第41章 彼女の賭け
フュールイ学園から帰宅したコーリィとネッツは、ナガレの出迎えを受けた。ネッツは店先に作った囲いの中にいるワッカのところに真っ先に行く。もともと人懐っこかったワッカはネッツに慣れ、いつもならネッツを見ると嬉しそうに駆け寄ってくる。その時のワッカは黄色に染まった毛を逆立て、少し気が立っているようなそぶりを見せた。
「おかえりなさいませ、お嬢様。お客様がお待ちです」
ナガレはにこやかに言ったが、それは何か別の意味もあるような様子だった。
「誰かしら?」
知らない人間が来たから、ワッカは怖がっているのだろうか。知らない人間を警戒するのは動物も同じである。
「月刊ミカイの記者のアム・ニューパーさんです。どうしてもお嬢様とネッツ坊ちゃんにお会いしたいと」
コーリィの緊張の糸が一瞬で張り詰める。指名されたネッツは怯えるばかりだ。
「調べてきたということかしら」
「そのようです」
「わかったわ」
コーリィはナガレに耳打ちした。
「わかりました」
ナガレは頷き、ネッツの方を見た。
「ネッツ坊ちゃん。少しお手伝いをお願いしたいので、先に台所に行っていてくださいませんか?手を洗っていてください」
「うん?わかった」
不思議そうな顔をしたネッツは台所に向かった。それを確認し、コーリィは待たせている客のいる応接間の扉を開けた。
ナガレの入れた紅茶を飲みながら、部屋で待っていたのは、若い女性だった。
臙脂色の淵の眼鏡、灰色のシャツ。暗い茶髪の髪は女性にしては短めで、一見、少年のように見える中性的な風貌は、人懐っこく初対面であろうと相手の警戒心や緊張を緩和する効果があるのかもしれない。右手にはペンだこがある。
「お待たせして申し訳ありません。コーリエッタ・メグリエです」
コーリィの顔を見た途端、彼女はぴっと背筋を伸ばし、あんぐりと口を開けた。
「あ、あの、えっと、礫出版のアム・ニューパーと、申します。『月刊ミカイ』の記者をやっています」
上ずった声で彼女は言った。記者としても、若いほうだ。コーリィを前にして緊張した面持ちだった。
「その雑誌は知っています。先日の件でしょうか?ナガレから聞いています」
「はい!お時間をとっていただき、ありがとうございますぅ!」
彼女は感極まったように喜んだ。しかし、コーリィがその雑誌を知っているのは、彼女が喜びそうな理由からではない。以前、マキシカの暴走は神の怒りという記事を載せた雑誌だからだ。マキシカは神の持ち物であり、人が手にするものではなかったとしたその記事は、もちろん眉唾物の筆頭である。
「マキシカ暴走事故に巻き込まれた少年の件で、真相を明らかにする記事を書きたいと思いまして、その渦中といいますか、メグリエ家に正式に取材を申し込みにきた次第です!」
アムは緊張して逆に饒舌になったかのようにハキハキと答えた。武者震いをし、単身で乗り込んでくるようなその行動力は、編集部で飛びぬけた彼女の能力と評されていることだろう。
マキシカ暴走事故で死亡したとスナバラ・タイムズ誌に掲載された孤児の少年。それを覆した訂正記事をスナバラ・タイムズ誌は掲載していなかった。ネッツが生きていることを隠すためなのか、まだ全貌が明らかになっていないからか。そもそも、孤児の少年の死を報道したのは、スナバラ・タイムズ誌のみで、他の新聞各社は事故に巻き込まれた少年について報じたものはない。スナバラの中で最も発行部数が多いスナバラ・タイムズ誌は人々の目に留まり、いまだに人々はネッツがマキシカの暴走事故で亡くなったと信じているか、すでにそのことも忘れ、マキシカの暴走事故の恐ろしさばかりに気を取られていることだろう。
まだ事件が解決していない最中で死んだとされた少年が生きていると訂正する記事を載せるとは、新聞社に喧嘩を売ることになる。しかし、この雑誌なら、少し趣が違ってくる。
「そのような記事を掲載するような雑誌でしたでしょうか?」
コーリィの意見はもっともだ。『月刊ミカイ』はネッツがお小遣いで初めて買った雑誌である。ネッツは表紙に書かれた巨大な動物の絵に惹かれたようだ。それは太古の昔に存在した巨大生物を、化石から紐解いた研究結果を紹介する科学雑誌とは少しずれていた。
オカルトよりの雑誌、またはフィクションをあたかも真実味のあるように書く類の雑誌だとコーリィは認識していた。ネッツが手にした雑誌は、スナバラを囲む礫砂漠に住む巨大生物の存在を特集としていた。かつて巨大な生物は存在したことはわかっているが、すでに化石となり絶滅している。それが今も広い礫沙漠のどこかにいると主張した記事を載せた。それも、足跡だと主張する砂漠にできた凹みや、都市から飛んできた人工物か薄く割れる岩石をその生物が残した大きな鱗だと主張している。
ほかにもヒャリツにいると言われる妖精の痕跡、スナバラの都市が四角錐の巨大建造物に似ており、その秘めたる力があるという記事、スナバラにかつて栄えた古代文明の儀式についてなど、少し可能性のありそうな状況証拠を誇大解釈し、新しい物語を作り出してしまうのがその雑誌の癖だ。
だから、この雑誌が真相に迫る記事を載せたとしても、ネッツの死を知って、心を痛めた人間の気休めにしかならない架空の物語と思われてもおかしくはない。ましてや、ネッツのことを過大解釈され、根も葉もない話を付け加えられることはなんとしても避けるべきだ。コーリィが『月刊ミカイ』の記者を警戒したのはそれが理由だった。
「はい、ごもっともです。しかし、私はスナバラ・タイムズが認めない事実をきちんと皆に知ってもらいたい。科学雑誌の端くれとしてですが・・・」
アムは自身の雑誌を科学雑誌といったが、少し視点の違う雑誌という自覚はあるらしかった。彼女は自信がないのか、コーリィからよく目をそらす。
コーリィは考えた。ネッツの死が嘘であることを証明することはできたとしても、スナバラの多くの人間はそれを知らぬままだ。訂正記事が未だに載せることのないスナバラ・タイムズが間違いを認める兆しがない現状で、別の媒体から真実を語っても、それが似非科学のような雑誌であるために、信じてもらえるのか疑問が残る。
「ラゥル・コソックとロマーク・クラムが逮捕されたから、いずれ明らかになることでは?」
コーリィはそうは言ったが、警察の取り調べ、裁判などを経てから事実が公になるのでは、すぐにとは行かない。主犯と言われる二人が逮捕されたとはいえ、マキシカの中からメグリエ機関を盗み出した人間やほかにもまだ明らかになっていない彼らの計画に関わった人物がまだ存在するだろう。ことのすべてが明らかになるまでには月日を要し、その時には赤毛の被害者のことなど、スナバラの人々はとうに忘れ去ってしまうだろう。コーリィが少しの迷いを見せたら、記者は口を開いた。
「孤児の少年は亡くなったことにされ、彼の遺体を隠した疑いが晴れるのに時間がかかるかもしれません。ラゥル・コソックがスナバラ・タイムズの記者であることから、スナバラ・タイムズは保身に走るはずです。そのままでいいのですか」
正義感が彼女を突き動かすのだろうか。熱意のある彼女に押されつつも、コーリィは冷静でいるように努める。コーリィは言葉をぐっと飲み込んだ。訴えかける彼女も、それだけでは冷嬢の心を揺さぶることができないと考えていたのだろう、おもむろにノートを取り出した。
「少年の死亡診断書にサインした医師を突き止めました」
アムは本気さを示すために、件の医師を突き止めたことを話し始めた。この情報で一つ、コーリィと信頼関係を結ぶきっかけとなるか、アムにとっての賭けであった。
ネッツの死亡は役所に届けられている。その前に、マキシカの事故により死亡したと判定した医師がいなくては、役所に提出する書類が用意できない。ましてや、マキシカ暴走事故の翌日に新聞に掲載されるほどの早さを見れば、ラゥル・コソック達が事前に綿密な準備をしていたことがわかる。コーリィは、ネッツの死亡診断書は偽造された文書だと考えていた。医師の名は調べれば、実在非実在は判明するため、実在の医師の名を借りているだろう。確かめる方法がないような、都合のいい医師を見つけ出し利用したはずだ。
「はい、その医師はかなり高齢で、既に診療所をたたんでいたんです。つまり、死亡診断書を偽装するために雇われていた」
コーリィの読み通りだ。それを記事にしても、ネッツの死の真相はわからない。ラゥル・コソックの企みの全貌の物語を記者は書くというのか。
「それを記事に?」
「それだけではありませんが、これ以上、調査を続けるためには、編集長を説得しないとならなくて」
アム自身がマキシカの暴走事故の不可思議な背景に興味を持ったようだ。マキシカの暴走事故と、メグリエ家の当主の不在に何か理由があるのではないかと最初はメグリエの近辺を調べ回っていた。最初に彼女が考えていた仮説は、ナガレの話で偽りだったと気づいたのだった。
編集長にそれを報告したアムは、どうしても確認しなければならないことが一つあった。そもそも死んだ少年すら幻であるかもしれない。マキシカ暴走事故は目撃者がいる。しかし、あの少年のその後を知っている人間は限られていた。アム自身の目で、その存在を確認しないとならない。
「まずは彼に会わせてください。私がこの目で見たのならば、編集長を説得できます」
アムは真剣な眼差しだった。マキシカ事故に巻き込まれた少年自体がでっち上げで、そんな少年などいないことを疑うのは、コーリィも頷ける。
マキシカ事故の混乱のさなかだ。孤児院の少年が巻き込まれたのか否か。その少年が亡くなったことを件の医師以外が確認したのか。なぜ、少年がその現場にいたのか。孤児の少年がそもそもいたのか、その事実さえ疑われるのは仕方がない。
「確認のためにお聞きします。"彼"について知っていることは?」
コーリィは慎重にならざるを得ない。
「孤児の少年で、名前はネッツくん。赤毛だと聞いています」
「もし、ネッツが暴走事故で亡くなり、私がメグリエ機関やマキシカの印象を悪くさせないために、ウミナトから赤毛の少年を連れてきたとしたら?」
コーリィは少しだけ意地悪なことを言った。メグリエ家がネッツは死んでないと主張しても、必ずこの批判が出るだろう。だからいくらここに赤毛の少年を連れてきても、その疑いを晴らすことはできない。
アムは首を横に振った。
「私も最初はそう考えていました。しかし、スナウミ鉄道なら顧客名簿がありますし、秘密裏に赤毛の少年を連れてくるのは困難です」
「貨物に紛れ込ませる方法は?スナバラ内のどこかから連れてきた子どもを赤毛に染める方法もある。ネッツがあの孤児である証明ができないと、疑いは晴れないわ」
アムは勘ぐってしまい、言葉に詰まっている。コーリィは息を吐いた。
「ごめんなさい。この批判が想定されるから、貴女の答えが知りたくて」
「はい。確かに、私が赤毛の少年に会ったら、編集長は記事を載せることに反対はしません。しかし、赤毛の少年が本物かを疑う批判的な読者もいます」
アムはコーリィから試されている読者を納得させる難しさを理解し、頭をひねる。
「確か、共同墓地には埋葬記録がないと新聞にあったけれど、それは逆に彼が死んでいないからだと言えます。ウミナトから来ていないこと、貨物に乗せられていないことを彼自身が証言してもらって。マキシカ事故の目撃者にも聞いて・・・いや、マキシカ家が関わっているとなると・・・」
アムは読者を納得させる方法を考え続けた。
「代わりの少年を連れてくるくらいなら、真実に近づく貴女を消す方が簡単だと、マキシカ家なら言いそうだわ」
アムはぽかんとした。
「マキシカ家ってやっぱり!」
まるで開けてはならない箱を開けてしまったかのようにアムは驚いた。
「冗談よ。マキシカ家は相変わらずそんな風に思われているのね」
マキシカで財を成したマキシカ家には、妬んだ者による信ぴょう性のない悪評がつくことはある。大抵は誰も信じていないのだが、スナバラで最も権力を持つとも言われるマキシカ家なら、人一人消すことだってできるのではないかと、ひとつやふたつ噂があったことなんて珍しいことではない。
「新聞社を相手に、記事の事実を覆すには、すべての可能性を消して、マキシカ事故に巻き込まれた少年がいて、何者かによって仕組まれたことだと証明しなくてはならないわ」
新聞はスナバラの人々の情報源として信用されている。その記事を覆すのは、新聞社が自社の新聞に誤りを認め、訂正記事を載せる方法だろう。しかし、未だにそれをしていない。間違いを認めないのか、それとも事実を明らかにさせない圧力がかかっているのか。
「わかりました。まずはその医師に会ってきます。書類を提出した人物やロマークとコソックの交友関係も洗い出し、全てを明らかにします」
「出版前に見せてくださる?」
「はい。こちらもメグリエ家を敵に回したくありませんから」
アムは勢いづいて言った。新聞社がネッツの死亡を覆さないのも、ラゥル・コソックが新聞記者だったからではないだろうか。これ以上、不確定要素のあることを新聞記事にすることは、新聞社の信頼が揺らぐことになる。現在は、マキシカが故意に暴走させられるのか、マキシカの使いかたの見直し、修理屋による点検が混雑したといった方に市民の意識が向いている。そこに新たな取材、死亡診断書を書いた医者を探し、共同墓地への埋葬記録、役所での書類、目撃者などを詰めていく余裕などないだろう。
ネッツは生きている、それを証明してくれる一つの方法としては悪い話ではなさそうだ。大手の新聞社ではなく、半分は可能性があると言われるような記事を載せる月刊ミカイ、その新たな仮説の提案という切り口でなら、新聞社にも目をつけられることもないだろう。アムの真実を追う熱意は信用ができそうだった。
「ネッツを呼んでくるわ。ネッツには、マキシカ暴走事故の生還者という体で取材をお願いします。まだ全貌も見えていないし、ネッツに辛い思いをさせたくないから」
アムは驚いた顔をした。
「はい!彼を苦しめることはいたしません!」
コーリィはネッツを呼びに部屋を出た。ネッツは台所で野菜の皮を剥いていたところを、コーリィに気付いて不思議そうな目で見ていた。
「ネッツ。これから、月刊ミカイの記者アム・ニューパーさんを紹介するわ。一連の事件を明らかにしたいと、ネッツを取材したいんだって」
「俺に、取材!?」
ネッツは驚きと喜びを隠せない表情だった。まるで有名人になったかのようなネッツの喜びように、コーリィは戸惑いながらも、はしゃぎすぎないよう、ネッツの目を見て告げる。
「落ち着いて。お客様に失礼のないように」
「うん!」
コーリィは期待するネッツを連れて記者の待つ部屋に入った。
「ニューパーさん、こちらがネッツです」
わくわくするような顔で、不自然な笑顔を作った赤毛の少年は、若い記者の前に立った。
「あの赤毛の少年・・・ネッツくん!私、月刊ミカイの記者のアム・ニューパーです」
物珍しい美術品でも見つめるように、その存在を信じられないアムは少年をじっくりと眺める。
「あの・・・」
眼鏡の向こうで、彼女の褐色の瞳がキラキラして、ネッツをまるで絶滅危惧種の動物かのように見つめている。ネッツは恥ずかしさと火照りを感じ、気まずくなってきた。
「コーリィ、ミカイってあの沙漠に住む生き残り恐竜の雑誌?」
コーリィはそうとだけ答えた。ネッツは驚き、目を輝かせる。
「先月号を読んでくれたんですか!是非、今月号を読んでください」
アムは最新号の雑誌を鞄から取り出し、ネッツに差し出す。
「これ、もらっていいのか?!」
ネッツは目を輝かせた。ネッツがお小遣いで買った先月号は、絵も多くネッツは読むことができた。わからないことの方が多かったが、ナガレやコーリィに尋ねて理解することができたし、知らない話ばかりで面白かった。
「どうぞ。熱心な読者が増えて嬉しいです」
表紙はスナバラにかつてあった文明の文字が並んだ石板だった。コーリィはそれに釘付けになった。なぜなら、書斎で見つけた暗号のような文字が印字されたあの紙切れと似たような模様がその石板に刻まれていたからである。
「いくつか質問してもよろしいでしょうか?答えられることだけでいいので!」
アムは意外な読者に沸き立つ思いだったことだろう。それが存在さえ疑われていた赤毛の少年なのだから。
「わかった」
ネッツがあの日なぜマキシカ事故に巻き込まれたか、その経緯をアムは知りたがった。コーリィの隣でネッツは話す。ネッツが話している間、コーリィはネッツが受け取った雑誌を手に取り、石板の表紙の月刊ミカイのページをめくった。暗号のヒントが書かれてるかもしれないからだ。
特集として組まれたその古代文字の解読の記事は、様々な言語体系や文字の表記の基礎性から、一つの説を挙げていた。
古代文字とコーリィが見つけた紙切れの暗号で一つだけ違ったのは、四種の記号を使うことは変わらないが、一つの記号だけ異なっていたことである。古代文字の解読の結果、それはカレンダーのような、日と季節の移り変わりを記録したものと結論づけられていた。日々どう行動すべきか、模範となる行動や運命を記したものだという。
しかし、各文字がどう対応しているのか、日々の運勢をたった四種の記号で示せるのかは謎のままだった。答えが得られず、コーリィは雑誌を閉じた。
ネッツはテイラーマキシカの暴走事故に巻き込まれたあの日のことをアムに話した。
暴走したマキシカが怖かったこと、コーリィが助けてくれたこと、ラゥル・コソックがイルズ・カーンと名乗って孤児院に通ってきていたこと――
「ネッツくん、ありがとうございました」
記事にするのが楽しみすぎてアムはすぐにでも書き始めたいようだった。
「どんな記事になるんだ?」
「ネッツ君が間違いなく生きてるってことを書きます。必ず掲載します」
アムはそう言い切った。
「楽しみにしています」
コーリィは静かに言った。
「コーリエッタさん、ネッツくん、ご協力頂き、ありがとうございました」
明るい表情でアムは去って行った。メグリエの屋敷の周りを窺っていた時の彼女は、疑念を抱いていたが、事実が少し明らかになるにつれ、謎に近づいていると自信を持てたのだろう。
これは賭けになるだろうか。疑惑とネッツの存在が良い方向に向かうことを願うのみだ。




