第47章 出発の前夜
その日の午後、フレイザの書斎には、コーリィとネッツ、ナガレ、そして、リオードが揃った。書斎の机には地図や紙切れが置かれている。全てコーリィが調べたことだ。
「作戦会議を開催します」
コーリィが宣言した。ネッツとリオードは期待した目でコーリィを見ている。
「一、お父様と叔父様の居場所。
二、ヒャリツのマキシカの設置場所。
三、ヒャリツのマキシカの停止方法。
これがほぼわかった今、明日出発します」
コーリィは宣言した。
「わかったよ、コーリィ。よくここまで調べたね」
リオードはコーリィを誇らしげに見ていた。
「それで、三つの疑問の答えは?!」
ネッツは謎解きの真相を聞きたいと目を輝かせている。
「お父様とミッゲル叔父様はヒャリツの中にいるので間違いはないわ」
それは、いくつかの事実からコーリィが判断した。書斎の机の下のヒャリツへの秘密の入り口に、ヒャリツの中に人がいることを示す札が二つかかっていたこと。船が最近修理されていた形跡があること。
二人は評議会との密約でスナバラとヒャリツの外には出てはならないことになっており、スナバラに限定せずに“ヒャリツ”がわざわざ密約に書かれているのは、ヒャリツのマキシカがあるからである。
ヒャリツは点検や貯水量の確認のための入り口が都市にはいくつかあるが、個人の家屋の地下にあることはない。それがメグリエの家にあるのは、ヒャリツのマキシカの設置時などに使われたためだろう。
「そして、二人はヒャリツのマキシカの修理または、停止に向かったと考えていい」
ヒャリツの温度の上昇はマキシカの自然暴走の際の内部温度の上昇とも考えられるからだった。
それは、マキシカ管理局が毎日記録していた、マキシカの気温の記録から得た着想だった。都市の気温が上昇しているとは言われているが、都市の気温の上昇はヒャリツのマキシカ設置前、つまり千日干乾から数十年も前からその兆しがあった。一方、ヒャリツ内気温の上昇はこの十数年の間で見られるようになった。つまり、十数年前から、ヒャリツのマキシカの熱がヒャリツの気温を上昇させている可能性がある。ヒャリツのマキシカはすでに設置されて四十年ほどだ。点検が一度も行われずに、その存在が隠されてきたのだから、十数年前から何かしらの不具合が起きていてもおかしな話ではないのだ。
ヒャリツのマキシカの健康状態を知るために、マキシカ管理局設置時からヒャリツ内気温の計測をさせたのはキーウェル・ヒサーマだったのではないだろうか。
「そのヒャリツのマキシカはどこにあるんだ?」
「スナバラの西側、沙漠の下。でもあまり遠いとは思っていないわ。マキシカを設置したのなら、大量のマキシカの部品を運べる距離に作るはず。でも市民には見つけられないくらいの距離。ここからヒャリツ内を移動すると直線距離でここから二十オクルカくらいの位置ではないかしら」
「確かに、コーリィの言うかなり大型のマキシカなら、岩鉄の部品だけでも相当な重量になる。あの沙漠を移動するか、ヒャリツ内を船で移動するか、どちらの方法でも部品を大量に運ぶとなれば、工事期間が長くなる。妥当な距離だ」
「時間をかけて頑張ればできないのか?」
ネッツはあたかも知っているかのように口を挟んだ。
「その余裕はなかったはずだわ。当時は千日干乾の真っ最中よ。早くマキシカを設置しなければ、死者がもっと増えたと考えたはず。この時代にほとんど新しいマキシカが作られなかったのは、ほとんどの技術者達がヒャリツのマキシカに関わっていたからでもあると思うの」
「確かに、第二世代マキシカが作られるのは千日干乾の少し後だ」
リオードも頷く。
「肝心の設置場所は、市民にはヒャリツのマキシカことを知られないためには都市からある程度の距離を取ることを考える。でも、設置工事、マキシカの効果が最大限発揮されること、後々の修理のことを考えると都市近くになる。そして、マキシカを設置できるヒャリツ内の空間も必要。これらの条件の揃う場所にあるわ」
コーリィの推理はネッツにも納得ができることだった。ヒャリツのマキシカはスナバラから遠くもなく近くもない距離で、地下洞窟の広い空間に設置されている。ネッツは何となくではあるが、ヒャリツの中にマキシカがあるような気がしてきた。
「ヒャリツのマキシカの場所は、都市を出て西側のヒャリツの源流のどこか。船でも地上からでも行ける場所よ」
コーリィは次に地図を広げた。書斎机の上をほぼ覆い隠すほどの大きな地図だ。それは、広域の地図で、スナバラだけでなく東の海辺の町ウミナトや沙漠を渡った西の方の山脈まで描かれている。沙漠には、実際は大きな石がある場所もあれば、砂沙漠に近い場所もあるだろうが、沙漠とだけ書かれただだっ広い何もない土地はどこまで正しいのかわからない代物であるため、ただの余白の多い地図のように見える。
「地上の地図だとここよ」
コーリィがあまりにもはっきりと場所を示すものだから、リオードは首を傾げた。地図上では何も印もない沙漠の真ん中でしかなかったからだ。
残念ながらスナバラの西側の地図で詳しいものはない。市民にはマキシカの位置を悟られないために、沙漠の地図は広く、地図によっても広さが異なるくらいだ。
「ナガレ」
コーリィはその青い瞳でナガレに視線を送った。
「なんですかな?」
ナガレはコーリィ達を見守りながら、時にうんうんと頷きながら話を聞いていたから、急に呼ばれて少し驚いた顔をした。
「ナガレはマァレットとともに、お父様と叔父様に支援物資を送っていたでしょう?」
コーリィが運搬屋から聞き出した、あの箱の配達先だ。
悔しそうな顔を一瞬だけ見せたナガレは、笑いを堪えきれなくなった。
一通り笑った後、彼は観念した。
「――いやはや、気づいてしまいましたか」
ネッツはナガレが台所でパンや焼き菓子を紙で包み、缶詰や瓶詰め、薪などを箱に入れていたところを三度目撃していた。ましてや、コーリィに秘密にするという約束で手伝い、お菓子を得ていた。
その箱は運搬屋に預けられ、沙漠のある地点に届けられていた。ナガレはその場所を知らない。用心深いフレイザが、屋敷の人間には誰一人、その場所を教えることはなく、その場所は運搬屋だけに伝えられた。コーリィは運搬屋に頼み込んで、その行き先を教えてもらうことができた。
「えぇ、このマキシカがあると考えられる場所は、その荷物の届け先からかなり近いはずよ」
リオードは驚き、口をあんぐり開けて頷いた。コーリィの情報収集能力の高さと、その粘り強さは、大人たちの隠し事を暴きつつあった。
「ナガレ。あの謎の暗号は、必要物資の指示が書かれていて、あの機械は信号を受信して印刷される通信機でしょう?」
フレイザの書斎、棚にあった五つのキーのついた小型の機械は、時々紙切れに模様を印刷して吐き出していた。それが、ヒャリツ内にいるフレイザとミッゲルからのメッセージだったのだ。
「そこまでわかってしまわれるとは」
ナガレは彼女の聡明さと成長に驚いていた。赤ちゃんの頃から知っている少女が、父親が不在の今、自身で考え、答えを導き出していく。
「この記号ばかりの紙切れを見つけた時、『暗号』だと始めに言ったのはナガレだったわ。記号はただの模様という可能性だってあったのに」
ナガレはうっかりしたというように自身の非を認めた。
「そうでしたか?私としたことが、口を滑らせてしまいましたね」
「でも暗号を解読することはできなかった」
コーリィは少し悔しそうな顔をした。
「はい、フレイザ様は私にだけこっそりと解読方法を教えてくださったのですから」
当主の信頼を得たナガレは誇らしげだった。
「古代フッジ文明の文字に似ていると学芸員のララさんが言っていたわ。でも未解読の文字だそうよ」
学芸員のララは、ヒャリツの地図を見せてもらった際に、この紙切れを見せたところ、古代フッジ文明の石板に刻まれた模様に似ていると言っていた。
「そこまでわかっていらしたのですか!元々はフッジ文明の未解読の文字に着想を得て開発された暗号だそうです。海の向こうで使われていたので、フレイザ様が独自にそれを文字に当てはめたのです」
フレイザのことだ、暗号と通信のためだけの機械に魅力を感じ制作したところまで、コーリィは想像がついた。
ネッツは目を細め、暗号がどう文字に置き換わるのか、全く思いつかないようだった。
「それで、どうやって読むんだ?何が書いてあったんだ?」
ネッツは嬉々としてナガレに聞いた。
コーリィは、暗号と文字の対応表が手元になく、規則性も見つけられなかった。たった四つの記号しかないのだ。
「四種類の記号は、三つで一つの文字を示すのですよ」
ナガレはシャツの胸ポケットから紙切れを取り出し、広げた。それが解読表だった。
記号は「|」、「ー」、「=」、「・」の四種類ある。この四種類の記号を使った三つの組み合わせは最大で六十四の組み合わせを作ることができる。その数は文字を当てはめる数としては十分だ。あとは同じ解読表を送信者と受信者が共に持てばよい。
「例えば、この場合ですと、マキ、タベモノ、ロウソクと書いてあることになります」
ナガレは一枚の暗号の紙切れを示した。
「模様にしか見えないのに、そこに言葉があるなんて不思議だな」
リオードは感心した。コーリィにいかに心配をかけずに、秘密裏にヒャリツ内からナガレと連絡を取るか、フレイザは考えたのだろう。書斎にはナガレが掃除で入ることもあり、その時に紙切れを回収していたのだろう。あの日、コーリィが書斎にいてちょうどあの機械がメッセージを受信して、機械音を聞いたから、謎の文字が並ぶ紙切れを吐き出す機械に気づいたのだ。
「お父様が考えそうなことだわ」
「確かに、何かに特化した機械を作っていたね」
リオードにも思い当たるフレイザの発明があった。
「ええ、ソラメロのヘタを取るだけの機械も作っていたわ」
ネッツはコーリィの父親に会ったことがないため、コーリィとリオードの妙に納得した顔には共感はできない。奇妙な機械や暗号を作り出すコーリィの父親がどんな人物なのか,ネッツはますます想像がつかない。
「あとは、ヒャリツのマキシカの対処法だね。簡単とはいかないようだ。フレイザさん達がこんなに時間がかかっているのだから」
リオードは二人が戻らない原因はヒャリツのマキシカの修理や停止ができないからと考えていた。マキシカやメグリエ機関の仕組みを知るコーリィやリオードには、マキシカの複雑さやメグリエ機関の繊細さ、そして暴走に近い状態の巨大マキシカを制御するのは簡単ではないことはわかりきっている。フレイザとミッゲルがすぐに解決できるのであれば、もう二人はスナバラに戻ってきているだろう。何か問題があったから遅れているに違いない。
「それは、実際にヒャリツのマキシカを見なければわからないけれど、マキシカの停止方法の手がかりは見つけたわ」
「手がかり?」
「ネッツ、明日の太陽を3番まで歌って」
コーリィは突然、ネッツに歌を歌うように言う。スナバラ市民なら皆知っている夕方のマキシカの停止を知らせる旋律だ。
「え!ここで!?」
ネッツは急に恥ずかしくなった。
「この前は歌ってくれたじゃない」
「僕もネッツの歌、聞きたいな」
ネッツは少し俯いて、息を吸った。
「わ、わかった」
声変わりしていない少年の声で歌われた、都市の者は皆知っている歌。
輝く太陽
風とともに沈む
朝まで力を蓄えて
再び冷めた空を照らす
恵みの 雨風 台地 めぐる
空から雨が 潤して
西から風が 吹いてくる
幾千 咲いた 花たちよ
皆が彼の歌に耳を傾けていた。ネッツは、3番を歌い始める。
大地に 根を張り 葉を 広げ
東の街を 見守って
黄色の 糸が つなぐなら
紅 命 抱きしめて
歌い終えたネッツに、リオードとナガレは拍手を送った。
「ネッツは歌も上手なんだね」
「夕日の歌の3番の歌詞があるとは!いやはや、長年生きていてもこんな身近なところに知らないことがあるとは」
リオードとナガレは少年の歌を褒めた。
「ナガレ、リオード。歌詞がその手がかりなの」
ネッツでさえ、コーリィの言葉に驚いたほどだ。
コーリィによると、歌の一番はマキシカの熱量となる太陽のことを歌っているという。太陽の神シロミヤや太陽を讃えている歌詞である。二番は、雨季の神アマミヤや雨を讃える歌詞のように見えるが、ヒャリツや地下水についてのこと示している。西から吹く風は、ヒャリツの源流からの風だというのだ。
「雨季には花畑ができるから、それの歌詞じゃないのか?」
ネッツの意見も最もだ。スナバラと沙漠の間の地域でも、雨が降ると土がしばらく湿っているような場所には、雨季にだけ花畑ができることがある。雨季の短い期間で、種が発芽し、葉を広げ、蕾をつける。小さな花が寄せ集まってできた短い命の花畑のことを歌詞にしたと皆が思うだろう。
「これはヒャリツのマキシカが動かす回転羽だと思うわ」
「つまり、ヒャリツのマキシカは千の回転羽を回して都市に風を送っている。ヒャリツのマキシカは都市の西側にあることを示しているのか」
リオードは閃いたように納得した。
「そして肝心の三番。私たちが三番の歌詞を知らなかったように、都市の人々はほとんど知らないと思うわ」
「確かに、夕日の音楽も二回しか流れない。歌に三番があるなんて予想がつかないな」
歌詞の彫られたレリーフが博物館の中のマキシカ管理局のある部屋の手前の壁に飾られていた。リオードは何度も目にしているが、そのレリーフには二番までの歌詞しかなかった。三番の歌詞があるなど全く思いもよらぬことだ。
ネッツが夕方に流れる曲に合わせて歌ったところ、曲が終わってもネッツは歌い続けた。三番の歌詞があることをコーリィは知り、その歌詞がヒャリツのマキシカと重なることに気が付いた。
「三番は、東側に都市があるからヒャリツのマキシカの視点の歌詞よ。大地に根をはる根は集熱フィラメント、黄色は何かの印、紅の命は紅夜石、つまりメグリエ機関」
コーリィは自信があるようだった。
「こじつけっぽい気もする・・・」
ネッツは昔から知る歌に対し、コーリィの歌詞の解釈が強引過ぎると不満のようだ。コーリィのマキシカやメグリエ機関の好きが高じて、なんでもマキシカとメグリエ機関に見えてしまうのではないだろうかと疑念を持つ。
「ええ、でもこの夕日の歌、明日の太陽は、キーウェル・ヒサーマ氏が作詞している。そして、マキシカ管理局が夕方流すことに決めた曲。ここにヒャリツのマキシカのことを織り込んでも不思議じゃないでしょう?」
マキシカ管理局は千日干乾の前からスナバラに設置された機関ではあったが,夕方にマキシカを止める時間を知らせる音楽を放送するようになったのは千日干乾のあとからである。
「じっちゃんが作った!?」
ネッツはすぐに反応する。
「ヒサーマ氏は多才だったのだな」
リオードやコーリィは、会ったことのないキーウェル・ヒサーマのことを詳しくは知らない。スナバラでは、彼の評価はあまりいい言葉では語られないか、ほとんど知られていないのだ。マキシカの安全に尽力したとスナバラの歴史に数行で書かれるか、熱病にかかったせいで正気ではなくなり、メグリエ機関が永久ではないことを声高に吹聴したという話が色濃く、彼の業績がぼやけてしまっているのだ。
晩年のキーウェルを知るネッツでさえ、彼が作詞をしたことも知らなかった。
「黄色がきっとマキシカを止めるヒントかもしれないけど、これ以上はわからないわ。ヒャリツのマキシカを前にしたら、きっと何かわかるはず」
「黄色の停止レバーでもあるのかもしれないな」
リオードは改めてヒャリツのマキシカについて反芻する。ヒャリツのマキシカは数万ズールもの大型マキシカである可能性が高い。緊急停止をする手段として目立つところに黄色の何かがあるとしてもおかしくはない。
「明日出発して、お父様と叔父様の捜索とヒャリツのマキシカの停止を目標とします」
「いつお戻りのご予定ですか?」
コーリィはナガレの質問に、すぐには答えられなかった。
「だから、お父様と叔父様を見つけ、ヒャリツのマキシカの停止をしたら、戻ります」
ナガレは首を横に振った。
「お嬢様、無茶をなさいませんよう。議会からの命であり、フレイザ様とミッゲル様のご心配をされ、焦るお気持ちは分かります。しかし、未知のヒャリツに不慣れな船で出かけられるのです。どんな危険があるか分かりません。まずは一日でお戻りください」
「船ならヒャリツのマキシカにも辿り着かないかもしれないわ。せめて三日は必要よ」
コーリィは焦っていることは自身でもわかっていた。なんとしても、父親と叔父を見つけて一度連れ戻さなければならない。
「運搬屋が運ぶ箱の中に手紙を入れて、フレイザさん達に戻ってくるように伝えることはできないのかな?もちろん、僕たちも迎えに行く」
コーリィとナガレの意見が食い違う中、リオードは困り顔をしながら精一杯だった。
「もうナガレが手紙を送ったの。返事は、あと少しだからと断られたそうよ。それからすでに何日も経っている。なのにまだ帰ってこない」
コーリィは父親と叔父の行動に苛立ちを覚えている。
「わかった。二人を迎えに行こう。日数は、二日で調べられる範囲で一度戻ってこよう。フレイザさん達のいた痕跡やヒャリツのマキシカが本当にあるのか、わかるだけでもまずは十分だ」
リオードはナガレの意見に賛成だというようだった。
コーリィは考え込んだ。
今回は無理せずに行き来できる距離までの探索とする。二日間ならば、運搬屋の配達先までの距離を、徒歩と同じくらいで進む船の速度から換算したら、往復は十分可能だ。それに、約束の日になっても、コーリィとリオードが戻らなければ、ヒャリツ内の捜索を議会に要請する必要だって出てくるかもしれない。
「――二日間で戻ります」
コーリィは悔しかった。二人を連れ戻し、ヒャリツのマキシカを停止させる。二日間で成し遂げられることではないだろう。ヒャリツのマキシカの停止ができていたら、フレイザとミッゲルは数ヶ月にわたり帰ってこないことはない。コーリィが行ってもすぐに解決できることではないだろう。
「明日出発かぁ!俺、ワクワクする!ヒャリツを冒険だ!」
ネッツは頰を高揚させて、嬉しそうに言った。コーリィはため息をついた。
「ネッツはお留守番よ」
「俺も行く!」
意気揚々とネッツは胸を張る。
ネッツがともに行きたいと強く思っていることはコーリィにもわかっていた。
「だめ。議長から私とリオードしかヒャリツに向かうのを許可されてないもの」
「いやだ!俺も行く!」
「ネッツはだめ!」
コーリィは少し苛立った声だった。ネッツは自身が我儘を言っていることくらいはわかる。しかし、確固たる意思でネッツはヒャリツについて行きたいというのだ。
「行きたい。コーリィについてく!」
「そこまでしなくていいわ、ネッツ」
コーリィはぴしゃりと言い放ったが、ネッツは言うことを聞かなかった。
「俺はコーリィに着いて行きたいんだ。俺もヒサーマなら行ってもいいだろう!」
コーリィが少し困った顔をした気がした。
「ネッツも行きたいと言ってくれるのは、嬉しいけれど」
その言葉だけで、ネッツの心は軽くなった。
「でもネッツはだめ。これはメグリエ家とマキシカ家の仕事よ。ネッツはここで待ってるの」
「いやだ!俺もコーリィの手伝いをするんだ!」
「ネッツ坊ちゃん、これはお嬢様とリオード様の仕事ですから。私たちは待つことがお仕事ですよ。戻ってくるお嬢様達のために、温かいものを用意しないと」
ナガレがネッツをなだめようと、優しく諭すが、ネッツの勢いはそれ以上だった。
「いやだ!俺も行く!」
コーリィはネッツを青い瞳で見ていた。ネッツも負けじと睨むように彼女の目を見つめる。
一瞬、コーリィの視線はネッツの右手に移ったことをネッツは見逃さなかった。ネッツにもわかってしまっただろう。
コーリィは今度は大きなため息を吐いた。ネッツには真実を話さないと言うことなど聞かないことを悟ったからだ。ネッツにはいつかは話さなければと思っていた。今がその時、早い方が良いだろう、コーリィは口を開いた。
「その指輪は紅夜石でできているの。だから、貴方は一緒には行けない」
ネッツの右手の中指にはめられた朱い石でできた指輪。指からは外れない石の輪だ。
その鉱物はネッツでも知っている。
メグリエ機関の部品となっている紅い石。
マキシカから盗み出されたメグリエ機関から取り外されていた石。
そして、ワッカの首輪につけられていた石。
マキシカに近づけると、マキシカの暴走を引き起こすことがある石。
その現象を利用して、ラゥル・コソックがマキシカを暴走させていた。今のネッツだから知っている紅夜石だ。
しかし、指輪がその石でできていることをネッツは知らなかった。
「この指輪がマキシカを暴走させるってこと?」
ネッツはコーリィの顔色を伺っている。首を横に振ってほしいという顔をしていることはコーリィにもわかる。
しかし、コーリィは真顔で頷いた。
「今はヒャリツのどこにマキシカがあるかわからないから、ネッツがマキシカに近づいて暴走させてしまう可能性がある」
ネッツが絶望した表情になる。
キーウェルからもらった、ネッツにとって大切な大切な指輪であることは、コーリィもネッツから聞いていた。
「指輪が紅夜石だって、知ってたのか?」
まさか、とネッツの中でたくさんの考えが巡る。
「ええ、その指輪が紅夜石であると知っていた。貴方をここに置いた理由の一つはその指はなの。ネッツがマキシカに近づいては、また事故に巻き込まれてしまうかもしれないから」
コーリィと出会ったあの日。ネッツを暴走したマキシカから助け出してくれたのはコーリィだった。しかし、ここに住まわせてくれた理由は、お嬢様の気紛れではなかった。
思い起こせば、ここに連れてきてすぐ、お嬢様はみすぼらしい少年に指輪のことを尋ねた。それは、孤児が立派な指輪をしていたことを彼女は不審に思ったわけではなかった。
「私のブローチとあなたのその指輪、接触させると光ったでしょう?」
今でもはっきりと網膜が覚えているくらい、眩しい光が一瞬ネッツの目の前で生まれた。
コーリィがいつもしている淡い蒼のピカピカに磨かれた丸い宝石のはまったブローチ。その宝石とネッツの指輪が触れた瞬間、夜明けの太陽が急に顔を出したような光が目の前で生まれたことをはっきりと覚えている。
「私のブローチは蒼明石で、紅夜石に触れると光を放つ現象が知られているわ。その指輪が紅夜石かを確かめるためだったの」
「じゃあ、今まで、俺がマキシカを暴走させないように・・・?」
「そうよ」
ネッツの指輪が、マキシカの暴走の引き金になる紅夜石であるとわかり、彼女はネッツをマキシカから遠ざけた。ネッツを監視の元に置いたことになる。
「紅夜石と蒼明石が触れると、光とともに熱が生まれる。これはメグリエ機関の熱から熱量を生み出す反応なの」
「コーリィのブローチに触れたとき、指輪があったかくなった気がした」
「そう、それよ。熱量が光と熱となり、指輪が光り、指輪の温度を上げたの」
ネッツは俯いた。
ネッツはどうしたらいいかわからなくなり、混乱して手が震える。
「暴走したマキシカと距離を取れば問題なかった。でも、ヒャリツのマキシカはまだ暴走したとは限らない、暴走に近い状態なら、ネッツが近づけば暴走する。正確な場所もわからないマキシカに近づいたら危険なの」
コーリィは淡々と話すが、その表情は堅い。ネッツには言わないでおこうとしていた話だったのだろう。
ネッツの視界がぼやけてきた。涙がネッツのほおを駆けて行ったことを、ネッツは一瞬気づかなかった。悲しい涙であることが数秒後にわかる。
コーリィは暴走したマキシカから危機一髪で救ってくれた命の恩人で、行き場を失ったネッツをここに置いてくれて、たくさんの学ぶ機会をくれた。冷嬢はラゥル・コソックに騙されていたエレックとシャルテを助けてくれたし、行方不明になっていたミセス・トッドマリーを見つけてくれた。いつも不機嫌な顔をして、大人ばかりの世界で背伸びをしていても、年相応な少女の一面もあるコーリエッタ・メグリエをネッツは信じていた。
ネッツはそんなお嬢様の気まぐれで拾われた幸運な少年だと、そう信じていたかった。
騙されていた。いや、コーリィがネッツを保護したことで、マキシカからネッツを離れさせ、紅夜石によるマキシカの暴走を防いだのだ。
「私はメグリエ機関を作った家の者として、最後までメグリエ機関とマキシカを悪者にはしたくない。わかってくれるかしら?ネッツ」
「やだ!」
ネッツは書斎を飛び出した。
廊下を走り、自身の部屋に乱暴に扉を開けて入った音がした。




