第37章 三つの課題
朝からどんよりとした曇り空。雨季といっても、数日雨が降り続くことは稀であり、今日のような朝日が見えない日はスナバラではそう多くない。
退屈そうな顔の赤毛の少年に、オアシスのような青い瞳のお嬢様は言った。
「ネッツ、雨期休みだからって勉強もお休みじゃないのよ」
一ヶ月半ほど前からメグリエ鉱物研究社で住み込みで働くことになった一人の少年ネッツ。彼はマキシカの暴走事故に巻き込まれ、軽傷を負ったことで一晩だけ保護することになったのだが、事情によりメグリエ家でしばらく預かることになった。
事の始まりは、雨季に入る頃に仕立て屋のマキシカが暴走した。暴走したマキシカを停止し、再起動させられるスナバラ唯一のクールショットガンを携えて、コーリエッタ・メグリエは現場へと向かった。その時は、稀に起こるマキシカへの供給熱量の過剰が引き起こす事故だと考えた。コーリィは二度目のクールショットを標的であるマキシカの集熱板に当て、見事マキシカを沈静化することができた。ネッツとの出会いは、彼がその事故に巻き込まれて軽傷を負ったところを、コーリィは怪我の手当てのために屋敷に連れ帰ったことだ。その後、執事のナガレがネッツの怪我の手当てをして、孤児院に送り届けた。そこまでは、コーリィはマキシカの暴走事故に不信感を抱くことはなかった。
ネッツを孤児院に送り届けたところ、孤児院はもぬけの殻どころか、閉鎖されていた。
院長の失踪と孤児院の閉鎖はあらかじめ計画されたかのように短時間のうちに起こっていた。ネッツは、マキシカ暴走事故に巻き込まれるように仕組まれていたのではないかと、コーリィは疑念を持った。
ネッツは一晩、屋敷で預かることにして、メグリエ家の当主が不在の中、コーリィと執事ナガレは少ない情報の中で推理した。彼が何かの計画に利用されている立場にあるのではないか。彼の身の安全に関わる事案の発生が予想された。
そして、家訓のノブレス・オブリージュも手伝って、しばらくはネッツを手元に置き、様子を見ることになった。結果として、故意にマキシカを暴走させる計画が存在し、ネッツや彼の孤児院の院長である女性、孤児院の兄姉がその計画に利用されていたことも判明した。首謀者が逮捕されたことで、ひとまず事件は解決に向かっている。事件の全貌はまだわからないが、これ以上故意に起こされるマキシカ暴走事故はなくなるはずだ。
正直、コーリィは二つ下の妹なら欲しかったが、二つ下の弟は欲しくはなかった。孤児院で厳しくしつけられたのか、ネッツは言われたことはちゃんと守っている。
日常でのネッツは、勉強嫌いの赤毛の少年である。やっと礼儀や学ぶことに慣れて来たとはいえ、すぐに勉強はサボるから目が離せない。できるだけコーリィ自らが彼の勉強のきっかけを作るようにしたほうがいいだろう。
「コーリィものんびりしたらいいのに。雨季はマキシカが暴走しにくいらしいし、犯人も捕まったし」
ネッツは勉強嫌いのくせに、コーリィが勉強を見ているときは真面目に取り組む。厳しくしていたから、コーリィの前では逃げられないと悟ったのだろう。お嬢様の気まぐれで拾われたと思っているネッツは、お嬢様のご機嫌を伺わなければ、都市スナバラを囲む広大な礫沙漠に放り出されると信じ切っている。
「お生憎様、私は暇じゃないわ。お父様と叔父様を探さないと」
コーリィはメグリエ家の人間の一人として、都市議会と約束をしていた。都市の繁栄に貢献したマキシカという機械、その動力源であるメグリエ機関の製造方法を知る人間は、都市スナバラや、その地下に広がる洞窟と人工的に掘った坑道―ヒャリツ―から出てはならない。スナバラ都市議会の議長と一部の議員からなる評議委員とメグリエ家、マキシカ家は密約を結んでいるのだ。
三ヶ月半前から行方不明のコーリィの父親フレイザ・メグリエと、半年前から行方不明の叔父ミッゲル・ファンは、密約違反を議会に疑われるに十分であった。
コーリィは二人を連れ戻すと議会と約束した。マキシカを故意に暴走させた事件の容疑者としてスナバラ・タイムズの記者ラゥル・コソックが逮捕された。孤児院の院長ミセス・トッドマリーを拉致し、病院へ入院させ軟禁状態にする計画への関与の疑いでロマーク・クラム都市議会議員も逮捕された。警察によって事件の全貌が取り調べられることだろう。スナバラでは前代未聞の大規模な組織的で計画的な事件だ。関係した人間がまだ数人は逮捕されてもおかしくはない。警察は慎重に捜査にあたっているところだ。
マキシカを故意に暴走させる人間が逮捕されたことでマキシカの暴走が減り、父親と叔父を探して連れ戻す任務にコーリィはやっと専念できる。
ヒャリツから二人がこのまま帰って来なければ、コーリィは許嫁リオード・P・マキシカとヒャリツに行くことになる。議会の許可があり、コーリィが一人で行くわけではないとは言え、ナガレには反対された。地図もなく何があるのかさえわからない地下に広がる鍾乳洞と人工洞窟ヒャリツに少女が行くとなれば、周囲の反対は想定内だった。だからといって、代わりに誰かが行くことはできない。父フレイザと叔父ミッゲルの本来の目的は、ヒャリツの中にあるマキシカの点検だ。ヒャリツのマキシカの存在は公にはなっておらず、両家と議長しか知らないこととなっている。つまりは、事情を知っていてヒャリツの中で二人を探せるのは、メグリエ家とマキシカ家の人間だけなのだ。
むやみやたらにヒャリツを歩き回ることのないよう、確実な情報を得て、コーリィはヒャリツに向かおうと考えていた。そうであれば、少しはナガレも納得はするだろう。
「探すって二人はどこにいるんだ?」
ネッツは素直に疑問を投げかけてくる。
都市議会に行った時、コーリィは、父親と叔父がマキシカを止めるための特殊な銃クールショットに込める弾の材料を取りに行ったと証言した。しかし、それは二人がコーリィに伝えた偽りの旅立ちの理由だった。
コーリィが嘘を見抜いたのは、弾の材料は都市内でも手に入ることにコーリィが気づいたからだ。
クールショット弾はヒャリツで冷やしておくほうがいいこと、マキシカの集熱板に当たる衝撃で、弾に込められていた少なくとも2種類の物質が混ざり合い、化学反応を瞬時に引き起こす。その反応は急激に熱を奪うため、マキシカの集熱板が急激に冷え、メグリエ機関に熱が伝わらず、熱量生産が急に停止する。コーリィには、クールショット弾に含まれる主な物質が何かは分かっていた。何度かクールショットを撃って、その化学反応が起こるときの様子と、ほんの少しだけするその化学物質の香り、今までに得た知識から、予想がついたからだ。
「二人はヒャリツのどこかにいる」
ネッツが震え上がった。それは恐怖からではない。ヒャリツの中は途方もなく寒いからだ。一度、ヒャリツの中に落ちたコーリィとネッツは、それをよく知っている。
都市にある家屋を冷やし、マキシカの動力源メグリエ機関のブレーキでもある、都市の地下を張り巡らされた鍾乳洞と人工的に拡張した洞窟はヒャリツと呼ばれていた。そこから得られる冷たい風。そして、地下水もその底に蓄えるヒャリツは、この沙漠の中の小さな街が都市にまで発展するために不可欠な自然の恵みだった。
「あんな寒いところに人がいるわけがない!」
ネッツが声を上げ、それを聞いた老紳士の堪えきれなかった笑い声が聞こえて来た。メグリエ家に仕える執事ナガレ・ワマール。彼は目を細め柔和な笑みを浮かべる穏やかな紳士だ。両親が不在のコーリィにとっては親代わりと言ってもよい。
「おやおや、ネッツ坊ちゃんは興味津々ですね。お嬢様のために勉強すると意気込んでおられましたから」
「それは秘密だって」
ネッツは慌てた様子だ。少しでも勉強するきっかけになるのならば、その理由はコーリィにとってはどうでもいいのだが、コーリィが理由とは少し変わっている。彼はコーリィのもとで働き続けたいと言っており、そのために苦手な勉強にも取り組まなくてはならないことをやっと悟ったのだろう。
「お父様と叔父様の捜索には、三つの解決しなければならない課題があるわ」
「三つも!」
ネッツのやる気が少し削がれたようだ。しかし、コーリィはこれを解決せねばならない。
「一、お父様と叔父様はどこにいるのか?
二、ヒャリツのマキシカはどこにあるのか?
三、ヒャリツのマキシカをどうやって停止させるのか?」
ネッツはそれを聞いてきょとんとした。
「コーリィの父さんと叔父さんはヒャリツの中だろ?」
「ヒャリツのどのあたりに二人がいるかは見当をつけないとならないわ。あの寒さの中、迷路の中を捜し回るのは賢い方法ではないからよ」
コーリィのいうとおり、ヒャリツは都市の下に広がる鍾乳洞と人の手で広げた地下道だ。そして都市の西側にヒャリツの源流があると言われている。ヒャリツは地下を広がる毛細血管のように複雑で立体的な迷路だ。その地下道をすべてつなぎ合わせると、夜行列車であるスナウミ鉄道のレールの数倍を超える長さだと言われている。都市スナバラの地下に広がる広大な迷宮のどこに二人がいるのか見当を付けなければ、彼らと会うこともできない可能性が高い。
「ヒャリツ内にマキシカが存在するとは、にわかには信じられませんな。お二人がヒャリツのマキシカが存在するかを確認しにヒャリツに行ったのならわかりますが」
ナガレはヒャリツの中にマキシカがあることを信じられないようだった。それはスナバラの市民には知らされていない都市の秘密であり、突飛すぎる話と感じられてもおかしくはない。
「私も知らなかったし、信じられなかった。でも、メグリエ家とマキシカ家の一部の人間と、カレズ議長だけが知っていた事実なのよ」
「そんな秘密が隠されていたとは・・・」
ナガレは驚いて珍しく紫色の瞳を見開いたほどだ。都市スナバラの秘密は、ヒャリツのマキシカを作り出したマキシカ家とメグリエ家、そして議長だけが知っている。市民はヒャリツにマキシカがあるなど思いもよらないだろう。市民を代表するナガレがそう言うのも無理はない。
「ヒャリツを補助する役目といっても、巨大なヒャリツを補助するならば、かなり巨大なマキシカでしょう。それを四十年前に設置したというのが驚きですな」
感心した様子でナガレは頷いた。四十年前にスナバラにいたのはナガレだけのため、生まれる前のその時代を知らないコーリィやネッツには、そのヒャリツのマキシカを設置した当時の情勢が正確にわからず、どのくらいの困難や苦労があったのか細部まで想像はできない。
当時のマキシカ家とメグリエ家だけで過去に巨大なマキシカを設置するのは無理だろう。関わった人間がもっと多くいるはずだが、箝口令をしいたのだろうか。
「ええ、私も驚いたわ。ヒャリツは貯水池でもあり、マキシカにはあまりいい環境とは言えないもの」
ヒャリツは年中低温に保たれてはいるが、地下水があるため、湿気も多く、機械にとっては鯖の原因にもなる場所であった。それに耐えるマキシカを四十年前に作ったというから驚きだ。
四十年前、千日干乾と呼ばれる三年間にわたる乾燥と干魃に見舞われた時期があった。その際にヒャリツの温度も上がったと言われ、ヒャリツの冷たい風を都市に送る強い風を生み出すヒャリツのマキシカが設置されたという。
「ヒャリツのマキシカの話、俺が知っていいのか?」
ネッツはマキシカ家でもメグリエ家でもない家の子だ。メグリエ家に来てから、マキシカの秘密を知ってしまう機会が増えていた。
「ネッツが誰にも話さなければいいでしょう?」
ネッツは困ったようにもごもごと呟きながら俯いた。
ヒャリツにマキシカがあったとしても、一市民にそれが知れても、混乱が生じる時代でもないだろうとコーリィは考えていた。ましてや、それを隠し、今マキシカが暴走しているとなれば、歴代のスナバラ都市議会議長に批判が集中するだろう。
「さて、ナガレ、コートの完成はいつ?」
「来週中にはできると聞いております」
「コート?」
「マダム・ファニスターに分厚い布の上着を注文したの。ヒャリツに行くなら必要でしょう?」
マダム・ファニスターはコーリィのドレスを手がけているデザイナー、見た目は魔女のような女性だ。スナバラに住む人なら、服飾の魔女といえば共通の人を思い浮かべるだろう。
その彼女に、夜の沙漠に行くと言って、コーリィは分厚いフェルトのコートを注文したらしい。都市では、ヒャリツの点検をする仕事に従事する者や夜の沙漠に出る者は、分厚い布のコートやセーター、ケルケルの毛の靴下を持っているくらいで、防寒具は持っていない人がほとんどだ。
「ヒャリツに行くのか!」
ネッツは冒険に出かけるかのような期待にあふれた目をしている。
「ネッツはお留守番よ」
「なんで!?」
ネッツは驚き、残念そうな顔をする。
「議会は、私とリオードにだけヒャリツに行く許可をくださったの」
「俺が行くことは、秘密にする」
あたかも名案だと、ネッツは得意げな顔をする。
「ダメよ。それに、ネッツは秘密にしておける?」
未知の世界へ冒険に旅立つと考えているネッツは、その冒険で見聞きしたことを黙っていることなどできないだろうとコーリィは考えていた。きっとエレックやシャルテ、ミセス・トッドマリーに嬉々として話してしまうことが容易に想像できる。ネッツ自身も黙っていられるか、自信がないようで反論できずに黙り込む。
「さぁ、まずはお父様が残した手がかりを探すわ」
コーリィはそういって一番奥の書斎、コーリィの父親の部屋に向かった。




