 軽々しい男
夕刻。
竜の亡骸は処理され、都市にはようやく静けさが戻った。
兵士たちは聖者の活躍を語り合い、皆がその名を讃えている。
王城の庭に、レオンハルトの姿があった。
血と煤で汚れた外套を脱ぎ、泉で手を洗う。
水面に映るのは、竜の鱗に刻んだ拳痕。
けれど彼の表情は、戦いなどなかったかのように飄々としていた。
「……また、無茶をしたな」
背後から響いた声に、レオンハルトは振り向く。
そこにはユリウス。
肩を怒らせ、険しい顔をしている。
「おや、子猫ちゃん。噂をすれば尻尾を立てて飛んできたか」
「っ、誰が子猫だ! 私は王子だぞ!」
「王子が真っ赤になって怒鳴る姿も、案外かわいいもんだ」
ユリウスは耳まで赤くなり、必死に視線を逸らした。
けれど次の言葉は、思わず漏れてしまう。
「……あんな竜に一人で挑むなんて……死ぬかもしれないのに……」
レオンハルトは少し驚いたように目を細め、それからゆっくりと笑った。
「おやおや。心配してくれてたのか」
「ち、違う! 国のためにだ! 民を守るために! お前が死んだら困るから!」
「はいはい。――でも俺は嬉しいぜ」
言葉を遮るように、レオンハルトは一歩近づく。
大きな手がユリウスの顎に触れ、顔を上げさせた。
「お前に心配されるなんて、な」
視線が絡んだ瞬間、ユリウスの鼓動が跳ね上がる。
怒鳴ろうとしても声が出ない。
ただ、唇が震えて言葉にならなかった。
「な、なにを……」
「いい目をしてる。竜の咆哮にも負けないくらい、真っ直ぐな目だ」
耳まで熱くなる。
頭では否定しようとするのに、胸の奥が甘く痺れていく。
「……もう、知らない!」
ユリウスは乱暴にレオンハルトの手を払い、背を向けた。
けれど歩き去ろうとした足は、すぐに止まる。
振り返らず、声だけを残した。
「……次は、無茶をするな。命を張るな。……それが命令だ」
その背に、レオンハルトは穏やかに笑みを浮かべる。
「了解だ、王子様。――でも、お前の声がある限り、俺は何度でも飛び込むさ」
その言葉に、ユリウスの胸はまた高鳴る。
止めようのない鼓動を抱えたまま、彼は城内へと戻っていった。
(……なぜこんなにも胸がかき乱される……た、ただの軽々しい男なのに……)
けれどその否定は、もはや自分自身にも届いていなかった。