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第25章 沙漠の上を渡る箱

 その日のスナバラは薄曇りだった。今日はメイドのマァレットがメグリエの屋敷にきており、昼食は彼女が腕を振るったウミナト料理だった。彼女は、スナバラの伝統的な料理とネッツが知らないウミナト料理を作ることもあり、ネッツはマァレットが昼食をつくる日が楽しみになった。台所に長い黒髪を編んだ背の高いメイドがいるのを見つけると、ネッツは思わず期待に満ちた笑みを浮かべてしまう。今日はどんな見たこともない料理を彼女は作るのだろうか。

 ネッツがナガレに言われた掃除を手伝い、昼に空腹を感じた時には、マァレットの作る料理の香りがネッツの期待をさらに加速させる。

 ナガレが昼食にしましょうと声をかけたら、ネッツはすぐに使っていた箒を掃除用具にしまった。手を洗い、食卓のある部屋に足早に向かう。

「今日の昼ごはんは?」

 期待に満ちた表情の少年を見て、マァレットはふふっと笑った。

「レコペのスープ麺ですよ」

 テーブルに並べられた少し深さのあるスープ皿は目を引く鮮やかな黄色のスープで満たされていた。そこに麺や具材が入っている料理のようだ。

「いただきましょうか」

 そこにいたのはメイドと少年と執事だった。コーリィはいない。

「お嬢様は、自室で食べるそうです」

 ナガレはコーリィの部屋に昼食を運んできて、戻ってきたところだった。

「そっか」

 昼食の場にコーリィがいないことに少し寂しさを感じた。コーリィと同じ屋敷の中にいるのに、話していないばかりか、数日顔を合わせていない。何か作業に集中しているときは、自室か書斎に篭っているようだ。

 ネッツは椅子に座った。ナガレとマァレット、メグリエの屋敷の使用人が揃った。

「いただきます!」

 ネッツは早速フォークを取った。

 鮮やかな黄色に熟したレコペの溶けたとろみのあるスープに、もっちりとした麺とカラフルな野菜や炒めたギンヨルの肉が入っていた。生のレコペ特有の青臭さがなく、スープがロスマーの香るしっかりとした味付けで、もちもちとした麺の食感がくせになる。ネッツは野菜があまり好きではなかった。こんなに大量のレコペを美味しく一度に食べたことはないだろう。

「美味しい!これ初めて食べた!」

 ネッツはスープを皿が削れるくらい飲み干していた。

「お口に合ってよかったです」

 マァレットは誇らしげだった。



 食後にネッツはコーリィを見かけた。ナガレによると彼女はまた母親ミマのお見舞いに出かけるらしい。

 淡い水色のスカートにフリルのついた大きな襟のブラウスを着て、白い帽子をかぶり、彼女は一人出掛けて行った。

 コーリィは週に一度くらいはお見舞いに行っている。でも、ネッツはもう彼女について行こうとはしない。コーリィがついてきてもいいとも言わないし、親と離れて暮らすコーリィだって、母親と二人で話したいだろう。ネッツが入り込むべき場所じゃない気がしたし、コーリィの母親に会うのも気恥ずかしい。


 ――表に出たコーリィを見つめる人物がいた。

 女性にしては短めの長さの暗色の髪、眼鏡をかけた若い女である。数日間、メグリエ鉱物研究社である店の間口の通りや、屋敷の裏側の通りで様子を伺っていた。彼女はコーリィに見つからないようについて行った。雑踏に紛れ、メグリエの動向を探るつもりらしく、何か探れないかと何度もやってきていた。出掛ける冷嬢は何をしに行くのか、何か情報をつかめる格好の機会だろう。


 ネッツはナガレの昼食の片付けを台所で手伝っていた。皿を布巾で拭いたり、テーブルを拭いたり。メイドのマァレットは、食事を終えたばかりだというのに、台所で何かを作っている。

 具沢山のスープの鍋が二つ煮込まれているところだ。オーブンでも何か焼いているらしく、甘く香ばしい匂いが漂っている。ネッツのお腹はいっぱいだが、マァレットが作る料理はどれもこれも美味しく、味見のお呼びがかかることを期待してしまう。

 黒髪のメイドが鍋をかき混ぜたり、オーブンを覗いたりと忙しない様子をネッツは皿を拭きながら横目で見ていた。

「ネッツ坊ちゃん」

 執事の声がして、手にしている皿に意識が戻る。ネッツが皿を割ってしまったら大変だ。ネッツが弁償できるような代物ではないはずだ。

 どきりとしてネッツが顔を上げると、和やかなのに、どこかネッツにとっては暗雲が見える笑顔のナガレが立っていた。

「お片付けはもういいので、お勉強されては?雨季休みの宿題がありますでしょう?」

 ネッツが上の空だったからか、ナガレはネッツに勉強を勧めたのだ。

「うん・・・」

 ネッツは生返事をした。宿題などという机に向かう作業をやりたくないのが正直なところだったからである。ネッツはクラスメートに雨季休み明けに勉強が追いついているように、より多くの宿題が出されていた。少しずつやっているが、気乗りしない。

「マァレットが作るお菓子が気になるのですね?」

 ナガレがネッツの心情を言い当てたことに、ネッツは恥ずかしがらずに元気に返事をした。

「うん!」

 ネッツの元気な返事に、ナガレは圧倒され、呆れた表情になった。

「今、勉強しても眠くなっちゃうし」

 昼食の後だ。眠くならないほうがおかしいとネッツは思う。

「——わかりました。体を動かすほうがいいのであれば、もう少しお手伝いしてください。少し味見もお願いします。宿題もそのあと必ずやるのですよ?」

「やった!」

 マァレットはそのやりとりを見て上品に笑った。

 ネッツがお皿を拭き終え、食器棚に戻した後、ナガレはどこからか大きな箱を持ってきた。ネッツに雑巾を渡した。

「まずはこの箱を拭いていただけますか?内側も外側もお願いします」

「わかった!」

 キッチンの隅でネッツは箱をナガレに渡された硬く絞った雑巾で拭き始めた。

 ネッツは前にもこの箱を見たことがある。薄く伸ばした金属を貼り合わせて作った鉛色の大きな箱だ。同じ素材の蓋が蝶番でついており、蓋を固定する金具もついていて、錠をつけることもできるようだ。箱はネッツが丸まったら入れそうなほどの大きさと深さがある。箱の真新しさは既に失われて何度も使われているらしく、表面の塗料が剥がれたり、傷に錆が少し見られたり、ところどころ凹んでいる。

 以前、ナガレが焼き菓子や瓶詰めに缶詰、炭や薪を詰めていた箱と同じに作られたものではあるが、色が違うので前の箱とは別の箱だ。前の箱はどこに行ったのだろうか。不思議に思いながらも、ネッツは雑巾で箱の外側を拭く。煤けたような汚れがついており、それはこれから詰める炭の粉のようだ。箱の中には沙漠の砂も少し入り込んでいた。

 ネッツが箱を拭き終わると、ナガレが薪や炭を入れた植物の繊維で編まれた袋を持ってきてその中に入れた。箱の半分がそれで埋まった。

「これ、前もやってたよな?この箱に薪や食べ物を詰めてどうするんだ?」

 ナガレはマァレットと顔を見合わせ、ネッツに笑いかけた。

「必要な方の元に送るのですよ」

「必要な方?食べ物や薪を・・・?」

 ネッツはすぐにはその送り先を理解ができなかった。

「ネッツ坊ちゃんのいたトッドマリーさんのところでは、食べ物などを寄付してくれる方はおられませんでしたか?」

 ナガレに言われて、ネッツは思い当たることがあった。売れ残った食べ物や形の悪い野菜、古着や古い絵本などが子どもたちのためにと届けられることがあった。

「あぁ!そういうことか!この箱も孤児院に運ばれるのか?」

「孤児院ではありませんが、運搬屋さんに頼んで必要なところに届けられるようになっています」

「へぇ!そうか!」

 ネッツはこういった善意のおかげで、たまには具沢山のスープにありつけたり、丈が足りなくなり穴の空いた服を取り替えることができた。今までは貰う側だったため、送る側の視点に気づかなかったのだ。

 ナガレは鉛色の箱に食べ物や物資を詰めていく。マァレットの作った焼き菓子に、瓶に詰めたスープ、市場で買った缶詰など。布や包帯、ランタンの油、蝋燭などの日用品もだ。ナガレは手慣れたもので、その箱に隙間なく詰めていった。

 仕事を手伝ったネッツは、マァレットの作った焼き菓子の味見の権利を手に入れた。

 焼きたてよりも1日以上おいたほうが味が馴染んで美味しいものであると前置きした上で、マァレットはフルーツケーキの一切れをネッツにくれたのだった。

 なぜ1日待たねばならないのか、ネッツは焼き立ての美味しさで満足だった。まだ湯気が経つほど温かく、柔らかい。一緒に焼きこまれたドライフルーツだって、水分を吸って柔らかく甘く感じる。マァレットの作るお菓子はどれも美味しいのだ。


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