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二見達也③

 報告書の作成とメールの送信を終えた俺は帰路に付いた。会社の施錠をして駐車場の自家用車に乗り込んでエンジンをかける。

 現在19:30。自宅に帰る頃には20:00ぐらいか。ラジオをかけようか音楽をかけようか逡巡しつつ車を出した。

 今日は疲れた。明日も疲れるのだろう。次の休日は3日後だ。8連勤になるが、不定休なのだから仕方ないし、世の中には10連勤も珍しくない。全て、どうしようもないことなのだ。

 少し走ったところで思い付く。

 帰る前に彼女の家に寄ってみよう。少し遅いけれど・・・顔を一目見たい。それだけで自分は救われる。

 いつもなら右へ曲がるところを左折する。自宅とは反対方向へ車を進める。彼女の家によってから自宅に帰る場合、通常の倍の時間がかかってしまうけれど。  

 それでも、彼女に会いたかった。

 しばらく運転すると彼女の住むアパートが見えてきた。アパート目の前の駐車場は全て住民用となっており部外者が泊める「来客用駐車場」なんて気の利いたものはない。近くにコインパーキングもないため、アパートの裏側へ車を回し、道の端に寄せて路上駐車する。裏側の道路は道幅が広い。長時間駐車じゃない限り通報する住民もいないだろう。

 車を降りてアパートをぐるりと回り、正面玄関へ。正面玄関といってもオートロックはなく、ただメールボックスが並んでいるに過ぎない。3階建てで各部屋1~5号室までの小さなアパートだ。彼女はここの205号室に住んでいる。玄関から2階への階段を上ろうとして、ふと立ち止まる。

 胸ポケットからスマートホンを取り出す。時刻は19:50。

 こんな時間にいきなりたずねるのは迷惑だろうか。電話をしてからの方がいいだろうか。

 彼女の顔を早く見たい。そんな衝動を抑え、電話帳から彼女の電話番号を探し、スマートホンで電話をかけた。

 7コール目で彼女が出た。

「はい。二見くん?」

「もしもし、詠美さん」

 彼女は浅田詠美という。詠美と書いてヨシミだ。

「こんな時間にごめん」

「いいよ。何かあったの」

 実は今アパートに来てるんだ。部屋に行っていいかな…と言うはずだったが、咄嗟に言葉が出てこなかった。断られたら嫌だな、と思ったからだ。

「ほら、今日は夕方に雨が降ったでしょ。大丈夫だったかなと思って」

「確かに帰りに降られたけど。途中のコンビニで傘買ったから大丈夫だよ」

「そっか。ならよかった」

「・・・えっと、それだけ?」

 唾を飲み込む。

「あの、今仕事終わってさ。帰りに詠美さんの家に寄ってもいい?」

 既にアパートに着いているとは言えなかった。

「…今から?」

「ごめん。迷惑だった?」

「迷惑じゃないけど。今、部屋汚くしててさ。人様を上げられる状態じゃないんだけど」

 彼女の心地よい高音に若干の棘が含まれているのを感じた。口調はいつも通りだけれど、今日は来て欲しくない、という意思を読み取る。

「二見君も、会社から私の家によるとかなり遠回りでしょ?今日はもう遅いし、帰りなよ」

「そうだね。ごめん、変なこと言っちゃって」

「ううん、こっちこそごめんね」

「声聞けて嬉しかった。じゃあまた」

 またね、と彼女は応えて通話を切った。

 電話の内容とは裏腹に、俺は階段を上っていった。

 なぜ階段を上がっていったのかは分からない。一言で言えば予感であった。

 2階の廊下へと上がる3段前で足を止めた。そこから首を伸ばすと、廊下に並ぶ各部屋の扉が見えた。205号室は一番奥の扉だ。少し遠いけれど、はっきり見ることができる。

 再び雨が降ってきた。今日二回目の雨。予報では晴れるはずだったのに。

 吹きさらしの階段に雨が吹き込む。作業着に雨が降りかかりしっとりと重みを増す。

 しばらくすると205号室の扉が開いた。俺は首を引っ込め、視線を足元に落とす。

 雨音と共に、声が聞こえてくる。一人は詠美の声。もう一人は知らない男の声だった。

「待ってよ。せっかく着たのに本当に帰らなきゃいけないの?」

「仕方ないよ。アレが来るかもしれないんだから」

「電話で断ってたじゃない」

「確かに私は断ったけど。それでも、今日は念のために帰った方がいい。もしアレが来たら困るから」

「ばれたらばれたでいいじゃん。その場で別れてよ」

「かわいそうでしょ。アレ、気弱なんだから。そのうち別れるにしてもやんわり言ってあげないと」

「かわいそう?今まさに俺と浮気してたくせに」

「もう、ユーくんいじわるなんだから。ほら、また明日会えるから。今日は帰って」

「分かったよ。またねエーちゃん。俺以外に浮気相手を作らないでよ」

 足音が近付いてくる。

 俺は階段途中で突っ立ったまま目線を上げて正面を見つめていると、やがて一人の男が廊下から姿を現した。

 俺より背が高く、ややがっしりした体つきをした男。彫りの深い顔付きは男臭さを感じる反面、服装は上下共に黒を基調としてシックにまとまり、左手には鮮やかな赤い傘を持っていた。

 立ったままの俺と、その男の視線がぶつかる。何か言われるかと思ったが、男は軽く会釈しただけだった。俺も特に何も言わず、そのまますれ違う。どうやら男は、俺の外見を知らないらしかった。

 俺の彼女、詠美と浮気している男。ユー君と呼ばれていた男。

 詠美はエーちゃん。詠をエイと読んで、エイちゃんなんだろうか。

 そして俺は「アレ」らしかった。彼らの間で、俺は「アレ」と呼ばれているらしい。

 自分でも不思議だが、男の方には何の感情も湧かなかった。

 でも。

 詠美は憎かった。

 誰かに明確な殺意を抱いたのは初めてだった。

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