棄てられた令嬢と、隣国の皇太子〜婚約破棄された悪役令嬢ですが、家から逃げたら隣国の皇太子に拾われて、溺愛された上に元家族に代わりに復讐してもらいました〜
伯爵令嬢アメリア・ローレンスは、“完璧な姉”の陰で生きてきた。
姉のクラリスは美貌、才能、人望、どれをとっても非の打ち所がない才媛。両親はいつもクラリスだけを愛し、アメリアには冷たい視線と無関心な態度しか向けなかった。
いや、“無関心”ならまだ良かった。
アメリアが絵を描けば「くだらない」、本を読んでいれば「身の程をわきまえなさい」。クラリスからは、ことあるごとに髪を引っ張られ、ドレスを破られ、使用人の前で平手打ちさえされた。
それでも耐えてきた。伯爵家の娘として、婚約者である侯爵家の息子・ユリウスのために、美しく、淑やかであるべきだと信じて。
だがそのすべては、18歳の誕生日を迎えた晩、無惨に打ち砕かれた。
「アメリア。僕たちの婚約は、破棄する」
華やかな舞踏会の会場の中央で、ユリウスは一言そう言い放った。
ざわめく貴族たち。クラリスが目元に手を当てて涙を浮かべたふりをする。
「ごめんなさい、妹を責めないで。ユリウス様が私を真剣に……」
アメリアは静かに頭を下げ、そのまま舞踏会場を立ち去った。
父も母も、何一つ声をかけなかった。
――ああ、私は最初から、必要とされていなかったんだ。
その夜、アメリアはこっそりと荷物をまとめ、馬車にも乗らず、徒歩で国境を越えた。
逃げ場も、あてなどない。ただ、この家から、この地獄から消えたかった。
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数日後。アメリアは隣国フェルナンド王国の国境付近で倒れていたところを、偶然通りかかった皇太子レオナルドに救われた。
泥にまみれたドレス、擦り切れた靴、力なく揺れるまつ毛。
それでも彼女の姿に、レオナルドは心を奪われた。
すぐに王城に連れて行かれ、侍女に着替えを与えられ、温かな湯に浸かることを許された。
「……あなたは誰?」
ベッドの上で目を覚ましたアメリアが問うと、レオナルドはにっこりと微笑んだ。
「私はレオナルド・アーシェス。フェルナンド王国の第一皇太子だ。君の名前は?」
「アメリア・ローレンス。隣国の……棄てられた娘です」
「ならば君は、今日からこの国の保護下にある」
優しい声音。けれどアメリアは、それに甘えることができなかった。
「ご恩は忘れません。でも、私に関わらない方がいい。私は……ただの厄介者です」
「関わらないでいられるかどうかは、僕が決める」
レオナルドは穏やかに、しかし有無を言わせぬ口調でそう言った。
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しばらく王宮で過ごすうち、アメリアは自分の居場所が少しずつできていくのを感じていた。
侍女たちは彼女に優しく、書物も豊富。花の咲く庭を散歩することすら、贅沢で泣けてくるほどだった。
だが、レオナルドの想いは日ごとに明確になっていった。
「君に贈りたいと思っていたんだ」
差し出されたのは、青い宝石の髪飾り。アメリアの瞳の色と同じだった。
「……皇太子殿下。お気持ちは光栄ですが、私は……婚約を破棄された身。あなたのようなお方にふさわしくありません」
「それを決めるのは僕だ。君は、美しく、誇り高く、誰よりも強い。僕には、君が必要だ」
だがアメリアは首を振った。
「誰かに必要とされるには、私はあまりにも壊れすぎているのです」
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その日を境に、レオナルドは変わった。
フェルナンド王国の情報網を使い、アメリアに何があったのかを徹底的に調べ上げた。
ローレンス伯爵夫妻の長年の虐待。クラリスの陰湿な行為。ユリウスとの裏取引。
そして彼は一つずつ、それらに報いを与え始めた。
――ローレンス伯爵家は国外との違法貿易の疑いで、爵位を剥奪される。
――クラリスは、貴族令嬢として致命的な醜聞を暴かれ、社交界から追放。
――ユリウスは、他国との不正な交渉が明るみに出て、侯爵家の後継者から外された。
アメリアが手を汚すことなく、彼らは次々と地位と名誉を失っていった。
「……どうして、そこまで?」
問いかけるアメリアに、レオナルドは静かに答えた。
「君が苦しめられた分だけ、彼らには苦しんでもらわなければ、君が報われないだろう?」
「……あなたは、私の代わりに復讐を?」
「違う。僕が“君を守る”と決めたからだ。君を愛している。心から」
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それから数か月後。
フェルナンド王国の玉座の間。レオナルド皇太子とアメリア・ローレンスの婚約が正式に発表された。
国中の人々が祝福の声を上げ、かつて“不要”とされた令嬢は、今や次期王妃として讃えられていた。
――玉座の隣に立つ少女の瞳は、誇り高く、どこまでも澄んでいた。
そしてその手を、レオナルドは優しく、けれど力強く握りしめた。
「これからは、僕と共に生きてほしい。君が君のままでいられる場所で」
「……はい。喜んで、おそばに」
彼女は、もう過去に怯えない。
愛されるために変わるのではない。“愛されてもいい”と思える自分を、やっと取り戻せたのだ。
婚約発表から一年。アメリアは皇太子妃として、フェルナンド王国の宮廷で穏やかな日々を送っていた。
日差しの温かさ。庭の花の香り。側に寄り添うレオナルドの笑顔。
どれもがかつての自分には想像すらできなかった世界。だがその平穏を壊す者たちが、静かに牙を研いでいた。
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「……信じられない。あの出来損ないが、王妃になるなんて」
ローレンス伯爵夫人の顔は怒りに歪んでいた。
「私の計画がなければ、あの子は生きて国境など越えられなかったはず」
「奪われたのは我らの名誉だけではない。これは国家の侮辱だ」
そう口を揃えるのは、ユリウスとクラリス。
すでに爵位を剥奪され、領地も没収された彼らにはもう失うものはない。
だがそれゆえに、行動は容赦なかった。
ローレンス家の残党と、ユリウスが私財で雇った傭兵団が結託し、フェルナンド王国への侵攻を開始。
目的はただ一つ――アメリアの抹殺。
そして、王太子レオナルドの失脚。
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報せが届いたのは、月の見えない嵐の夜だった。
「……陛下。国境付近にて、正体不明の武装勢力が接近中との報告が……」
「正体は分かっている。ローレンス家と、その残党だ」
レオナルドは立ち上がると、すぐさま軍を編成。
だがアメリアは、報告を聞いた瞬間、蒼白になった。
「そんな……父と、母が……また私のせいで……」
「違う。君のせいじゃない。これは、彼ら自身の罪だ」
レオナルドはそっとアメリアの頬に触れる。
「君は、もう怯えなくていい。僕がいる。どんなことがあっても、必ず君を守る」
アメリアは震える指先でレオナルドの手を握り返した。
「……お願い、気をつけて」
「君が望む限り、僕は戦う。――君のために、終わらせるために」
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戦火は激しかった。
傭兵団の兵は数百。指揮を執るユリウスはかつての軍人でもあり、戦術にも長けていた。
だが、フェルナンド王国は簡単には揺るがない。
皇太子直属の近衛部隊“白銀の翼”が出撃し、わずか三日で傭兵団を包囲。
ローレンス伯爵夫妻とクラリス、そしてユリウスは捕縛された。
その間、アメリアは王宮奥にある“白百合の塔”へと避難させられていた。
厚い扉と兵士の護衛。だがそれ以上に、レオナルドが残した言葉が、彼女を守っていた。
「君がこの国にいる限り、もう誰にも君を傷つけさせない」
その約束は、戦火の中でも一度も揺らぐことはなかった。
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数日後、王宮にて特別裁判が開かれた。
被告席に立つローレンス家の面々は、王妃予定者に対する暗殺未遂、国境侵犯、反逆の罪に問われた。
アメリアは傍聴席から、静かに彼らを見つめていた。
「……アメリア。私たちはただ、元に戻したかっただけなのよ……。あなたが、この国の恥になってしまう前に……!」
そう泣き叫んだのは、母だった。
ユリウスは虚ろな目でアメリアを睨む。
「お前さえいなければ、クラリスと俺は……!」
その言葉に、アメリアは初めて、静かに口を開いた。
「私がいなければ、あなたたちは“人を人として扱わないまま”、何も知らずに生きていたでしょう。ならば、いまが罰の時間です」
判決は、死刑。
王国法に則り、反逆者として厳正に処されることが決まった。
レオナルドはその全てを見届けると、アメリアの元へと戻ってきた。
「終わったよ。もう、君を脅かすものは何もない」
アメリアの瞳から、大粒の涙がこぼれた。
「……ありがとう、ありがとう……」
「僕こそ、君に出会えて良かった」
レオナルドはアメリアをそっと抱きしめた。
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そして、季節がひとつ巡ったある日。
王宮には、新たな命が産声を上げた。
「アレクシスと名づけよう。君と僕の“守る”という誓いの象徴として」
小さな手を握りしめる、アメリアとレオナルド。
その瞳には、もはや過去の影などない。
王国は平和を取り戻し、人々は彼らの愛と勇気の物語を“真実の恋物語”として語り継ぐようになった。
もう、誰もアメリアを“棄てられた令嬢”などとは呼ばない。
彼女は、堂々たる次期王妃。
そして、未来の王の母となったのだった。