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第5章 恵みの涼風

 スナバラの朝は野鳥トッティーの声が聞こえてくる、いつもの朝だった。ネッツが寒気で起きたのは不思議な体験だった。

 黒い石がごろごろと転がった、草木の生えない広大な礫沙漠の中に塔のように白い巨石が現れた。そこに水が湧いたこのオアシス都市スナバラは、太陽の熱を夜でも抱き抱えているために、夜になっても周りの沙漠のように温度は下がらない場所だ。

 暑くて寝苦しい夜に慣れていたネッツが寒いと感じて目覚めるのは初めてだった。

 見慣れない部屋。自分は白いシーツにくるまれている。

 怪我をした足には包帯が巻かれ、少し違和感があり少しだけ痛む。劇的な一日だった昨日は夢ではなかったことを物語る怪我だ。

 癖っ毛に寝癖が追加された有象無象の赤毛を揺らしながら、ネッツは部屋を出てみる。長く伸びる廊下に、ネッツの鼻をくすぐる香ばしい香り。パンが焼ける香りと、他にも美味しそうな香りがする。

 平屋は奥に長い作りで、表が店先となっており、奥が住居らしい。ネッツは物音がした店のほうに行ってみる。

 そこには、コーリィとナガレがいた。

 彼女はナガレと何やら話しており、ナガレはそれを頷きながら聴いている。

「これは、ネッツね」

 大きな机に新聞を広げ、二人でそれを覗き込む。

 ネッツは、新聞をすらすら読めるほどの言葉は知らないので、新聞は大人が難しい顔をして読む物だと思っていた。コーリィが新聞をすらすらと読んでいる様子から、コーリィは大人だということだろうか。しかし、彼女はどう見てもネッツと歳はそう変わらないように見える。

 ネッツの姿を見て、二人は取り繕ったようにこちらを見る。

「おはよう、ネッツ」

 コーリィは、青いワンピースをきて、髪を下ろしていた。胸には大振りの淡い青色の宝石のついたブローチをつけている。

 街ではじめて彼女を見かけた時のような男装ではなく、貴族の少女らしい格好だった。

 長く少し波打った明るい色の髪、青空を映したような瞳、すっと通った鼻筋の彼女にはこの格好の方が似合っている。コーリィは、昨日は髪をまとめていたから、絹のような金色の髪は背中の真ん中くらいまであることをネッツは知った。

「コーリィ、ナガレ、お、おはようございます・・・さ、寒くないのか?」

 癖っ毛が寝癖でさらに明後日の方を向いていたネッツは、平然とした少女に尋ねた。

「ヒャリツの風が強すぎたでしょうか?」

 ナガレは天井のほうに目を向ける。

「ヒャリツ?」

 ナガレの目線の先に、壁の上部に小さな格子がついた箇所がある。そのことを言っているらしい。ネッツの部屋にも似たような格子があった気がする。

「地下の鍾乳洞の冷たい風を家に送り込むことで部屋を冷やすの」

 貴族の家には摩訶不思議なもの――ヒャリツがあるのだとネッツは知らなかった。

「地下?」

 貴族の家にはそんな装置がついている。貴族たちは灼熱の都市の中で涼しく快適な生活をしている、ということだ。

「地面の下に複雑な迷路のような、太陽の当たらない涼しい場所ヒャリツがあるのです。ヒャリツから、冷たい風を分けてもらって部屋を冷やしているのですよ」

 ナガレはネッツにわかりやすく説明してくれる。この暑い都市の下にそんな涼しい場所があるなんて、暑い時は地下に行けばいいのになぜ人々は地上にいるのだろう。ネッツは不思議に思った。

「さぁ、朝食にしましょうか」

 ナガレはネッツを食卓へと誘導した。ネッツとコーリィが席につくと、ナガレがスープをついだ皿を持ってくる。

 今朝の食事には、パンやスープ、サラダの他に、ハムやフルーツまであった。スープには肉ではなく魚が入っているようだ。それらを黙々と食べるコーリィを気にしながら、ネッツは頬張った。

 柔らかいものをお腹いっぱい食べることなどほとんどなかったから、ここでの食事はネッツにとっては満足以外のなにものでもない。昨日の夕食は緊張していたため、味わう余裕がほとんどなかったが、朝食を楽しむ余裕が少し出てきた。

「ネッツはゆっくりしていて。まだ怪我も治ってないでしょう?」

 コーリィはそう言って、ナガレの入れたあたたかいお茶を飲んでいた。

 部屋を冷やして、あたたかいものを飲むなんて、貴族はなんて変なことをするんだろうとネッツは理解できなかった。しかし、ヒャリツなる冷たい風に当たったネッツも同じお茶をナガレに入れてもらった。ネッツはお茶の入ったカップに口を近づけたが、熱くて飲めないために、冷めるのを待つことにした。

「私は昨日のマキシカ事故の報告をしに警察に行ってきます。ミセス・トッドマリーのことも伝えておくわ」

「警察?」

 ネッツが不安な顔をしたからか、ナガレがネッツに優しく話す。

「マキシカの事故は、警察に届け出ることになっています。お嬢様は担当のお巡りさんとお話しされるだけですよ。ミセス・トッドマリーのことも警察に相談すれば、何かわかるかもしれません」

 確かに、テイラーマキシカの暴走で通りは大混乱、破壊されたもの、怪我をした者があれば立派な事故だ。人探しも警察の仕事だから、コーリィに警察に相談してもらうのが的確だ。

「そうだわ、ネッツ。どうしてマキシカ事故に巻き込まれることになったのかを教えて」

 ネッツはどこから話すか困ってしまった。昨日の夢のような出来事がまだ信じられず、気持ちも出来事も整理ができていない。言葉に詰まっていたネッツを見て、コーリィは質問を変えた。

「昨日、あのテイラーに行くことになったのは何故?」

 それはイルズ・カーンのせいだ。

「イルズ・カーンって奴に、俺を引き取る家族がいるって言われて、昨日は会いに行くことになった」

「里親になるご家族に顔を見せに行かれたんですね」

 ナガレは頷く。

「その家族の家に行ったら、空き地で、近くにマキシカがあって、ちょうど巻き込まれたっていうか」

 テイラーマキシカの店の向かいは空き地だったことをコーリィは覚えていた。その空き地は建物を建てるにも、一クルカほどの間口と狭く、奥行きも十分とは言えないような、中途半端なあまりの土地で、番地だけが割り当てられていた。その場所をよく知らない人間を騙すために、存在している番地として使われたのだろう。

「イルズ・カーン?ミセス・トッドマリー以外の孤児院の人かしら?」

「孤児院はミセスとたまに手伝いに来る人もいるけど、イルズ・カーンは支援する人の代理って」

「彼は孤児院にやってきて何をしていたの?」

「そいつは時々やってきて、子どもを家族に引き渡したり、仕事を紹介して、どこかに連れて行くんだ」

「孤児院の支援者の代理・・・」

 コーリィは考え込んだ。

「でも、あいつが孤児院に来るようになって、子どもがどんどんいなくなった。他の子どもが俺みたいに事故に巻き込まれていたら・・・」

 そう思うだけでネッツは怖くてたまらなかった。

「イルズ・カーンって人はいつから孤児院に来ていたの?」

「えっと、一年くらい前から」

 ネッツの訴えに、コーリィとナガレはうーんと唸った。ネッツのことを信じていないのだろうか。しかし、イルズ・カーンによって孤児院の兄弟姉妹たちが事故や事件に巻き込まれているかは、まだネッツの心配事であって、確証は得ていない。

「この一年の子どもの事故は調べてみなくてはわかりませんが、意外にも子どもたちは新しい場所で忙しく楽しく暮らしているのかもしれません」

「そうね。孤児院を出た後の子どもたちの行き先の確認と、ミセス・トッドマリーの行方は警察にも探してもらえるよう頼んでくるわ」

「わかった・・・」

 コーリィたちを頼っていいのか、ネッツは決められずにいた。マキシカ暴走事故に巻き込まれたネッツにここまでしてくれるのには、何か裏があるのではないかと疑い深くなってしまう。イルズ・カーンのように悪い大人もいることをネッツは知っているからだ。しかし、今はコーリィとナガレに頼るしかない。コーリィが悪いことをしていては警察に行くなんてことはできないはずだ。

 朝食のあと、出かける前のコーリィに呼ばれた。

「ネッツ、もう一つ聞きたいことがあるの」

 コーリィは目線を落とし、ネッツの右手に注目している。

「なんだ?」

「その指輪はどこで手に入れたの?」

 ネッツの右手中指にある朱い石でできた指輪だった。とっさに指輪をした手を隠すように後ろに回す。孤児のネッツが高価にも見える指輪をしていることに疑問を持ったのだろう。

「・・・もらった。盗んだんじゃないからな」

 ネッツははっきりと言った。ネッツには、正直この指輪の価値なんてわからない。しかし、疑われているならば、言っておかねばならない。

「盗んだなんて思っていないわ、ネッツ。誰にもらったの?」

「キーウェルにもらった」

「キーウェル?」

 その名を聞いて、コーリィは首をかしげた。

「孤児院に行く前に親代わりだった、じいちゃんだ」

 盗んだものではないと言っておかないと怪しまれるかもしれないとネッツは必死だった。

「ネッツのおじい様がキーウェルさんというのね」

「うん。孤児院に行く前は、キーウェルと暮らしていた。孤児院に行く前にくれたから俺のだ」

「その指輪はネッツのものなのはわかったわ。キーウェルさんの苗字はわかる?」

「じいちゃんの苗字は知らない」

 コーリィはその名を聞いて思うところがあるようだった。こんなお嬢様と老人の接点はわからない。しかし、キーウェルが有名な人物だとはネッツも聞いたことがない。

「じいちゃんを知っているのか?」

「いいえ、知らないわ。ねぇ、指輪、見せてくださらない?」

「わかった」

 ネッツはコーリィの前に右手をずいと出す。

「指輪は外せる?」

「外れない」

「そのままでいいから、よく見せて」

 コーリィはネッツに歩み寄り、ネッツの手首をそっとつかみ、指輪を見つめる。

 令嬢の青い瞳は些細なことも見逃さない鋭さと観察力を秘めていた。ネッツの日に焼けた指にはまった指輪は朱色の石を加工して作ったもの。石だけで輪を形作った珍しい指輪だとキーウェルが言っていた。ネッツの唯一の財産であり、キーウェルの形見でもある。

 コーリィの青空のように透き通った瞳が指輪に釘付けになっている。そこまで見られると、ネッツも恥ずかしくなってくる。ネッツの手首を掴んだコーリィの手に鼓動と熱が伝わるのではないかと余計に焦る。

 その指輪はネッツの骨ばった指からすでに外れなくなっていた。もともとキーウェルの指には入らない大きさの環であり、彼はそれに紐を通して首から下げていたものであった。それをもらった時のネッツの中指にちょうど良い大きさであったために、指にはめて指輪とした。誤算だったのは、ネッツがそのままにしていたら、いつの間にか関節に引っかかるようになって外せなくなっていたことである。

「確かにはずれないわね」

 コーリィはその細い指でネッツの指輪を少し動かした後、ネッツの手首を放した。

「も、もういいか?」

「ちょっと待って」

コーリィは自身の胸につけた、青い大きな石のついたブローチ外した。青く深い色の石は綺麗に磨かれている。

 コーリィは右手に持ったブローチの青い石をネッツの指の赤い石に近づけた。

「何する・・・!!」

 目の前が一瞬、白く飛んでしまうくらいの光が飛び出した。

 ネッツはいきなりのことで上ずった声しか出せなかった。昼間の太陽よりも眩しい光が目の前を覆ったのだ。

 ネッツの目がちかちかする。

 コーリィのブローチとネッツの指輪が接触した途端、魔法が発動したかのような閃光が起こった。

「この赤い石、私の青い石と相性がいい」

 コーリィは満足げだった。

「相性?石の?」

 ちかちかする目で、ネッツは指輪を見る。相性がいいというのはどういう意味かは分からないが、コーリィの持つ青色の透き通った石のブローチを近づけるとネッツの指輪は明るく光るようだ。

 強い光が一瞬で生まれる魔法としかネッツの中で結論づけられない。こう見えて彼女は奇術師なのか、ネッツは驚いて手先が冷たくなったのを感じた。

「そう、ネッツの指輪と私のブローチ、合わさると光るの。それって、相性がいいってこと」

 コーリィは少し笑ったように見えた。それは単に相性が良いからという理由ではなく、何か企みがあるようだった。

 不安げな顔をしていたネッツに、令嬢は言った。

「ネッツは行くところがないでしょう?怪我が治るまでここにいていいわ」

「ほ、本当か!?」

 コーリィは頷いた。

「行ってまいります」

 コーリィは警察に出掛けていった。

 彼女はなぜネッツを拾ったのかは、まだわからない。ただの親切心からか、事故に巻き込まれたかわいそうな孤児だからか。コーリエッタ・メグリエの表情からは読み取れない。そして、ミセス・トッドマリーのことも心配だ。

「ネッツ坊ちゃん、怪我の様子を見せてくれませんか?」

 ナガレがやってきてネッツに声をかける。

「うん」

 執事はネッツを椅子に座らせ、そっと包帯を外す。

「痛いですか?」

「ううん、大丈夫」

 ガーゼを取り替え、包帯を巻き直す。怪我は鋭利な刃物で切られたような傷だが、浅いため、見た目ほどはひどくはない。コーリィは怪我が治るまではここにいていいと言ったが、すぐに治ってしまいそうだ。

「包帯はきつくないですか?」

「大丈夫」

 こんなに丁寧に傷を手当てされるなんて、ネッツが少しむずむずしてしまうくらいだ。 ナガレは角張った大きな手で、手際の良く包帯を巻き直した。

「はい、終わりました」

「ありがとう、ございます」

「ネッツ坊ちゃんは、ゆっくりしていてください。まだ慣れないこともありますし、怪我も治っていませんので」

 ナガレはネッツに丁重すぎる扱いをした。ネッツは一人部屋にいてもいいが、一人になれば、寂しくて泣いてしまいそうだ。

「なんで、俺、孤児院を追い出されたんだろう?」

 ネッツはいい子ではなかったからかもしれない。ミセスによく怒られていたし、兄弟たちを困らせていた。ネッツより年下の小さな子たちのほうが、可愛がられていた。

 弱気になって暗い顔をするネッツに、ナガレは小さく咳払いをした。

「ネッツ坊ちゃんのせいではないと私は思いますよ。そのカーンという人は、何か別の目的があって、孤児院を閉鎖したのではないでしょうか?」

 イルズ・カーンは子供達を孤児院から旅立たせ、最後の子供であるネッツを追い出し、ミセス・トッドマリーもどこかに連れ去り、孤児院には今誰もいなくなっている。

「例えば、孤児院から子どもがいなくなると支援する必要がなくなります。子ども達のことを考えずに身勝手に孤児院を閉鎖したのなら、その人は悪い人ですが、子どもがいないなら、閉鎖してもおかしくはありません」

 ナガレは一つの仮説をネッツに話した。確かに、孤児院を閉鎖する利点がカーンにあるのなら、今までの彼の行動も理解できる。孤児院を閉鎖するためには、子どもたちを追い出さなくてはならないが、最後にネッツを追い出すことに成功したのだ。孤児院は閉鎖になり、孤児院に寄付していたお金は必要なくなるとしたら、カーンは何か悪巧みしていたのではないだろうか。

「何か手伝うことはあるか?」

 ネッツは、じっとしているよりは体を動かしたかった。

「無理なさらなくても」

「ミセスに言われたんだ。何かしてもらったら、返せるものでいいから返しなさいって。掃除は孤児院でもやっていたから、少しは手伝えるかも」

 ナガレは驚いた顔をすぐに笑顔に変えた。

「では、廊下をお願いします」

 ナガレから箒を受け取ったネッツは、廊下の端から履き始める。

 石ころと砂ばかりの礫沙漠の中にあるスナバラは、礫沙漠から飛んでくる砂粒が家屋に入り込みやすい。床を傷つけないよう、やさしく砂を取り除かねばならないのだ。ネッツは一生懸命、掃除をした。広い屋敷の廊下の掃除はすぐ終わるものではなく、何もしないと不安になってしまいそうなネッツにとって、気が紛れてちょうどよかった。

働かざる者、食うべからず。そう言って、足の悪いミセス・トッドマリーは子どもたちといつも協力していた。

 警察署からコーリィは昼過ぎに戻ってきた。

「戻りました」

 ネッツはコーリィを待っていた。孤児院の閉鎖のこと、ミセス・トッドマリーのことで何かわかったという期待があったからだ。ネッツはコーリィの声がした店先に足早に向かう。後ろからナガレがやってきた。

「いかがでしたか?」

「ディージ警部のところに、部下がいたわ。マキシカ暴走事故が増えたことで、マキシカ事故担当が追加で配属されたんですって」

「それは、ディージ警部も助かりますなぁ」

 コーリィがペラペラと話す内容には、ミセス・トッドマリーのことはない。

 ネッツがコーリィに視線を送っていたことに気づいたのだろう、コーリィはネッツの表情を汲み取った。

「ミセス・トッドマリーのことや孤児院の子供たちのこと、ここ一年の子供が関係した事件について、調べるように頼んだわ。すぐには結果は出ないけれど」

「そう、だよな」

 すぐにでもミセス・トッドマリーが見つかると思っていたネッツは落胆した。

「きっと、大丈夫ですよ。ネッツ坊ちゃんには、お掃除を手伝っていただいて、お腹も空いたでしょう?今日はマァレットが料理を作ってくれていますよ」

 ナガレはネッツを励ますかのように、明るく振る舞う。

「マァレット?」

「通いのメイドさんですよ」

 ネッツがダイニングに行くと、お皿が4枚並べられていた。コーリィとネッツ、ナガレ、そして、メイドのマァレットが並んで食事をするらしい。家族が集まるかのような、賑やかな食事だ。

「出来ましたよ」

 台所からやってきたのは褐色の肌の女性だった。灰色のワンピースに深緑色のエプロンをし、長い黒髪を編んでいる。

「あら、こちらがネッツ坊ちゃん?私はマァレットです。よろしくお願いします」

 眼鏡の奥に笑い皺のある彼女は、少しふっくらとしており、台所が似合うベテランのメイドという風格だ。

「ネ、ネッツです。よろしくお願いします」

 ネッツは会釈した。マァレットはふんわりとした唇でにっこりと笑った。

 ネッツはコーリィの向かいの椅子に座った。

「ネッツ坊ちゃんのお口に合うといいのだけれど」

 マァレットが皿に乗せて行ったのは三角形のパンのようなものととろみのある具沢山のスープ。 スパイシーな香りが食欲を掻き立てる。

「いただきます」

 ネッツは食べたことのない味だった。しかし、煮込まれた野菜や豆がクリーム色のスープに馴染んでとても美味しい。

 野菜も大きくて食べ応えがある。スープの味を決める缶詰の魚がとてつもなくいい味わいだ。

「やはりマァレットのお料理には敵いませんな」

 その料理の腕前はナガレが唸るほどらしい。ナガレの用意してくれた食事もマァレットの用意したこの昼食も、どちらもネッツにとって知らないけれど美味しいものであった。

「たくさん食べてくださいね」

 マァレットは嬉しそうにしていた。

「ええ、ククミも美味しくいただけるわ」

 どうやら、コーリィはククミが嫌いらしかったが、スープの中には緑色の半分に切られたククミが入っていた。

「ウミナトで料理を学んだ腕は確かですね。お嬢様が好き嫌いなさらないとは」

「ウミナト・・・?」

 ネッツの聞き慣れない言葉だった。

「海があるスナバラの隣街です。隣と言っても離れていますね。マァレットはウミナト生まれなので、スナバラ料理以外も作れるのですよ」

 この沙漠の都市以外の街なんてネッツには想像もつかない。スナバラは沙漠の海に浮かぶ島と例えられるが、本当の海のある街とはどんなところなのだろう。

「海って青い水が広がっているところ?」

 ネッツが絵本で見た海は青い水がどこまでも広がっているというものだった。写真は見たことがないから、本物の海がどんなところかわからない。

「そうです。しょっぱい水がどこまでも広がっていますよ」

 礫沙漠に囲まれたスナバラでそんな大量の水を見たことがないネッツは、海というものの想像がつかなかった。

「いつか海、見たいな。コーリィは海を見たことある?」

「いいえ。私、スナバラから出たことないの」

 コーリィはまるでウミナトに興味がないようだった。

「マァレット、ウミナトはスナバラとどう違うの?」

「そうですね、ウミナトはどこにいても海が見えて、風も塩辛い匂いがします」

 塩辛い香りのする街の想像はネッツにはつかない。いつかウミナトにいってその空気を吸い込んでみたいものだ。

「じゃあ、スナバラに来た時、スナバラはどんな匂いだった?」

 ネッツの質問に、マァレットは少し考え込んだ。

「野菜や果物の香りと渇いた沙漠の香り、機械油の香りがほんの少ししましたよ。スナバラはマキシカの街ですから」


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