第35章 メグリエ家への招待
ある日の昼下がり。その日はメイドのマァレットがいる日だった。彼女はメグリエの屋敷の裏手の扉を開け、夕食になる予定の芋の皮を剥いているところだった。芋の皮をはじめとした野菜屑は、屋敷の裏手で乾燥させるため、まとめておく必要がある。それを回収して肥料にする業者も裏口にやってくる。
メイドがふと顔を上げると、裏側の門の前に誰か立っている。こちらを気にしているようで、ちらちらと視線を送ってくる。
屋敷の裏門は、金属の棒をいくつか組み合わせて作った質素なもので、それが、2クルカほどの高さに積まれた白いレンガの壁の間に取り付けられている。
使用人の出入りに、使用人に用のある者は大抵この裏側の門から屋敷を訪ねてくるため、裏口の方が賑やかなこともあるほどだ。何かの売り込みにやってくる者も裏手から来るため、使用人がその度に対応するのだ。マァレットもその類だと思って、鈍色の門の前までやってきた。屋敷の裏口から門は数歩の距離のため、屋敷の裏口を開けたら、声が届く。
「こんにちは」
門越しにマァレットははっきりと挨拶の言葉を口にした。
そこにいたのは眼鏡をかけた若い女性で、生成りのゆったりとしたシャツに茶色のズボン、少し大きめの鞄を持ち、小柄な彼女には不釣り合いな大きなカメラを首から下げている。
ナガレが言っていた、そしてマァレットもここ数日、屋敷の周りで見かけていた眼鏡をかけた女性だ。
不意打ちで声をかけられ、どきりと体を跳ねさせた彼女は、小さな声でなんとか挨拶を返しただけだった。
「こ、こんにちは・・・」
「なにか御用ですか?」
メグリエ家のメイドは不審な人間が屋敷の裏手にいたことに、冷静に対処する。
「いえ、えっと」
しどろもどろになるその女性にマァレットは不信感を持った。
メグリエ家が孤児の少年の遺体を隠しているという疑惑の記事がスナバラ・タイムズによって掲載されてから、メグリエ家のことを探ろうとする新聞記者は意外にもいなかった。
報道したのはスナバラで最も発行部数を持つ新聞であるスナバラ・タイムズ誌だけであったためか、他の小さな新聞社の記者は取材に来ることはなかった。それは、スナバラ・タイムズ独自のスクープであり、他社は何も掴めていないからだろう。それは、スナバラ・タイムズによる事実無根のでっち上げであるからなのだが。
しかし、好奇心なのか、仕事への情熱なのか、メグリエ家を探ろうとする者、それが裏口を覗いていた彼女ではなかろうか。
メグリエ家の屋敷は小さなものとはいえ、ぐるりと白いレンガの壁で囲まれていることもあり、屋敷の様子は伺えないようになっている。もともと、抜きん出るほど背が高くない限りはその視界を阻む高さのレンガの壁は、屋敷の中のものを守るためではなく、屋敷の外のものを守るために築かれた。その話は、現当主フレイザ・メグリエが前当主レイト・メグリエから聞いたと言っていた。メグリエ家は屋敷の中でもメグリエ機関の開発や実験をしていたため、爆発の危険性があったからだそうだ。幸いにもまだ爆発は起こっていないため、レンガの塀も破損をしたことはない。
メグリエ家のこと、屋敷の中の様子を探ろうとする者ならば、表から様子を伺うか裏の門から伺うかになるだろう。両隣は別の家が建っているからだ。表は人目につきすぎる。裏の門からなら、屋敷の裏手の様子を伺えると彼女も思ったのだろう。裏手に出入りする使用人に話を伺おうとしていたのかもしれない。
「あ、いえ、なんでもないんです。失礼しました」
そう言ってそそくさと彼女は去ろうとした。マァレットの後ろで、彼女を呼び止める声がした。
「お待ちください」
マァレットの様子に気付いて執事ナガレがやってきた。ナガレは素早く門を開け、その女の前にしゃんと立つ。彼女の目には、一瞬で執事が目の前に現れたかのように見えた。
「御用がおありのようでしたので。何なりとどうぞ」
売り込みにしては売るものが何かわからない彼女を見て、ナガレは和やかに言った。
「あ、いえ、その」
執事と視線を合わせないまま、逃げ道もないまま、女はなんと答えようか考えている。
「素敵なカメラをお持ちですね。もしかして、記者の方ですか?」
ナガレは人をよく見ている。大きめの鞄に、カメラを彼女は持っていた。そして、ペンを握る癖のついた右手からも、記者だと判断できた。
ナガレのにこやかなる押しに負け、彼女は観念したらしく、俯いたままか細い声で言った。
「実は、雑誌の記者でして・・・」
「なんと!雑誌の記者ですか!よろしければ雑誌の名をお教え願えますかな?」
目を爛々と輝かせた執事に、記者は困惑しながらも、おずおずと雑誌の名を告げた。
「月刊ミカイです」
「あぁ、あの・・・世界の不思議に対し、ありとあらゆる仮説を立て、考察する雑誌でしたかな?」
「まぁ、そんなような、もので」
記者は執事と目を合わせず、縮こまって逃げる隙を伺っているように見えた。
「その月刊ミカイの記者殿がメグリエ家の何をお知りになられたいのですかな?メグリエ機関の秘密?マキシカの秘密ですかな?それとも…、いやはや、大変失礼しました。こんなところではなんですから、是非、屋敷の方で取材内容をお聞かせ願いませんか?ささ、どうぞ!裏口で申し訳ないのですが――」
記者はチラリと屋敷の方を見る。メイドがにこにこと彼女をお客様として出迎えている。
「さぁ!遠慮なさらず」
ナガレがあまりにも通る声で話すものだから、通りを歩く人々が彼女に注目し始めていた。彼女は意を決した。
「お、お邪魔します!」
敵陣にでも踏み込むかのように、緊張した面持ちで記者はメグリエ邸に踏み入れた。
彼女はナガレによって、メグリエ鉱物研究社の店先の奥にある応接間に通された。その部屋は客と話をするための部屋として、シンプルなテーブルと椅子が置かれている。小さな窓しかない部屋のため、天井からぶら下げられた灯りが優しい光を部屋の中を満たしていた。ランタンなど油を燃やす類の照明ではなく、電力マキシカから送られる電気によって光を放つ電球によるものだ。この部屋以外にも、台所や廊下にも電球のついた照明があったのを見て、さすがメグリエ家の屋敷だと記者は納得してしまった。部屋数も多い屋敷の中で、複数の部屋で電気を使えるのは、庶民の家ではまだ珍しいからだ。
記者は、執事に勧められるがまま、椅子に座った。
「ここで少々お待ちください。すぐにお茶の準備をいたします」
ナガレは一度部屋を出て扉を閉めた。
廊下にはコーリィが待ち構えていた。ナガレは小声で話す。
「お嬢様、最近、屋敷の周りで様子を窺っていた記者の方をお通ししました。月刊ミカイの記者だそうです」
それを聞いたコーリィは満足げだった。
「さすが、ナガレ。しっかり彼女の狙いを聞いてくださる?」
「お任せください」
「ネッツのことはまだ伏せておいた方が良さそうね。お客様がいらしたから、部屋で静かにしているように言っておくわ」
「お願いいたします」
そう言ってコーリィはネッツの部屋に向かった。彼女と入れ替えに、マァレットがサービングカートに載せた茶器とお菓子を持ってきた。
ナガレとマァレットは記者の待つ応接間に入ると、ナガレは記者の正面に座った。
マァレットがティーカップに頃合いを見計らって淹れたお茶を注ぎ、記者の前に置く。緊張した面持ちでそれを彼女は見ていた。まだ若い記者だろう。メグリエ家への取材を任されるほどの敏腕か、新人ならば警戒されないと考えた編集長の戦略か。いずれにしろ、最近メグリエ家の周りでよく見かけた顔である。
マァレットが部屋を出て行った。ナガレは記者に話し始める。
「本日は当主が不在のため、代理の私ナガレ・ワマールが伺います。メグリエ家に長年仕えさせて頂いている執事でございます。なんなりとどうぞ」
ナガレは柔らかくにっこりと笑った。
「あ、はい、あの、記者の、アム・ニューパーと申し、ます」
緊張のあまり、声を絞り出す記者に、ナガレはお茶を勧めた。彼女はそれを口にする。
「当家を取材されたいということでしたね?」
「・・・はい」
彼女は眼鏡の奥でまだ迷っているのだろう。
「どう言ったことをお知りになりたいのですか?」
アムと名乗った記者は、息を吐き、意を決した表情になり、話し始めた。
「メグリエ家が隠しているという、その、子どもの遺体がどこにあるのか、編集長に探ってこいと言われまして。まさか、遺体を隠しているなんて、ありえませんよね」
記者は不安が隠せない様子で、事実を確認したかったようだ。
「やはり、その件でしたか」
ナガレは眉一つ動かさず、笑みを浮かべたままだった。
「もちろん、孤児の遺体を隠してなどおりません。事故に遭われたその子は生きていて元気ですよ」
記者はほっとした顔をした。しかし、彼女が納得したわけではなかった。
彼女が話し始めたのは、彼女自身が掴んだ数少ない事実から考え出された物語だった。
「メグリエ家は、メグリエ機関の欠陥を隠していたのではないですか?その欠陥により起こったのがテイラーマキシカの暴走事故。運悪くその事故に巻き込まれて、子どもが亡くなってしまったのではありませんか――」
彼女の編み出した物語は続いた。
メグリエ家は、すぐにマキシカ事故で死亡した子どもの存在を無かったことにする計画を企てる。それには、利害の一致するマキシカ家の協力もあったとされる。マキシカにより人が亡くなった、それもまだ子どもであったのならば、世論は子どもの死を悼み、マキシカを恐れ、排除し始めることは容易に想像できる。スナバラ一の富豪と言われるマキシカ家の協力があれば、隠蔽など容易いことだろう。今までだって、マキシカの事故や事件が起こっており、それをなかったことのように隠蔽していてもなんら疑問を持たれないからだ。両家にとっては幸運にも、事故死した子どもは社会的な接点が少ない街の外れの孤児院の少年だった。あまり学校にも通わず、孤児院の人間くらいしかその子のことをよく知っている人間はいない。
事故死した子どもなどいなかったことにするため、メグリエ家は多方に手を回した。テイラーマキシカの暴走事故では物損や軽傷者はあっても、死者はいない。暴走事故の現場は、混乱の中で目撃者も曖昧な証言だったのだろう。
しかし、どこから情報が漏れたのか、スナバラ・タイムズが、事故死した子どもがいることを独自のスクープとして報道した。子どもの存在を無かったことにできないと考えたメグリエ家は、事故に巻き込まれた子どもが無事で生きていると証明するために、急遽代わりの子どもをどこかから連れてきた。屋敷の様子を伺っていたアムは、少年が屋敷に出入りしているのを何度か目撃している――
「違いますか?」
アムの仮説にナガレは驚き、感心したような表情をした。少ない情報から考え出した物語としては、筋が通ってはいるが、捻りのないつまらない物語にも見える。
「そのようなお話、全くございません」
執事はきっぱりと否定する。彼女はそんなことでは食い下がらなかった。
「フレイザ・メグリエ氏の不在は、この一件の熱りが冷めるまで、ウミナトに身を潜めているからではないのですか?」
彼女はメグリエ家が黒だと考えている。マキシカの評判を落とさないためならば、手段を選ばないのがメグリエ家やマキシカ家に抱く印象なのだ。フレイザの不在理由もこの一件に関係しているとしたら、考えつくもっともな理由と考えられても仕方がない。
「旦那様は、お仕事で不在ですが、この事件とは関係ありませんよ」
ナガレがいくらそう言おうと彼女は信じることはなさそうだった。疑いの目を彼女はナガレに向けたままであり、自身で集めた事実を元に考えた物語を信じ切っているかのようだ。
信じてもらえないのであれば、別の方法を取るのが良さそうであると執事は考えた。ナガレは少しこちらの知る情報を伝え、アムの物語の隙を突くことにした。
「その子どもはトッドマリー孤児院の子なんですが、それはご存知でしょうか?」
「はい、確かそうでした」
その小さな孤児院、もう閉鎖が近いであろう、最近は孤児が一人と院長の女性だけが暮らしていたことをアムは既に調査済みだった。
「そこは、西の外れにある孤児院です。事故現場とは離れていて、なぜ子どもが一人でマキシカの近くに行ったのか、私は引っかかってまして」
ナガレは困った様な笑みを浮かべながら、彼女の前に目の前に謎を置いた。
アムはトッドマリー孤児院と事件現場との距離を考えていなかった。一瞬、彼女は気付きの顔つきをしたのがナガレでもわかった。
孤児院があるのは、西のはずれ。中央から同心円状に番号の振られた主なスナバラの通りの、最も外側の十二番通りからさらに外側に孤児院は位置している。一方、テイラーマキシカのあった四番通りの西側は、孤児院から見ると、スナバラの中心に向かって移動することになる。ほぼ一本道であるとはいえ、例えそれがお使いだったとしても、子ども一人で行かせるならば、もっと近い市場を選ぶであろう。テイラーマキシカのあった職人街までいくのならば、誰か大人と共に行ってもいいはずの距離だ。子どもの足で歩いては時間がかかる。加えて、スナバラは中心に向かって坂道のため、上り坂を歩いていかなくてはならない。多くの人は路面電車を利用するだろう。路面電車には子ども一人で乗ることができるが、わざわざテイラーマキシカのある通りに行く特別な理由なくしては、子ども一人があの通りにいるのが不自然とも言える。
ナガレはまるで、その子がマキシカの事故に遭うために、その日のあの時間に現場にいたかのようだともとれる言い方をしたのだった。月刊ミカイの記者である彼女なら、新たな謎に惹きつけられる――執事は、物語の流れを変えるきっかけを作った。
「トッドマリー孤児院の院長の女性は、その子が出掛けた直後から、行方不明になっていたそうです。先日やっと見つかりました」
あまり大きく新聞には掲載されなかったからか、アムは知らないようだった。アムはナガレの話を取材ノートに書き留める。
「孤児院はその女性とその子だけ。どうやって遺体の身元確認をしたのでしょうか?事故死した子どもがいるというニュースは翌日のスナバラ・タイムズに載ってましたのに、院長は最近まで行方不明だったのですよ」
ナガレは謎をアムの目の前の皿に盛りつけるかのように、不可思議な謎を提示した。
「それは――」
アムは沈黙した。
アムの考えた仮説にヒビが入る。情報が少ないとはいえ、こんな簡単な誰でも思い描けるような脚本では済まない。もっと複雑で、もっと深い物語が、この事件の底に横たわっていると執事は言っているのだ。調べてみる余地もある、そう彼女は気づいただろうか。
マキシカ暴走事故の裏で、一人の女性が行方不明になっていた。同日に起きた失踪事件とマキシカ暴走事故。誰がマキシカ暴走事故で亡くなった遺体の身元を確認をしたのか。孤児院の院長でなければ、一体だれが、孤児の遺体だと確認ができるのか。
「院長の女性にその子かどうかの確認をさせないために、誰かが彼女を連れ去ったのかもしれませんね」
ナガレは呟くように言った。アムは一心不乱にナガレの話をノートに書き留めた。アムがペンを止めたところで、ナガレは頷く。
「こちらの持っている情報も少しは提供できます。この不可思議な事件、明らかにしていただけるのであれば、ご協力いたしましょう」
記者の顔がだんだんと明るくなった。怯えて屋敷の裏口にいたとは思えないほどに。アムは編集長と相談すると言って、その日はナガレに礼を言って去った。
複数の新聞に、行方不明になっていた高齢の女性が見つかったという記事が掲載されていた。記事には孤児院の院長とは書かれていなかったが、どうやら、彼女のことらしい。街の噂から聞こえてくる。その若い記者は調査を始めたようだ。真実の物語を見つけるために。




