成川晴美③
作業台に乗っているA4のプリントを見る。プリントにはメニューとそれに使用する調味料の種類と量がかかれている。鳥の煮物、本みりん1500g、薄口醤油1200g、三温糖300g、きざみしょうが200g・・・といった具合だ。
食材は3便の担当者が出している。私の仕事はプリントに指示された通りに調味料を出すことだ。
銀色の作業台の中央には2種類の計り。10g単位で計る大きい計りと1g単位で計る小さい計り。またそれら計りの右横には大中小のビニール袋の束が三種類。ビニール袋を秤に乗せ、その中に調味料を入れ、指示された重さとなったらビニール袋を縛る。これらを繰り返して全ての調味料を出すのが私の仕事だ。ビニール袋に入れられた調味料は、下処理室から熱処理室へと運ばれ、食材と共に調理される。私の仕事はいわば調理の下準備であり、まさに「下処理」なのである。
これら調味料を規定された量の通りに出すことをこの食品工場では「調合」と呼んでいる。「調合」というと大げさだが、指示通りに分量を量ってビニール袋に出すだけだから、それほど頭を使うわけではないし特別な知識が必要とされるわけではない。
しかし私以外の2便の同僚はこの「調合」をやりたがらない。一つには、残業することになるからだ。調合を担当すると次の便である3便の調合をもお願いされることが多々あり、残業する確率が増す。深夜枠の3便は慢性的に人手不足だから、仕方ないだろう。そしてもう一つの理由が「間違えやすいから」。
指示された調味料を指示された量出すだけなのだが、如何せん調味料の種類が多い上に同じような調味料も多く、紛らわしいのだ。例えばにんにくとしょうが。いずれもボトルに入って保存されておりそこからスプーンか手袋を使用して掬ってビニール袋へ出すのだが、それぞれ「おろしにんにく」「きざみにんにく」「おろししょうが」「きざみしょうが」と同じような名前が付いている上に全て同じ外見のボトルに入っている。間違えやすい上、もし間違えたら食材から全て出し直しとなる。百歩譲って「おろし」と「きざみ」を間違えただけなら実際の調理段階で誤魔化すことも可能だがもし「にんにく」と「しょうが」を間違えてそれを調理した後に気付いたら、全てやり直しとなり時間と食材の無駄遣いとなる。まさかにんにくとしょうがを間違えるはずがあるまいと思うかもしれないが、これが意外と間違えそうになる・・・というか実際に間違えた先輩がいる。無理もないと思う。まず工場内では制服及びマスク着用厳守のため臭いで判断できず、また先述した通りなぜか同じようなボトルに入っており、加えて調味料の数とメニューの数がいたずらに多いのだ。作業台の上に置かれたメニュー表は何十枚に及ぶ。そして作業台の横には様々な調味料が乗せられた移動式の棚が置かれているが、背の高さまである5段の棚一つ一つに、調味料の入ったボトル、袋、缶がぎっしりと詰められている。これでは間違えても仕方がないと思う。加えて、私のような色覚異常者は、ますます間違えやすいから、慎重に出す必要がある。色の見分けがつきにくいから、例えば先程例に挙げたしょうがとにんにくなんて、中々見分けがつかない。そういえば拓也も色弱だ。同じ悩みを持つもの同士、分かり合えるはずなのに。
いけない、仕事に集中しないと。
決して時間に余裕のある仕事ではない。
食材だけ用意して調味料が出来ていないと当然ながら調理にかかれない。そのため別の者が食材を出すのに合わせて調味料も出したいのだが、思った以上に時間がかかるのだ。
棚から指示された調味料を取り出すだけでも慣れるまでは時間がかかり、また普段使わない調味料は別室の保管庫においてあるためそこまで取りにいかなくてはならず、それでいて似たようなボトルや袋に入れられた調味料も多いから、一々確認しながら出さなくてはならないし、そもそもメニューによっては使用する調味料が10種類以上あることも多々ある。
そんなにいるかと。
残業があり、間違えやすく、しかも時間に追われる。そんな「調合」は嫌な仕事の一つで私以外の2便の同僚はやりたがらない。
私だってあえてやりたいとは思わないけれど。
一方で、誰もやりたがらない仕事を文句一つ言わずにやると、優越感に浸れたし、何より、2便のみんなや他の部署の人に感謝されると、嬉しかった。たとえそれが仕事上の儀礼的な感謝に過ぎなくても、嬉しいのだ。
だから私はこの仕事が好きだった。
恥ずかしいからみんなの前では言わないけれど。
淡々と仕事をこなすうちに、作業台の上のプリントが減っていく。残っているプリントは3枚、内容を確認するといわゆる定番メニューばかりで変に気苦労することもなさそうだ。
ようやく終わりが見えてきた。調合終了から後片付けまで後20分といったところか。
「成川さん、そろそろ終わりそうですか?」
隣の作業員が声をかけてきた。持田歩美。去年からパートを始めた後輩だ。ただ、私は2便、彼女は3便担当だから、私が残業する時にしか顔を合わせないのだが。
「もう少し。持田さんはどう?何か手伝おうか」
彼女はマスク越しにくぐもった声で言った。
「残業してる成川さんに手伝わせるわけにはいきませんよ。
しかしここのところ残業続きですね。すいません」
「持田さんがあやまることじゃないよ」
「でも本当は3便の調合は3便の人がやるべきです。2便の成川さんに迷惑をかけてしまって」
「仕方ないよ。3便は人数が少ないんだから。それにこれくらいの残業なら大丈夫」
「偉いです、成川さんは」
私は思わず笑ってしまう。持田の方がよほど偉いと知っているからだ。
彼女は大学生である。学校に通いながら週一回このパートを入れている。大学生なんだからファミレスやコンビニのバイトでもすればいいのにと思うが、知り合いと顔を合わせるのが苦手らしく、工場内でコツコツと働けるこのパートを選んだそうだ。週一回のパートとはいえ学校に通いながら仕事もするなんて、私よりよほど偉い。
そう彼女を褒め称えると、彼女はいやいやと否定した。
「私なんて大した大学行ってませんから。それにパートだって、遊ぶ金欲しさにやってるだけなので。学費は完全に親が払ってますから」
「あっそうなの。遊ぶ金ねえ。お金なんて、彼氏に出して貰いなよ。この前自慢してたじゃない。確か有名人と同姓同名とか言って・・・えっと」
「奄美勇気ですか」
そう、それが持田の彼氏の名前だ。女優の天海祐希さんと同姓同名だと云って笑っていたのを覚えている。もっともこちらの奄美勇気は当然ながら男性なのだが。
「勇気とは別れましたよ」
「えっなんで」
「相手の浮気です」
あっさり言う彼女に驚く。
なんと返そうか悩んでしまう。
「悪い人だったんだね」
「そういうこともありますよ。よくある話です」
浮気をよくある話と断じてしまう彼女に、少したじろぐ。
「持田さんは、たくましいね。立派だよ」
「そんなことありません。
だって私、浮気が発覚した直後は」
そう言って彼女は間を置いた。私は作業の手を止め、右を向いて隣にいる彼女を見る。
白い制服に包まれたこじんまりとした彼女。やがて彼女はこちらを向いて。
「彼のこと、殺してやろうと思いましたから」
そう言って笑った。マスク越しでも笑ったことが分かるくらい、大げさな笑いだった。
そこで私は気付いた。
私は彼氏-内田拓也に、恐れを抱いていると同時に。
―殺意をも抱いているのだと。