第52章 地下迷宮の妖精
「何か聞こえないか?」
リオードはヒャリツの中で唸る風の音と人の声との違いを聞き取った気がした。コーリィ達は船を降りてから半オクルカほどの距離を歩いたところだった。三人は立ち止まり耳を澄ます。
ヒャリツの中で鳴る風の音に混じり、低い男性の声が聞こえる。聞き間違いかもしれない。ヒャリツはたくさんの管から成り立っていると言ってもよい。それも低い音の出る管楽器のようで、年中風が吹いているため、人のうなり声のような音が響いていると説明されても納得がいく。それがヒャリツに住む妖精の声だと言われているのだから。
「気をつけて行こう。二人は僕の後についてきて」
確信が持てなかった三人は、リオードが先頭になり、少しずつ進むことにした。風か、人か、妖精か。
こちらのランタンの光ではない、向こうにも明かりがあるのが見えてきた。
ヒャリツはちょうど少し曲がり角であり、向こう側が見通せない場所だった。
たった三人しかいないと思っていたヒャリツの中に、ランタンに照らされる人影が見えた。それは、ヒャリツの中に住むと言われる妖精のような類のものではなかった。
人影は二人、大柄の男だった。顔を布で覆い、厚手の服を着込み、鋭い眼差ししかわからない。ヒャリツの極寒の環境で生き抜いて来た男たちは、やって来た三人の客人を見て驚き、凝視する。
「誰だ?」
一人の男は低い声で唸った。
コーリィにはすぐにわかった。
「お、お父様!叔父様!」
「コーリィ・・・」
コーリィが駆け寄ると、ランタンで照らされたのは、青白く疲れきった男達の顔だった。
コーリィの父親フレイザ・メグリエは、マキシカを壊さずに止める唯一の手段であるクールショットガンの弾の材料を採りに出かけたことになっていた。
コーリィの叔父ミッゲル・ファンは、マキシカ管理局の職員で、前の小雨季の終わり頃から行方不明になっている。
今、この二人が目の前にいるということは、この二人はずっとヒャリツの中にいたというのか。
「まさか。本当にここまで来るとは・・・」
再会に沸き立つコーリィと、驚きを隠せない父親と叔父はコーリィが幻のように見えているだろう。
「お父様と叔父様を迎えに来たわ。カレズ議長が密約違反を疑ってお怒りよ!」
コーリィは目一杯声を上げた。
安堵と再会を喜ぶフレイザとミッゲルの大きな笑い声が鍾乳洞に響き渡った。
「議長も見逃してくれればいいものを。スナバラのために秘密裏にやっているのだから」
「それにしても時間がかかりすぎ!」
コーリィが怒ると、コーリィの声もヒャリツの中で響き渡った。しっかり者の娘にフレイザは何も言えなかった。たった数日のうちに帰ってこれられればよかったものの、すでに二人は数か月もスナバラを不在にしていた。
「リオードくん!まさか君までくるとは」
ミッゲルはマキシカ管理局勤務のため、リオードとも職場を同じにしていたが、リオードが着任して3ヶ月足らずで彼は失踪した。
「いえ、コーリィの行くところならどこへでもお伴いたしますよ」
平然と言ってのけるリオードにネッツは開いた口が塞がない。
「最近のマキシカ管理局はどう?」
ミッゲルは恐る恐るリオードに尋ねた。
「ミッゲルさんがいないので、アリブレさんがてんてこまいですよ」
「黙って出てきたからなぁ。帰ったら何を要求されるか」
ミッゲルは苦笑いをして、元の日常を思い出す。
フレイザはコーリィたちと共にやってきた小さな少年に目を止めた。
「君は――?」
「・・・ネッツ」
コーリィの父親と叔父を目の当たりにして、ネッツは少し怖気付いてしまった。小さな声しか出なかった。コーリィはネッツの代わりにはっきりと言った。
「彼がネッツ・ヒサーマよ」
フレイザとミッゲルは顔を見合わせた。そしてネッツの顔をまじまじと見つめる。
「キーウェルが手紙に書いていた、あの赤毛の孫なのか?」
フレイザは信じられないようなことだったらしい。
「そう。マキシカ事故に巻き込まれていたのを偶然見つけたの。今は助手見習い。留守を任せるはずが・・・志願して一緒にここまできたの」
コーリィはそう取り繕った。ネッツが予想外のヒャリツ捜索隊員になったことを簡潔に述べる。
ネッツは黙ったまま二人に会釈した。
「キーウェルの代わりにここまで来てくれたんだね」
フレイザはネッツの存在を知っていた。それはキーウェルからの手紙だった。
メグリエ家にとって、ヒサーマは曾祖父の古い友人の名である。先先代が決別したとはいえ、今のマキシカの発展に大いに貢献した人間だ。
ネッツは静かに頷いたが、少し目が泳いでいたのは初対面の二人を前にしたからではない。来てはならないと言われていたのにも関わらず、ヒャリツ探検についてきた罪悪感を抱えていたからだ。
「ナガレは、コーリィがここに来ることについてなんて言っていた?」
フレイザは、急ごしらえで揃えたヒャリツ捜索隊についてコーリィに尋ねた。フレイザが不在の間、親代わりはナガレだった。父親がいけないことをやってしまった子供に理由を聞く。コーリィはそれに十分見合う行動をとったのだから。
「ナガレは協力してくれたわ。こっそり暗号送って、物資を届けさせていたことは秘密にしていたようだけど。それに、カレズ議長から、お父様と叔父様を早急に連れ戻すよう、メグリエ家の当主代理として私が命じられたの。だから迎えに来たわ」
コーリィは堂々と、そしてさも当たり前だというように言った。
「そうか。全てお見通しか」
フレイザは娘の賢さには閉口せざるを得なかった。暗号を受信して紙に記す装置で、一方通行とはいえ、必要なものをナガレに用意させたり、生存は報告していた。ナガレが食料や必要な物資を箱に詰めて運搬屋に運ばせていた。
ナガレは隠し通すつもりが、コーリィは答えに辿り着いてしまった。彼女は違和感を覚えたら調べずにはいられないたちで、そう教えたのはもともとフレイザであった。それは結果として、ナガレの粗を見つけてしまったのだ。カレズ議長の命もあれば、もはやナガレも止めるわけもいかず、送り出すしかなかったことをフレイザは容易に想像ができた。
「お父様と叔父様こそ、議長になんて説明するおつもり?」
二人は苦笑いをし、顔を見合わせた。
「俺たちは信用ないなぁ、ミッゲル。ヒャリツからはほとんど出ていないのにな」
「確かに時間はかかりすぎてるな」
フレイザもミッゲルも数か月もの間、姿を見せていないのだ。密約違反を疑われてもおかしくはない。スナバラでは二人は突如失踪したことになり、警察は捜索願いを出さないコーリィを不審に思った。
「ここに、マキシカはあるの?」
自慢の一人娘にはお手上げだというように、フレイザは肩をすくめる。
この目で見るまでは、ここにマキシカがあることに、コーリィはまだ確信を持っていなかった。その巨大な体をヒャリツにどう隠しているのだろうか。
「ここに来てしまったからには、話さざるを得ない」
フレイザは観念したように言った。
「——ヒャリツのマキシカは存在する」
コーリィは驚きと期待で瞳を見開いた。コーリィの知らないマキシカがある。それもかなり大型のものだ。ヒャリツに隠されているのは、どんなマキシカだろうか。コーリィは会う前から心が躍る。
フレイザとミッゲルは、秘密裏にヒャリツの果てを目指した。一年前、その準備を始めたのはミッゲルだった。
「五年前にキーウェルから手紙をもらった。ヒャリツの中にあるマキシカの点検に行けという話だった」
「そんな手紙、書斎になかったわ」
コーリィは悔しそうな顔をした。
「手紙は持ってきた。こうやっておまえがヒャリツに追いかけてくることがないように」
フレイザはそうは言ったものの、結局、コーリィには意味がなかったわけだが。
「都市の西にヒャリツのマキシカがあることは手紙がなくても予想がついたわ。書斎の床下に入り口があるのを見つけて、船もあったもの。意外と近くでよかったわ」
コーリィは平然と言ってのけると、フレイザもミッゲルも彼女の能力を見誤っていたことを反省した。彼女の行動力と観察力により、ここまでたどり着けてしまったのだから。
キーウェル・ヒサーマは、二通の手紙をメグリエ家の当主に送っていた。
一通目は、キーウェルとネッツがポストに入れに行った手紙。五年前のネッツはそのことを覚えていた。その手紙をコーリィは目にしていなかった。
その内容は、ヒャリツの中にはヒャリツの冷風を都市に届けるためのマキシカがあって、点検または停止が必要になる日が近くやって来る、という注意喚起だった。ヒャリツのマキシカの正確な位置も記されていた。
二通目は、ネッツが一人でポストに入れに行った手紙だ。ネッツがキーウェルの孫であることが書かれていた。孤児院に預けられる赤毛の少年がいる。万が一のことがあれば、少年のことを頼みたいという内容であった。この二通目はコーリィが書斎で見つけて目を通した手紙である。
四十年ほど前にもヒャリツが弱まったことがあった。それは千日干乾と呼ばれる、三年もの間、雨期がほとんどやって来なかった灼熱と乾燥の一千日。第一世代のマキシカが普及し、当たり前になった頃だった。
玄糖石を含む礫沙漠に囲まれた都市は熱に悩まされていた。自然が長い年月をかけて作り出した洞窟から吹き出す、冷たい風を家々に引き込んで人々はその熱から逃れていた。
しかし、千日干乾はその威力を増し、ヒャリツでさえ、その熱夏を冷ますことができなかった。
その時、マキシカをヒャリツ内に設置する計画が秘密裏に立案された。知っていたのはマキシカ家とメグリエ家、当時の都市議会の議長と一部の議員、そしてマキシカ社の技術者だ。
第二世代のマキシカの製造を中断し、ヒャリツのマキシカの建設が始まった。千日干乾とのちに名付けられる一千日のうち、八百五十日ほどが経過した頃、そのマキシカは完成した。
それが、この都市から離れたこの場所に作られたヒャリツを補助するマキシカであった。
マキシカは四十年以上もヒャリツを助け続けた。
「今、そのマキシカが不調、いや寿命なんだ」
都市にあるマキシカには、千日干乾よりも前の時代から稼働しているもっと古いものもある。しかし、夜間と雨期の停止や定期点検、修理を施されてきたスナバラの多くのマキシカとは違い、四十年間にわたり休むことなく誰にも修理されることもなく、過酷な環境で孤独の中で動いていたマキシカが、このヒャリツのマキシカであった。
働き続けたマキシカは、老朽化で効率的に熱を熱量に変えられずに、自ら熱を生み出しながら、ヒャリツの風を都市に届けていたのである。
ヒャリツの冷風を穢す存在になってしまったマキシカは今となっては止めるしかない。フレイザとミッゲルはヒャリツでマキシカを調べ、そう結論付けた。
「我々は、マキシカを停止させに来た。当初、ヒャリツ内にあると考えられたマキシカがヒャリツ内になかった」
「どこにあったの?」
コーリィは知らなかった未知のマキシカの話に釘付けだった。
「この先の上だ」
フレイザはヒャリツの奥を示した。
ヒャリツの奥は広くなっていて、天井が急に空のように高い。しかし、上を見上げても本当の空は見えてこない。ここは地下で、どうやら沙漠の丘の下に当たるらしい。ヒャリツは立体的な迷路と言える複雑な構造を随所に持っているようだ。
高い天井にはヒャリツの風が駆ける。
ヒャリツの少し奥、高い天井にぽっかりと横穴が開き、そこから強く風が吹き出している。さながら、マキシカの大きな口のようだ。
「あそこがマキシカが作り出す風が出ている穴だ。更に奥にはその風を取り込むもう一つの穴がある。でも、メグリエ機関に近づくことができない。我々が調べたマキシカの予想図を見せよう、こっちだ」




