第59章 兄弟の憤慨
マァレットに頼まれたロスマーの葉や幾つかの食材を買いに、ナガレは出かけた。
8番通り北東側の市場に行けば、揃うであろう。
屋敷の裏口から出たナガレは、雲ひとつない空を見上げた。雨季と言っても、毎日が曇りや雨というわけではない。その日は、空は晴れて雲もないのにもかかわらず、淡い霧のような雨がナガレの頬に当たった。
「変な天気ですな。縁起が良ければいいのですが」
ナガレは表の通りに出た。
スナバラは、都市の中央ほど標高が高くなっているため、都市は緩やかな丘のような構造だ。同心円の複数の通りを行き来するために、公営の路面電車が走っている。坂道を下るのも、登るのも、路面電車に乗れば容易だ。それに車よりも専用の線路を持つ路面電車のほうが、渋滞がない。
市場は白い布を屋根とした簡易的な店が軒を連ねていた。
スナバラで取れた野菜は最も種類が多い時期である。雨季には収穫最盛期を迎えるからだ。
つやつやとして黄色いレコペは今年は大きなものが多く、一抱えもある大きさに実った。
水滴のような形の淡い緑色の野菜ソラメロも粒揃いだ。コーリィが嫌いなククミは陽を浴びて真っ赤だ。紫色で中は空洞の野菜キャプシーは、不格好な風船のように膨らんでつやつやとした表面は出来が良さそうだ。
スナバラで養殖している淡水魚のチカゴやデウオが店先に吊るしてあったり、ウミナト産の海産魚シラシラやヴァシーは乾燥させた干物が並ぶ。
ギンヨルやサーサの肉も薫製やハムなど大きな塊のままで売っている。
食材の種類も量も多い季節の今、市場が最も色とりどりで活気がある。
スナバラ駅から近い場所に開かれたこの市場にはウミナトからのものも売られている。
市場に買い物に来る客達は、並べられたり積み上げられた食材を吟味し、店主と言葉を交わして買い物を楽しんでいた。ナガレも人々に混じり、品定めをしていた。
明日にはお嬢様が帰ってくるはずだ。今回は短期間の探索と約束していた。長期になれば食料の問題もあるし、危険性も増すからだ。コーリィはなんとしても、フレイザとミッゲルを連れ戻したかったようだが、ヒャリツのどこにいるのかもわからない2人を探し続ける危険を天秤にかけると、まずは、二人がいた痕跡を見つけられるだけでも十分だ。
コーリィたちは幸運にもフレイザやミッゲルを見つけることができただろうか。ヒャリツのマキシカがあるかどうかを知るだけでも十分な成果だ。長期間の不在は議会にさらにメグリエ家に対する不信感を与えることにもなる。
成果がなくとも無事にコーリィたちが帰ってくることをナガレは願っていた。
ついて行ったネッツは大丈夫だろうか。リオードがきっと世話を焼いているだろう。
ナガレの前に現れたのは二人の男だった。
「よお、メグリエのとこの執事さんじゃねえーか」
タンクトップから剛腕を生やし、小麦色の肌と明るい色の髪を短く刈った顔つきも体つきもそっくりな二人はたしか年子の兄弟だ。鍛えた大きな体の二人が立っているだけでも威圧感がある。平均ほどの身長のナガレでも二人を前にすると小さく見えてしまう。
「これはこれは、壊し屋のヤブさんとゴワさんでしたかな?お嬢様からお話はかねがね」
ナガレは和かに挨拶した。互いに存在は知ってはいたが、挨拶し言葉を交わすのは初めてのことだった。
壊し屋の中でも、暴走したマキシカをその力でねじ伏せることで名を知らしめたヤブとゴワの年子の兄弟は血気盛んな若者とナガレはコーリィから聞いていた。
雨季はマキシカの暴走が起こることは稀だ。だから、コーリィは屋敷はおろかスナバラを不在にすることができるし、壊し屋の兄弟も街をぶらついているのだろう。
いや、壊し屋は本来は機械を修理したり、点検する修理屋の業務も請け負っているはずだ。雨季にはマキシカを停止させて、点検を担う役目もあるから、修理屋とっては、休みなしに働く掻き入れどきであるはずだが。
「今日はお休みですか?」
ナガレは、世間話を始めた。修理屋として連日働き詰めならば、久しぶりの休日だろうか。
「おたくのお嬢様とは違って、俺たちはマキシカを壊すしか能がないんで」
兄のヤブは明らかに不貞腐れている様子だった。
「オレ達、親方から謹慎食らったんで、しばらく休みっす!」
対照的に、弟のゴワは謹慎というより、少し長い休みをもらって楽しんでいるかのようだった。
二人は壊し屋の親方に謹慎を告げられていた。その罪状は染色マキシカの行き過ぎた破壊行為と、早急な対応を怠ったために、通りを泡立てられた黄色の染色液で染め上げてしまったことだった。
染色マキシカの持ち主は、暴走したマキシカを止めることができず、事態の収拾を第一に、コーリィよりも先に到着したヤブとゴワにマキシカの停止を頼まざるを得なかった。
兄弟はこれ幸いと、彼らの商売道具である逆流ハンマーでマキシカを見るも無残なほどに破壊した。
メグリエ機関は逆流ハンマーによる熱量の逆流で二度と使えなくなる。染色マキシカは部品を他に流用することもできないほどに壊された。
二人がマキシカに柄の長い鉄鎚を振り下ろしただけでは、すぐにはマキシカは止まらなかったことも被害を増やすことになった。二人の最初の打撃の後も、黄色の染色液は泡となりマキシカから吐き出され続けた。兄弟はマキシカにさらなる攻撃を加えた。
その結果、マキシカの心臓部であるメグリエ機関は死に絶え、マキシカも再利用不可能なほどに壊されきった。通りの被害も甚大だった。染色液の泡が通りを埋め尽くし、通りの家屋の白い壁を黄色く染めてしまったし、泡も消えてはいかない。沙漠の都市スナバラで、通りを洗い流すほどの大量の水を使うことはできないため、泡を回収するしかなかった。
染色マキシカの持ち主はカンカンに怒ったのも無理はない。通りの片付けだけでも近隣の住人や警察、スナバラ自衛軍まで出てくる騒ぎとなったのだった。
『もうお前達は軍人じゃないんだ!限度をわきまえて、頭を使え!』
そう言って、壊し屋の親方は兄弟を叱ったのであった。逆流ハンマーはマキシカの熱量生成経路に当たれば、確実にメグリエ機関に損傷を与えられる。そうすれば、熱量供給が断たれてマキシカの動きが止まる。二人が熱量生成経路を見誤ったせいでマキシカが停止せず、マキシカに闇雲にハンマーを叩きつけた兄弟に、弁明の余地はなかった。
「それはそれは」
ナガレは返す言葉が見つからなかった。
「自分らで作った機械だもんなぁ。暴走したら止められるわけだ。メグリエの自作自演じゃあねぇか。気に入らねぇ」
ヤブはナガレの前にずいと出る。執事は怯まずに柔和な表情のままだ。
側から見れば、屈強な男二人がどこかの屋敷に雇われている古参の使用人に言いがかりをつけているように見えるだろう。
かつて自衛軍にいた体格の良い二人の前に出て、仲裁するような勇気ある市民はそうそういない。市場の人々は遠巻きに見たり、巻き込まれないように足早にその場から離れていく。
「わかりました。メグリエ家の執事の私がお相手いたしましょう」
穏やかに歳を重ねた、一人の紳士の目が見開かれた。
柔らかい表情でメグリエの家を見守る角の取れた老人だと思われていたその執事は、眼鏡の奥の瞳に猛獣を飼っているかのようだった。一瞬で執事は強者の空気を纏い、ヤブをしっかりと目で捕らえる。
強がっていた若者に一瞬、クールショットを浴びせたかのような、寒気が背中を稲妻のように駆ける。
「おっしゃりたいことがあれば、伺いますよ」
彼のゆっくりとした口調が余計にヤブに恐怖を感じさせた。
ヤブの後ろにいたゴワは野生の勘ですぐに悟った。ナガレの前に立ちはだかる兄の肩に手をかけた。ヤブは無鉄砲なため、すぐに周りが見えなくなるから、弟であるゴワが止めなくてはならないのだ。
「や、やめとこうぜ、これ以上、謹慎を伸ばす気か?
ヤブはこの執事を怒らせてはならないとわかっていた。軍にいた時の上官の怒りはわかりやすく、恐れるものだった。一方で目の前にした一人の老人の浮かべるその含みのある笑みと目の奥に見え隠れする威圧感に、恐怖を自覚してしまう。いくら元軍人でも士気が下がれば恐怖で敵前逃亡してしまうものだ。
執事はしっかりとヤブを見ており、堂々としている。メグリエの執事を長年務めるナガレは、壊し屋の青年ごときに動じない。
睨み合ったまま動かない二人に、ゴワも困惑する。お互い威嚇しあっているように見えるが、ナガレの眼力にそこはかとない恐怖を感じ、ヤブは目を離せなくなっていた。
ナガレは表情を崩し、大声で笑った。
二人は圧倒的な敵を目の前にして絶望したかのような顔をしていたのだろう、執事が目を細めて笑い出したあとも、戦場から無事に帰ってこられたことに気づかなかったほどだ。
ナガレは穏やかに話し始める。
「壊し屋は元々、修理屋ではありませんか?ならば、逆流ハンマーを使わずに止める方法もご存知ではないですか」
さっきの威圧感と殺気はどこに収められたのか、目の前の人物がさっきと同一人物ということに、ヤブとゴワは唖然とした。
「そ、そうだけどさ、俺らは腕力だけで親方に拾ってもらったのもあってさ、修理もいいけど、街で暴れる暴走機械を止める英雄なんだ」
この年子の兄弟は以前、スナバラ自衛軍にいたらしい。力任せにハンマーを振るうことは得意だが、繊細なメグリエ機関を宥めることは不得手なのだろう。
「暴走したマキシカは自身でもどう対処していいか困っているというのに、それを力でねじ伏せ、殺すのは、英雄のやることですかな?」
ヤブとゴワは沈黙し、互いにちらりと顔を見やって、口を開こうとしては止め、頭を掻いたり、ため息をついた。
物語の英雄というのは、強く優しい人物であることが多い。悪者には勇敢に立ち向かい、困っていたり弱い存在を分け隔てなく助ける人物として描かれることが多いのではないだろうか。暴走したマキシカは悪者か、それとも困っているから助けるべき存在か。ヤブとゴワは自問した。
「お嬢様は、貴方方がマキシカを壊し、二度とメグリエ機関が使えなくなってしまうことに心を痛めております」
それはマキシカの持ち主もだ。メグリエ機関を新しく作ることはできない。メグリエ機関の破壊はなんとしても避けたいのだ。
「マキシカの暴走の初期は逆流ハンマーを使わずとも止められますよ。マキシカの扉を開けたり、ヒャリツの風を当てたりすれば、温度が下がります。稼働部を外して被害を減らずこともできます。それはお二人にはできないことですかな?」
ナガレは穏やかに話すが、どこかさっきの強者の執事が見え隠れするのを感じた。
「俺たちなら、できなくもないけど、それだとなんかな」
「派手に立ち回ることだけが英雄らしさではありませんよ。クールにマキシカを鎮める紳士、私はとても素敵だと思います」
兄弟は顔を見合わせた。
「確かにな」
「颯爽と現れ、マキシカを冷やすってか。それなら親方には叱られなさそうだな」
二人は笑った。
「それでは私は失礼いたします。くれぐれもマキシカを破壊せぬよう、お願いいたします」
ナガレは二人に向かって深々と礼をして、その場を離れる。
「わ、わかった・・・」
二人は頷いた。
ちらりと老紳士はその瞳で二人を見たものだから、兄弟は背筋がピンと伸びた。
一方でナガレは胸を撫で下ろした。二人をチラリと見たのは追ってこないかと少し心配したからだ。
「競争相手とのいざこざを避けましたが、いやはや、迫力のある兄弟、肝が冷えましたな」




