第31章 水面下の計画
昼に近づき、多くの人でメッセはにぎわい始めた。
スナバラ都市議会議長カナー・カレズが視察に来たらしい。まるで議長が磁力の強い磁石でそれに引きつけられる砂鉄のように、彼の周りを囲む人々の塊が少しずつ博物館の庭園の中を移動しているようだ。
ネッツは人の塊を眺める。議長の姿は見えないが、あの中に議長がいて、そして多くの人を引き連れているのだ。もし、ラゥル・コソックと手を組んでいるのがカレズ議長だったら、コーリィやマキシカはどうなるのだろう。スナバラで一番偉い人である議長が敵となれば、不利であることはネッツにもわかる。
「そろそろ、マキシカの実演の時間だ」
リオードは金の懐中時計の時刻を見て言った。
マキシカ管理局の局員たちが、客を集めていた。メッセに人が多くなってきたこともあり、何度かマキシカの安全性を説明するショーを行うらしい。
「見ていくわ」
コーリィはそう答えた。ネッツはウミナトからやってきたお菓子がまたお預けになった。
マキシカ管理局の局員たちが人々に呼びかけると、少しずつ人々が足を止める。コーリィはそれを少し離れたところで見守る。
「近くで見ないのか?」
ネッツは白い帽子の中を覗き込んだ。コーリィは涼しい顔をしている。
「見慣れてるもの。見たい方に譲るわ。ネッツは少し前で見てきたら?彼が来るかもしれないから、最前列が見える真ん中あたりがいいわ」
ネッツとコーリィの背丈では、マキシカが人垣で見えない。最前列の人は少し屈んでおり、最前列から少し後ろでも実演を見ることができそうだ。コーリィはマキシカの実演に集まってきた客たちを一人ずつ気にしているようだった。
「うん!近くで見ないと見えない!これ見たら、お菓子のところに行きたいんだけど」
「そうね」
ネッツはコーリィから離れて、マキシカの前にやってきた。
ネッツは何が始まるのかとワクワクしながら見ていた。大人たちはマキシカを恐る恐る眺める者や、マキシカの安全性の真価を自身の目で見極めるためにやって来た者もいるだろう。
マキシカ管理局の局員たちは、マキシカの説明をマキシカの前で始めた。マキシカの暴走現象やそれを防ぐために出来ること、安全性を民衆に訴えかけるためだ。
マキシカは安全なのか。マキシカに代わる機械がまだ発明されないスナバラは、マキシカに頼らざるを得ない。しかし、連日のマキシカの暴走により、市民はマキシカの事故に巻き込まれてで子供が死んだことや、点検をしたばかりのマキシカでも暴走したと信じている。
市民には紅夜石による暴走誘発という秘密を明かすことも、ネッツが死んでいないことを証明できない。しかし、マキシカの安全な使い方を周知することで、マキシカは人の手に負えない怪物にはならないことを改めて知ってもらう。そのために、マキシカ社とマキシカ管理局はメッセに出展したのだ。
ネッツは最前列からニ列ほど後ろに潜り込んだ。ここならマキシカが十分見える。コーリィはネッツにマキシカに近づきすぎるなと言っていたから、ここなら大丈夫だろう。ラゥル・コソックは最前列でなければ、マキシカに近づけないから、ここにいればあいつが来たこともわかるはずだ。
コーリィはマキシカを見回りに来たであろう、制服を着た警官に声をかけた。
「ご機嫌よう、お巡りさん」
「あぁ、お嬢ちゃんか!」
ディージ警部はコーリィに気付いたようだ。
ディージ警部は見本市の警備に動員された警察官のうちの一人として見回りをしていた。今日は警察官の制服着用の命令があったらしく、淡い緑のシャツと深緑のスラックスだった。彼はスナバラ自衛軍の制服でもいいくらい、体格が良い。若い軍人を鍛え上げる厳しい教官と言われてもなんら疑問を持たれないような顔つきだ。半袖のシャツから伸びる腕は少し窮屈そうだ。ディージ警部はいつも私服で業務に当たっており、コーリィは今日のような警察官の制服はどこか見慣れていないからか、どこか不釣り合いな感じがする。
「お巡りさんは、マキシカの近くを見回ってくださってるのね」
「あぁ、本当はメッセ全体の警備だが、マキシカを暴走させる奴がいるって言うから、この辺りを重点的にだ。それで、やつはいたか?」
「いいえ。私たちがまだ見つけていないだけかもしれませんが」
「何もないのがいい。これ以上マキシカが暴走したら忙殺されるこっちの身にもなってほしい」
「ええ、私たちもとても迷惑です」
「意見が合うな」
ディージ警部とコーリィが話しているうちに、展示用マキシカの実演と説明が終わった。見ていた観客達は散り散りになり、詳しく話を聞きたい者だけが管理局員に話しかけている。
どうやら、コソックはいないらしい。実演中の人だかりの時の方がそれに紛れてマキシカの暴走を引き起こせるとコーリィは考えたが、マキシカはのんびりゆっくり、青い瞳のまま、冷静に動いている。暴走の兆しはない。様子を少し離れて伺っているとも考えられる。メッセが終わるまでは気が抜けない。
「赤毛の坊主も来ているのか?」
「はい。ネッツが彼の顔を知っているので」
「なるほど。坊主に奴が来ているかを探してもらっているのか。それで、ネッツは?」
マキシカの実演を静かにきいていたはずが、ネッツの姿はコーリィの目の届く範囲にはなかった。コソックの捜索はネッツが頼りだというのに、マキシカの実演が終わって人が動くと同時に、ネッツはお菓子の試食に行ってしまったのだろう。
「会場内でコソックを探しつつ、お菓子の試食に行ったようです」
ため息混じりのコーリィに、ディージ警部は笑い声を漏らした。
「まだお菓子の誘惑には勝てないな。奴を見つけたら戻ってくるさ。さて、見回りするよ」
「お願いします」
彼はメッセの見回りに戻った。
マキシカを見ていた客が減り、リオードがコーリィの元にやってきた。
「アリブレさんがネジッレを買ってきてくれたんだ。一緒に食べよう」
「ええ」
実験マキシカの裏で、アリブレがネジッレの入った袋を持っていた。
「食べ物の屋台もメッセの隅で出店してるのさ。ウミナトの食べ物は大行列だったから、スナバラのものだが、揚げたてで美味しいはずさ」
笑顔のアリブレから、ネジッレの入った袋を一つずつリオードとコーリィは受け取る。少し油の滲み出た温かい紙袋を開けると、甘くて香ばしい香りが広がる。冷たいお茶も買ってきてくれたようだ。
「ありがとうございます」
「ネッツくんは?」
「お菓子の試食に行きたいと言っていたので、どうやら行ってしまったようです」
「元気だなあ。まぁ、いただこうか」
マキシカの裏側で三人は休憩することにした。マキシカ管理局の展示の裏側は一般客が立ち入らない舞台裏のようで、三人は展示物の入っていた金属の箱に腰掛けた。
「いただきます」
リオードとコーリィは袋から綺麗にねじって揚げられたネジッレを取り出し、頬張った。
ふんわり、じわっとクセない軽い油が口の中に広がる。ネジッレにまぶされた砂糖も、溶けていく。
「おいしい」
コーリィはネジッレがラウンおばさんの店のネジッレにほとんど近しいほど、均衡の取れたものだと感じた。残念ながら、小型のネジッレマキシカは、暴走事故を起こしたために、売れ行きが芳しくないと風の噂で聞いた。あのネジッレが食べられなくなるのは残念でならないから、なんとかマキシカの信用を取り戻したいところだ。
リオードは二つ目のネジッレを袋から取り出した。
「それにしても、このネジッレ、芸術的なほど綺麗にねじられているね。火加減も絶妙だし、これは職人技だな」
アリブレはうなずく。確かに、生地を綺麗に捻って整形しなければ、油の中で加熱のむらができ、加熱し過ぎた生地はパサパサになってしまう。さすがネジッレを売る専門店といったところだ。
「売り子は若い夫婦だが、作っているのはマキシカだよ」
コーリィはネジッレを食べる手を止めた。
「マキシカ!?展示用マキシカ以外にここにマキシカがあるのですか?」
コーリィが血相を変えたことに、アリブレは慌てた。
「ど、どうしたんだい?マキシカで作ったネジッレはダメだった?」
「とても美味しい。食べたかったネジッレです」
このネジッレはラウンの店のものなのだ。スナバラの昔からある伝統的で素朴なお菓子ではあるが、ラウン独自の配合の生地は、ふわふわで軽く、油っこくなく、くどすぎず控えめでない絶妙な甘さのネジッレを生み出した。
「ネジッレマキシカがあると何か問題があるのかい?」
アリブレは怪訝な目をした。事情を知らない彼には、なぜネジッレマキシカがここにあることにコーリィたちが血相を変えたのかわからないのだ。
「最近、暴走したマキシカだから、その、大丈夫かしら」
コーリィは取り繕った。
「あぁ、確かに。でも点検を済ませて問題がないから、暴走はしないだろう。皆怖がらずにネジッレを買っていたよ」
コーリィはリオードと顔を見合わせ頷いた。
ネッツはメッセの中の食べ物を扱う区画へとやってきていた。まだウミナトにしか売っていないお菓子があるとコーリィが言っていたからだ。その区画は美味しそうな香りで溢れていた。甘い香りも砂糖から果物の香りまでいくつもあり、香ばしい香り、濃い味のする塩辛そうな香りも、肉が焼ける香りも、次々とネッツの鼻に飛び込んでくるのだ。ネッツにとってはこの上ない、心躍る場所だった。
メッセの中の食品の区画であるため、ネッツの目的であったお菓子ばかりではなかった。ネッツが見たことのないものが紹介され、試食もあった。
黄色のつるりとした果物の缶詰は、一口味見することができた。ネッツには、小さな紙の入れ物に楊枝を刺してその初めて見るシロップ漬けの果物を手渡された。すぐに頬張ると、果物だというのに、砂糖のように甘く、これだけでもネッツは満足だった。
口の中で弾ける飴の粒もあれば、塩辛くさくさくとした食感の菓子、緑色の酸っぱい果物のジュースもあった。どれもネッツが見たことも口にしたこともないものばかり。スナバラで買えるようになってほしいし、ネッツのお小遣いで買えたら嬉しいものばかりだった。いつかミセス・トッドマリーや、エレック、シャルテたちにも食べさせてあげたいが、それにはコーリィの元でお手伝いを頑張らなければならない。今日だって、ネッツはここにお菓子を食べにきたわけではない。ネッツには、メッセにラゥル・コソックがいたら、コーリィたちに伝えるという重要な仕事があるのだ。
自身の役割をやっと思い出したネッツの目の端に、見知った顔が映った。茶色の髪、眼鏡をかけ、カメラを持っている男。糊の効いたシャツにチェックのダークグレーのベストとそろいのスラックスを着こなし、すらりと立つ彼を見たと同時にネッツに電撃が走った。
――あいつがいた!
コーリィがいるであろうマキシカ管理局の出展場所はネッツがいる食品の区画から少し離れていた。
コソックを追いかけるべきか、コーリィ達に知らせるべきか。ネッツは頭を悩ませた。すぐにコソックを追いかけることにしたが、メッセは盛況で人が多く、背の低いネッツはすぐにコソックを見失いそうだ。
なんとかコソックに気づかれないようについていくが、コソックは左の方に曲がってどこかに向かっているようだった。コーリィ達のいるであろうマキシカ管理局の出展場所は曲がらずにまっすぐ行くのが近道だ。コーリィに知らせるか、コソックを追い続けるか。
ネッツはどちらにいくべきか、迷っているうちに、コソックを見失ってしまった。
「しまった!」
コソックの消えたほうは特に人がごった返していた。酒類や煙草などの嗜好品の区画らしく、大人たちが多く集まっている。ネッツのような子どもがいるような区画でもなく、またその酒や煙草が混じり合った独特な香りもネッツを拒む。
しかたなく、ネッツはコソックを追うのをやめ、マキシカ管理局の出展場所に向かうことにした。コーリィには、コソックを見つけたら追いかけずに知らせろと言われていたのだった。早くコーリィに知らせなければと、ネッツは焦る。




