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ボーイミーツガール①

 堤防の上には大きな公園があった。ブランコや滑り台、鉄棒など定番の遊具からターザンロープのような少々珍しい遊具まで設置されたこの公園は、昼間には親子連れで賑わっている。

 しかし今は夜。昼間には人気の遊具たちも今は頼りない外灯に照らされているだけで、ひっそりと静まり返っている。時刻は22時を過ぎている。既に公園の駐車場の前には進入禁止のポールが立てられていた。

 二見達也はそのポールの前に車を寄せて駐車した。違法駐車だがポールが邪魔で駐車場に停められないのだからやむを得ない。それにこれだけ脇へ寄せれば通行の妨げにもならないだろう、と、彼は強引に自分を納得させた。

 車を降りる。

 目の前には夜の公園。田舎の小学校くらい大きなグラウンドと華やかな遊具。それらを横切り、二見は公園奥のベンチを目指した。

 この公園は堤防の上にあり、その堤防のはるか下方には木曽川が流れている。公園から見える木曽川は川幅200mを越える。この公園はその南岸に位置することから、南岸公園と呼ばれていた。

 その南岸公園のベンチに座ると、堤防の上から木曽川を見渡せるのだ。

 二見は、その光景が好きだった。特に夜、何か嫌な出来事が起きた日には南岸公園のベンチに座りただぼんやりと闇の中の木曽川を眺めるのが癖になっていた。

 だから彼はそのベンチを目指して歩いていたのだが。

 ベンチには先客がいた。闇の中に浮かぶシルエットから小柄な女性と分かる。

 普段の二見なら、そのままきびすを返しただろう。ベンチには大人3,4人程度なら座れるスペースがあったが、こんな夜に女性一人が座るベンチに腰掛けるのは憚られる。気まずいし、場合によっては警察に通報される可能性すらあるだろう。

 しかし二見は、そのままベンチに向かって歩いた。面倒なことを考えたくなかった。それほどに二見は疲れていた。

 ベンチに辿り着き、右端にそっと腰を下ろす。

 その左端に座る女性。成川晴美は特に反応を示さなかった。

 彼女は、誰かが同じベンチの端に座ったことには気付いた。その際の音や雰囲気から、そちらを見なくても男性なのだと察した。

 普段の成川なら、そっと席をはずしただろう。やはり気まずさを覚えるし、夜の公園で見知らぬ男性に近付かれて警戒心を抱かない女性はいない。

 しかし成川は特に反応を示さなかった。彼女もまた疲れていたのだ。

 二人の眼下には広大な木曽川が流れている。堤防は高位置にあるため、決してすぐそこに川があるわけではなかったが、それでも耳をすませるとごうごうと力強い川の音が聞こえてくる。少し目線を上げると対岸が見えるが、北岸には特に施設がなく、弱弱しい外灯がさみしく岸を照らしているに過ぎない。さらに目線を上げると夜空が見える。ベンチの脇にある外灯は星の輝きを少々阻害するけれど、それでも田舎の夜空は闇が深く、そして星は美しかった。

 二人がここで出会ったことに必然性はなかった。二人が同時に悩みを抱えたのはまったくの偶然だったし、特に成川は偶然立ち寄っただけである。彼らの出会いはただの偶然だった。

 二人がベンチに座って10分程度経った。

 川の音は変わらず聞こえる。遠くに車のエンジン音もかすかに聞こえる。沈黙は続いていたが、二人とも、不思議と居心地の悪さは感じていなかった。

 だから二見が口を開いたのはただの興味に過ぎなかった。

「なにかあったんですか」

 二見は自分で冴えない質問だと思ったけれど、素直な疑問でもあった。彼女はなにがあってこのベンチで川を見つめ続けているのだろう。

 成川は答えなかった。もしかして聞こえなかったのかな、と二見は思った。自分の出した声は小さかったから。しかしそれでもいいと思った。答えを期待して発した質問ではなかった。

「少し長くなりますけど」

 ぽつりと成川が声を発した。その声が頼りなくて二見はゆっくり左を向き、彼女を見る。彼女もこちらを見ていた。セミショートの黒髪が風で微かに揺れている。目鼻立ちは穏やかで派手さこそなかったが好ましく思えた。細められた目と俯き加減の姿勢に二見は納得した。

 ああ、この人も疲れているんだなと。

 実は、と成川が話し始める。長くなるとの予告通り、彼女の話は長かった。長く、陰鬱な話だった。長年付き合っている彼氏の話。

「すいません、こんな話を聞かせてしまって」

 心底申し訳なさそうに言う彼女に、二見の方が申し訳なさを感じてしまう。

 彼女の話が終わると、再び沈黙が訪れる。二見にとって今度の沈黙は居心地の悪さを覚えた。話を聞いたのだから何か感想を言うべきなのだろうが「それは辛かったですね」では長々と話してくれた彼女に対して淡白に過ぎるし、かといって「そんなこともありますよ」なんて気軽に励ませるほど、自分と彼女の間に関係は出来上がっていない。

 悩んだ末に思いついた。

 自分の経験も話せばいいのだ。自分はたった今、彼女に裏切られたところだ。その話をすればいい。同じように悩む人がいる、という気付きは、同情されたり励まされたりするより、よほど気持ちが楽になるはずだった。

 二見自身、彼女の話で少し気が楽になったのだ。

「実は私も」

 二見は話し始めた。出来るだけ細かく話した。その方が彼女のためにも、自分のためにもなると考えたからだった。

 一通り話し終えて、一息つく。

 話してしまうとまた心が楽になった。楽にはなったけれど、自分が彼女に裏切られたことを改めて証明してしまったような気もして、心のどこかにどんよりとした靄が広がる。

 実際に裏切られたのだ。話を聞いてもらえば少し楽にはなるけれど、決して全てが解消されるわけではない。どこかに傷は残るものだ。いつまでも。

「許せませんね」

 成川が先程より低い声で言った。自分でも意識しない内に、二見は頷く。許せない。許せるはずがない。

「しかしどうしようもありませんから。全部、仕方のないことなんです」

 こうやって川でも見て忘れましょう。二見はそう続けるつもりだったが、成川がそれを遮った。

「本当にどうしようもないんでしょうか」

「…どういう意味ですか」

「この痛みを解消する手段はないのでしょうか」

 成川が強い口調でいった。二見は戸惑った。彼女の声から「弱弱しさ」は既に消え失せていた。

「二見さん」

 改めてこちらを見つめる成川の目は大きく見開かれており、その奥には今までの彼女にはなかった確かな光が満ちていた。

「交換殺人って知ってますか」

 二見は唾を飲み込んだ。喉がごくりと鳴る。

「知ってはいますけど」

 交換殺人とは何か。

 AがA´を殺したい。BがB´を殺したい。この場合、そのままAとBが殺人を決行すると動機の面からすぐにばれてしまう。しかしAがB´を、BがA´を殺すことで、動機を隠すことが出来る。本来AはB´に、BはA´に動機を抱くはずがないから。

 お互い殺したい相手を交換して殺人を行う。これが交換殺人だ。

「私たちに丁度良いと思いませんか」

「…丁度良い…?」

「分かりませんか。

 浅田詠美さんでしたっけ、二見さんの殺したい相手は。

 なら私が浅田さんを殺してあげます。

その代わり、二見さんは私の彼、内田拓也を殺してください」

何を言っているんだと笑い飛ばしてしまいたかったが、二見は笑うことが出来なかった。それは、目の前の彼女が明らかに本気で言っているからであり、また自分も、確かに浅田に対して殺意を抱いているからだった。

「条件は完璧です。まず、私たちは自分一人で、それぞれの殺したい人間を殺すことは出来ません。動機が分かりやすすぎるからです」

 二見が浅田を殺したいのは、裏切られたから。また成川が内田を殺したいのは、関係が上手くいっていないから。異性のパートナーへの恨み。殺人の動機としてはあまりにもメジャーであり、よほど上手くやらない限り、殺人を隠し通すことは不可能だろう。

「次に、私たちの関係です。私と二見さんは今、初めて出会いました。

 正真正銘の、初対面です。

 だからまさか、私たちが結託して殺人を実行したなんて思い付けるわけがありません」

 交換殺人は、協力者同士の繋がりが薄ければ薄いほど効果がある。

 二見と成川が出会ったのはまったくの偶然であり、この二人の繋がりを第三者が突き止めるのは難しいだろう。

「まだあります。二見さんは不定休ですよね。ならば二見さんの出勤日に私が浅田さんを殺し、私の出勤日に二見さんが拓也を殺せばいいんです。これだけで自然にアリバイができます」

 殺人事件が起きたときに自分は仕事をしていた…強力なアリバイだ。もし動機の面から容疑がかかっても、アリバイが完璧ならば疑われる心配すらないだろう。

 成川は笑みさえ浮かべていた。その笑みを見て二見は瞬間、安心した。

 冗談だったのかと思ったからだ。

 しかしその輝く瞳が決して笑っていないことを見て取り、二見は焦りを覚える。

「待ってください。交換殺人に最も必要なのはお互いの信頼関係ですよ。

 ほら、どちらか裏切る可能性を考慮したら、お互い殺人なんて出来ません」

 交換殺人の一番のウィークポイントと言えた。

「大丈夫です。私が先に浅田さんを殺しますから。こういうのは言い出したほうからですよね」

「…いや、私は臆病ですからね、成川さんが浅田を殺してくれても、僕が内田さんを殺すとは限りませんよ」

「それならそれで構いません。拓也を殺す方法はまた別に考えますよ」

 二見は絶句した。

「確かに私だけ殺人を犯して二見さんが同じ罪を背負わないのは許せません。しかしそれだけのことです。また別の方法を考えればいい。私にとって、他人の浅田さんを殺すデメリットは少ないし浮気するような女を殺してもそれほど良心は痛みませんから」

「む、無茶苦茶だ」

 成川が目を吊り上げて笑う。本当に楽しそうだ。

「さすがに冗談です。

 でも、私だけに人を殺させて自分は何も手を汚さないなんて、二見さんはそんな人じゃないでしょう。それくらい分かるつもりです」

 どうですか、と訊く成川に、二見は必死で考える。

 付き合ってられるか、と逃げるのもいい。また、殺人を犯すデメリットを説くのもいいだろう。

 しかしそれで充分だろうか、と二見は悩んだ。成川は狂気に囚われている。適当にはぐらかしても後日、殺人に走るかもしれない。また強い言葉で反論したら、成川をさらに傷つけてしまうかもしれない。

 そこまで考えて、二見は驚いた。どうやら自分は、成川にこれ以上傷ついて欲しくないと思っているらしい。今出会ったばかりの人に過ぎないのに。

 それは同情からか、それともまた別の。

 自分の本心を量りかねていた二見は、唐突に気付いた。

 自分の本心に気付いたわけではない。

 この交換殺人の致命的な欠陥に気付いたのだ。

「成川さん。残念ですがこの交換殺人は成立しません」

「まだ怯えているんですか。

 大丈夫です、あなたとならきっと上手くいく。そんな気がするんです」

「そういう意味ではありません。

 僕とあなたとの交換殺人には、落とし穴があるんですよ」

「落とし穴?」

「いいですか。交換殺人はそれぞれの被害者と殺人者の関係が離れていなければなりません。

 つまりAがA´、BがB´を殺したいと思っていて、これを交換してAがB´、BがA´を殺す時、交換した後のAとB´、BとA´に繋がりがあってはいけないのです。動機を無視できるメリットが消えるからです。

 交換殺人とは、AとA´、BとB´以外の繋がりがあってはいけません」

 成川は顎に手を当て少し間を置いてから返答した。

「言っている意味が分かりません。私たちの間には、いかなる繋がりもないでしょう」

「それがあるんですよ。

 なぜなら、浅田詠美の浮気相手は内田拓也だからです。

 これでは交換殺人は成り立ちません。それぞれのパートナーの浮気相手を殺すことになりますから」

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