成川晴美①
休憩は終わり午後の就業が始まる。
私は更衣室で作業着に着替え直す。上下共に白い作業着に包まれ、キャップを持って廊下に出る。更衣室前の廊下には鏡がずらりと並びほこり取りのローラーがぶら下がっている。私はその一つを手に取り、鏡を見ながら自らの制服をローラーがけしていく。頭も含み全身が白い作業着に包まれているが目の付近だけが切り抜かれている。その切り抜かれた部分から前髪が数本覗いているのを確認し、そっと切抜きの中へと戻す。食品工場に毛のはみ出しは厳禁だ。既に頭まで制服に覆われているがさらにその上からキャップを被り、続いてローラーの横にあるストップウォッチを作動させ、再びキャップの上からローラーがけをする。20秒立つとストップウォッチがピピピと鳴動した。ストップウォッチのボタンを押して鳴動を停止させるのと同時に持っていたローラーを鏡の横のフックに引っ掛ける。
ローラー掛けコーナーのすぐ横にある扉を開く。
中は密閉された部屋になっている。私が入って数秒すると自動的に四方から風が吹き、目に見えないほこりさえも吹き飛ばしてしまう。空気による全身の洗浄。エアーシャワーである。
風がやみ、密閉された空間から出ると、白い棚がずらりと並ぶ。私は棚の中から自分の名前が書かれた長靴を手に取って履く。
また次の扉を開いて階段を下りていくと、クリーナーの佐竹さんが金属探知機を持って待っていた。
「あれ、成川さん一人?」
「はい。他の人はもう少し休憩したいらしくて」
「成川さんは働き者だねえ」
「いえ。早く休憩を終わらせればそれだけ帰宅も早くなるので」
佐竹さんが金属探知機を私の上半身にかざし何も音が鳴らないのを確認してチェック表に丸をつけた。
私は胸の内ポケットからカードを取り出し、壁に取り付けられているタッチパネルにかざす。ピッと音が鳴り現在時刻が表示される。14:15。休憩に入ったのが13:14だからギリギリ1時間の休憩に足りている。早く押すと社員に言ってデータを書き換えてもらわなければならないから面倒だ。
カードを胸ポケットにしまう。洗面台がずらりと並んでおり、私はそこの一つの蛇口を捻り入念に手を洗う。続いて洗面台端にあるボトルを3回プッシュし、茶色い洗剤を右手に取る。もう片方の手で、蛇口の上のフックにかかったストップウォッチのボタンを押した後、両手を擦り合わせ洗剤を手の平、手の甲、指の間、全体に伸ばす。やがてピピピとストップウォッチが鳴動したら、またボタンを押した後、蛇口を捻って手の洗剤を洗い流す。再びストップウォッチが鳴動し、ボタンを押してそれを止める。乾燥機に手を入れて乾かした後、洗面台のすぐ横にある箱から青いビニール手袋を二つ取り出して両手に着用し、さらにその上からピンク色のゴム手袋を着用する。
「成川さん、いってらっしゃい。午後も頑張ってね」
声をかけてくれた佐竹さんに笑顔で返事をして私は廊下を進む。一番はじめにある大きな扉を、手を使わず肘で押す。作業員が数人、作業している。一人は食材を煮込み、一人は鉄板に肉を丁寧に並べ、またある一人はフライヤーで食材を揚げている。
他の部署はまだ忙しくなさそうだと判断した私は後退して扉を出て廊下に戻る。さらに廊下の奥に進み、突き当りの扉を肘で押して入室する。
中はいつも通り寒い。食材や調味料を出す場所だから当然といえば当然で、もう慣れてしまっているが。
電気をつける。大きいシンク、各作業員が使用する銀色の作業台、食材を入れておく箱―バット。いつもの光景。
私の仕事は調理する食材や調味料の分量を量りで計量して、袋やバットに出したり、また下味が必要な食材を漬け込むこと。つまり、調理する前段階の「下処理」を担当している。
午前の段階で必要な「下処理」は全て終わった。後は深夜勤務の人の準備・・・冷凍された食材を解凍するために冷凍庫からこの下処理室へ移したり、人数が少ない深夜枠の人のために出せる食材は出しておいたり・・・今日は木曜日だから肉を急速解凍する解凍機の掃除もある。そうこうしていると16:00ぐらいに午前の微調整分が報告されるからそれを出して・・・というのがいつもの流れなのだが。
私は自分の作業台においてあるメモ書きに気付いてそれを読む。
どうやら調理に失敗した食材があるらしい。ならばその食材と調味料を準備しなければならない・・・さらにメモ書きを下まで読むと、今日は作業員の人数が少なく、深夜枠の調味料の調合を担当する者がいないと書いてある。ならば私がやらなければならないのだろう。
残業が確定した。
家で待つ彼に連絡しなければならない。面倒だなと思いつつ。
頼られて悪い気はしなかった。