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第38章 四つの記号

 ネッツは当たり前のようにコーリィについて来た。彼はコーリィの助手の自覚がある。コーリィは何かを言いつかることを期待するネッツをさし置き、書斎を調べ始めた。

「コーリィ、俺は何したらいい?」

「まだ特に仕事はないから、ナガレの手伝いをお願いするわ」

「俺、コーリィの手伝いがしたい」

 ネッツは赤銅色の瞳でコーリィを見ている。

 コーリィはふうと息を吐く。ネッツはここでコーリィの手伝いをする見習いでもあり、ナガレの手伝いもすることになっている。彼はずっとコーリィのところで働きたいと言っていた。

「わかったわ。お父様と叔父様がどこに行ったか分かる手がかり探しを手伝ってくださる?お父様なら隠し棚や隠し扉を作ってもおかしくはないわ」

「うん!」

 ネッツは嬉しそうに書斎の本棚や壁を調べ始める。

「ネッツ、動かしたものは元どおりに戻すのよ。お父様のものを壊さないこと!」

「わ、わかった、気を付ける」

 ネッツはそうっと気をつけながら本棚を調べ始める。本棚には、本だけではなく、父が集めた木の像やキドニー状の結晶、工具や部品もある。

 コーリィは机の中のメモやノートを眺める。出来るだけ触れたことがばれないように。鍵はかかっていない。

 コーリィは、勝手に父親の書斎で手がかり探しをすることはしたくなかった。しかし、カレズ議長に父と叔父を連れてくるよう言われた今、手がかりを得るためには仕方がない。それに、マキシカに紅夜石(クレナイト)を近づけると暴走することが書かれたメモがこの書斎内で見つかったことから、重要なヒントは書斎内にある可能性が高く、書斎の探索は避けては何も得られないとコーリィは考えていた。

 父親と叔父がヒャリツの中にいるのは間違いない。

 マキシカ伯爵は二人がヒャリツに旅立ったと言っていた。そして、コーリィは父親の古い厚手のコートがクローゼットからなくなっていることに気づいた。都市スナバラは沙漠に囲まれた暑い街だ。ケルケルの毛織物に綿の詰めた分厚いコートなど、都市の中では全く必要はない。厚いコートを持っているのは、ヒャリツの点検をする職員、夜に沙漠に出る探検家か沙漠で夜間演習をするスナバラ自衛軍の軍人くらいのものだ。都市の中は夜でも昼間の熱を溜め込み気温が下がることなどないから必要がないのだ。

 メグリエ家の人間が都市から出たら密約に反することになるから、都市を出たと同じ意味の沙漠に出るという違反より、マキシカの点検でヒャリツにいるというほうが自然であろう。密約は、スナバラとヒャリツの中から出てはならないとなっている。つまり、ヒャリツにマキシカがあるため、そう定められたのだ。そうでなければわざわざ密約の条文にヒャリツと記載されるはずがない。

 ヒャリツの中への侵入が認められているのは、先代の議長もヒャリツのマキシカの存在を知っていて、この密約を結んだからだろう。密約はコーリィの祖父レイト・メグリエが議会と結んでいる。マキシカがスナバラにとって不可欠となった時期のことだろう。その構造や技術が都市外に出さずに独占するために密約が結ばれた。それからずっと、その密約に縛られたまま、メグリエ家はスナバラから一歩も出ずに過ごしてきた。それはマキシカ家も同じだった。

 ヒャリツは都市の地下に張り巡らされた洞窟だ。ヒャリツを補助するとしたら、ヒャリツの源流をたどるはずだ。しかし、ヒャリツの源流がどこかはわからない。複雑に入り組んだ洞窟は都市の下を血管のように張り巡っているが、どこに心臓があるかなど検討もつかないのだ。

「お嬢様、何か見つかりました?」

 ナガレが書斎にやってきた。ネッツは床に這いつくばって何かないか調べている。

「まだ何も。お父様は私がヒャリツに追いかけてこないよう、できるだけ証拠をなくしたのかもしれないわ」

 フレイザがコーリィに嘘をついたのは、ヒャリツという未知の場所まで追いかけてこないようにするためだろうと想像がついた。

「ナガレはお父様から何か聞いていないの?」

 ナガレはコーリィの生まれる前から、メグリエ家に仕える執事である。当主フレイザが執事にだけこっそり打ち明けたこともあるかもしれない。

「いいえ、何も。フレイザ様の信頼を勝ち取ることができず」

 ナガレは少し寂しそうにそう答えた。メグリエ家に家族のように仕えてきた彼にも、当主は何も言わずに出ていったということだ。娘に心配をかけないように、コーリィの父親は証拠を消して旅立ったのだろう。失踪した時期の早い叔父ミッゲルは先に行っており、ヒャリツの中で合流したとコーリィは考えていた。

「ヒャリツのマキシカは千日干乾(せんにちかんかん)の時に設置されたと考えて良さそうなのだけど」

 千日干乾とは四十年前に都市を襲ったおよそ三年間雨期がなかった日々の事だ。年に二回、大雨期と小雨期のあるスナバラに、三年間、ほとんど雨期が来なかったことがある。雨期の終わりから次の雨期まで、一千日程あったことから、後々その名で呼ばれるようになった。

 千日干乾の真っただ中、元気なのは熱で働くマキシカだけと揶揄された。地下水もヒャリツの底が見えるほどに減った。畑に撒く水も限られたため食料も十分ではなくなった。ウミナトからの輸入も急激に人口が増えたスナバラには焼け石に水であった。

 暑さと乾きに加え伝染病も流行り、多数の死者が出たという。

 その地獄の一千日の中でヒャリツの冷風も弱まったらしい。ヒャリツのマキシカが設置されたのはその時代と推測される。するとすでにそのマキシカは四十年近くも点検されることなく、ヒャリツの中で働き続けていることになる。

「そうでしょうな。ヒャリツのマキシカが千日干乾前に設置していたら、少しは被害が少なかったでしょう。暑さによる死者もおりました」

「ヒャリツのマキシカは第一世代が稼働していて、第二世代が作られ始めていた時期かしら」

 マキシカには第一世代、第二世代がある。現在稼働しているマキシカはほとんどが第二世代だ。第一世代は、今や保存資料としての意味合いが多いが、メグリエ機関を抜かれ、ただの動かない機械になるか解体されて存在しない。メグリエ機関の数には限りがあるため、第一世代から外されたメグリエ機関は第二世代のマキシカに取り付けられ、今も熱量をマキシカに与え、働き続けている。

 第一世代と第二世代のマキシカは製造年が明確に分かれている。千日干乾の間はマキシカの製造ができなかったからだろう。千日干乾の時期とそのマキシカが世代交代する時期が重なっている。

 その空白の期間、当時の技術者たちはヒャリツのマキシカを建設していたのではないか。技術者たちが、ヒャリツの中のマキシカの設置に集中していて、マキシカが作られなかったのではないか。

 考え事をしているコーリィの耳に、機械音が聞こえた気がした。

「しっ!静かに!」

 何か聴き慣れない音がする。

 コーリィは部屋の中を見渡す。小さな機械の動作音のようだが、どの機械なのか、どこにあるのか注意深く部屋を見渡した。ネッツは息を殺してコーリィを不思議そうに見つめた。

 本棚の上の方で何か動いているのがコーリィの目に留まった。

 コーリィはスツールを持ってきて、棚の前に置いた。棚の下の方は本がぎっしりと詰まっており、少し上の段、コーリィの手が届かないような上の段には箱や木彫りの人形など父が集めたものが並んでいる。

 一番上の段にある箱だと思っていたものが小さな機械であることに気が付いた。

「お嬢様、気を付けてくださいね」

 ナガレはコーリィがスツールから足を踏み外し、落下しないかひやひやしている。コーリィはそんなこと御構い無しに、その小さな機械を観察する。

 その小さな機械は、紙切れが排出されるほどの紙幅くらいの出口、並んだ四つのキーと少し離れたところにある少し大きなキーのついた臙脂色の箱の機械のようだ。それが紙を今吐き出し、動作音をさせたようだ。吐き出された紙には記号が書かれている。縦向きの棒、横向きの棒、横向きの二本の棒、点の四つの記号だ。

 その小型の機械にはタイプライターのようなキーがついているが、五つしかキーがない。キーには、吐き出された紙と同じ記号が印字されていた。四つ並んだキーは、右手の人差し指から小指を置き、少し離れた大きめのキーは親指を置くような配置になっている。

 機械から排出されたとされる紙切れには謎の記号が並ぶ。この小型の機械には、巻いた記録用紙が入っていて、何かの測定装置なのか、通信装置なのかわからないが、機械から紙が吐き出されるものらしい。

 しかし、吐き出された紙切れには、文字やグラフのような連なった線などが書いていなかったのだ。線がいくつかと点が一列にお行儀よく並んでいる。

「なにかしら、これ」

 コーリィは機械から吐き出された紙を機械の紙の横に置かれていたペーパーナイフで切断し、その紙切れを手にしたままスツールを降りた。

 縦向きの棒、横向きの棒が一本と二本並んでいるもの、そして点。四種類の記号がランダムに印刷されたような長い紙切れ。どの紙にも縦向きの棒、横向きの棒一本、横向きの棒が二本、点がランダムに並んでいた。そういう模様の紙といわれればそれまでだ。

 コーリィはその紙切れを持ち、スツールから降りた。

「なんだそれ?」

 コーリィの持つ紙切れを見てネッツは首を傾げた。

「機械から今吐き出されたの。さっきの音はこの機械が動いた時の音みたい。何の機械なのかもわからないわ」

 ネッツとコーリィは紙切れを眺め、回転させたり、離して見つめたりした。通信装置であっても、たった4種類の記号は文字にも読めないし、何かの測定した結果だったとしても、何を測った結果なのかもわからない。今、機械が動いたのかもわからない。あの小型機械は父親フレイザの何かの発明で、誤作動を起こしただけかもしれない。

「暗号のようですな」

 ナガレもその紙切れを眺めながら唸った。

「全くわからないわ」

「何の機械ですかなぁ。旦那様は小さな機械も作られましたが」

 ナガレの言う通り、フレイザは小さな機械を自作することはあった。コーリィには用途がわからない機械を彼が作ることもあり得る。かなり古い機械だとしたら、コーリィが見たこともないかもしれない。クーヤのジャンク屋でも見たことがないから、相当古いものとも考えられる。

 この紙切れの暗号は父親と叔父の失踪に関係があるのかないのかでさえ、コーリィには見当もつかない。

 コーリィが思考の穴に埋もれたところで、ナガレがそこからコーリィを引き上げる。

「なかなか手掛かりはないですな。やはり危険な旅ゆえ、お嬢様が易々とヒャリツ探検にいかないよう、証拠はできるだけ隠していったのでしょう」

 ナガレの言う通りだ。しかし、コーリィからフレイザとミッゲルに連絡を取るすべがない今、呼び戻しに行かなくては、評議委員との約束を果たせない。一度でも帰ってきてくれたらいいのだが、その兆しはない。

 店先でベルの音がなった。ナガレは足早に書斎を出て、すぐに戻ってきた。

「お嬢様、ディージ警部からお電話です」

 コーリィにそう伝えた。

「わかったわ」

 コーリィは店先に向かった。そこに電話が備え付けられているからだ。

 黒い艶のある電話の傍に置かれた受話器をコーリィはとった。

「お待たせいたしました。コーリエッタです」

『やぁ、嬢ちゃん。ラゥル・コソックは紅い石を持っていなかったよ」

 ディージ警部はいつもの調子だった。少し気怠げなのは、仕事が山積みで疲労気味だからだろうか。

 メッセの場で逮捕されたラゥル・コソックは、ネジッレマキシカに手袋をはめた手を近づけた。それをネジッレマキシカを操作していた男女が目撃していた。ネジッレマキシカはラワンという女性が所有者であるが、メッセの当日は彼女の息子と婚約者である女性が動かしていた。

 コーリィとリオードは、コソックが手袋の中に、紅夜石を隠していたと考えていた。しかし、リオードがコソックを追い詰めたときに、手袋を確認したが、そこには紅夜石はなかった。コソックは他の場所に石を隠したのだろう。紅夜石の希少性を考えると捨てるようなものでもなく、メッセの会場に仲間がいれば託したかもしれない。しかし、まだ彼が所持している可能性も残っており、何も知らない警察なら見逃す可能性があった。なぜなら、メグリエ機関の部品としてある紅夜石は小指の先ほどの鉱物という小さなものだ。

 だから、コーリィはディージ警部に、どんな小さなものでも紅い石をコソックが持っていなかったかを調べて欲しいと伝えたのだった。

「そうですか。逮捕される前に仲間に渡したのかもしれません」

 コソックは紅夜石を持っていなかったことに、コーリィは落胆した。

『メグリエ機関を盗み出した泥棒は逮捕されているが、孤児院の院長を連れ出した人物など関与している人物はまだいる。メッセに仲間がいたのかもしれないな』

「三件目のメグリエ機関の盗難事件もこれから明らかになるかもしれません」

『三件目?メグリエ機関泥棒はニ件しかやってないと言っていたはずだぞ?嬢ちゃんがヒャリツの中で見つけたのも二つだったじゃないか』

 三件目のメグリエ機関盗難事件の犯人がいるとコーリィは考えていた。でなければ、ラゥル・コソックがメッセでマキシカを暴走させるために用いた紅夜石が手に入らないからである。最初の二件の盗難事件で盗まれたメグリエ機関から取り出された二つの紅夜石は、ワッカの首輪に付けられており、今はコーリィの手元にある。その後に起こったマキシカ暴走事故は、その二つとは別の紅夜石が存在していなければ起こり得ない。紅夜石を使わないで暴走させる別の方法が用いられた可能性はあり得ない話ではないが、それはコーリィも知らない方法をコソックは知っていることになる。コソックがマキシカやメグリエ機関に詳しい人間でなければ、その方法を知り得ないのではなかろうか。

「盗まれたことにマキシカの持ち主がまだ気付いていないのだと思います。しばらく停止しているマキシカかもしれませんが、三件目の盗難事件が既に起こっているはずです」

『事件との繋がりが見えないのだが、詳しく教えてもらえるか?』

「メグリエ機関やマキシカの機密事項になる部分は申し上げられません」

『またそれか』

 ディージ警部のため息が聞こえてきた。

『捜査が行き詰まったら協力してもらうからな。秘密にされてちゃ、事件も解決できやしない』

 コーリィの一存では決められない。マキシカが暴走する条件は、メグリエ機関の部品である紅夜石を近づけることだ。マキシカ家とメグリエ家が守り抜くべき秘密だ。

 メッセの会場にコソックの仲間がいて、紅夜石を渡したのか、警察が本当に小さな石で見つけられなかったか、コソックが捨てたのか。

 コソックの仲間がまだいるとして、逮捕されていないとしたら。その紅夜石を用いてまたマキシカの暴走事故が起こすこともできるが、首謀者コソックが逮捕されたことで、しばらくは様子を伺うだろう。

『ネッツから話を聞くのは、やっぱり駄目か?』

 ディージ警部は断られることを知っていて尋ねた。コーリィは何度も断っていた。

「何度も申し上げたように、お断りいたします」

 それはネッツがまだ子どもであるだけでなく、エレックやシャルテもコソックの計画に組み込まれていたために、ネッツが2人を庇うための嘘をつくことも考えられるからだ。そして、ネッツの精神的な負担だってあるだろう。彼は急に生活が変わって、無理をしている。加えて、今ネッツが何者かを知っている人間はあまり多くない方が良い。ナガレと話し合って決めたことだ。

『わかった。お嬢ちゃんからネッツに聞けたら、こちらに報告でいい』

 ディージ警部の苛立ちは電話越しからも伝わってくる。

「何をお知りになりたいのですか?」

『まぁ、ネッツが事故に巻き込まれた日のことは確認したい。あとは、孤児院に来た時のコソックについて。紅い石のことも可能な範囲でだな』

 ディージ警部はすっかり参っているようだった。




 マキシカ邸の草原の間は、先代が作らせた青々とした深い緑の壁紙の部屋である。

 残念ながら、沙漠に囲まれたスナバラでは、真っ青な草原などほとんど目にすることはなく、壁の色は先代の想像の中の草原の色である。

 その叶わぬ想いを馳せた部屋で、朝食の後のお茶を飲みながら、今朝の新聞に目を通したモノニシア・S・マキシカは夫のマキシカ伯爵にまるで自身が預言者であることを誇るように言った。

「やはり私とコーリィの言う通りになったわ!」

 それは、メッセでの出来事である。

 モノニシアとコーリィは、スナバラ見本市メッセでコソックがマキシカを暴走させることを心配していた。メッセでは、カレズ議長をはじめとした議員や市民、新聞記者などを含め、多くの人々が集まっていた。コソックにとっては、その場でマキシカを暴走させれば、マキシカの危険性を多くの人が目にし、広まる絶好の機会となる。

 一方で、マキシカを怪しまれずに暴走させることができるか、という問題もあっただろう。人目につかずに、マキシカ管理局の職員や来場者のいる場でだ。それは不可能に近いとマキシカ伯爵とリオードはたかを括った。

 結果として、モノニシアとコーリィが心配した通りになったのだ。いや、二人もが予想だにしなかったことが起きたと言ってもいい。マキシカ管理局が展示した展示用マキシカではなく、メッセ会場に、コーリィたちが預かり知らぬうちに設置された別のマキシカが暴走したのだった。その暴走したネジッレマキシカは小型の移動可能なマキシカで、軽食を売る区画に、他の食べ物を売る店とともに出店したのだった。

「君の心配性は、役に立つな」

 危機感のない夫にモノニシアは呆れ顔を向ける。マキシカ伯爵は、どちらかと言えば楽天家であり、あらゆる事象を考え、心配して対策をするモノニシアとは正反対の性格であった。そんな二人が結婚して、ともにマキシカ社をやってこられたのは、足して二で割るとちょうど良いからではないだろうか。

「記者と議員が逮捕され、事件が明らかになる流れにはできたけれど、マキシカへの恐怖心は拭えなかったな」

 マキシカ伯爵はそれを何よりも残念がった。メッセでは、マキシカの信用と安全性を再認識してもらうはずだった。

 しかし、モノニシアとコーリィが心配したように、マキシカの暴走が起きた。その結果、水面下で動いていた警察により、件の二人は逮捕になったが、ますます市民のマキシカへの恐れが増してしまった。

 マキシカの元で働く者は退職を決めたものもいるし、マキシカによって作られた物を避けて買い物をする人間もいるという。スナバラ市民の殆どがポンプマキシカで組み上げられた水を飲んでおり、マキシカなしに生活することはできない。それでも市民たちはマキシカを恐れ、疫病神のように扱い、マキシカから解放されようとする人々が目立ち始めた。一方、マキシカの持ち主たちは、マキシカ製品の不買運動が起これば、マキシカの所有や生産物の売上にかかる税金が払えなくなり、マキシカを手放すことも出来ずに困窮することを恐れ始めている。時間外の稼働をやめた者、マキシカの点検を修理屋に急遽依頼する者、マキシカを低速運転のまま使う者。老朽化や点検と修理といったこと以外に、紅夜石によって暴走することを知らない市民たちは、マキシカの扱い方で空回りし、逆にマキシカに負担をかける使い方をしてしまっている場合もあるようだ。

「ま、じっくり名誉挽回もやっていこう。マキシカなしには今日のスナバラは1日として持たないのは自明のことだ。マキシカを正しく使い、点検をして、マキシカの調子を伺う。そうすればマキシカは危険じゃないのだから」

 マキシカ伯爵は常に楽天的で明るい。勝算の有無に関わらず、自信を持っている。

 部屋の扉を叩く音がする。

「どうぞ」

 扉の向こうにいたのは、カークスだった。彼はマキシカ社の専務を務めることとなったばかりのマキシカ伯爵とモノニシアの長男で、いずれマキシカ家の当主となる。マキシカ社の経営に関わるにはまだ経験が浅いと言われる年齢だが、年齢とは不釣り合いな落ち着きと少し懐古主義な服装も相まって、実年齢よりも年上に見られることが多い。最近ではマキシカ伯爵の若い頃に顔立ちが似てきたと言われるが、性格は慎重で楽観主義の父親とは真逆と称される。

「警察から、マキシカの暴走事件の解決に向けた捜査協力の依頼が来ました。マキシカの暴走の仕組みについて知りたいと。どこまで教えますか?」

 カークスは難しい顔をしていた。自身で判断できることではないと、両親に相談したと言ってもいい。

「マキシカとメグリエ機関の秘密を知らないと、この一連の事件は解決しないだろうな」

 マキシカ伯爵は唸った。マキシカ伯爵でさえ慎重にならざるを得ないのは、先代からずっと守り通してきたマキシカとメグリエ機関の秘密だからだ。

 長年使い込んだメグリエ機関に紅夜石を近づけると暴走することが皆に知られれば、マキシカへの信頼を揺るがしかねない。スナバラの紅夜石の欠片は殆どがマキシカの中、メグリエ機関の部品にしかない。マキシカのほとんどは移動することはなく、適度な距離を保って設置されている。だから、暴走することなど起こり得なかったはずであった。この弱点が知られては、マキシカが支えてきたスナバラが混乱するだけで済むわけがない。マキシカに代わるほどの頑丈な機械や熱量生産装置の登場がなく、スナバラでは少なくとも五十年はマキシカの時代が続いている。今のスナバラでマキシカが信用を失い、人々がマキシカを捨てれば、スナバラでこんなに多くの人が暮らすことはできなくなる。

「コーリエッタ嬢が、警察に秘密は話せないと言ったために、警察はこちらに問い合わせてきたようです」

「彼女の判断は最善だ。今はフレイザがいないからな。こちらでどこまで警察に話すかは決めないとならないな」

 マキシカ伯爵はそう言ってお茶を口にした。

 メグリエ家当主フレイザは不在だ。マキシカ家とメグリエ家が知る秘密を警察に公開していいのか、コーリィ自身が判断しなかったために、マキシカ家にその任が回ってきた。

「コソックは、マキシカの暴走の仕組みについては黙秘しているそうで。クラム議員は何も知らなかったようです」

 カークスは警察から聞いたことを淡々と話す。

「秘密を知っている人間が容疑者になる。知っていたとしても、いつ秘密を知ったのかを証明するのは難しい。闇雲に私たちも秘密を話すのは避けるべきだ。容疑者を増やして、警察の仕事を増やすのは得策ではない」

「それにしても、コソックはどこで秘密を知ったのかしらね。この計画の準備をしていたとすると、一年前から知っていてもおかしくはないわ」

 モノニシアの言う通りだ。彼の緻密な計画からいっても、マキシカ暴走事故が頻発し始めた一ヶ月半前よりも、大きく遡るだろう。計画が複雑かつ複数の人間が関わっていることからも、短期間で成せる計画ではない。例えば、計画に関わらせたエレック・トリークやシャルテ・ポーンにコソックが住み込みの仕事を与えたのは半年以上も前だ。それも彼の計画に入っているとしたら、コソックが一年以上も前から秘密を知っていても早すぎることはない。

「秘密を知っているのは、うちかメグリエ家の限られた人間だけだ。身内を疑うことはしたくないが、外部の人間が秘密に自力でたどり着くとは到底思えない」

 マキシカ伯爵は珍しく苦い顔をする。

 メグリエ機関の中身はメグリエ家しか知らない。紅夜石(クレナイト)蒼明石(アオゾライト)が使われていることはわかっているが、それ以外にどんな材料が使われ、どんな回路を形成し、どう熱を熱量に変えるのかはマキシカ家にも知らされていないのだ。古いマキシカに紅夜石を近づけると暴走することは、フレイザの父親レイト・メグリエが発見したことではあるが、マキシカ家とのみ共有されてきた事実である。

「誰かが秘密を漏らしたとなると、怪しいのはフレイザやミッゲルになってしまうわ。表では失踪していることになっているのだもの」

 モノニシアは困り果てた様子だ。フレイザとミッゲルがヒャリツに行っており、誰かに情報を漏らすなんて不可能なのに、それを警察に話すこともできない。

「うちにもメグリエ家にも利益がないことをする人間が身内にいると思うか?」

 マキシカ伯爵の言葉に、少し考え込んだカークスは口を開いた。

「案外、メグリエ家がメグリエ機関を捨てるためかもしれませんよ」

「カークス、どういうことだ?」

 マキシカ伯爵は難色を示しながらも息子の言葉に耳を傾ける。

「メグリエ家は、もともと商売があまり上手いとは言えなかったでしょう。もう新しいメグリエ機関を作ることができないなら、収益の上がらないメグリエ機関を辞めてしまえば、これ以上の損失がなくなり、スナバラからも解放されます」

 メグリエ機関を作り、その製法を知る家として、メグリエ家はスナバラから出ることを許されない。マキシカがなくなれば、その足枷は外れる。

「フレイザが我々に相談なしにそんなことはしないさ」

 マキシカ伯爵の言葉は、フレイザを長年信頼して共に仕事をしていたからだった。しかし、カークスは自身の仮説をまだ棄却するつもりはなかった。

「スナバラから出て、例えばウミナトでの生活基盤を整えるために、二人はヒャリツに行ったことにしているとしたら、失踪の納得がいく理由になりませんか?」

 マキシカ伯爵とモノニシアは顔を見合わせた。

「マキシカ家が安泰なのはメグリエ機関がマキシカを動かすからです。もし、メグリエ家がそのような計画を実行していたとしたら、私たちも立場が危うくなるわ」

「カークス、お前は悲観しすぎだ。フレイザとミッゲルはヒャリツ内にいる。支援物資だって沙漠で受け取っているし、時たま連絡もあるというじゃないか」

 カークスは楽観的な父親を説得できないとわかり、堅実派な母親を見た。

「フレイザとミッゲルはちゃんとヒャリツで仕事をしているのよ」

 モノニシアは断言したが、それに納得がいかない様子のカークスを見て、マキシカ伯爵はため息をついた。

「さて、警察はメグリエ機関盗難事件からある程度は関係性の予想はついているだろう。メグリエ機関に含まれる部品をマキシカに近づけるとマキシカが活性化する。稀にタガが外れて暴走する、と言ったところか。小型マキシカ以外は移動できないから、暴走はマキシカ同士が近づきすぎなければ暴走事故は起こらないとでも言って安心させることだな」

「あら、教えすぎじゃない?」

 モノニシアは不満そうだった。

「警察に嘘を教えてもいいが、嘘だと判明した時にマキシカ家の信頼も落ちる」

 マキシカ伯爵は、モノニシアに淀みなく話す。

 紅夜石のことは伏せておけば、それを知っている人間を容疑者として絞り込めるはずだ。スナバラの歴史上、一度しか見つかっていない鉱石のことを知っている人間なんて相当な物好きである。メグリエ機関との関係性にまで考えが及ぶ人間は、マキシカ家とメグリエ家を除けば、ほんの一握りとなるだろう。

「そうね。マキシカ家の信頼が第一だわ。紅夜石のことは伏せて警察に話すことにしましょう」


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