第28章 マキシカ家のお茶会
もどかしい思いが燻り、雨季の晴れない空のようにネッツの心は段々苛立ちはじめた。コーリィはイルズ・カーンの本名をやっとつかんだというのに、次の行動を起こす気配はない様子だったからだ。コーリィはマキシカの暴走があると警察に行くことがある。ならば、彼のことも警察に言えば逮捕されるのではないだろうか。
廊下をモップで拭きながら、ネッツは不満を少しだけ呟いた。
「コーリィは何を考えてるんだろ。あとちょっとであいつを追い詰められるのにさ」
ちょうどバケツの水を換えて持ってきたナガレは、ネッツの独り言を聞いていた。
今にもラゥル・コソックを捕まえに行きたいネッツの気持ちもわからないわけではないと、ナガレは少年をなだめる。
「そうですね。熱過の媒介者を逃さないよう、お嬢様は準備をされているようです」
「そうなのか?何も聞いてないぞ」
ネッツが出掛けても、再び彼を見かけることもなく、その時は来ない。コーリィから叱られたから、もし彼を見かけても、追いかけるどころか、速やかにその場を離れることを約束させられた。
「大丈夫でございます。お嬢様はちゃんと考えております。コソック家のことを調べておりました」
「何かわかったのか?」
ネッツは期待の目をナガレに向けた。
「お嬢様からは伺っておりません。でも、お嬢様には考えあってのことでしょう」
ネッツにも、ナガレにも知らされていない。コーリィは、ネッツを信用していないとも言える。ネッツの思い通りにならないことに苛立ちを覚え、気持ちだけが急いてしまう。
掃除をしているネッツの前に、自室から出てきたコーリィが現れた。彼女は、白のレースの襟のブラウスと、まるで雨季の始まりに一緒現れる新芽たちのような淡い新緑色のスカートの出で立ち。一重の白い花のようだ。
「マキシカ家のお茶会に行ってくるわ」
ネッツが何か言いたそうにしていたからか、コーリィは呟くように言った。
「コソックのことを含めて、今後のことを相談してくるから、待っていて」
「――わかった」
コーリィは何か考えがあってのこと、ナガレの言ったことは合っているようだ。ネッツはそう信じたい。しかし、何もできなくてもどかしい。
「そうだわ、ネッツ」
「なんだ?」
「くれぐれも、ラゥル・コソックについて、誰かに話したり、二度とネッツ自身で捕まえようとしてはダメよ」
「じゃあ早く捕まえてくれよ!」
地団駄を踏むほどネッツは不平不満を言いたかった。
「それは警察の仕事かしら。でも、捕まえる準備をしているところよ。ネッツの力が必要になった時、お願いすることになるわ。その時は必ず来るから、それまで待っていられる?」
コーリィの眼はまっすぐで時に睨みつけているかのような力強さがある。
「・・・うん」
ネッツは唇を噛み締めて答えた。待つことが嫌いなネッツには辛いことだ。今すぐにでも、コソックのいるところに行って、奴を捕まえて警察に突き出したいところだが、ネッツはまだ子どもで、コーリィのように先を読んで行動することもできない。
マキシカ家の迎えの車に乗り、コーリィはマキシカ邸に向かった。
白いレンガを数チカも違わずに重ねた真っ白な屋敷はまるで滑らかなクリームのようだった。ウミナトから取り寄せた黄色の小さな花をつける木や、赤い実のなる木々が青々とした庭に植えられている。オアシス都市とはいえ、水の使用は制限されるスナバラでここまでの緑豊かな庭を持てるのは、スナバラ一の富豪であるマキシカ家の屋敷だからだ。
数人の屋敷の使用人たちを連れて、スナバラの女帝は待ちきれずに、玄関までコーリィを迎えにやってきた。
「待っていたわ!コーリィ」
モノニシア・S・マキシカはコーリィを見るや否や満面の笑みで迎い入れた。
「お招きいただき、ありがとうございます。モノニシア様」
夜空を絹で織りこんだような長い艶やかな暗い色の髪に合わせ、漆黒のドレスに金の糸で異国の伝統的な幾何学模様の刺繍が施されている。彼女こそ、マキシカを使ったハージ・M・マキシカの末弟シーカイの娘であり、マキシカ社の現在の社長だ。名実ともにスナバラを左右する強大な企業の長である。
「私はコーリィに早くお義母さまって呼んでほしいわ!すぐにでもうちに来て欲しいくらいなの」
彼女はコーリィをぎゅっと抱きしめる。
モノニシアはカークスとリオードの実母であり、いずれリオードと結婚するコーリィにとっては未来の義母だが、いつも彼女はコーリィを甘やかしている。コーリィは少し困りながらも、モノニシアにされるがまま抱きしめられている。
コーリィの出迎えを母に譲ったリオードがやってきた。少女を抱きしめたまま離れるつもりの無い母を、息子は優しく引き剥がす。
「コーリィが困ってますから…!」
「コーリィがまだうちに来ないぶん、会った時にぎゅっとしないと」
モノニシアは、コーリィのことを実の娘のように扱いたいらしく、それが行動になって現れたのが、出迎えの熱烈なこの抱擁である。
「いつも歓迎してくださって、私は嬉しいです」
身動きが取れないほどコーリィはモノニシアに抱きしめられたままだった。
「まぁ!コーリィ!本当に可愛いんだから」
今日は、コーリィはマキシカのお茶会に招待された。
コーリィ、リオード、マキシカ伯爵と呼ばれるミューコー・イン・マキシカ、そしてスナバラの女帝のモノニシア・S・マキシカの四人が集う。
一見、コーリィの婚前の家族ぐるみの親睦会のように見えるが、急遽開催されることとなったお茶会の目的は別にあった。
コーリィが通された部屋は、青い壁の部屋だった。それは白い壁の家屋が多いスナバラでは珍しい。マキシカの屋敷は部屋ごとに壁の色が異なり、草原のような壁や夕焼けのような壁と天井の部屋もある。壁や天井をキャンバスにして絵が描かれた部屋もある。
その広大なオアシスを想う間で、リオードの父親であるマキシカ伯爵がコーリィを待ちわびていた。リオードよりもさらに明るいアッシュブロンドの髪に、自信に満ちた衰えを知らない新緑の瞳。野心家の紳士だ。彼は皆から’マキシカ伯爵’と呼ばれている。スナバラには貴族制度は存在しないのにも関わらず、彼の優雅で堂々とした立ち振る舞いから、いつしかマキシカ伯爵と渾名されるようになった。
円形のテーブルには、真っ白で美しい模様が織られたテーブルクロスがかけられ、繊細な模様の入れられた皿にケーキやクッキー、果物などが並ぶ。香ばしい香りのするお茶がポットに用意されていた。
コーリィが席に着くと、灰色の服のメイドがカップにお茶を注いで回る。香ばしく上品な香りがふわりと舞う。カップとソーサーに描かれた繊細な青色の線の植物の葉と花は、スナバラのものではなく、異国のもののようだ。スナバラでもウミナトでもない、異国のものを集めるのが好きなモノニシアの趣味だろう。
コーリィはちらりとお皿に並べられたお菓子を見た。飾り切りされた色とりどりの果物、ナッツやドライフルーツの入ったクッキー、コーリィの小さな口でも食べられるサンドイッチ、彫刻のようなチョコレート、カラフルな地層を切り取ったかのような艶やかなものや白粉を纏ったような柔らかそうな見慣れないお菓子まである。ティータイムの定番の焼き菓子から、ウミナトから輸入したであろう珍しい菓子まであるのはスナバラ一のマキシカ家の所以だ。
コーリィが来るのを待ちかねていたマキシカ伯爵が使用人たちを退室させると、コーリィに向きなおった。
今日のお茶会は、情報交換と作戦会議といった場であった。以前はコーリィの父フレイザ・メグリエがマキシカのお茶会に呼ばれていた。都市の発展に寄与したマキシカ家とメグリエ家として、話し合うことは多々あったのだろう。フレイザは毎度毎度のこと、マキシカのお屋敷には何を着て行くべきか、頭を悩ませていた。失踪した父親に代わり、コーリィがお茶会と称した会議に参加するのは初めてのことだった。
「さて、イルズ・カーンについてわかったことはなんだね?」
開口一番、マキシカ伯爵は嬉々として本題を切り出した。
「貴方は本当にせっかちなんだから」
モノニシアは夫に呆れたようだった。急いてしまうのは仕方がない。マキシカの暴走はマキシカの信頼を落とすことに繋がる。マキシカ家もまた、マキシカ暴走事故を引き起こした犯人を知りたがっていた。
コーリィは息を整えてから答える。
「イルズ・カーンは、孤児院の関係者の前で名乗っていた偽名でした」
「偽名!徹底しているな」
「あら、まあ!!」
マキシカ伯爵は変に感心し、膝を打った。モノニシアは驚いてあけた口を上品に扇子で隠した。リオードは神妙な顔つきでコーリィの次の言葉を待つ。
「本名はラゥル・コソック、スナバラ・タイムズの記者です」
マキシカ伯爵は鼻筋に人差し指を当て、少しだけ考え込んだ。
「マキシカ批判が好きな新聞社。記者ならば、すぐに都合のいい記事の掲載もできるのだろうな」
マキシカ伯爵はコーリィの能力をかっていたのもあり、すぐに納得した。
「マキシカ批判の連載記事を書いているジンリー・リック議員は、彼に熱心に頼まれて記事を書くことになったと言っていました」
マキシカ伯爵とモノニシアは顔見合わせ、考え込んだ。
「リック議員が、評議会のことをコソック記者に伝えていた可能性も」
「それだけだとリック議員の関与が弱いような」
「リック議員は、マキシカの時代に終わりが来ると言っていました。しかし、議員がどこまで関与しているかはわかりません」
さらにマキシカ伯爵は考え込んだ。
「その言葉の真意は確かにわからないな」
議員がコソックとは関係なくただの戯言として言っているのか、時代の終焉が来ることを知っているのかはわからないが、要注意人物に加えられそうだ。
「コソックについて他にわかったことは?」
モノニシアの質問に、コーリィは今までにわかったことを話した。
彼の容姿はキャラメル色の髪、鷲鼻で眼鏡をした面長な顔立ち、カミーエ・テンヘン先生にそっくりなこと。彼の好みや行動のくせとして、甘いものと子どもが苦手、マキシカを使わない仕立て屋で服を仕立ててもらうほどにマキシカを毛嫌いしているようであること、喫茶店タビドリに入るところをネッツが見かけたこと。
「よく調べたわ!コソックがマキシカの中からメグリエ機関を盗み出し、紅夜石を取り出して、マキシカを暴走させていたの?」
モノニシアはマキシカを作り出したハージ・M・マキシカを伯父にもつことからも、マキシカに嫉妬した人間による嫌がらせの類は幼い頃から見聞きしている。彼女にはその手の話題には飽き飽きしているくらいだろう。しかし、マキシカの信用を失墜させる、ここまでのマキシカ家への嫌がらせは初めてだという。
「孤児院の子ども達を利用し、悪事だと悟らせずに協力させていたようです」
コーリィは入れたてのお茶を口にした。甘い花々の蜜と香ばしい穀物の香りが広がり、苦味はなく調和の取れた茶葉はモノニシアの好みだろう。湯気の向こうでマキシカ家の人間達は思案する。
「善悪のわからない歳の子どもではないはずだが、悪事だとわからないものなのかな」
リオードは正直に疑問を口にした。リオードは、ネッツの兄貴分のエレックに会っていたから、少なくともコーリィより年上のエレックが善悪の判別ができる年齢であると捉えるのは自然なことだ。
「ラゥル・コソックは悪事を細切れにして、別々の人間にやらせていた。だから、彼らは自身が何をやらされているのかもわからなかったようです。疑念があったとしても、孤児院からお世話になっている人物の頼みをそう簡単に断れるでしょうか」
コーリィの言葉にリオードは言葉を詰まらせた。エレックとシャルテは、ラゥル・コソックに騙され、悪事に加担させられた。しかし、計画の全貌を明らかにされないことで、孤児院の時から世話になっている人物の仕事を手伝っただけと思いこまされていてもおかしくない。彼の企みに気づいていたとしても、脅迫されていたら従わざるを得なかっただろう。加えて、エレックとシャルテの二人は、ネッツがマキシカ暴走事故で死んだと聞かされていた。マキシカの暴走を防ぐ、その仕事の手伝いと告げられていれば、ネッツのような被害者を二度と出さないため、二人がコソックから頼まれる仕事に対して使命感を持つ。
「確かにそうだが、悪事だとわからないように細切れにして、なにをやらされていたんだ?」
マキシカ伯爵は首を傾げる。皆、コーリィの見解を待っている。
「私が知る限りでは、一人はマキシカの設計図を読み解き、コソックに教えました。マキシカの設計図を見ることができ、読み解ける人間がいなければ、メグリエ機関を盗み出す方法がわからないからです。危険なマキシカの持ち主の頭を冷やすため、一時的にメグリエ機関を取り上げるとでも言われたのでしょう」
「確かに、マキシカからメグリエ機関の取り外しは我が社しかやってない。しかし、設計図の情報を伝えたマキシカばかりで盗難事件が起こったら、流石におかしいと気づくだろう?」
「はい。彼は盗難事件が明るみになってからは、コソックに脅されていたと考えられます」
エレック・トリークのコーリィに対する警戒のそぶりからも、少なくとも自身が犯罪に関わっていることには気付いていた。コーリィの話に皆黙った。
「もう一人、関わっていた子がいたんだったな」
それは、シャルテ・ポーンという名の少女のことだ。孤児院を出てからは、壊し屋に住み込みで働いている。
「はい、もう一人は、暴走しそうなマキシカを匂いで察知する動物の訓練と称し、紅夜石を首輪につけたワンガを渡されていました。紅夜石をマキシカに近づける役割です。ワンガが暴走するマキシカの匂いを感じ取れると信じていたようです」
シャルテはコーリィのことを警戒していたが、それは、壊し屋とメグリエ鉱物研究社の関係性を知っていたからだと思われる。また、シャルテとイルズ・カーンの関係はエレックとのそれとは異なっていた。シャルテはカーンと名乗るコソックのことを心から信頼しており、鼻のいいワンガがこれから暴走するマキシカを嗅ぎ当てることができると本当に信じていた。
「ワンガに嗅ぎ分けさせる・・・確かに鼻がきく動物ではあるが、何の疑いも持たないものだろうか」
リオードは首を傾げた。
「それができると信じ込まされたから、騙されてしまったのよ。コソックは子どもたちの信頼を得ていて、口がうまいのね」
モノニシアは冷静に言った。
結果としてエレックとシャルテは直接メグリエ機関を盗み出すことはしていないし、紅夜石がマキシカを暴走させることなど知らなかった。しかし、二人はラゥル・コソックの計画が実行されるのに必要な工程の一部を担ってしまったのだ。
「先日、メグリエ機関の泥棒は捕まった。なんでも、自らを義賊だと信じていて、口を割らないのだそうだ」
エレックとシャルテだけでは、彼の計画が実行できないため、メグリエ機関を盗み出した人物などまだ何人か関わっていることが明らかになりつつあった。
別件の事件で逮捕された泥棒は、メグリエ機関の盗難への関与を認めたのだ。しかし、その泥棒がどうマキシカの中に入り、メグリエ機関を見つけられたのか、情報を提供した人物のことや、メグリエ機関盗難の動機は話さなかった。警察は泥棒に情報を提供し、メグリエ機関を盗み出させた別の人物の関与を疑うことになった。
盗みを働く――ラゥル・コソックもこの工程では孤児を騙すのは無理だと考えたのだろう。子どものほうが、窃盗は犯罪だとわかっているからだ。その代わり、口の硬い泥棒を雇ったのだ。
「その泥棒は、メグリエ機関を盗む理由は知らされてなかった。お金をもらう代わりにやったことで依頼主のことも知らない。だから、ラゥル・コソックと繋がらないわけだ」
マキシカの設計図の写しを所有する修理屋にエレックがおり、それを読み解いてラゥル・コソックに伝え、雇った泥棒に方法が伝わる。泥棒は理由を知らずに、言われた方法でマキシカの中からメグリエ機関を盗み出した。メグリエ機関から紅夜石を取り出し、ワッカの首輪に取り付ける。それをマキシカの暴走を察知する動物の訓練と称して、シャルテにワッカをマキシカに近づけさせる。
全体像を知らないエレックとシャルテがこんな大きな陰謀に巻き込まれていることに気づかないのは、不思議ではない。悪事だと気づけば、二人も周りの大人に相談したが、孤児院時代から世話になった人物からの頼みでは、断ることもできない。偽名で通し、こんな綿密な計画をやってのける人物は口も達者で付け入る隙もないのではないだろうか。
「ネッツをマキシカ事故に遭遇させて死亡させたことにしたのは、大きく世論を動かすきっかけのため。孤児院の院長の失踪は、子どもたちを孤立させるため。一見、バラバラのピースだが、1つの孤児院の関係者が関わりすぎている」
マキシカ伯爵は険しい顔をし、頷く。
「おかげでマキシカを無駄に恐れる人が増えたわ。どうしてくれるのかしらね!」
モノニシアは怒っていた。
マキシカを過剰に恐れるようになった市民は、マキシカのある通りを避けるようになり、過去に暴走したマキシカかどうかを修理屋に尋ねる人もいると聞く。元々マキシカに悪い印象を持つ一部の人々に好機を与えているという噂もある。
「なんでそこまでしてマキシカの信用を落とすことをするのだろう?」
リオードはマキシカ家の人間として、嫉妬の目を向けられることには慣れてはいた。しかし、ここまでマキシカを潰そうとする悪意に満ちた計画があったことはない。
「過去の新聞記事を見て見つけたんだが」
マキシカ伯爵は新聞のスクラップを見せた。その紙は少し黄ばんでおり、掲載されたモノクロ写真の粗さや、印刷のかすれから、前時代の技術で刷られたものだとわかる。
「三十年近く前の最初のマキシカ暴走事故と言われている事故の記事だ。どうやら、この事故で怪我をした人物がコソックという名だ」
マキシカ伯爵が考えていたのは、過去にあったマキシカ事故に巻き込まれた人間がコソックという名を持つことだった。
この事故は、コーリィの祖父レイト・メグリエがメグリエ機関の暴走に気づくきっかけとなった事故の一つであった。当時も事故の後はマキシカの点検が流行ったという。
この事故の被害者コソックが、ラゥル・コソックの家族や親類であれば、この事故がマキシカ暴走事故を引き起こし、マキシカやメグリエの家に復讐を始めたきっかけかもしれない。
「この事件の復讐という動機はわかるが、なぜ今になってなんだ?」
リオードは復讐の時期が三十年近くもあとなのか、疑問に思った。なぜ、今になってコソックはマキシカ家とメグリエ家に復讐をすることにしたのか、もっと早く復讐を始めてもおかしくはない。復讐を考える心をその事故から三十年間も燻らせておくことも、そして、今を好機だと考えたのには理由があるはずだ。
「リオード、それは本人にしかわからないことよ。さっさと警察に任意同行させて白状させる。取調べをすればわかること」
モノニシアはどう警察を動かすか思考を巡らせているようだった。
復讐をする真の動機は、復讐を願う本人にしかわからないものだ。リオードはラゥル・コソックの動機を推測することで、次の彼の動きを予想できると考えていた。強いていえば、メグリエ家の当主が不在であることだが、そのこともあまり知られてはいない。マキシカの家には死角はないのだから、両家に復讐すると言ってもマキシカ家相手では、あまり不利にはならない。
「マキシカ暴走事故はすべて奴のせいだと公表し、マキシカの安全性は、うちの社で少しずつ信頼回復をやらなくてはな」
マキシカ伯爵は余裕のある表情だ。マキシカ無くしてこの沙漠の街は成り立たなかったことはマキシカの人間が最も分かっている。その自信は確固たるものだ。
「来週のメッセに、マキシカ管理局とともにマキシカの安全使用で出展するから、まずはそこからだ。マキシカの名誉挽回は少しずつだな」
来週、メッセと呼ばれるスナバラ見本市が開かれることになっていた。新しい商品や機械、発明が紹介され、投資家や商人たちもやってくる大きな催しだ。
夫の楽観さに、モノニシアは口を開く。
「甘いわ!彼がメッセでマキシカを暴走させることを企んでいる可能性がまだあるのよ」
「私もそれを心配しています。人が多く集まるから、マキシカの危険性を示すには都合が良すぎる場所です」
コーリィもモノニシアと同様の心配をしていた。メッセでは、多くの人がやってくる。それは投資家や商人だけではなく、新聞や雑誌の記者も、そして議員もだ。そこでマキシカの暴走を目撃する人が多ければ、マキシカに恐怖を抱く人間が増えるだろう。それではますます不利になる。
「マキシカの周りには我々がいるし、マキシカを客には触らせない。無理じゃないか」
リオードは心配しすぎが度を超えていると首を傾げるほどだった。
「メッセまでに彼が警察に逮捕されればいいけれど、警察も紅夜石とマキシカ暴走の関係を知らないから、捜査で捕まえるのも無理だわ。メッセに現れても、マキシカに触れた不審者として職務質問ができるかどうかよ」
モノニシアは一刻も早く、マキシカの妨害となる彼を警察に逮捕させたかった。しかし、密約により、警察にマキシカ暴走と紅夜石の関係を教えることはできない。もし、彼が紅夜石を所持していたとしても、ただの紅い石としか警察には認識されないため、マキシカ暴走の際に近くにいたとしても、証拠にできない。
「そもそも、彼には暴走させる方法はないだろう?コーリィの手に盗まれた二つのメグリエ機関の紅夜石があるのだから」
リオードの言う通り、二機のマキシカから盗み出されたメグリエ機関は回収され、紅夜石はワッカの首輪についていたものを現在はコーリィが預かっている。
「任意同行もすぐにはできない、メッセでの暴走も下手をすればよりマキシカの信頼をなくすけれど、相手に紅夜石がないなら、暴走は起こらない。どちらにしろ、彼を逮捕できない。頭が痛い問題ね」
モノニシアは頭を抱えた。
相手の出方としては、十分にマキシカの信頼を失わせることができたのなら、雲隠れする段階に移るだろう。少しほとぼりが冷めたら、次の計画に移る可能性だってある。
ラゥル・コソックを任意同行し、マキシカの盗難に関わっていたと証明できたとしても、それまでの罪しか問われない。
孤児の少年の事故死から始まり、マキシカの暴走事故が頻発した今、マキシカとメグリエの両家の信頼は落ちている。それで、ラゥル・コソックは三十年前の復讐を遂げられたと満足したのかはわからない。
「コーリィのおかげで首謀者は分かったんだ。警察に相談しよう。私たちはマキシカの信頼を取り戻すことに尽力すべきだ」
マキシカ伯爵は落ち着いていた。時にそれはモノニシアの神経を逆撫ですることもあったが、正論でマキシカ家に出来ることである。
コーリィの表情は晴れない。どうしても一つだけ引っかかっていたことがある。
「実は、紅夜石なしに、マキシカを短時間で暴走させることは本当に不可能かと考えていて・・・」
コーリィの疑問にマキシカ伯爵は感心する。
「その仮説は大変素晴らしい。集熱板に松明でも近づけたら、可能だろう。しかし、メッセで人知れずにはできないな」
過剰な熱はマキシカに余剰な熱量を与えるから、理論上は集熱版を過剰に熱すれば、マキシカを暴走させることは可能だ。しかし、松明は目立ちすぎる。マキシカの集熱板に何かしら熱源を近づけるとしても、不審な人物として警戒されるのではないだろうか。マキシカに惹かれた立派な首輪のワンガに引きずられてマキシカを近くで見物する少女の方が警戒されづらいのは明らかだ。
「私が二つの紅夜石を回収したあとに、ネジッレマキシカの暴走の原因が気になっていています。メグリエ機関を盗まれたマキシカがもう一つあるのならば、コソック氏は三つ目の紅夜石を持っていることになります」
コーリィの言葉に皆は考え込んだ。
「メグリエ機関の盗難は二機だけ。件の泥棒も二つしか盗んでいないと言っているそうだが、メグリエ機関がなくなっている三機目のマキシカに気付いていない可能性が・・・?」
マキシカ伯爵は、警察関係者からの情報を得ているようだった。
「その泥棒が嘘をついているか、泥棒がもう一人いるか。メッセが心配だわ」
モノニシアは憂いの表情をさらに曇らせる。コーリィの表情にも、暗雲が立ち込めていた。
「まだその盗難にあった三機目のマキシカが見つかっていないとなると、もしかしたら、合成した紅夜石を使うという可能性も考えたのですが」
だんだんと自信をなくすコーリィの発言にマキシカ伯爵は口にしかけた小さなサンドイッチの手を止めた。
「さすがコーリエッタ嬢だ。うちのリオードには秀才で美人でもったいない」
「あら、リオードがコーリィに見合った男になってもらわないと、コーリィが私の娘にならないじゃない!」
困惑するリオードを尻目に、モノニシアはいつもの調子だ。
「ヒサーマが昔、紅夜石を合成しようとしていたらしい。成功していたら、スナバラにもっとマキシカがあるはずだがね」
マキシカ伯爵の言葉から、紅夜石の合成には成功していないことになる。しかし、コーリィはその事実に引っかかりを覚えた。
天然の純度の高いメグリエ機関に使用できる紅夜石は、スナバラの歴史上、一度だけ、それも一塊の石しか見つかっていない。三百オムほどのその石は、一オムに満たない小さな破片に加工され、メグリエ機関に入れられた。メグリエ機関の数が限られてしまうため、おのずとマキシカの数が決まってしまうのだ。
ヒサーマはマキシカ管理局を作った人物の一人であるが、生前そんな研究をしていたことはコーリィでさえ知らなかった。もし、紅夜石の合成ができれば、またスナバラの歴史は変わっていただろう。マキシカがもっと多いスナバラになっていたし、マキシカがスナバラの外に輸出されていたかもしれない。
「お聞きしたいことがあるのですが」
コーリィは切り出した。マキシカ伯爵とモノニシアに聞いてみたかったことがある。
「何かしら?」
「私の父と叔父がヒャリツに行くことは、ご存知だったのですか?」
モノニシアとマキシカ伯爵は顔を合わせた。リオードは何も知らなかったらしく、両親の顔色を窺っている。
コーリィは、父フレイザと叔父ミッゲルがヒャリツに行くとあらば、マキシカ家に相談しているだろうし、支援を受けていた可能性もあるとにらんでいた。
少しだけバツの悪そうな顔をしたマキシカ伯爵は、観念した。
「ミッゲルの出発の少し前に私とモノニシアだけに打ちあけられたよ。少し支援もさせてもらっている」
マキシカ家の者もヒャリツに行くべきだったとマキシカ伯爵は続けた。そうしなかった理由として、スナバラの秘密に関わるため、マキシカ家本家の人間しかヒャリツに行く権利はない。そして、数ヶ月の不在はメグリエ家以上に不審がられるためだった。
「フレイザとミッゲルが、コーリィには秘密にしたのは、留守の間、暴走マキシカを止める仕事を任せたい、何が起こるかわからない危険なヒャリツに追いかけてこられては困るからだと言っていたよ。彼なりに娘を心配してのことなんだ」
マキシカ伯爵はフレイザから計画の詳細を聞いていたのだ。コーリィは胸のわだかまりを自覚し、唇を硬く結んだ。
「でもコーリィに留守を任せるには、暴走マキシカの数が多すぎたわ。誰かのせいで暴走しなければ、多くて一、二件で済んだはず」
モノニシアの言う通りだ。フレイザはマキシカの暴走はまれなことだと考えていた。故意に暴走する人間が現れなければ、ここまでの事故はなかったはずだ。
「フレイザとミッゲルがどこにいるか知りたいのだろう?」
マキシカ伯爵の言葉にコーリィは頷く。
「残念ながら二人はヒャリツ探検もしているから、今はヒャリツのどこにいるかはわからない。必ず帰ってくると約束したから、帰ってくる。コーリィ、いい子で留守番してほしいのだが」
リオードはふうとため息をついた。コーリィとリオードは、カレズ議長と約束したのだ。ヒャリツに二人を迎えに行って連れ戻すことを。
「カレズ議長と約束したので、この件が片付いたら、父と叔父をヒャリツに迎えにいかねばなりません」
マキシカ伯爵は諦めの表情で、頷く。
「フレイザたちが早く帰ってくるといいのだが、仕方がない。リオード。ヒャリツに行く際にはコーリィを全力で守るように」
マキシカ伯爵は許可を出さざるを得なかった。
「わかっています」
リオードはすでに固く決心していた。モノニシアは全く納得していない様子だった。明日にもフレイザ・メグリエとミッゲル・ファンがヒャリツから戻ってくることを強く願うのみだ。




