第40章 地層の崩壊
博物館を後にしたコーリィとネッツはフュールイ学園の図書館に向かう。ネッツは雨季休みの学校に行くことが不思議なようだ。
フュールイ学園付属図書館は、一学園の図書館という位置づけながら、その長い歴史と蔵書数から都市の図書館も担う都市一の図書館であった。蔵書数は、一般書もあれば、専門書まで、スナバラで出版された本はほぼ全て、世界中から集めてきた都市外の本もここに収められている。
学園の正門をくぐる。切り出した石を積み上げて作った立派な門構えは、かつて貴族のみが通うことが許された学園の名残である。なぜなら、その石材は珍しい深緑色をした鉱石で、今では値段がつけられないと言われている。
雨期休み中の学園は人がまばらだ。正門の脇の小屋にいる守衛にコーリィとネッツは挨拶して、少しだけ静かな学園を歩く。
二人が学園に来るのはアグリマキシカの暴走事故以来だ。第一世代のマキシカで稼働しているものは減っており、暴走したことで、今は入念に点検を受けているところだろう。
コーリィの図書館に向かう足取りは迷いがない。何度も通った道だからだ。ネッツの方が学園になれる間も無く、早めの雨期休みになってしまったから、図書館にまだ行ったことがない。図書館の場所も何もわからないネッツは、コーリィに少しだけ遅れてついてくる。
向こうから見慣れた人物がやってきた。
「やぁ、コーリエッタ君、ネッツ君」
眼鏡に笑顔を浮かべていたのはカミーエ・テンヘンだ。構内では煤けた白衣が目立つので、すぐにわかった。
「御機嫌よう、テンヘン先生」
肩まで伸びた髪を一つにくくり、角ばったフレームの眼鏡、やる気のないシャツを隠すような白衣が彼のトレードマークだった。
「マキシカが暴走したり、大変そうだけど、元気かい?」
ひらひらと右手を振るテンヘン。その手にはすっかり治った傷跡がある。
「はい」
コーリィとネッツは答えた。
「そりゃあよかった。こっちは、僕の偽物が現れて大変だったよ。警察も来たんだ」
テンヘンは笑い飛ばした。偽物とはラゥル・コソックのことだ。確かにカミーエ・テンヘンとラゥル・コソックは瓜二つだった。ネッツも間違えたほどであった。
しかし、孤児院にいたネッツの前に現れていた男は、シワのないシャツ、自身の体にぴったりに誂えたベストとズボンをあわせた紳士。テンヘンはぼさぼさの頭のいかにも科学者といった風体だから、今では容易に見分けがつく。
ラゥル・コソックは、トッドマリー孤児院の関係者の前では偽名イルズ・カーンを名乗り続けた。それが偽名だと知ったのは、評議員に依頼した調査からだった。
コーリィはその男が通うテイラーを突き止め、彼を尾行して彼の郵便受けから本当の名を知った。彼がまたマキシカの暴走を引き起こすかと思われた見本市で、彼は本当に魔法のようにマキシカを暴走させた。
彼をメッセの場でコーリィが追いつめた時には、コソックは顔立ちがそっくりなカミーエ・テンヘンと名乗った。
コーリィは師を間違えることはなかった。決め手はコーリィがテンヘンと実験した時に、彼が負った右手の傷の跡だ。コーリィと実験をしていた際の事故でテンヘンが右手を負傷した時のものだ。
見本市の開かれた博物館の石畳の庭園にいたテンヘンと名乗る男の右手には傷跡などなかった。それが決め手となり、彼はカミーエ・テンヘンとは別人だと証明できたのだ。
「俺が最初に先生に会ったとき、あいつだって思ったもん」
「テンヘン先生が有名で顔立ちが似ていたから、彼も逃れるために名乗ったのでしょう」
「そんなに有名じゃないけどなぁ」
テンヘンは無邪気な笑みだ。学園では、その風貌と開かずの間と言われる部屋からも名物教師となっている。いくつかの発明も発表していることから、都市で名は売れているほうかもしれない。しかし、ネッツも知っている通り、テンヘンを見た他の教師や生徒は怯えて逃げ出させるほどの人物でもある。
「あいつ、先生の兄弟とか親戚とかじゃないのか?」
「兄弟なんていませんよ。僕はウミナトで育ったんです」
「なんでスナバラに来たんだ?」
「この学園で学びなさいと入れられました。それ以来ずっと学園から出てませんね」
テンヘンはケラケラと笑った。その言葉通り、学園に入学してからは、テンヘンは学び、そのまま学園に残って当時最年少の教員となった。簡単に言ってはいるが、ウミナトからスナバラの学園に入学するほど、彼はずば抜けて優れていたということだ。
あの部屋に入り切らないほどの書物は彼が集めた文献であるし、集めた標本だって博物館を凌ぐほど。コーリィと研究を行う前から、彼は有用な鉱物を調べている。
「登校日でもないネッツくんと卒業生のコーリエッタ君がなぜここに?」
「ヒャリツの水深を調べたくて、ミズモーの公式掲載されている論文を探しにきたんです」
テンヘンは図書館の方をちらりと見た。そして納得したような顔をする。
「冒険の行き先は、ヒャリツ?」
鋭い目線を一瞬見せたテンヘンに、コーリィはしっかり頷いた。
ヒャリツに行くことは秘密のはずなのに、コーリィはテンヘンには明かしたことに、ネッツは驚き、慌て、困惑しているようで、表情が星の瞬きのように変わる。
「それは最高の冒険先だ。探している論文はどんなのだい?」
コーリィがアリブレにもらったメモを見せると、テンヘンは満足そうに頷く。
「この論文、複写が私の部屋にある。図書館にもあるが、書庫にあるから閲覧には手続きが必要で、閲覧できるのは早くて来週だ。僕の持ってる複写なら、もういらないから持って行ってくれて構わないよ」
「すぐに!見つかりますか?」
師匠の部屋を知っているから出た言葉だ。
「――たぶん」
自信のない返答だったが、それも納得がいく。カミーエ・テンヘンの部屋は床が抜けるくらい、本や資料、標本が入った箱が積み重なっているからだ。よく運び入れたと言うほどの量の本は本棚から溢れて床に平積み。鉱物工学者だけあって、様々な石や鉱物のコレクションが箱に入って積み上げられ、隣の実験室から溢れ出すコードや部品、メモから小型の機械までが、彼の執務室に詰まっている。
テンヘンについて彼の部屋に行くと、内開きのドアはすでに半分も開かなくなっていて、床はほぼ見えない。
背の高く華奢なテンヘンは隙間を縫ってするりと部屋に入り、奥へと進む。
コーリィとネッツは部屋に入ったものの、動けば書類の山を崩してしまいそうで、ドアの前で二人並んでじっとしているしかなかった。部屋にある本がまた増えた気がする。
コーリィは部屋を見渡す。
コーリィが飛び級してフュールイ学園を卒業した半年前からこの部屋の惨状は変わらない。青緑色に光沢を持つ金属の塊、キラキラと光るガラス質の鉱物、銀の針のような結晶、透けるように薄い鉱物の切片。コーリィはテンヘンの部屋に来るたびに新しい発見をする。新しい鉱物の標本が増える場合もあれば、今まで床に近いところにあったものが、地殻変動で表面に現れることもある。
今日、コーリィが発見したのは燃えるように赫い石だった。結晶の方向が不規則に見える不思議な鉱物だとコーリィはそれを見つめる。
テンヘンは試料と本、書類の海をなれた様子で泳いでいる。
「この辺にあったはずなんだが・・・」
コーリィはふと横にそびえ立つ標本箱に目をやった。せっかく貴重な鉱物の標本の上に新しい書類がある。最近もので、テンヘンが熱量を使い過ぎているが、その使途を報告してほしいという学園からの通達のようだった。
コーリィとここで実験をしていた際には膨張石を加熱するためのバーナーやランプを使っていたのだが、それはガスや油の消費が増えるだけだ。どうやら、テンヘンは電力マキシカから得ている電気を学園に目をつけられるほどに使用したようだ。
コーリィが卒業してから、テンヘンの実験には関わっていないため、師匠がどんなことを今やっているのかはわからない。新しい実験で始めたのだろう。
コーリィはその書類が置かれていた標本箱に入った赫い色の奇妙な好物に目が釘付けになった。
他の鉱物の結晶とは違い、不規則な筋が入った石だ。赤は目を引く赫ではあるが、少し燃え尽きた灰も含んでいるような色。赤い石の中で迷いに迷った筋が透けて見える。それは風に煽られる炎が不規則に揺れたかのよう。コーリィはこんな石を見たことも図鑑で見かけたこともなかった。たいていの鉱物は、規則性のある結晶だ。規則性も四角形やひし形、六角形、針状や柱状、球体に近いものなど、鉱物の種類によって異なるが、どの角度から見てもその規則性が見つけられない不思議な赤い石だ。
テンヘンは標本や本のためには私財を投げ打つ覚悟もあると言っていた。遠くの地域から珍しい鉱物を取り寄せたのかもしれない。
あまり硬度が高い石ではなさそうなので、装飾品には使えなさそうだが、コーリィの目には印象に残るほどの赤色の鉱物だった。
テンヘンはああでもないこうでもないと言いながら、部屋の奥で紙束をがさがささせているようだ。
ネッツは妙に金属光沢のある深い緑色の岩石の標本に釘付けになっている。積み上げられた本の上に鉱物標本の箱がある。
ネッツはそわそわと手を動かし、恐る恐るその石に触れようとする。
「ネッツ、触らないで!」
赤毛がびくりと揺れる。
「テンヘン先生の収集した鉱石の中には、毒となる鉱物もあるの。その手で食べ物に触れたら、お腹が痛くなるだけでは済まないわ」
「毒!」
ネッツは驚き、目の前で緑色の光を反射する鉱物標本から遠ざかり、息を止めた。
「ネッツくんの辺りに、有毒な鉱石があったな。青色のは気を付けてくれ」
テンヘンは笑う。その青色の鉱物標本がネッツの周りにあるのかとネッツは出来るだけ動かないようにして、周りを見る。
「先生、お手伝いいたしましょうか?」
「いや、ここは危ないから、そこで待っててくれ」
テンヘンの声がした後、小さな崩落事故が起こった。積み上げた1つの塔が崩れ、その風圧がネッツのくせっ毛をなでつけた。
「テンヘン先生!」
コーリィとネッツはテンヘンが埋まった部屋の奥の方へ、そろりそろりと向かう。救出に向かい二次災害を引き起こしては、コーリィ達も危険な目に合うだろう。
崩落現場は、テンヘンの部屋にあったが見えなくなっていた机の辺りで起こっていた。
テンヘンは紙に埋もれていた。コーリィとネッツは紙を掘り、箱をどけ、埋まったテンヘンを掘り出す。
掘り出されたテンヘンは、眼鏡がずれたまま天井を見ながら大声で笑った。
「いやぁ、発掘失敗!」
「先生、大丈夫?」
ネッツが手を伸ばす。テンヘンはその手を取って起き上がった。
「ああ、私は大丈夫だ。しかし、今まで積み上げてきた地層が崩れてしまった。論文は、明日まで待ってくれないか?」
この彼の部屋は彼なりに整理されていたらしい。それが崩れたことで、目当ての論文を見失ってしまったようだ。
「明後日、ネッツに渡していただけませんか?」
「明後日?お遣いか?」
ネッツはなぜ二日後に学園に来るのか知らなかったらしい。
「明後日は登校日よ」
ネッツは雨季休みの中に登校日があることを知らなかったらしく、驚き慌てふためいている。
テンヘンは本と鉱物の水面から顔を出した。
「うん、それまでには必ず見つけておくよ!」
「お願いします」
二人は崩れた書類や本をまとめるのを手伝ったあと、学園を後にした。
通りを二人で歩くと、雨期のこの時期は少し早くマキシカの一斉停止を知らせる音楽が鳴り響く。それは熱量が得づらい時期であるからで、動いていないマキシカも多い。
コーリィと歩きながら、まだ声変わりの迎えていない声でネッツは歌い出した。
輝く太陽
風とともに沈む
朝まで力を蓄えて
再び冷めた空を照らす
恵みの 雨風 台地 めぐる
空から雨が 潤して
西から風が 吹いてくる
幾千 咲いた 花たちよ
ネッツの少年の声は、音楽が鳴り止んでも歌い続けた。
雨期の湿った風に彼の声が響く。
大地に 根を張り 葉を 広げ
東の街を 見守って
黄色の 糸が つなぐなら
紅 命 抱きしめて
夕方の音楽は二回繰り返される。夕日の歌には一番と二番の歌詞があるからだ。しかし、ネッツは音楽が鳴り止んでも歌い続けたのは、コーリィが知らない三番の歌詞だった。
「三番の歌詞があるなんて、知らなかったわ」
コーリィは歌い終えて満足そうなネッツに言った。
「じっちゃんがいっつも歌ってた」
「そう」
ネッツの言うじっちゃんとは、キーウェルのことだ。ネッツが孤児院に行く前の親代りだった人物である。ネッツによれば、ネッツの最も古い記憶では、すでに彼と暮らしていたという。
キーウェルと言われて、コーリィは一人だけ思い当たる人物があった。




