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第43章 目と鼻の先の真実

 その晩、コーリィは博物館で得たヒャリツの情報と降水量、マキシカ管理局で書き写したヒャリツの貯水池の水深の記録、カミーエ・テンヘンから譲り受けた論文の複写を眺めていた。

 ネッツはアム・ニューパーから貰った今月号の月刊ミカイを読みながら眠ってしまった頃だ。ネッツが一目惚れした雑誌、月刊ミカイの記者に取材を受けることになるとは、不思議な縁である。

 ネッツが死んだと知り、親代わりのミセス・トッドマリーや孤児院での兄姉であったエレックやシャルテは悲しみ、絶望しただろう。新聞を読んだ人の中には、見知らぬ子どもの死を悲しむ人だっている。そんな人達が、ミカイの記事を読んだら、少し救われるかもしれない。市民の事件への関心を高め、一連の事件の解決が早まるといいのだが。

 ラゥル・コソックやロマーク・クラム議員にとっては、真実を晒されることになるが、今、二人は取り調べ中だ。まだ明らかにされていない彼らの動機は、どこまで報道されるかはわからない。全ての謎の真相がスナバラ中に伝わるわけではない。すぐにわかるとも限らないし、永遠にわからないことだってある。

 ネッツの生存について記事が掲載されるのが月刊ミカイで良かったのかもしれないとコーリィは考えている。信じるか否かは読者に任せる立場の雑誌といえば、半分嘘を書いているかのようだが、月刊ミカイはあらゆる可能性を示すことを目的としている。答えがはっきりしていないのならば、可能性があることは嘘とはいえない。新聞とは異なる使命を持つ媒体である月刊ミカイは、真実を正確に伝えることを表に掲げる新聞社を敵に回すこともないだろう。

 コーリィは、マキシカ管理局の帳簿から写した3年間分の水位の数値を見つめる。

 雨季に入ると、地下ヒャリツにある貯水池の一つ、シツカズア貯水池に水が溜まる一方で、乾季に入ると水が減ることを繰り返している。それが貯水池の水深がいくつかで測定されていた。年に二回、雨季と乾季を繰り返すため、地下水の大幅な増減が二度ある。

 一日ずつの水深のデータを見ると、雨季でも雨が降った日の翌日から地下水が増えている。雨が降った後、地下水として貯水池に水が流れ込むには少し遅れがあるらしい。

 コーリィが知りたいのは、雨季になると最大どこまでヒャリツの地下水が深くなるか、そしてその日がいつか、である。

 ヒャリツが水没するとしたら、これからヒャリツのマキシカと父親と叔父探しの冒険が困難を極めるだろう。

 翌日もコーリィは父親の書斎にこもって作業していた。

 ネッツが手伝いたいというだろうが、今日はネッツの手伝えることはない。しかし、今朝からネッツが何も言ってこないところを見ると、ナガレがネッツに仕事を任せたのだろう。

 書斎の外は少し賑やかな足音がする。ネッツが廊下をモップがけでもしているのだ。モップがけを欠かさないようにしなければ、どこからか入り込む細かな砂のせいで床がざらつくのだ。

 コーリィはテンヘンから貰った論文の複写に目を通す。

 五十年以上も前に、スンシー・ミズモーという人物が、ヒャリツの中の貯水池の水深を観測した十数年分の値から、水不足を予想するための公式を作った。降水量から貯水池の水深が計算できるのだ。ヒャリツのもっとも深いところ、つまりヒャリツの底は地表から一オクルカを超える深さがあるという。コーリィとネッツが落ちたヒャリツは着水まで十数クルカほどだったから、それの百倍近く地下の深さのところに貯水池の底がある場所もあるということだ。そんな地の底からの水位をはかるのではなく、ミズモーは、地上の基準点から、水面までの距離を測ることで、貯水池の水量を求められるようにした。

 乾期が終わった最初に雨が降った日を起点とし、貯水池の最も少ない時の基準点から水面までの距離を計算する。連日の降水量を公式に代入していき、貯水池の実際の水面までの距離とを比べながら、ヒャリツの中に貯まっていく地下水の量のグラフを書く。そこから、今日のヒャリツの中の水位、そして明日以降の未来の水位を予測する。それがコーリィがやるべきことだった。

 コーリィは博物館にはない秘密の地図が父親フレイザの書斎にあることを知っていた。フレイザが数年前にコーリィに見せてくれたことがある。

 その地図はヒャリツを都市の南側から眺めた、いわばスナバラの横断面の地図だ。ヒャリツは平面的に広がっている地下空間ではない。家屋の地下室のすぐ下にある浅いものから、奈落の底のような貯水池の底まで、ヒャリツは階層構造を持った広大な地下迷宮のような構造をしている。

 雨季に降った雨は、最も深い貯水池から水が貯まっていく。深いところにある貯水池が満たされれば、その上の貯水池へと水は貯まっていく。雨期の蓄えは乾期になると人々が利用して減っていく。

 では、最も地下水の量が多い日はいつか。コーリィはそれが気がかりだった。

 地下の水量が最大量を迎える日はばらつきがある。雨季の初期に大雨が続けば、早期に地下水が最大量に達する。雨季が弱く、まとまった雨がない時は、雨季の終わり頃にその年の最大貯水量を記録するが、例年よりも貯水量は少ない時だってある。

 今年はまとまった雨が降る日もあったが、曇りの日ばかりで雨が降っていない日もあった。

 ヒャリツの中の空間は細い管のような横穴でつながっている。水が溜まればその横穴は水に満たされるものも出てくる。ヒャリツの中でも地上に近い場所にいなければ水が溜まって閉じ込められる。

 雨季の季節も後半になっており、そのヒャリツが最大の水量を蓄える日が近いのではないだろうか。父と叔父が心配である。

 コーリィとネッツがヒャリツに落ちた時は、幸運な時期であった。雨季が始まり、十分な深さの地下水がたまっていたが、他の空間への横穴がまだ水に完全に沈んではいない絶妙な水量だったのだ。水がなければ、ヒャリツの底に叩きつけられていたし、満水に近ければ、貯水池から上がって横道を移動し、ヒャリツの出口を見つけ出すことはできなかった。冷たい水の中で救助を待つことになっていたら、コーリィとネッツは凍え死んでいたかもしれないし、低体温症というスナバラの中では珍しい状態になったかもしれない。

 今のヒャリツの状態は、父親と叔父がヒャリツの中にいたら、雨季の進んだこの時期は水が迫ってきていることになる。

 また、ヒャリツは遠い西の山脈から東の都市に向かって緩やかに傾斜していると考えられている。なぜなら、雨期のヒャリツ内には西から東に向かって水の流れがあるからだ。都市の東側にたどり着いた地下水はそこに貯まる。

 コーリィがヒャリツのマキシカのありかと予想する都市の東側のヒャリツは、都市の地下の中でヒャリツが浅い位置にある。そして、都市の地下の東側に向かうにつれ、ヒャリツの深さが浅くなって、ヒャリツは毛細血管のように拡がり空を目指して途絶えるのだ。

 ヒャリツが最も地上から離れた、つまり深いところにしか貯水池や水路がないところは、沙漠とスナバラの境目から少し都市側の地点である。

 ヒャリツのマキシカを目指し、父親と叔父がヒャリツの西に向かっていたら、都市に入る西側のヒャリツが水に満たされて都市に戻ってくることができなくなるはずだ。

 地上、礫沙漠を歩いて都市に戻ることは、メグリエの家の者である2人が都市から出たという密約違反となる。コーリィはヒャリツの西に行けるのはいつか、都市に帰って来られるのはいつまでか、それを気にしていた。

 それがヒャリツの貯水量を推測する計算式からわかる。

 コーリィは紙にペンを走らせる。文字を数字に置き変え、計算する。

 過去の実際の基準点から水面までの距離の記録と、計算上の結果がどのくらい一致するかも知りたかったため、三年分の記録を写してきたのだ。

 癖のある走り書きのような字で数字を記してくれたネッツは、コーリィが何をしようとしていたかなどわからないだろう。

 コーリィが計算上で求めることができた今年の貯水量の最大の日は、半月以内にやってくることがわかった。

 ヒャリツの横からの図を見ると、西側の沙漠の下にあるヒャリツと都市の下のヒャリツを繋ぐ人が通れるほどの太さの水路はすべて水没する深さにまで水位が上がってしまう計算結果となった。過去三年分の実際の記録と計算で導き出される予測数値を比較しても、大きな違いはないのだ。

 ヒャリツの源流、西の方が少し高くなっていて、少しの間、都市に戻ってこられなくなる程度ならまだいい。ヒャリツの源流にあたる西の沙漠の下にあるヒャリツが地中どこまでの深さがあるのか、全く地図がないのだ。ヒャリツが大量の水に満たされては二人が危険となる。

 ヒャリツのマキシカがあるとすれば、その超大型マキシカは、水没しない場所にあると考えられるが、そこに二人が退避していることを祈るしかない。

 二人はそのヒャリツが最大の水量を湛える日が、大雨期の終盤に迎えると思っているかもしれない。例年よりも多い降水量から、それが少しだけ早くその日がくることが明らかになった。通常なら一ヶ月後のことが、半月後以内もありえる。

 まだ、父親フレイザと叔父ミッゲルがどこにいるのか確信を得ていないし、ヒャリツのマキシカの正確な位置も、その超巨大マキシカのなだめ方もわからない。

 悠長なことをしている暇などない。コーリィはしんとした父親の書斎で考えた。

 二人は何をしに、どこに出かけたのだろう。コーリィに都市中の暴走マキシカの子守を頼んで。

 コーリィの耳に風の音が聞こえた。狭い隙間を無理に吹き込もうとしてピューピューと笛が鳴る。

 窓の外は風も吹かずしとしとと雨が降る。歓喜して雨期を迎えるのに、雨などすぐにやんでほしい。

 風の音はどこからか。それは書斎机の下からだった。

 父親の書斎は屋敷の中でもっとも涼しい部屋であった。主人の部屋である北側だからではない。ヒャリツの源流、つまりこの屋敷の中で、最初にこの部屋にヒャリツの冷たい風を引き込んでいる。暑がりな歴代の当主がこの屋敷でこだわったことだ。

 コーリィは机の下を見た。

 床に擦った跡が付いている。それはかなり長い直線的な傷であった。よく見ると同じような傷が三十ルカほど隣に平行についている。

 それを見たコーリィは、床の一部が外れてずれるような仕掛けがあるのではないかと考えついた。それが地下室への入り口、いやヒャリツの入り口ではなかろうか。

 床の隠し扉は彼女が爪をかけて引くと簡単に開いた。そして、その床の下からはコーリィの頭を冴えさせるような冷たい風が吹き込んで来た。コーリィの軽やかな金の髪を舞い上がる。

 暗い奈落の底への続く鉄の梯子があった。

 ヒャリツへの入り口だ。単なる地下室の訳がない。コーリィはそう確信した。

 ヒャリツへの出入りは一般人は禁止されている。ヒャリツの拡張工事、地下水の監査など、特定の職の人間に限られており、ヒャリツへの入り口は鍵で閉ざされ、厳重に管理されている。ヒャリツの風を取り入れた地下室のある家もあるが、そこからヒャリツには侵入できない。

 そう簡単に、ヒャリツに冒険に行くことはできない。こんな近くにヒャリツの入り口があるとは――そう、ここからフレイザとミッゲルは出掛けたとすれば、誰にも知られずにヒャリツに入ることができる。

 コーリィはヒャリツから吹き出す風に逆らうように、その地下に向けて叫んだ。

「お父様?叔父様?いるなら返事をして――――」



「ネッツ坊ちゃん、ベリーパイが焼けたのでお嬢様に持って行ってくれませんか?」

 ナガレに言われて掃除をしていたネッツは、廊下を掃除し終え、一息ついたところだった。

「ベリーパイ!」

 オープンで焼かれてとろけた赤紫色のベリーとサクサクのパイ生地。熱々のまま食べてしまいたいと、ネッツの期待は膨らむ。

「お嬢様が根を詰めております、お菓子とお茶を持って行ってくださいな」

「俺が?いいの!?」

 ナガレによって、ネッツとコーリィの二人分のお菓子とお茶が用意された。

「えぇ、お願いいたします」

 あまりコーリィと話していなかったネッツは、コーリィの様子が気になっていたところだった。

「わかった」

 ネッツはモップを片づけ、ちゃんと手を洗って、パイとお茶の入ったサービングカートを押してコーリィのいる書斎に向かった。

「コーリィ?お菓子だぞ」

 ネッツは書斎の前でノックをしたが、返事はない。

「入るぞ」

 そこはもぬけの殻だった。

 書斎は本棚を置けるだけ置き、たくさんの設計図でも描いただろう大きな机が中心にあるのみだった。その机は立派な背版ついたものだが、本棚で壁が埋め尽くされたために、背版には都市の地下をめぐるヒャリツの図が貼ってあり、ピンでマキシカのありかも示されていた。ピンを刺したのはコーリィの仕業だろう。

 机の上にはネッツの拒絶反応が出そうなくらいの数字と数式の書かれた計算をした紙が何枚かと、ネッツとリオードとで書き写したヒャリツの記録が広げてある。紙の数枚は床に落ちており、ネッツはそれを拾い集める。

「コーリィ?どこにいったんだ?」

 ネッツはサービングカートから、書斎机の上にパイとお茶ののったお盆を移した。

 ネッツには、会ったことのないコーリィの父親の部屋など、縁のない話だ。小難しい書斎を占拠する本たちの一行でさえ、理解できないのだから。

 さて、お茶の冷める前に、ほかの部屋にコーリィを探しに行かなくてはならない。もしや、コーリィは自分の部屋に行ったのだろうか。ネッツは一通り部屋を見渡して、部屋を出て行こうとした。

 その時、机の上に置かれた黄ばんだ封筒に少年は釘付けになった。ネッツはそれにはっきりと見覚えがあった。急に懐かしい記憶が思い出される。

 その手紙をポストに投函したのは過去のネッツだからだ。

 ネッツのじっちゃんのサイン。当時よりは少し黄ばんだ紙。

 その手紙の宛先をネッツは今知った。当時のネッツはあまり字も読めず、ポストに入れるだけという簡単なお遣いをした。当時は宛先など気にも留めていなかった。

 封が開いているその手紙は、フレイザ・メグリエ宛だった。コーリィの父親の名だ。なぜ、キーウェルはコーリィの父親に手紙を送ったのか。キーウェルとメグリエ家に接点があったとは、ネッツは面食らって立ち尽くす。

 手紙の中身を見てしまおうか、今のネッツになら読めるはずだ。

 勝手に見てはならない気がした。それはフレイザ宛のものである。いや、キーウェルが書いたのならば、ネッツが見る権利もないだろうかとせめぎ合う理由を並べる。

 そう思ったとき、書斎の大机がほんの少し揺れた。慌ててネッツは手にした手紙を机の上に置いた。

「あら、いたの?」

 机の下から這い出してきたのは、コーリィだった。コーリィは机の下で何か探していたのか、少し髪が乱れ、頬が赤い。

「ナガレがお茶とお菓子だって。なんでそんなところにいたんだ?」

 コーリィはネッツの言葉に耳を傾けずに、ナガレの作ったベリーパイに視線を落とす。コーリィの顔は曇ったままだ。

「お茶が冷める前に、いただきましょう」

 コーリィが書斎卓の立派な肘掛のついた椅子に、ネッツは小さな木の丸椅子に腰掛けた。

 ネッツは聞きたくてしょうがなかった。

 甘くて温かなベリーパイを一口頬張って、飲み込んだあと、ネッツは手紙を指差した。

「この手紙、キーウェルからだよな?」

 唇にパイのかけらととろけた赤紫色のベリーをつけて、前のめりのネッツに、コーリィは少し考える顔をする。

 コーリィとネッツの間接的な接点は、少なくとも4年前からあったということだ。コーリィがネッツからキーウェルの名前を聞いた時に何か知っていそうな顔をしたことも、これで説明がつく。

「ネッツのおじい様と私の父の関係、手紙の内容を知りたい、と?」

 ネッツは頷き、コーリィの言葉を待っている。いつにでもなく真剣な目だ。

「マキシカを作ったハージ・M・マキシカと、メグリエ機関を作ったオリーナル・メグリエという人が昔いたの」

「博物館で絵が飾られてたのは、男の人2人だったな」

 ネッツは博物館で2人の肖像画を見ていたが、どちらも男性だった。

「オリーナルは、肖像画のタートスの姉で本当のメグリエ機関の発明者よ。彼女は写真も肖像画も嫌って、当時、女性の発明者が珍しがられたから、弟のタートスが発明者ということになってるの」

 ネッツはなぜコーリィが発明者たちの話をしたのか、怪訝な顔をしている。

「熱量と機械の革命を起こし、近代のスナバラ発展に貢献した発明者たちにつづいて、もう一人、貢献した人物になるはずだった方がいたの」

「もう一人?マキシカを作った人と、メグリエ機関を作った人、もう一人すごい人がいるのか?」

「マキシカの守護者と呼ばれたはずの人物、キーウェル・ヒサーマ、ネッツのお祖父様よ」

 ネッツはぽかんとした。都市博物館でも、この二人の肖像しか飾られていなかった。都市の発展に寄与し語られる偉人には、幻の三人目がいたなんて、ネッツには初耳である。

「じいちゃんが!?すごいことをしたのか!?」

 ネッツは目を輝かせた。

 ネッツは本当の苗字を知らずに孤児院に移ることになったらしく、出自がわからない。孤児院ではネッツ・トッドマリーと名乗っていた。苗字がなかったり苗字が不明な子どもは便宜上、トッドマリー姓になる。しかし、彼を四年間育てたミセス・トッドマリーから、彼の本当の名前をコーリィは聞いたのだ。ネッツこそ、キーウェル・ヒサーマの孫、ネッツ・ヒサーマである。彼はそれをまだ聞かされていなかった。コーリィから話すのは問題ない。今のネッツなら理解できるはずだ。

「そう。キーウェル・ヒサーマ氏はマキシカ管理局を作り、都市中のマキシカの管理と安全を守ることに尽力した偉大な人物。夕方にマキシカ使用を止める音楽を流すことを始めた方よ」

 ネッツは嬉しそうに照れた表情になった。自身がそんなすごい人物に育てられたことは、彼にとっての誇りであろう。ネッツの得意げな笑顔が緩む。

「そっか、じっちゃんが・・・!」

 キーウェルはヒサーマという姓をネッツの前で名乗ったことはなかったのだろうか。彼がネッツのことを育ててくれたが、ネッツが実の孫だともそうではないとも告げなかったのかもしれない。だから、ネッツはキーウェルとの関係を明確には知らないままだった。

「彼はネッツの母方の祖父にあたるわ」

 ネッツが覚えている一番古い記憶にはキーウェルがいた。ネッツがキーウェルと血縁関係にあるか知らなかったのは、容姿の共通点が見つからなかったこともある。

 白髪のキーウェルと赤毛のネッツ。落ち窪んで瞼の重いキーウェルの瞳の色がネッツと同じ赤みがかった褐色であるかも今ではわからない。子どもと老人では、顔立ちや手足の形など骨格の共通点も見つけにくい。だから、ネッツはキーウェルと血縁関係があることが明確にはわからなかった。

 しかし、キーウェルがフレイザに送った手紙には、ネッツが血のつながりのある孫だと書かれていた。また、キーウェルがネッツを孤児院に預ける際、ミセス・トッドマリーにはネッツの出自を告げていたが、ヒサーマの名はまたしばらく隠すことに決めたという。

 コーリィは書斎の本棚に置かれたいくつかの写真立てのうちの一つを手に取った。色のついた写真もあれば、白黒のものもあり、若い恋人どうしの写真や赤ん坊を抱いた女性の写真、いくつかの黒い柱の前で多くの人々が写る古い写真もある。

「この方がネッツのお爺様、若い頃ね」

 白黒の写真は少し茶色に変化し、陰影だけで写しとられた古いものだった。七人が写真に収まるよう窮屈に並んで写っている。右から二人目をコーリィは示す。

「これが、じっちゃん!?」

「そう」

 七人が集まって写った写真は人物が小さく見えるが、まだ青年のキーウェルははにかんだ笑顔に見えた。髪は暗い色のようで、老人のキーウェルの面影がある気がしたが、別人にも見える。撮影された年代から、キーウェルが20代の頃だとコーリィはフレイザから聞いたという。

 マキシカを作ったハージ・M・マキシカ、メグリエ機関の発明と販売を支援したタートス・メグリエも、キーウェルと肩を並べてその写真に写っていた。写真に映るそのほかの人物はハージの兄弟や従兄弟だという。メグリエ機関を発明したオリーナル・メグリエは写真に映るために1秒たりともじっとしていたくはないと写真に写らなかったそうだ。当時はメグリエの魔女はその姿が写真に写らないと噂されたが、写真嫌いが一枚も撮らなかったことがその噂の原因である。

 背景は修理屋のような部品や機械がおいてある建物の前のようだ。写真にはっきりと写るよう、明るい場所を選んだからか、皆眩しくて目を細め笑顔だった。

 ネッツは自身の起源を知ったことにすっかり、ほおを高揚させた。博物館で都市の発展に貢献した英雄のような二人と、キーウェルが一緒にいたことに驚き誇らしげだ。自身がまるで特別な人間だったと嬉しそうにしている。

「なんでじっちゃんは、マキシカの守護者になれなかったんだ?」

 ネッツにはその疑問が湧くのは必然だろう。スナバラの偉人の1人になっていてもおかしくないような人物なのに、マキシカやメグリエ機関の発明の歴史にキーウェル・ヒサーマの名は一行も出てこない。

「それは、マキシカ家とメグリエ家、ネッツのお祖父様が対立したからなの」

 彼は歴史の陰に埋もれてしまったために、都市の発展に貢献した偉人に数えられることはなくなってしまった。

「対立?じっちゃんが!?」

 キーウェルが都市に貢献した二つの家の人間と対立して言い合ったなど、ネッツには想像できない。ましてや、マキシカ家やメグリエ家といったスナバラで確固たる地位を築いた家に刃向かうなど、晩年の穏やかなキーウェルしか知らないネッツには信じられなかった。

「ネッツのお祖父様がはじめに、メグリエ機関が万年機関ではないと主張したの。勇気のある行動よ。メグリエ機関を開発した私の曾祖父さまだって、半永久的に動くと初めは信じてきっていた」

 若きキーウェルはマキシカとメグリエ機関の開発に携わり、マキシカを安全に使うためのさまざまな規定の基盤を作ってマキシカの守護者となる人物であった。マキシカの過稼働を危惧し、声を上げた。

 マキシカとメグリエ万年機関を過信していたマキシカ家とメグリエ家は、彼を表舞台から追い出した。

 今ではもう詳しいことはわからないが、自身の生み出した発明を過信した二人と、それを信じながらも心配した一人の構図だっただろう。

 そのキーウェルが晩年に、メグリエの家に手紙を出した。ネッツがポストに入れに行った手紙だ。

「その手紙は、ヒャリツのマキシカの暴走の危険性を知らせるもの。それを見た私のお父様と叔父様は四年前にヒャリツのマキシカを停止させる旅の支度を始めたのだと思うわ」

 四年前といえば、ネッツが孤児院に移った年だ。

 キーウェルはもう先が長くないことを察し、ネッツを孤児院に預けることに決めた。同時期にメグリエ家にヒャリツのマキシカのことやネッツのことを知らせる手紙を書いたということだ。

 ネッツとキーウェルの関係、そして、メグリエ家との接点がはっきりしたが、ネッツは一つ気がかりなことがあった。

「じっちゃんは、メグリエやマキシカの家と喧嘩したのかもしれないけど、ヒサーマって名前は教えてくれても良かったんじゃないか・・・」

 コーリィはそこで口をつぐんだ。しかし、何も知らないネッツが可哀想になった。コーリィが話し始めたのは、キーウェル・ヒサーマが人々に誤解されてしまった話だ。

 ネッツが生まれるずっと前、キーウェルはハージやタートス、オリーナルと共に新しいマキシカを生み出す仕事に関わっていた。マキシカの稼働を見ていた彼は、第一世代が普及しつつあったマキシカの安全な使用に危機感を持った。一日中、昼夜を問わずに働くマキシカは点検や熱量の制御を誤ることがあった。大きな事故にはならなかったものの、制御不能や無理な使い方をして一部が壊れるマキシカが出てきた。その修理に携わってきたキーウェルは、永久に働き続けられると信じられていたマキシカにも、点検と効率の悪い夜の稼働をやめること、そしてマキシカ管理局を設立するべきだと言う考えに至った。

 キーウェルの主張が広まり、賛否両論の声が出始め、議員の中にも賛同する人が現れた。管理局を発足させることになった頃、千日干乾がスナバラを襲った。ヒャリツのマキシカの設置にも彼は関わっただろう。その後、キーウェルは千日干乾の終わりごろに、当時、流行していた感染症にかかったせいで、しばらく高熱が続いた。幸運にも回復したキーウェルは、熱にうなされたせいで、言動がおかしくなったと言われた。常に怒っているようで、声を張り上げていたのは、マキシカの暴走を心配していたからだったというのに、それは、熱病の後遺症だと皆が決めつけたのだった。

 やがてキーウェルは皆に煙たがられ、自身が作った組織であったマキシカ管理局から追放された。しかし、キーウェルはすでに高熱の感染症を完治させていたし、発症する前からメグリエ機関の永久性には疑問を持っていた。大きな機械の事故は人の命に関わることになる、だから安全に永久に利用できると過信してはならない、そう主張し続けた。メグリエ機関の点検、使用時間の規定、暴走の可能性までもが彼の頭にあったのだ。

 しかし、それをよく思わないのは、自身らの発明を過信したハージとタートスの二人であった。

「今は、ヒサーマという名を聞いても驚く人は減ったけれど、当時はマキシカ家とメグリエ家と敵対する人物だと危険視されていた。ネッツが大きくなって、よく考えて名乗る名前を決めてほしい。そうキーウェルさんとミセスは考えているわ」

 ネッツがネッツ・ヒサーマでないのは、大人たちがネッツを思ってのことだった。ネッツがヒサーマと名乗れば、まだスナバラには顔をしかめる人間もいるかもしれないというのだ。

 キーウェルは、表舞台から姿を消して反撃の日を夢見ていたのか。それとも、マキシカの硬い金属の鳴き声から離れて静かに暮らしたかったのか。今ではわからない。

「そっか。だから、学園で俺がネッツ・ワマールなんだ」

「ええ、少し様子を見た方がいいと思ったの。ヒサーマの名に驚く人もいるだろうし、暴走事故の真相が分かるまでは」

 孤児院で苗字がわからない子どもはトッドマリーを名乗っていたから、ネッツ・トッドマリーを名乗ることもできた。コーリィはナガレと相談し、ナガレの遠縁の子どもとしてネッツ・ワマールとした。それはミセス・トッドマリーの失踪事件の関係者であることを隠すためだ。

「あいつら逮捕されたから、きっと全部わかるはず!そうしたら、ヒサーマって名乗りたい」

 ネッツは自身の本来の名に歓喜していた。マキシカ暴走事故を故意に引き起こした計画の全貌が明らかになれば、その日も来るだろう。

「キーウェルさんがマキシカの守護者と呼ばれていたら、ネッツも最初からネッツ・ヒサーマだったはず。キーウェルさんは純粋にマキシカとメグリエ機関を悪者にしたくなかった。だから、頑丈であっても永久に動き続けると決めつけてはならないと言ったの。今になって、それは正しかったわ」

 ネッツはコーリィの言葉に顔を上げた。

 今のマキシカの暴走はマキシカやメグリエ機関が悪者になっているのだ。

 メグリエ万年機関と呼ばれ、太陽の熱と自身が生み出す熱でいつまでも熱量を生み出す。半永久に動き続けるための頑丈な機械マキシカ。人々が過信したことも暴走や事故につながったのだろう。

 暴走マキシカの事故でネッツは危うく命を落としかねなかった。暴走したマキシカは街を壊したり、マキシカを使っていた人を悪者にすることだってあった。

 キーウェルはそれを予測して、マキシカの冷却や使用の停止、点検の頻度をマキシカの持ち主たちに訴えたが、取り入れられることはほとんどなかった。頑丈な疲れを知らぬ機械に、熱から作り出させる熱量にそんな暴走するほどの力はないと人々はマキシカを働かせ続けた。マキシカは人々が夢見た、永久にヒトの下で働く従順な魔法のような機械だったのだ。

 ネッツやコーリィが、今、メグリエ機関とマキシカを悪者にしないためにいる発明者たちの子孫なのかもしれない。

 そして、ネッツの祖父を表舞台から退場させたメグリエ家の子孫として、謝罪の意を込めてコーリィはネッツを拾ったのではないか。

「コーリィは、俺がキーウェルの孫だからここにおいてくれたのか?」

 それなら、コーリィがネッツに優しくしてくれる理由もわかる。キーウェルへの謝罪のため、すでに叶わない謝罪を子孫に託されたのだとしたら。

「最初にテイラーマキシカの前で会った時、ネッツが孫だなんて知らなかったわ」

 コーリィは平然と否定した。

「あぁ、そうか、キーウェルの話をした時か」

 コーリィにキーウェルからもらった指輪のことを話した時だ。

 あの時。コーリィの持つ青い石のついたブローチとネッツの赤い指輪を触れさせて光を放った時。ネッツはコーリィに指輪はキーウェルからもらったと言った。

 その時に、コーリィはピンときたのだろう。キーウェルとは赤毛のキーウェル・ヒサーマのことだと。

「さて、ヒャリツへの秘密の入口を見つけたし、お父様と叔父様がヒャリツいることもわかったわ。出発の準備をしなくちゃ」

 コーリィが見つけたのは、コーリィやネッツが余裕で通れるほどのヒャリツの入り口のことだった。

 コーリィが書斎で考えていたのは、父親が旅に出た日の違和感だったらしい。

 三ヶ月ほど前、コーリィの父親はコーリィとナガレに手を振り、表の戸から旅立っていった。その日の晩、書斎に入っていく人影をコーリィは見たのだという。それは細面のナガレではなかった。見慣れた影は父親だったのだ。

 書斎に入った父親が書斎で消えたことを、コーリィは謎に思っていたらしい。だから抜け道を探した。

 案の定、コーリィの思惑通り、立派な書斎机の下にヒャリツに行ける隠し扉があった。

 その扉の下にはヒャリツへ続く鉄の梯子が取り付けられていた。その梯子の右側の壁に、名札をかける釘がいくつか打たれており、二枚の札がぶら下がっていた。

 それは、ヒャリツの中を点検する者がヒャリツの中にいることを地上の人間に知らせるための、作業札であった。

 元来、名前を刻んだ札をぶら下げてはいたが、昔使われていたものをそのまま利用したのだろう、既に札の名前は読めないほどに古くなっていた。しかし、二人がここからヒャリツに入り込んだことは明確だった。

 その二人こそ、コーリィの父フレイザ・メグリエと叔父ミッゲル・ファンだろう。


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