ヴァラハ家の闇
ノルウォギガスより南の沖合には境界の谷と呼ばれる大きな亀裂がある
それは海面が山のようにせり上がった場所が、東西に裂け開いた細長い穴であり
潮の満ちている時には、海に穴が空いているように見え
逆に潮が一番引いている時になると、長細い島の中央にある底の見えない深い谷に見える
その峡谷をゼノビアは身体一つで登ってきた
登ってきたまでは良かったが
「…参ったね、泳げないんだった!」
今丁度、引き潮のおかげで海上に突出している岩の部分に立ってガハハっと笑う
「ずっとここにいる訳にもいかないねぇ」
ゼノビアは細長い島の海上に出ている部分をひとまず移動し始めた
目を凝らせば、少し向こうにスノームースの大地があるが
彼女が泳げたとしても、そこそこの距離と激しい海流によって辿り着くのは困難だっただろう
西に向かって歩いていると、ゼノビアは島と言っていいのか分からないような
海から突き出た岩を幾つか見つけた
「…あれなら届くんじゃないか?」
ゼノビアは一番近い岩に向けて、自慢の蜘蛛の糸を放った
かなりギリギリではあったが、何とか岩に糸が張り付いたのを確認すると
境界の谷を登り始めた時のように
その糸を頼りに海の中へと入った
「ーわぶっ!っしょっぱいねぇ!!」
泳げる訳ではない彼女は、腕の力で糸を手繰り寄せる
荒い波に何度も飲まれながらも
その不屈の精神で何とか岩まで辿り着き這い上がった
「よし、これを続けたら陸地まで行けそうだね」
しかし、幾ら筋骨隆々で筋肉バカな彼女も
水流に逆らい突き進むのにはかなりの体力を消耗する
おまけに魔族領に比べてここは寒い
ーぶぁっくしょい!!
とゼノビアは大きなクシャミをして鼻をすする
3っつ目の岩に辿り着いた時には
肩で息をしながら、岩の上に仰向けになってしまった
「たまんないねぇ…少し休憩だよ!」
仰向けで空を見ていた彼女の視界に
急に彼女を覗き込む男が現れ、ゼノビアは反射的に飛び起き距離を取ろうとして海に落ちた
幸い、まだ岩と自分を繋ぐ糸を切っていなかったので
そのまま流されたり、溺れたりはしなかったが
急に現れた相手に対して強い怒りを覚えた
「何者だ!?」
岩の上によじ登り啖呵を切る
「それは此方のセリフだ
答え次第ではこの場で屠る」
黒ずくめで片目を髪で隠した若い男
ゼノビアはモンロルラナが言っていた人間の刺客だと気付く
「私はゼノビア“魔女狩り”さ
人間領で犯罪を犯す魔女をしょっ引いてんだ
邪魔しないでおくれよ!」
「…魔女狩り…その魔女狩りが海水浴か」
「仕方ないだろう!?いつも使う行路が全部止まっちまってんだから!!」
分かりやすく怒りながら地団駄踏む彼女を見て男は目を細くする
「私はノルウォギガス領主、エイベル・ヴァラハ
詳しく話を聞かせてもらおうか」
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エイベルは魔獣ケルピーを指笛で呼びつけるとゼノビアに乗るようにと促した
「それは飼い慣らしが済んでいるので安心し…魔族には関係ないか
ああそうだ、貴方が危険でないと証明されるまでは魔法の使用は禁止させてもらう」
エイベルはそういうと、詠唱をしてゼノビアに禁術の魔法をかけた
もっとも、ゼノビアは魔法に頼らなくても腕っぷしだけで敵を倒すタイプなので
あまり意味はないのだが…
そして、2人を乗せた半馬半魚の魔獣は、エイベルの指示の通りに海を行く
「ちょっと、坊やどこ行く気なのさ
陸地はあっちだろ?」
ケルピーは大陸に向かってではなく、東に向かって進んでいる
流石のゼノビアもこれには意を唱えた
「今は政治的になかなか難しい時期だ
魔族の貴方を容易に本土に連れて帰るのはリスクが高い
なので積もる話は別のところでさせてもらう」
そうして到着した島は一軒の家と、少しの木々が生えた小さな島だった
着いてくるように言われて家に入る
中は何の変哲もないただの家かと思いきや
エイベルが本棚を弄ると、その後ろから隠し扉が現れ
下へと続く暗い階段が姿を露わにした
「…坊や、一体この下で何を飼ってるんだい?」
ゼノビアは額やこめかみにある複眼で
魔力を視覚化して観ることが可能であり
暗い階段から迫り上がってくる魔力と、下で蠢く魔力の塊を見ていた
エイベルは眉を顰めるゼノビアに、不気味な笑顔を向け「父です」と答えた
何の冗談かと思いながら着いていく途中で
エイベルに気になるのなら後で会わせるとまで言われゼノビアは少し不安になった
通されたのは何の変哲もない小さな部屋
椅子とテーブル、チェストに本棚、特に怪しい物は置いていない
しかし、ゼノビアの眼はおそらく隠し扉の向こう
隣の部屋に居る何かを捉えていた
「この部屋は何の部屋だ?」
「秘密を守るのには最高というだけの
ただの部屋なので安心していい」
それはつまるところ、何が起こっても周りが周知できないという事だが
ゼノビアはふーんとあまり分かってない様子だ
「エドリック王に魔族の魔女狩りに力を借りているとは聞いていたが
目にするのは初めてでね」
「…それを言うために私をこんなしけた場所に連れて来たのかい?」
「まさか、貴方は境界の谷から来たが
今日のようにハッキリと魔族があそこから出て来たのを観測したのは初めてなんだ
…普段はどうやって人間領に来ている?
いつもの行路とは何処なんだ?」
ああ、といいゼノビアはニッと笑った
「へぇ、人間てのは想像よりずっとこっちの事知らないって訳だね」
教えたところで見張ることも出来なければ
阻止もできないと考えたゼノビアはエイベルの求める情報をくれてやる事にした
「私ら魔族は基本的にドラゴンハイブから来る
けどまあ、今回は坊や達が魔王討伐なんて物騒なことを言い始めたもんだから
人間領行きの便が無くなっちまったんだよ!!」
「人間領行きの便ということは、常日頃からかなりの量の魔族が行き来していたということか…」
おかげで境界の谷から来る羽目になったとガハハと笑う
「坊やが監視してる境界谷からは魔族はおろか、魔女だって来やしないよ
今回がレアケースってだけさ」
「…無駄だということか?」
「そういう事だね」
「しかし、谷の付近から魔物や魔獣は来る
そこに何の違いがあるんだ」
ゼノビアはまた大きな声で笑った
「そもそもそれが大間違いだ!!
勿論魔族領でも魔物は生まれるが
その大半が人間領で生まれるんだよ」
魔族領はより厳しい弱肉強食の世界である
そんなところで生き残りをかけるよりも
赤子(魔物)を人間領で生む魔族は多い
更に、魔物ではなかった生物の魔物化も人間領で起こる事だ
「だから坊や、あんたら人間の認識は間違ってる
魔物は基本的に人間領で生まれて
魔獣や魔族になる頃に、魔族領に移るんだ」
「境界の谷付近の魔物は…」
「あそこから噴き出す魔素で、生物が魔物化してるだけだね!」
この話は先ほどモンロルラナに聞いた話なのだが
如何にも博識ぶってゼノビアは話した
「…魔素によって人間も魔物化するか?」
目を見開いたエイベルが、ぐっと顔を近づけてそう聞いた
「私はそういう例は知らないね…
人間は弱いだろ?魔素ですぐ死んじまう
死んでからゾンビになるっていうのを魔物化っていうならそうだと思うけどね」
するとエイベルは立ち上がり、壁の仕掛けを触って隠し扉を開けた
そこにあった物を見たゼノビアは顔を顰める
多種多様な魔物の皮を継ぎはぎにした袋に、何かドロリとした肉とも汁ともいえないモノが押し込められてベッドの上で蠢いていた
そして彼はいうのだ「父です」と
「ドラゴンハイブの調査に出掛け、事故によって帰って来た時は
もはや人の形を留めておらず
肉の塊と言っても過言ではないような容姿でした」
初めは魔族が死体を見せしめとして届けたのかと思ったが
ヴァラハ邸の玄関前にあったその肉塊は、エイベルを見ると震えて鳴き声をあげたという
「直感で父と分かった
その後ここへ移して、持っていたものや巻き込まれていた服の端切れからやはり父だと確信した…」
肉塊となった父をそのままの状態で置いていたところ
表面の乾燥や虫が集ったりと色々起きたので
今のように魔物の皮で包むようになったのだという
「それは…お気の毒だね…」
不意に見たエイベルの顔が、悲しそうではなく
頬を朱色に染め嬉々として話しているのに気付いたゼノビアはその不快感に目を逸らした
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「私と貴方は会わなかった」
ノルウォギガスの岬にある海からしか行けない
知る人の殆どいない洞窟でエイベルはゼノビアを解放した
彼は、彼女を殺すよりも生かしておいた方が有益だと判断したのだ
とはいえ、魔族には違わない
今の世界の事情として、彼女を見逃したことが知られれば
自らも魔族として裁かれる可能性がある
「私は約束は守る
じゃなきゃ約束じゃないからね!」
「ええ、そうでなければ
ここで始末しなければならなくなる」
洞窟に彼女を残しエイベルはケルピーに乗って沖の方へ消えて行った
「…さて、魔女を狩りつつ
ベスベチュラのドラ息子を捜すかね」




