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第60章 流路の導き

 どのくらいの時間が経ったのだろう。コーリィとネッツは地下水に浮かぶ舟の上でじっとしていた。コーリィは船頭のほうに、ネッツはその後ろに。ぼんやりとコーリィの背中を見つめ、ネッツは黙っていた。ヒャリツの中は管のより集まった複雑な空間を駆ける風の音と水の音が緩急をつけながら聞こえるのみだ。

 薄暗くて、代わり映えのしない地下世界で、互いに相手がそこにいるから、正気を保っていられたのかもしれない。一人なら耐えられなかっただろうとネッツは思った。

「コーリィ・・・」

 ネッツは絞り出すように声を発した。

「何?ネッツ」

 コーリィは淡々と答えた。ここからどうするか色々と考えを張り巡らせてみたものの、答えは出ずに半ば諦めていた。

「聞いて欲しいこと、あるんだ」

 ネッツは改まってか細い声で言う。

「ええ、聞くわ。話してくださる?」

 コーリィはそう言ったが、ネッツはしばらく黙った。コーリィは急かさずにネッツの言葉を待つ。

「あのさ、その・・・」

 ネッツは話すか迷った。でもこのままここで過ごしてどうなるのかわからないままより、コーリィに話して何かを変えたいと思った。このまま胸の内にしまっておくこともできるが、きっと後悔するように思えてならなかった。話すことでこの胸のつかえをとることができるかもしれない。

「俺の指輪なんだけど・・・」

 そこでネッツは言葉に詰まる。

「キーウェルさんに貰った指輪、ね」

「・・・うん」

 コーリィはネッツが指輪を外す決心をしたことや、エレックがどうやって指輪を外したかを話し出すのだと思って、ネッツの言葉を待った。しかし、予想外の告白だった。

「俺が重機マキシカを暴走させた・・・かもしれない」

 予想外のネッツの懺悔に、コーリィは十数個の考えを一瞬で頭に巡らせた。

 それは、コーリィが病院に母親ミマのお見舞いに出かけた際、ネッツはこっそりとついてきたあの日のことだ。

 病院を後にしたネッツはキーウェルと暮らしていた思い出の家に向かったのだった。今度はコーリィがネッツの後を付けた。

 そこはすでに誰も住んでいない空き家だった。その日、空き家の横に重機マキシカがあった。建物の取り壊しや建材の運搬を担う移動可能な中型のマキシカである。

 コーリィが屋敷に戻らずに寄り道したネッツを追ったのは、ネッツがどこに行くのか気になったからだ。

 コーリィの目の前で起こったのは、重機マキシカが暴走し、その廃屋に飛び込んだ情景だった。暴走したマキシカはまだ壊し足りなさそうではあったが、そこをコーリィがクールショットを撃ったことで、それ以上の被害を出さずに済んだ。その事故でネッツがキーウェルと住んでいた家は全壊してしまった。

 そのマキシカ事故は、誤作動と書類上は処理されていた。翌日にでも取り壊しをしようとしていた古い家が崩れただけで、死傷者はおらず、あまり被害は大きくないマキシカ暴走事故として処理された。

 あの事故において、コーリィの考える暴走の本当の原因は別にあると考えていた。

「確か、事故現場の近くでワッカを見かけたって・・・?」

「ワッカは見かけた、けど」

 まだワッカがまだ白い毛の時のことだ。シャルテの元から逃げ出したワッカが偶然、重機マキシカに近づいた。そのせいでマキシカの暴走が引き起こされてしまった。そこに運悪くネッツが事故に遭遇したとコーリィは考えていた。当時、ワッカの首輪には二つの紅夜石(クレナイト)がついていた。マキシカに近づき過ぎれば影響し、暴走事故が起こってもおかしくはない。実際、ネッツはワッカを事故現場付近で見かけたと言っており、それが重機マキシカの暴走事故の原因だったはずだ。しかし、真実は異なっていたのだ。

 コーリィはありったけの客観的な見解を集めた。

 重機マキシカはネッツとキーウェルの住んでいた古い家が崩壊しそうだったため、翌日の取り壊しのために、その家の脇に置かれていた。

 誰でも触れる場所に重機マキシカは置いてあった。つまり、それはマキシカの持ち主の管理が適切だったかを問うこともできるだろう。

 ワッカがマキシカに近づく可能性は、予測できるはずもないと言える。そもそもワッカがシャルテの元から逃げたのも予想外だ。故意にワッカを近づけたわけではなく、逃げたワッカが偶然マキシカの近くにいた。ディージ警部には話すことはできないが、コーリィの中では、それが合理的な理由である。

 その当時、紅夜石を近づけると暴走することを知っている人間は限られていた。ネッツは知らなかった。

 その事故は幸運にも壊す予定の廃屋を一日早く破壊しただけで、死傷者はいなかった。大事には至らなかったという評価が妥当であろう。

 ネッツは、マキシカを知らず知らずのうちに暴走させた。それは好奇心でマキシカに近づいた。ネッツはいろいろなものを触るくせがある。停止しているマキシカならとその指輪をはめた右手でマキシカに触れたのだろう。その結果マキシカは暴走した。

 ネッツにあの指輪が紅夜石であることをコーリィが告げたために、ネッツの中で全てがつながったのだ。

「ネッツがあの指輪を重機マキシカに近づけてしまったことが暴走の原因だとしても、ネッツは紅夜石をマキシカに近づけてはならないことも、あの指輪が紅夜石であることもあの日は知らなかった。だから事故は、避けられなかったこと」

 コーリィがマキシカに近づかないことをネッツと約束した理由。コーリィの助手として暴走マキシカの現場に行くことはあっても、マキシカには近づけなかった理由。触って確かめる癖があるネッツに、なんでも触れないことをコーリィと約束した理由。

 全ては紅夜石の指輪をマキシカに近づけないためだ。ネッツの中で今までのコーリィとナガレの言動に一貫した理由があることにネッツは気づいた。

 コーリィもナガレもマキシカにネッツを近づけないようにしていたのだ。

 ネッツがコーリィとの約束を守っていれば、こんなことにはならなかった。思い出の家を壊し、コーリィが守りたいマキシカを悪者にしてしまった。

「俺、コーリィとナガレに言われてたのに、マキシカに触った。コーリィに助けてもらったから、役に立ちたかったのに、これじゃ邪魔者だ」

「ネッツ、起きてしまったことを悔やむことはあるわ。でも、起きてしまったことは変えられないから、これからのことを考えない?」

 マキシカにネッツを近づけないよう、ネッツの行動を過保護に制限することもコーリィの考えにはあった。ネッツがテイラーマキシカの暴走事故に遭った後、マキシカに対し恐怖心を抱いていたらそれは難しくなかっただろう。しばらく屋敷内で手伝いをするのでも、居候として肩身の狭さはいくらか軽減される。しかし、ネッツはコーリィに対し恩を感じ、コーリィの手伝いをしたい気持ちが勝った。だから今ネッツはここにいる。

「これから、なんてないよ」

 スナバラに帰れるのだろうか。ネッツはマキシカを暴走させたから、罰があたってヒャリツに浮かぶ舟に取り残されたと考えているのだろう。

「スナバラに戻れたら、ネッツはちゃんと勉強して、私の助手を続けてくれる?」

「――戻れるわけないよ」

「戻れたとしたら、私の助手にならない?」

 コーリィに言われて、ネッツは考え直した。ネッツを救ってくれたコーリィの役に立ちたいと思っているのに、ネッツはまだまだ未熟で役に立てたとは言えないばかりか、現状足を引っ張っている。そんなネッツでも、助手にならないかと例え嘘でも励ましてくれる冷嬢に否とは言えない。

「戻れたら、コーリィの助手になる」

 ゆらゆらと揺れる舟の中で不安になる。考えても仕方がないのに。頭もくらくらしてきて、絶望感だけがネッツを満たしていた。

「約束よ!スナバラに戻れたら、ネッツは勉強を頑張って、私の助手になる」

「戻れなかったら?」

「必ず戻るわ。せっかくネッツが勉強を頑張る約束をしたのだもの」

 コーリィは心からネッツを励まそうとしてくれている。コーリィだって心細いだろう。少し先の未来の約束は、スナバラに無事に戻って、ネッツが机に向かってヒィヒィ言いながら勉強している姿が想像できた。それが、暗くて寒いヒャリツの地下水に浮かぶ小さな舟の上にいることを少しだけ忘れさせてくれる。

「ありがとう、コーリィ」

「ネッツ?大丈夫?」

「うん・・・!?」

 その時、二人の乗る舟がガクン、と揺れた。

「コーリィ、何か変だ、落ちて行く感じがする」

 ネッツは異変に気がついた。舟が揺れながら下に徐々に落ちていくからだった。

 ヒャリツの中の水が増え、ヒャリツの水路には地下水が満たされていたはずだった。

 コーリィたちがいる小さな舟は、その水路の中にある縦穴に浮かんでいるはずだったが、少しずつ、ヒャリツの底への落ちていく感覚をネッツは感じた。

 水面はさざ波立ち、落ちていく。

「流されてる」

 同時に、舟は水流に乗って流されていた。それは感覚でわかるのだが、ランタンの火が消えて視界からはわからない。

「どうしよう!」

 コーリィは舟の中ににあった、先に板のついた棒をもって、闇雲に水面をかき回すが、舟など漕いだことのないコーリィはうまく水を掴めず、舟を操ることができない。

「俺がやるからどうしたらいいか教えてくれ」

 がくん、と水面は落ちていく。それに伴い、舟も段階的に落ちていく。

「舟から落ちるわ。じっとしてネッツ」

 コーリィはネッツの腕を掴んだ。

 ネッツは舟を棒で制御することをやめた。ゆっくりと水位が下がってさらに地下へと降りていく舟と水の流れを感覚で感じるしかない。

 舟はやがて、どこかに向かって流されていくのがはっきりとわかった。地下水が川となり、流れていく。二人は抵抗するすべもないまま、地下水の導く先へと導かれていく。ランタンもなく、その先を見据える光はない。

 ヒャリツの地下水に舟は流されるがまま。二人は体を硬くして不安と戦いながら、古い舟に身を任せるしかない。

「どこに向かっているんだ?」

 ネッツは呟いた。

「わからないわ」」

「帰れるのか!」

「わからない・・・」

 コーリィの不安な声が流れる水の音にかき消される。

 沙漠の下でこんな冒険が繰り広げられていることなど、スナバラの人間は誰も知らない。

 真っ暗な中で揺れる小舟。

 水の流れる音が騒がしくなる。

 二人は身を寄せ合い、舟が傾かないよう、じっとしていた。お互いの微かな体温だけが頼りだった。



 スナバラは六十年以上メグリエ機関から熱量を得ていた。蒸気機関という別の動力機関が輸入されたこともあったが、スナバラではメグリエ機関が優位に立ち、蒸気機関は流行ることなく廃れていった。

 メグリエ機関はスナバラでしか使われていない。メグリエ機関が大量に生産されていたとしたら、スナバラからメグリエ機関が世界中に輸出され、メグリエ機関が世界標準になっていただろう。しかし、メグリエ機関は材料に希少な高濃度の紅夜石を含むため、その数が限られている。

 スナバラの隣の都市ウミナトでは蒸気機関が主に産業を支え、今は蒸気機関から化石燃料を燃やして熱量を得ていると聞く。熱量や動力源に関しては、スナバラだけが特殊な進化と歴史を辿っていた。

 マキシカやメグリエ機関が発明された当時は、最先端の技術であった。ウミナトと比べても、海の向こうの街や世界のどこと比べても、メグリエ機関は進みすぎた未来の技術だっただろう。なぜなら、メグリエ機関には石油や石炭、薪などの燃料を供給せずに動き続けるからだ。太陽熱や自身が生み出した熱でマキシカを動かすことができる。特にメグリエ機関は、スナバラのような晴れの日が多く温暖な土地には最適と言えるだろう。

 一方で、六十年以上も同じ機関を使い続けているのはスナバラだけだ。どんな素晴らしい発明品でも、少しずつ改良されたり、やがてより便利な別の発明品に置き代わっていくものだ。メグリエ機関は、六十年前からほとんど何も変わっていないといってもよい。実現できた究極の熱量生産機関として生まれ、時代を先取りしたために、何も進化しないまま時が経った。今では、時代に取り残されているのはスナバラの方になっていた。

 だからこれは、スナバラを前進させるための革命の一手だった。そうであるはずであった。

 しかし、民衆はマキシカなしでは、沙漠の中でここまでの繁栄はなかったし、これからもスナバラが工業都市であり続けることはできないと信じる者ばかりだ。マキシカを決して手放さず、メグリエ機関を万年機関と呼び、世界から取り残されていく。スナバラは外部の人間からは、沙漠と謎に包まれた永久に動く機械の街と伝わっていると聞いた。そのレッテルが悪いわけではないが、すでに古く謎めいた機械に固執している人々の集う街と思われているだろう。

 進化を止めた街など、いずれは廃れていくだけだ。世界の機械工業はウミナトとも既に同じ言語で話せない段階に来ているのだ。その危機感を持たず、いつまでも六十年も前の技術を使い続ける都市に、未来はあるのだろうか。

 一年ほど前、ある提案を議会にした。それは、人々がマキシカを徐々に捨てることを選ぶか、自身がスナバラを捨てることになるのか、賭けだった。その結論は出たといってもいいだろう。

 


 舟が水の意志によって導かれてからどのくらいだったか。二人の空腹は緊張のせいで麻痺している。

 コーリィはできるだけ体を小さくして、舟に座っており、ネッツも体を寄せていた。

 舟の揺れる感覚と舟が落ちて行く感覚が交互に感じられる。二人は黙ったまま舟にゆだねていた。

 真っ暗なヒャリツの中でじっとしているのだろうか。今、二人は都市からどのくらい離れた場所にいて、地下のどのくらいの深さにいるのかもわからなくなっていた。

 コーリィは何も喋らない。彼女の息遣いから、彼女がそこにいることはわかる。お互い身を寄せ合っているのに、分厚いコートのせいか、体が冷え切ってあるのか、体温が感じられず、互いに大きな人形が傍にいるかのよう。

 じっと身を固めていたコーリィが顔を上げた。

 舟の先に、ぼんやりとした光が見える。光の方へ少しずつ近づいているように見えた。

 その光が強すぎて、辺りのヒャリツ本来の淡い光が見えなくなっていた。

「おーい!」

 流されていく先、ぼんやりとした光の方で男の声が聞こえた。

 光は舟の舟頭に固定されたランタンのようだ。

 手を振る人が乗っている。

「コーリィか!?」 

 男の声がヒャリツの中に響く。

「無事かー?」

 その声がコーリィの父親フレイザだとわかった。

 コーリィとネッツを乗せた古い小舟は前の舟に追いついたのだった。

 暗闇の中で流されて行った先は、望んだ方向だったようだ。

「私も、ネッツも無事よー!」

 コーリィの声が響いた。

「よかった!」

「こっちと合流しよう、コーリィ」

 リオードの声だ。

「いや、これも五人も乗れる舟じゃない。このまま流される先に行こう」

 ミッゲルの声だ。

「舟同士、ぶつからないように距離を保つんだ!このままいけば、スナバラだ!」

 フレイザは明るい声で叫んだ。

「わかったわ!」

 流れはやがて急流のようになり、そして、穏やかになった。

 冷や汗をかいたために、体が余計に冷えていた。分厚い手袋の中で手が石のように冷たい。そもそもネッツは船に荷を積む手伝いをするために大人の上着を袖を折って着せられていた。短時間しかヒャリツの中にいることしか想定されていないため、コーリィと比べて軽装で、ネッツの体には大きすぎる衣類は動きにくかっただろう。

 二隻の小舟はゆっくりと流されて行く。

「ネッツ、もう大丈夫よ」

「うん」

 ネッツは疲れた顔をしていた。唇も紫色になり、寒さと疲れで反応が悪い。

「自分の行動に責任を持てるまでは、忠告に従った方がいいことがわかったでしょう?」

 コーリィはそういいながらも、ネッツの手を握ってあたためる。コーリィの手も冷たいが、ネッツより指が動くらしく、ネッツの固まった手をさすったり指を動かしたりして、少しでもあたためようとしていた。

「コーリィは正しかった。でもいいんだ」

 ネッツはそれっきり黙っていた。

 コーリィはネッツの肩を抱き寄せた。コーリィの熱が少しだけネッツに伝わる。コーリィも少し震えている。

「もう少しだから頑張って」

 小舟の流される方に光が見え、それがチラチラと上下している。

 水の流れる音が聞こえるだけだ。寒さと冷え、そして船酔いはスナバラ育ちには堪えた。

 やがて流れが緩やかになった。

 先を進むフレイザたちは立ち上がり、舟を止めた。

 戻って来たのだ。フレイザ・メグリエの書斎の真下の船着場に。

 フレイザたちが陸に上がると、コーリィとネッツが乗った舟が流されてやってくる。

 コーリィが舟につけられた古いロープをフレイザに向かって投げた。舟はフレイザによって陸に引き寄せられた。

「コーリィもネッツ君も無事でよかった」

 フレイザはコーリィをボートから抱き上げて降すと、そのまま抱きしめた。

「水深が急に増えてどこに避難していたの?」

 フレイザのコートに顔が埋まったままのコーリィは尋ねる。

「ヒャリツは地下水のダムも兼ねていて、急に地下水が増えると、都市の方に水流が発生するような空間構造だったんだ。昔の人が退避空間を作っていて、舟もあったんだ」

「私たちもマキシカの紅夜石と舟を見つけて、戻ってこられたわ」

「ヒャリツのマキシカを作った人たちが残してくれた遺産に感謝しないとな」

「お父様、早く上に上がりましょう!」

 やっとフレイザはコーリィを離した。

 ネッツはミッゲルによって舟から抱き抱えられて降ろされた。

「大丈夫か?早く上に上がって暖まろう」

「うん」

 ネッツは乾季に萎れるウカカンコンの花のようにしょんぼりしていた。

 コーリィはランタンの光で照らされたリオードが片足で立っていることに気がついた。

 リオードは、左脚を軽く曲げており、その脚には棒を布でくくりつけていた。

「骨が折れてるかもしれないって。でも大丈夫」 

 彼はコーリィとネッツを助けようとフレイザたちと奮闘したのに違いない。議会の命とは言え、彼はコーリィのために、ヒャリツの冒険に同行してくれたのだ。誇らしげにリオードは笑う。

「ちょっと氷がぶつかっただけさ。君が無事なら、こんなの怪我のうちに入らない」

 フードをすっぽりかぶり、頬を赤らめてリオードは笑顔で言う。

「全員帰ってこられて何より。ナガレは何ていうかな」

 フレイザは苦笑いをした。

 順番にヒャリツから地上へと続く鉄の梯子を登る。リオードは負傷した脚のため、ゆっくりと登っていった。

 すっかり体の芯まで冷えてしまった。再び暑い沙漠の中のオアシス都市にある、メグリエの家に戻ってくることができた。

 ヒャリツでは時間の感覚がなくなっていた。

 メグリエ邸に戻って来た時、真夜中だった。コーリィたちがヒャリツの冒険に出発してから、日付もう三日目になるところまで進んでいた。

 コーリィがナガレと約束した二日間では戻れなかった。ナガレは夜が明けて戻らなかったら、議会に助けを求めるところだったそうだ。

 ナガレが驚いた顔で迎えてくれた。そこにはコーリィの母、ミマもいた。

「お帰りなさい」

 金の糸のような髪と青白い肌、ほっそりとしたミマは満面の笑みだった。

「お母様!」

 コーリィはミマに駆け寄った。

「まぁ!冷たい!!コーリィ、無茶したわね?」

 ヒャリツの風に当り続けてすっかり冷え切ったコーリィの頬をミマの手がじんわりと温める。

「お説教は、お父様と叔父様にしてください。二人が帰ってこないから、私が迎えに行くことになったのだもの」

「そうね。やり方はほかにもあったはずね」

 ミマの視線が夫と弟に向いた。

「コーリィの言う通りだわ。フレイザ?ミッゲル?ヒャリツは楽しかったのかしら?」

 フレイザの妻として、ミッゲルの実姉として、ミマは静かに怒っていた。

「留守の間迷惑かけたな、ナガレ!」

 フレイザは乾いた笑いをナガレに向けた。

「いえいえ。無事で何よりです」

 ナガレは目頭を押さえ、感極まって震えていた。

「フレイザ様、ミマ様、ミッゲル様。申し訳ありませんでした。お嬢様を危険な場所に行かせてしまいました」

 フレイザとミッゲルは顔を見合わせた。

「大冒険だったが、みんな無事だ。まずは体を温めて休もう。リオードの怪我も見てやってくれないか」

 ネッツのもとに、眠っていたワッカがやってきた。普段ならネッツの部屋のカゴで眠っているだろうに、ネッツの声がして見にきたのだ。

 ネッツはその寝ぼけ眼の毛玉を抱き抱えた。暖かい。ネッツの冷えた体ではその小さな動物の体温を奪ってしまいそうだ。

「ワッカ、ただいま」

 ワッカはきゅんとだけ鳴いて、また寝床へと戻っていった。

 皆、とても疲れていた。ナガレが温かい飲み物を入れてくれたおかげで、体を温めることができた。マァレットが用意しておいた、具沢山のスープも空腹と疲れた体をじんわりと癒す。

 ナガレは暑い夜に氷を入れる氷嚢に、お湯を入れてくれた。それを抱えながら、メグリエの家で皆一息ついた。

 リオードは左足に木の板を巻いていた。彼はネッツを助けに行くコーリィの力になろうと暗いヒャリツの中で奮闘した。

 水位が上がり、氷が雪崩れ込んできた時に、左足に大きな氷の破片が当たったという。

「君のせいじゃない。僕はコーリィの力になりたかったのだから、これは名誉の負傷」

 そう疲れた顔に笑顔を浮かべて、傍で暖をとるネッツの頭を撫でた。

「フィアンセとはいえ、こんな怪我をさせてしまって、申し訳ない」

 フレイザは深々と頭を下げた。

「そんな、あやまらないでください!僕がやりたくてやったことですから。みんな無事に戻ってこられたことですし、コーリィが無事なら、僕は父にだって歯向いますよ!」

 リオードは自信たっぷりだ。

「本当に君はコーリィのことを思ってくれてるな」


 日が昇る前に、マキシカの迎えの者が来て、リオードはマキシカの屋敷に帰っていった。マキシカの屋敷にはすでに医者を呼んだという。

 リオードを見送ったコーリィはとても心配そうな顔をしていたらしい。ネッツが部屋に帰らずにぼんやりコーリィを見ていた。

「おやすみなさい、ネッツ。よく頑張ったわ」

「うん、おやすみなさい」

 ネッツは自身の行動を後悔し、反省しているようで、うなだれた様子で部屋に戻っていった。


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