第8章 少年の初仕事
ナガレはネッツに手のひらを見せて、さっと電話をとる。
その音を聞いてか、奥からお嬢様がやってきた。金の髪を翻し、足早に。
ナガレはコーリィに向かって頷いた。コーリィの顔が厳しくなる。
「ネッツ、マキシカが暴走したわ。ネッツは来る?」
その時が来た。ネッツの心臓が飛び跳ねた。
コーリィの手伝いをすることを約束したのだから、ネッツはここで逃げるわけにはいかない。それに、ネッツのようにマキシカに襲われる人が出る前にマキシカを止めに行かなければならない。でも、マキシカの暴走に巻き込まれたらと不安も押し寄せる。しかし、ネッツはコーリィと行くのだ。大丈夫だと、自身を鼓舞する。
「行く」
ナガレは電話を切った。
「ネッツ坊ちゃんはマキシカで怖い思いをしたのですから、無理をなさらずとも、他のお手伝いをしてくださるのでもいいのですよ」
ナガレはそう言ったが、ネッツは決断した。
「行く!」
恐怖よりも、コーリィがどうやって一人でマキシカを静止するのか、好奇心の方がネッツの中で勝った。いや勝たせたと言っていい。コーリィが暴走マキシカを止めるところを見たい。
ネッツは自室に戻った。特になんの用意もするのではないが、ナガレが用意した服に着替える。ネッツは服なんて動き安ければ気にはしないが、貴族というのは、たくさんの服を状況によって着替えなくてはならないらしい。学校の制服は、ここの状況では不相応となる。生徒は基本仕事をしてはならないというこれまた変な規則があるせいだ。
「ネッツ!早く!」
シャツのボタンをかけるのに手こずりながらも、ネッツは部屋を出た。ネッツの助手見習いとしての初仕事である。
コーリィは動きやすいズボンに傍に銃を携え、長い髪を結わえていた。すぐに暴走したマキシカの元に向かえるよう、ナガレも手伝ってコーリィの出発の準備が駆け足で進む。
傍の銃から発射される何かが手のつけられなくなったマキシカを止めるのだ。間近で見たらその絡繰がわかるかもしれない。ネッツはこの非常事態にその謎が明かされることを期待していた。
ナガレとコーリィは地図でマキシカ暴走の状況を説明していた。
「現場はフュールイ学園です。寄付された古いアグリマキシカが暴走しております。現在は園芸の補助を行うくらいですが、資料として保存したいそうです。生徒は下校済み、教職員は安全なところに避難しております」
ネッツが今日から通うことになった学園ではないか。学園にマキシカがあることなど、ネッツは知らなかった。
「旧式アグリマキシカ、メグリエ機関78号、350ズール、年代物だから280ズールくらいかしら」
コーリィはぶつぶつと呪文のように数字をつぶやいた。
「行って参ります」
彼女の険しい顔がさらに険しくなった。
「お気をつけて」
出陣の儀式なのか貴族の礼儀のような、その一瞬の緊迫感。ネッツは彼女が背負うものの重大さを知るのには十分だった。凛として気を引き締めた彼女の横顔は、戦地に赴く男の兵士よりも勇敢に見える。
暴走マキシカにより、建物の破損の被害や巻き込まれる人もいるくらいだ。ネッツは、間一髪、テイラーマキシカに材料として取り込まれる直前だった。
そんな化け物のような機械に対峙するのだから、並々ならぬ心構えでなければ、この仕事は務まらない。
ネッツとそう幾つも変わらない少女が、レースのドレスを着ているような娘が、危険な暴走マキシカを止める仕事を担う。
ナガレが白い煙を纏った大きな弾丸をコーリィに渡した。
コーリィは腰に下げていた、異様に銃口の大きな銃に一発だけの弾を込める。弾丸が纏っていた白い煙はどこかその不恰好な銃に力を与えたかのように見えてくる。
ネッツはナガレとコーリィのやりとりを呆然と見ていた。コーリィはネッツに表に出るように言った。ナガレからヘルメットを被せられ、ネッツが表戸から出ると、夕暮れの心地よい風と昼間の気だるい暑さが混ざり合う薄暮だった。
店の横のシャッターが開き、電動二輪車に乗ったコーリィが飛び出して来た。
「乗って」
コーリィの電動二輪車は、安定性のある太めのタイヤと青く塗られた車体が特徴の古いパーツを寄せ集めたアンティークのようだった。コーリィには少し大きくごつい車体だが、二人乗りだ。ネッツはコーリィの真後ろにしがみついて乗ることになる。
少しばかり躊躇いつつもネッツは、恐る恐るコーリィの腰に手を回す。思ったよりも彼女は細く、がりがりに痩せたネッツとは違ってやわらかい、そうネッツは思った。それと同時に彼女が一人で暴走したマキシカを止めたのは、それは運が良かっただけではないかとネッツを不安にさせる。
発進したそのガラクタのような電動二輪車は、意外にも速度が出て、ネッツはコーリィにしがみつくだけで精一杯であった。
まとわりつくような熱を帯びた大気を切り裂くように二人を乗せた電動二輪は夕日に浸かった街の通りをひた走る。時折、ネッツの頬に、コーリィのやわらかい髪が触れる。花の香りがするが、強い匂いの放つ白い花の咲く横道を通ったわけではなく、これが彼女の香りだとわかって、ネッツは気恥ずかしくなってそっぽを向く。
暴走したマキシカを止める役目、そしてそのマキシカがいるのはネッツが通い始めた学園。
フュールイ学園。礼儀と知性を重んじる伝統に縛られているとネッツは第一印象に思った学園である。
ネッツが歩いて下校した道をコーリィと自動二輪で駆け抜ける。
学園の正門では、すっかり怯えて俯いた教師たちが立っていた。昼間は朗らかな顔をしていた学園長が青い顔をしている。ネッツの担任となった神経質な髭の教師ヒルキー・エコは、時計をしきりに気にしていた。
「メグリエ鉱物研究社です。マキシカを止めに参りました」
ネッツは教師たちに顔を見られないよう俯いていた。
「コーリエッタ嬢!待っておりました!お、お願いします、生徒のためにも、できればあのマキシカは再び動いて欲しいのです」
学園長が少女に託す。 うろたえる学長は気が気でないようで、だらだらと汗を垂らしながら、懇願する。マキシカの暴走は多大な被害が出ることが常だったからだろう。
暴走したマキシカを再び使いたいというのは、今では珍しい、初期に作られたアンティークのマキシカだかららしい。
「お任せください」
コーリィは自信たっぷりに言うと、教師たちが開けた門をくぐり、夜の学園へと自動二輪は駆け出した。
夜の無人の学園は賑やかな昼間とは違う顔だった。静まり返った校舎、不気味にシルエットが浮かび上がる銅像、そしてどこかで動物の声が聞こえた。
「アグリマキシカは中庭かしら?」
広い学園にはまだ小さな少年から、青年になるまでの生徒たちが通う。運動場や巨大な図書館、研究機関さえも持つ、一つの小さな町のような場所だった。日も暮れて視界も悪いが、コーリィはどこかを目指すように走り続ける。
「コーリィもここに通っていたんだな」
「ええ」
自動二輪を巻き起こす風に交じって彼女の返事が聞こえる。
「ここ、女の子も入れるの?」
ネッツがさっきまでいた校舎では、男子生徒しかいなかった。
「機械と熱量のことを学ぶためにはここがよかったの。男子が多いだけで女子もいるわ」
堅苦しくひ弱な貴族の男子ばかりの中に、クラスの中ではコーリィが紅一点、学んでいた。一体どんな学生生活を送っていたのだろう。
自動二輪で走る中で、ネッツは中庭にある銅像の陰に人影を見た。
傍に小さな生き物を連れた小柄な人影だったように見えた。
「コーリィ、誰かいたぞ」
「マキシカはこのあたりにはいないから、大丈夫」
「生徒か?まだ帰ってないのか?」
呑気なことを言うネッツに、コーリィは返事をしなかった代わりに、自動二輪の速度を上げた。
しがみつくのが手一杯のネッツに、コーリィは叫ぶ。
「マキシカ、いた」
コーリィは自動二輪を止め、マキシカを注視する。
中庭の、校舎の影の中で暴走したマキシカは高音と低音を繰り返しながら、作業を進めていた。
暗くてわかりづらいが、人の背丈ほどの大きな箱のようなマキシカである。マキシカの上には椅子のようなものが備え付けられており、人が乗るものらしい。前に張り出た腕のような部品を小刻みに動かしている。また、後ろから人の頭くらいの石をたまにごろりと吐き出している。花壇の縁の石を農作物の根の伸長を邪魔する石だと思い、石を掘り返しては避けているつもりなのだ。
幅の広いマキシカは少しずつ動く。一見、テイラーマキシカのように、暴走したようには見えなかった。
コーリィに促されてネッツは自動二輪を降りた。コーリィはすぐにはあの口径の大きすぎる銃をとることもなく、離れてマキシカを見ていた。ネッツもコーリィの少し後ろでマキシカを見つめる。
「暴走しているわりにゆっくりだな」
ネッツを襲ったテイラーマキシカと比べると、人に危害を及ぼすような凶暴なマキシカになど到底見えない。
「いいえ、この時刻であれだけ動いているのは、暴走、つまり熱量超過の特徴」
薄暮の時。すでに熱気のあった街は少しずつ夜に向かって冷めはじめている。マキシカは夕方に眠りにつかせるのだが、目の前のマキシカは夜更かしを続けている。
「またあのヘンテコな銃で止めるのか?」
「クールショットガン」
白い煙に包まれた弾丸を込めた銃口が異様に大きな銃である。
「撃つのか?」
「集熱板を狙うのよ」
コーリィはネッツを無視してマキシカを観察している。
マキシカを止める手立てというクールショットガンを構え、コーリィは稼働を続けるマキシカの動きを見つめる。
「何発か撃てば当たりそうだな」
マキシカがどう動くかわからないため、近づきすぎては危険だ。しかしマキシカから距離を取れば、弾を当てることが難しくなる。
「一発限り。お父様が作った弾の数には限りがある。お父様が戻るまでは少ない弾数で多くのマキシカを止めなくてはならない」
クールショットガンと呼ばれるその銃の形のものには、一発の弾丸しか込められていなかった。弾丸が大きく、充填できるのが一発のようだ。
口を開けば淡々と言い放つだけのコーリィに口を挟めるほどネッツは何も知らない。
クールショットガンはコーリィの父親が作り出したものらしい。アグリマキシカは大きな木の近くでちまちまと土を掘り返していた。
その木は、学園の創立記念に植えられた木であり、もうすぐ樹齢百年に達する大木になっていた。このままではその木の根まで傷つけたり、土を掘り返して木が傾くことになるかもしれない。
コーリィは、マキシカではなく大木に駆け寄った。
ネッツはそれについていく。マキシカはコーリィやネッツなど知らんぷりで土いじりに勤しんでいた。
「ど、どうするんだ?」
コーリィは目を凝らす。
「上から狙う。ネッツはそこで見ていて」
「校舎の二階からか?」
「あの角度では木に隠れて狙えない。木に登って、真上から集熱板を狙う。第一世代のマキシカは集熱板が真上を向いているから」
そういって、お嬢様は立派な記念樹の幹に足をかける。木登りには十分な強度と登った時の達成感のある大木に見える。
しかし一向に彼女は上に移動しない。お嬢様には初めてのことだったらしい。
砂漠の街のスナバラでは、ここまでの大木は多くない。しかし、ネッツは小さな木なら登ったことがあるし、孤児院の砂よけの塀や屋根に登ったことがあったから、この木にも登れそうだった。
コーリィは手に力を入れるが、木の瘤にかけた足のほうに重心をかけられず、登れない。彼女は確かテイラーマキシカには登っていたが、それには足をかけるような突起が設計されていたからだ。あたりにちょうどいい梯子や脚立もない。
「俺が登ろうか?」
ネッツはお嬢様の代わりにと申し出た。
「狙いがわからないでしょう?」
ネッツは木にしがみつく少女を見かねて、少女の右手を上の枝の根本にかけさせる。
ネッツは少しだけためらった。
「・・・ごめん」
ネッツは彼女の腰のあたりを押し上げて、木登りを助ける。
「左手を届くとこにかけて」
コーリィは歯を食いしばり、なんとか一段上に登った。もうネッツの手は届かないが、枝の少ない幹の下から、枝に足をかける場所の多い場所にコーリィは登ることができた。
「左足をそこの枝にかけて」
彼女の息がかすかに漏れ聞こえる。お嬢様にとっては不慣れな木登りだ。
そこに、威勢のいい声が聞こえた。
「おっと、木登りなんてお転婆だねぇ、クールな嬢ちゃん」
ネッツが振り返ると、手にした光を放つ電灯に照らされた大柄な二人の男が踏ん反り返って立っていた。
ネッツは目を細めた。強い光を放つ電灯に照らされた男二人。両側を刈り上げた短髪、タンクトップから延びる筋肉隆々の腕を持つ。顔立ちがそっくりな二人だ。この二人のような大男でなければ扱えないような巨大な長柄のハンマーを携えている。
「今回は私に依頼が来ています。壊し屋はお引き取り願います」
やっと木の幹から枝の分岐点まで登ったコーリィの言葉から、彼らは壊し屋であることをネッツは知った。彼らも暴走したマキシカを止めに来たのならば、コーリィと同業者となる。獲物を横取りしに来たのだ。
「来たものは下がれない、嬢ちゃんが一発で仕留めそこなったら、そいつは俺たちの獲物だからな」
コーリィは蔑んだ目で彼らをちらりと見ただけだった。
コーリィは長年広げてきた大木の枝を渡る。木は揺れるが彼女一人くらいでは大木は動じない。
コーリィはマキシカを見下ろせる位置までやってきた。そして、右に携えた銃を引き抜いた。
枝にしがみつきながら、彼女はマキシカの弾を当てるべき場所を見定める。
マキシカの外壁のうち、外壁とは違う素材でできた集熱板は、光の反射のパターンが異なる。コーリィにならその的は十分に大きい。アグリマキシカの操縦者のための椅子の後ろがその標的だった。
一瞬、コーリィの顔がその弾の発射の際の青い光で照らされると同時に、軽い銃声と堅い金属同士が当たるような澄んだ高い音がネッツの耳に響く。
ネッツはその種がすぐに花を咲かせる様子を見つめていた。氷の花はすぐにマキシカに根を張り、花を咲かせる。
ネッツはそれを見るのは2度目だった。
キラキラと輝きながら氷の花は咲き誇る。
土を握ったまま、マキシカは徐々に動きを鈍らせ、沈黙した。それはまるで花を咲かせようと手を動かしてきたマキシカが花を見た途端に達成感で満たされたかのように。
「あーあ、今日も嬢ちゃんが冴えていたね」
壊し屋の一人が残念そうに言った。
「お?そこのちっこい坊主は」
光に照らされて、ネッツは目を瞑った。日の落ちた夜の中で小さな太陽のように明るい照明だ。
「ちっこいいうな!ネッツだ!」
精一杯、虚勢を張ってネッツは言ったが、男二人は大口を開けて笑うだけだった。
「ほぉ、よろしくなーネッツ。俺はヤブ、こっちは弟のゴワだ。同業者みたいなもんだから、また顔を合わせるけど、お手柔らかにな」
豪快な男たちは負け惜しみだと言わんばかりに、そして、親しみを込めて言った。しかし、コーリィは不機嫌な声を樹上から降らせた。
「同業者じゃないわ。マキシカを壊すしか能のない人たちと、再起動できる私達は全く違う」
「つれないねぇ、嬢ちゃんは。今日は帰るよ」
壊し屋たちは、その眩しすぎる照明を持って去っていった。
「あの人たち壊し屋?」
「そうよ。あのハンマーでマキシカを破壊することになったら、マキシカは二度と使い物にならないの」
壊し屋はその名の通り、壊すことでマキシカを殺す。コーリィはマキシカを壊さないで、凍らせるだけだ。頭を冷やしたマキシカは再び動き出すことが出来る。暴走マキシカの対処をすることでは同じだが、その方法と結果は異なる。ヤブとゴワはコーリィの競争相手を自負しているようだが、コーリィの言う通り、マキシカの行く末も大きく違う。暴走したマキシカはジャンク行きか、再び働けるか、違いは明確だ。
「コーリィ、降りてきなよ」
壊し屋を追い払い、いつまでも樹上で高みの見物しているわけにもいかないはずだが、コーリィは木から降りてこなかった。
「——降り方、知らない」
コーリィのさらに不機嫌な声が、闇の中で降ってきた。ヤブとゴワの持っていた明るすぎる電灯でネッツの目は一時的にチカチカしていた。だからコーリィの声で彼女のいる方をみても、余計に暗く見えてしまう。だからコーリィが木の上でどんな表情でいるのかもよく見えない。
「登った時と同じように、気を付けて降りるんだよ」
ネッツは孤児院の塀に登って降りられなくなった幾つか年上の少女シャルテのことを思い出した。暗い茶色の髪で、少しぼんやりしたところのある彼女は、少しでも高いところに登りたくて塀の上に登った。登ることはできたが、降りられずに、ほぼ落ちるように降って来た。彼女は大きな怪我はしなかったが、ほんの少し膝を擦りむいた。もちろんネッツともども彼女がミセス・トッドマリーにこっぴどく叱られたのを覚えている。
「ここまで戻れるか?」
コーリィは恐る恐る木の枝の分岐点まで戻ってきた。ぎこちない動きは、彼女の神経質さと慎重さ、そして、慣れないことをしているからだろう。陽が落ちて薄暗くなってきたから、彼女の不機嫌そうな顔は見えない。
「あとは、ここに足をかけて跳ぶ」
地面はマキシカが耕したおかげでふかふかの土だ。コーリィが飛び降りる高さも足を伸ばせば半クルカほどしかない。
「跳ばない」
彼女は跳べないのではないと言い張るつもりだ。
「怖いのか?ここなら土だから痛くないし」
「怖くないわ」
「跳べる!」
「跳ばない」
「どうやって降りるんだ?」
少女のため息が聞こえた。
「コーリエッタ君が木登りとは。これはかなりの大仕事だったんだね」
笑いを含んだ声でこちらにやってくる人影。白っぽい服を着た男だ。
「テンヘン先生」
コーリィは木の上からでも、彼の声でわかったらしい。学園の教員であり、コーリィと研究をしていたカミーエ・テンヘン先生だ。
「コーリエッタ君。お疲れ様でした。降りられますか?」
「ええ」
コーリィは木から舞い降りてきた妖精のようにネッツの前に降ってきた。
彼女は記念樹の元の土に突き刺さるように膝をついた。
「だ、大丈夫か」
彼女の思い切りにもほどがある。彼女はやはり、令嬢にしては勇ましい。
「大丈夫。マキシカを止めるためとはいえ、木に登るなんて、はしたないわ」
ネッツは暗くて彼女の顔は見えなかったが、強がっている、年相応の少女のような気がした。
「あれ?ネッツ君?お仕事を手伝ってるの?」
「ネッツには、手伝ってもらうことになるので、慣れてもらおうと思って」
コーリィが答えた。
「フレイザさんが不在の間、一人で頑張っているコーリエッタ君が心配だったから、助手がいて本当によかったよ」
テンヘンは弟子のコーリィのことを心配しているのは、少女が一人で今後も都市中のマキシカ事故を対処していかなくてはならないからだ。ネッツがコーリィを手伝えば少しは彼女の負担も減るかもしれないが、ネッツはまだ役に立つかもわからない。
「ネッツ君がお仕事を手伝ってることは、学園には秘密にしておくよ」
「お願いします」
テンヘンは手をひらひらと振って校舎の方へ消えた。
「フレイザって人が、暴走マキシカを止める仕事をしていたのか?」
ネッツはテンヘンの言葉の中に出てきた人物を知らなかった。
「フレイザは私の父よ。父が旅に出るから、私が仕事を受け継いだの」
「そうなんだ」
「テンヘン先生は、私と研究を続けたかったみたい」
「そっか。だから、俺に助手やらないかって聞いてきたのか!」
助手見習いのネッツをさそったのは、コーリィの代わりにならないかだ。しかし、ネッツ自身がコーリィの代わりになりそうもないと、ネッツは思っていた。
「編入したてのネッツに声をかけるなんて行動が早いわね。ネッツは先生のお部屋を見たの?」
「うん。本と石がすごかった」
「テンヘン先生はスナバラ一の鉱物工学者よ。研究のために、さまざまな鉱石や本を集めて調べているの。その結果があの部屋よ」
「あれ、片付かないのか?」
「無理ね」
コーリィは断言した。
「あーあ、ご冷嬢に手柄をとられたよ」
「無駄足だったのに疲れた」
ヤブとゴワは手土産もなく、重い足取りで街中の壊し屋の店に戻ってきた。
壊し屋といっても、マキシカを壊す仕事はそこまで多くはない。廃品回収や蓄電池の再生利用をやっていたが、マキシカの暴走が見受けられるようになった昨今、壊し屋はマキシカを壊すことも仕事になった。暴走初期段階のマキシカを壊さずに停止することもあるが、手を付けられないほどのマキシカは破壊することがある。
メグリエ鉱物研究社とはやり方は違えども、獲物は暴走したマキシカであることは同じだ。だからコーリィとも何度か会っているし、敵対視している部分もあった。
機械油の匂いがする部品の転がった店先の奥に、小さな夕日色のテーブルと椅子がある。二人はそこにどかっと座った。
帰ってきた二人に、女将さんに言われてマグに入った酒を持ってきたのはシャルテ・ポーンという名の少女だった。彼女は暗い茶髪を三つ編みをして、そばかすと下向きの長い睫毛、困ったような笑顔を見せた。彼女は一見、御転婆そうに見えるが、見た目や年齢よりも内面は大人びた少女だ。
店先のランプの光の下で、少女は少し退屈そうな顔をしていた。
シャルテは半年前にトッドマリー孤児院から壊し屋に引き取られた少女で、壊し屋では従業員の食事を作る手伝いや店先の掃除などを住み込みで働いている。
「メグリエに先を越されたの?」
シャルテは不満そうな声を漏らす。
「ああ!嫌になるねぇ。あっちは一人なのに、なかなかやるんだよなぁ」
苛立ったようにゴワは言った。
「そうだ、ネッツとかいうチビを連れてきていたな。見習いらしい」
「ネッツ・・・」
シャルテにはその名に何か覚えがあるようだった。
「赤毛がこうぶわっとして、ひょろひょろの坊主だ。知り合いか?」
「孤児院で一緒だった子かも」
「この間、事故に巻き込まれた子もいたな」
「ヤブ!」
マキシカの暴走事故に巻き込まれた孤児はシャルテの出身の孤児院の子だった。シャルテはそれを知って落ち込んでいた。
責任感の強いシャルテは、涙ひとつ見せずに気丈に壊し屋を手伝っていた。
「よくある名前だしな。同業者だし、友達にはなれるかもな」
「ゴワ、それはシャルテに敵情視察でもやらせるつもりか?」
「そりゃあ、いい!」
ヤブとゴワは大声を出して笑った。
「今日の仕事は終わったんだろ?」
「うん、お疲れ様」
シャルテは店の奥へとかけていった。店の裏には、白い毛で覆われた彼女の友達ワンガがいる。彼女の日課は、小さなワンガを撫でてから眠ることだった。彼女には特例的に動物の飼育が認められていた。どうやら、壊し屋の社長の知り合いからこのワンガを任されたらしく、無下にできないのだ。今では壊し屋のマスコットのように可愛がられている。
裏口の横に建てられた小さな小屋から顔を出す、白いもこもことした毛に覆われたワンガ。短毛でも長毛でもない中途半端な毛、ピンと立った耳、濡れた小さな鼻。脚は短めで歩くとぴょこぴょこと跳ねるようで、同時にぽてりとした尻尾も跳ねる。シャルテを見たワンガは嬉しそうな顔をしてきゅんきゅん鳴いた。
そこに紳士が現れた。
「ご苦労だったね」
「こんばんは、カーンさん」
彼はイルズ・カーン。シャルテにこの壊し屋での仕事を紹介した人物だ。金縁眼鏡を高い鼻で支え、神経質な印象を受ける紳士だ。いつも精妙に織られたチェック柄のベストとズボン、皺一つないシャツを着ていて、気難しそうであるものの、シャルテの働きをいつも褒めてくれた。
シャルテは首輪をしたワンガを撫でる。首輪はシャルテがワンガを預かる時に、カーンから貰ったもので、赤い石のチャームまで付いている。
「手柄は、メグリエの令嬢にとられてしまったようだね」
シャルテにカーンと呼ばれた男は、ワンガに小さなポーの実をやった。ワンガは嬉しそうにすぐにかぶりつき、その中途半端な長さの毛を揺らしながら、餌に夢中になった。
「門を閉鎖したらしくて、ヤブとゴワが入るのに手間取ったみたい」
「それはしょうがない。暴走すると言っても、占いの類だと勘違いされてしまっては意味がない。だから特定のマキシカが暴走するとは言わないほうがいい。今は壊し屋に伝えるだけでも被害は少なくて済む」
「あたしが下見をした時は何ともなかったのに、その後すぐに暴走したわ。予言みたい」
「まぁ、条件が重なると暴走しやすくなるくらいさ。私だって完璧にわかるわけじゃない。でも、訓練を続けて、ワンガが暴走する間近のマキシカの匂いを覚えてくれば、きっと役立つ。引き続き頼んだよ」
「はい!」
イルズは赤い石のついたチャームをワンガの首輪にもう一つつけた。
「この石はなんですか?」
「あぁ、これは相棒の動物につけるお守りだよ。たくさんつけるものらしい。少し珍しい石なんだ」
「そんな高価なものをワンガに?」
シャルテは驚きの声を上げた。
「ワンガはこれからマキシカの暴走を知らせるスナバラ唯一の存在となって活躍してもらわなきゃならない。願掛けも必要さ」
「そうですね。ワンガと頑張らないと!」
「シャルテはよく頑張っている。壊し屋の仕事だけではなくて、私の仕事まで手伝ってもらって。大変じゃないか?」
「カーンさんには、ここの仕事を紹介してもらった恩もありますし、大丈夫です」
「そうか。引き続き、頼むよ」
カーンは満足そうに去っていった。
彼を見送ったシャルテは、ワンガの隣になにか落ちていることに気づいた。
「これ、カーンさんのボタンだ」
彼のベストについていたボタンの糸が緩んでいたのだろう、見覚えのあるボタンが落ちていた。
「今度、来てくれた時に返そう」
シャルテは大事そうにボタンを拾い上げた。四つの穴の空いた高級そうなボタンだ。雨季の曇天を切り取り、艶やかに磨き上げたようなボタンだ。
カーンはいつも決まった時に来るわけではない。用がある時にだけシャルテの顔を見にくるのだが、その頻度も週に2度あれば、ひと月近く姿を現さないこともある。普段何をしているのかはわからないが、服装から見て、壊し屋ではないこともわかる。
彼がまたしばらく来ない寂しさをシャルテは感じた。血のつながらない兄弟たちと楽しく暮らしていた孤児院から出たら、巣立った巣には戻らず、一人で頑張って自立していくことが、孤児院への恩返しだとカーンは言っていた。孤児院に戻りたいとめそめそ泣き言をカーンに言ったら、ミセス・トッドマリーに伝わり、余計な心配をかけてしまう。
壊し屋にきてからシャルテが会っている唯一の孤児院の関係者はカーンだけであり、彼にしばらく会えないとシャルテはつながりが途切れた気がして、不安になる。壊し屋の人たちはシャルテに親切にしてくれるし、シャルテ自身も少しずつ仕事も覚えてきたから、もう少し頑張ればきっと、寂しくなんてないはずだ。
シャルテはボタンをぎゅっと握り締めた。