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第48章 朱い指環の謎

 書斎の扉が音を立てて閉まった後、残された三人は扉を見つめていた。

「お嬢様、ネッツ坊ちゃんには少しお辛い話だったのでは?」

 ナガレは少しだけ棘のある言い方をしたが、コーリィは動じなかった。

「仕方ないわ。ヒャリツについてくると言って聞かないのだもの」

 コーリィは冷静ながら少し苛立ちもあった。

「わかりました、私はネッツ坊ちゃんと話します」

「ナガレ、お願い」

 ナガレは静かに書斎を出て行った。リオードは扉を見つめ、コーリィに申し訳なさそうに言った。

「ネッツが行くのは危険だ。君が行くのだって、僕は反対したいよ。ヒャリツは寒いだけじない。大量に水がある地下洞窟なんてどんな危険があるかわからない」

 リオードの言い分はもっともだ。

「――それでもヒャリツに行きたいと言ったネッツは、勇敢だ」

 リオードは自身もまだヒャリツに行く心の準備ができたわけではないようだった。まだ少年のネッツが、コーリィへの恩義を感じて、心を決めていた。ネッツはヒャリツがどんな場所か無知なわけではない。ネッツは一度、ヒャリツの冷たい地下水に落ちたことがあるからだ。ヒャリツに落ちたコーリィを追って、飛び込んだのだ。勇気があるのか、無鉄砲なのか、ネッツの行動は人によって評価は変わるだろうが、あの一件でネッツ自身がヒャリツに恐怖を覚えてもおかしくはなかった。それでも、彼はコーリィについて行きたいとはっきりと言ったのだ。

「ありがとう、リオード。貴方に話しておくことがあるの」

 コーリィはかしこまってリオードに言った。

「君の話はいくらでも聞くよ」

 リオードは未来の妻に笑顔を向けた。コーリィは落ち着いて話し始めた。

「ネッツは、あのキーウェル・ヒサーマの孫よ」

 ネッツはずっと自身の苗字を知らされずに育った。祖父であるキーウェルからも告げられず、孤児院に移ってからも、その名は隠されていた。

 ネッツ自身がネッツ・ヒサーマだと知ったのも最近のことだと告げると、リオードは安堵し、納得した表情になった。

「そうか。それでネッツは彼と接点があったのか。君はそれを知っていて、ネッツをここで雇うことにしたんだね」

「最初は、ネッツが紅夜石(クレナイト)の指輪をしていたことに気づいたの。孤児の男の子が紅夜石を持っているなんて、不可解でしょう?」

 コーリィの着眼点は紅夜石の指輪だった。メグリエ機関でしか使われていない希少な鉱物をなぜ少年が持っているのか、そして、紅夜石が結晶として環状になっているのは、コーリィも見たことも聞いたこともがなかった。ただの赤毛の少年では、ヒサーマの孫だとは気づかなかったかもしれない。紅夜石の指輪をはめた赤毛の少年だから、コーリィの探究心を引き寄せたのだ。

「ネッツがヒサーマの孫と判明したのは?」

「お父様宛の手紙に書いてあった。それから、ネッツのいた孤児院の院長に確認が取れたの」

 コーリィが父親の書斎で見つけた白い封筒の手紙。そこに、赤毛の孫ネッツをトッドマリー孤児院に預けたと書かれていた。

 コーリィがネッツに出会ったとき、ネッツがその朱い指輪をキーウェルにもらったものだと言った。ネッツはキーウェルの苗字を知らなかったが、コーリィはヒサーマ氏の名キーウェルとトッドマリー孤児院から、ネッツがネッツ・ヒサーマであることを結びつけることができた。ミセス・トッドマリーからも確認が取れ、ネッツはキーウェルの孫であることが判明した。

 残念ながら、キーウェル・ヒサーマがマキシカ管理局を去ってからのことは知られてない。都市から離れたとも、議会との約束を守り、ひっそりと晩年を過ごしたとも言われていた。

 キーウェル・ヒサーマは、もともとはマキシカ社で働いていた技術者の一人であった。マキシカやメグリエ機関に詳しくなっていくうちに、気づいたのだ。彼が最初にメグリエ機関は万年機関ではないことを訴え、マキシカを過信する人々に、点検や修理、使用の限度を定めるマキシカ管理局を作ることを提案した。その結果、マキシカ家とメグリエ家と対立した。彼は千日干乾の時に流行った熱病にかかったことで、メグリエ機関の寿命や暴走状態というありもしない話を吹聴したと言われていた。

 キーウェルはマキシカの安全性を確保するための使用頻度やメグリエ機関の熱量過多による暴走現象を予見していた。だからこそ、マキシカ管理局の設置をマキシカ家とメグリエ家に訴えたのだ。マキシカの点検や管理がマキシカ家にもメグリエ家にも利益があると気づき、マキシカ管理局は作られた。彼がマキシカの安全な利用の基盤を作っていなければ、今頃、マキシカはもっと危険な機械だったかもしれない。危険な機械は、より性能が良く安全な機械が現れれば、その役目を終えるだろう。彼が安全にマキシカを使うためのありとあらゆる方法を実行したおかげで、マキシカはスナバラになくてはならない機械という地位を六十年たった今でも不動のものにしている。

 しかし、キーウェル・ヒサーマは都市の貢献した人物にも関わらず、変人だと思われて人々から忘れ去られていった。キーウェルが表舞台から去って、ひっそりと晩年を過ごした場所さえ、知られていなかった。ましてや、孫がいたなど驚くべき話だろう。

「ヒサーマ氏の子孫は、彼からの手紙によると、ネッツだけだそうよ。そう考えると、ネッツも彼の代わりにヒャリツに行く権利はあったかもしれないわ」

 コーリィはそう呟くように言った。

「そうだね。少し歴史が違ったら、有り得たかもしれない」

 リオードは安堵したような表情だった。

「議会の許可がないという理由だけではネッツは諦めないなんて、よっぽどだわ」

「ネッツにとって、君は命の恩人だから、恩返しをしたいと思っているのかもしれないね」

「そうかもしれないけれど、恩返しならこれ以外のことでもいいでしょう?」

「ネッツはコーリィについて行くことが使命だと思っているよ」

 コーリィは困った顔をして深いため息をついた。

 ネッツに紅夜石の指輪のことを話すのか、コーリィは迷った。しかし、ヒャリツについてくると言い張るネッツには、真実を話すしかなかった。いずれ話さないとならなかったし、ネッツがマキシカに近づかないようにしなくてはならなかった。メグリエの屋敷にネッツを住まわせることで、彼の行動を制限できた。マキシカの暴走事故に巻き込まれた少年に、マキシカには近づかないことを約束させるだけでは、好奇心旺盛なネッツをマキシカから遠ざけるには不十分だろう。真実を話してネッツが理解できる日、そしてネッツが納得できる日がいつかはくる。前者は意外にも早く今日だったが、後者は残念ながら今日ではなかっただけのことだ。

「ネッツはお留守番よ」

 コーリィの意見は最もで、リオードも納得だった。

「それにしても、紅夜石をヒサーマ氏が持っていたのは、気になるな」

「ネッツは孫だから、指輪は大切な形見。ヒサーマ氏がどこで紅夜石を得たのかは、手紙に書いてなかったからわからなかったわ」

 スナバラの歴史上、たった一度しかメグリエ機関の部品となる高純度の紅夜石は見つかっていない。それは全て今メグリエ機関に使われている。僅かに紅夜石を含有する岩石が発掘されることはあるが純度が低いため、メグリエ機関の部品とはならない。ネッツの指輪の紅夜石は、メグリエ機関の部品として充分な純度のようだ。

「ヒサーマ氏は紅夜石の合成をしようとしていたって話は聞いたことがある。人工紅夜石の合成に成功していたんじゃないか」

「彼は合成に成功はしていたけれど、メグリエ機関に使うほどの紅夜石はできなかったというところかしら」

 それは、材料が希少、高い技術が必要、安定した合成ができないなどの理由だろう。紅夜石を採掘するために穴を掘り続けるのとどちらがいいかという問題になってくる。

「ヒサーマ氏は紅夜石がマキシカを暴走させることを知っていたのだろうか」

 リオードの疑問には、答えを予想するしかない。

「彼はメグリエ機関の暴走現象は予見していたわ。紅夜石で引き起こされる暴走現象を知っていたかはわからない。知らずに、ネッツに形見として珍しい指輪を渡したということなのかしら」

「もしくは・・・」

 リオードは思うところがあったのだろうが、口をつぐむ。マキシカ家とキーウェル・ヒサーマが対立していた。キーウェルがメグリエ家とマキシカ家への復讐のためにネッツに指輪を託したのではないかと疑念はコーリィも一度は抱いたからだ。

 コソックがシャルテにやらせたように、ネッツが紅夜石を持ってマキシカに何も知らずに近づいていたら。ネッツが知らず知らずのうちに、暴走を引き起こす元凶になることで、ヒサーマはマキシカ家やメグリエ家に復讐できる。だとしたら、ヒサーマはその機を狙っていたということになる。

 晩年のヒサーマのことは、フレイザに贈られた手紙しか情報がない。どうやって紅夜石を合成したのかも、ヒサーマ亡き後、わからないことばかりだ。

 マキシカの暴走現象が解明された時には、キーウェルは隠居していて、紅夜石が古いメグリエ機関を暴走させるなんて知らなかった可能性、マキシカに触れるほど近づかなければ、問題ないと考えていたからかもしれない。

 そもそも、あれは指輪ではなく、ネッツが指にはめたままにして外れなくなった石の輪だった。大切にしまっておく形見として、キーウェルは孫に渡したのかもしれないのだ。大人の指にはめるには小さすぎて指輪にはならない。子どもの手だからこそ、指にはめることができた。

 キーウェルの晩年、なぜネッツにマキシカを暴走させる指輪を託したのかはキーウェルにしかわからない。貴重な石という理由だけならば、形見として持っていて欲しかったとも考えられるが、キーウェル本人の口からは語られることはない。

「もう一つの話は、その」

 コーリィはうまく言えなくて口をつぐんだ。何も言わずに書斎の机から紙束を取り出した。

 それは、カミーエ・テンヘンからもらったある論文の複写だった。

「これはヒャリツの貯水池の水深と連日の降水量の記録から、ヒャリツに溜まる水量の計算をして水不足の予想をするための、ミズモーの公式の書かれた論文よ」

 リオードは論文を手に取った。水位の計算の公式と実際の過去のデータの理論値と実測値が書かれている。

「都市の貯水池の水量の予測を立ている公式だね」

「この式を応用して、今のヒャリツの水深を大まかに求めたの」

 ネッツが書いた少しずつずれていく数字の書かれた紙と、コーリィが書き込んだ小さな数字と四則演算、文字が並んだ紙たち。

「これを見て」

「ヒャリツの横からの図?」

 コーリィが示したのは、都市の地下のヒャリツを横から眺めた地図だった。何層もある迷路、多数の貯水槽がうねうねと曲がった水路でつながった地下迷宮のようだ。これはかなり古い物で、今ではヒャリツの拡張工事が行われているため、大きく異なる場所もあると思われる。コーリィはこの地図をこの書斎で見つけた。

 ヒャリツは地中で平面的に広がっているわけではなく、都市の西側で一度深くなり、東側に向かって浅くなっているようだった。都市の地下には水路が無数に走っていて、雨期になると地中深い貯水池や水路から水が溜まる。地中深い水路は完全に水没し、船で移動することはできなくなると予想される。つまり、西側の沙漠の地下にいると考えられるフレイザとミッゲルが都市に戻ってくる際、水路が完全に水没する日が近いことを示している。

「これは都市の地下のヒャリツの図だけど、これから行くところは地中深い水路なのか?」

「残念ながら、都市の西側の地図や文献は乏しいわ。雨季の今はある程度の水がたまっているの」

「それは、つまり、ヒャリツのマキシカまでの地下道が水没するかもしれないってことか」

 リオードはピンときたようだ。

「ええ、そして、都市の西側のヒャリツの深さがわからないから、もしも深い水路しかなければ、そこもすでに水没しているかもしれない」

 雨季の後半になった今、雨が降るたびにヒャリツに溜まる地下水の量がどんどん増えている。ヒャリツの中の水路は地中深いところから水に満たされていくのだ。

「そんな場所に行くのか・・・いや、フレイザさんとミッゲルさんがそんな危険な場所にいるなんて」

 リオードは驚き、不安を募らせる。

「例年よりも今年は雨が多くて八日後には、最も水量が多くなる予想よ。でも明日以降、降水量が多ければもっと早く水没するかもしれないわ」

 コーリィは都市の真下のヒャリツの推移を指で示す。貯水量が増加し続け、下層にある貯水槽は地下水に満たされ、中層も水に満たされる見込みだ。上層の貯水槽はまだ余裕があるようだ。しかし、都市の真下のヒャリツの地図では、貯水槽同士を繋ぐ水路は中層と下層ほど多く、水没は免れない。上層の水路はまだ水が溜まっていないものもあるが、地下洞窟の通路細くて通行が不可能なところもある。地図にはない都市の西側は未知だ。

「二人が心配だ。コーリィ、君は一人でこのことを突き止めたのか」

 コーリィは気丈に振る舞っているようだが、肉親が水没するヒャリツの中にいるとわかっては、気が気でないだろう。

「リオード」

 コーリィが言おうとしたことを、リオードは首を振って制止した。

「コーリィと一緒に行く。それは家も使命も関係ない」

 リオードは若葉色の瞳でコーリィを映す。

「リオード、ありがとう」

「一緒に行こう」



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