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第24章 雨音の影

 コーリィは目立たないよう、シンプルな白のブラウスに紺色のスカート、麦わら帽子をかぶった。街にいるような普通の少女ということらしい。ネッツも帽子をかぶらされた。ネッツの赤毛は目立つからである。コーリィはネッツを連れ立って出掛けた。

 西側の通りのどこかに小型マキシカが作った出来立てのネジッレを売る移動式の店がある。西側の通りを、甘い香りを頼りに歩くと、カラフルな布を張った傘を立てた小型マキシカがあった。

 ネジッレマキシカの所有者であるラウンおばさんはネジッレを売っていた。そのマキシカは再度の点検を終えてすぐに販売を始められたものの、誰もネジッレを買う人はいない。通りに人はまばらではあるが、人々は暴走したマキシカに近付くことを躊躇っていた。

 コーリィは堂々とマキシカに向かって歩く。ネッツも彼女についていくが、その様子に顔をしかめる市民もいるようだ。居心地の悪い中、コーリィは大きな声で言った。

「マダム、ネジッレくださいな!」

「あぁ、コーリィ。来てくれたんだねぇ」

 ラウンは少しすっきりした顔をして、コーリィに笑いかけた。

「私は今、暴走マキシカの調査をしているんです。お辛いことを尋ねてしまうのですが」

 ラウンは二重にした紙の袋にネジッレを移す手を一度止めた。

「構わないよ。コーリィの頼みじゃないか」

 彼女は少し無理をして笑顔を作り、二人にネジッレの入った紙袋を一つずつ渡した。コーリィは彼女に硬貨を渡す。

「ありがとうございます」

 コーリィはネジッレの袋を一つネッツに渡し、自身も一つ手にした。

 ネッツは早速、ネジッレを一つ齧ろうと、袋を開けた。袋に目一杯の砂糖がけのネジッレがあり、甘く香ばしい香りが広がって、ネッツの期待が高まる。

 ネジッレを一つ手にすると、ふんわりとあたたかく、堪えきれずに一口。ネッツの中で砂糖がじんわりと広がる。やがてすぐにそれが幸福感に代わり、全身がびっくりするくらいだ。こんなネジッレは彼女の店以外にはないだろう。

 ラウンはカップにヨヨのジュースを注ぎ、コーリィとネッツに差し出した。

 ちょうど飲み物が欲しかったネッツはそれを嬉しそうに受け取った。

「おまけだよ」

「ありがとうございます」

 コーリィもカップを受け取る。冷えたヨヨのジュースは黄緑色をしており、爽やかな酸味と冷たさがネジッレとも合うのだ。

「あの日、マキシカに近づいた方はいませんでしたか?よくマキシカを見ていたり、触れたりした人物です」

 コーリィは真剣にラウンに尋ねる。名もわからぬ人間につながる有益な情報を得なくてはならない。

「あの日は午前中には三番通りの東側のほうで売ってたよ。場所をすぐに変えるように言われて、移動したのさ。そこで急に暴走してコーリィを呼んだんだよ」

「三番通りというと」

 コーリィはざっと三番通りの風景を思い出す。

「スナバラ・タイムズ社のあたりさ。男の人が来て、邪魔になるからって追い払いに来てねぇ。こっちは販売の許可をもらっていたのに」

「その人物はどんな人でしたか?茶髪で背が高くて、チェック柄のベストに、金縁眼鏡ではなかったですか?」

「背は高かったねぇ。眼鏡を掛けてたかな。ごめんね、よく覚えてないんだ。こんな小さなマキシカがあるのかとか、聞いてきて不思議そうに見ていたけれど、買わずにいなくなったさ。ほかにもお客がいてね」

 ラウンは一生懸命思い出そうとしていた。

「その人はその後どこに行ったかわかりますか?」

「その後に別のお客が来てねぇ。ごめんね、よく見てなかったよ。お客が途切れたところですぐ移動したから、わからないねぇ」

 彼女は申し訳なさそうにしていた。

「そうですか。ありがとうございました」

 コーリィはそう言ってラウンおばさんの移動式のネジッレの店から離れる。

 ネッツは口にネジッレの砂糖をたくさんつけて、頬張っていたところを、コーリィは次の目的地に行くらしくネジッレの世界から少年を連れ戻す。

 ネッツは袋から二つ目のネジッレを手にして、大きな口を開けた。ネジッレを食べるのかと思えば、できるだけ大きな声を出した。

「このネジッレ最高に美味しい!食べたらすごく幸せ!」

 もちろん、暴走したマキシカに怯える人たちに向かってだ。

「よかった!また来てねぇ!」

 ラウンは嬉しそうにネッツに向かって手を振った。

 コーリィはネッツに何も言わなかった。少しだけ呆れた顔をしていただけだった。



 コーリィは隣の通りまでネッツと移動した。コーリィはどこかに向かっているようだった。

「あのテイラーのライバル店、特に紳士服の手作りの店を使っている人物の中にイルズ・カーンがいるかもしれない」

 マキシカで服を作る店もあれば、オーダーメイドの手作業のテイラーだって都市にはある。

「ライバル店を知るのは同業者。ボタンのこともわかるかもしれない。エヌールさんのテイラーに行って聞きましょう」

 ネッツはネジッレが口にいっぱい入っていたため、頷くことしかできなかった。


 4番通りの西。数週間前のマキシカの暴走事故から、通りを行き交う人々はすでに日常を取り戻していた。

 しかし、そのテイラーには、停止したマキシカが静かにあっただけ。布を被せられ、しょぼくれた巨体は冷たくなっていた。

 テイラーマキシカは再び使えるとはいえ、通りの物を破壊し、表では人殺しの機械ということになっている。二度と目覚めることはないだろう。

 ネッツが、マキシカ事故に巻き込まれたその通りは、元どおりの活気かと思えば、どこか寂しげだった。テイラーマキシカが沈黙してから、テイラーマキシカが材料としていた布や糸、ボタンなどを作る店、テイラーマキシカではできない手作業の部分を担当していた従業員など、テイラーマキシカが中心となっていたからだ。

「あら、メグリエのお嬢様、どうしましたか?」

 店の整理をしていたエヌールのおかみさんは、頬がさらにほっそりし、やつれているように見えた。

 ウミナトでの仕事や住居が決まったら、家族はスナバラから離れるとエヌール夫人は言っていた。それまでは、殺人機械とレッテルを貼られたマキシカとひっそりと暮らしているのだろう。

「これどうぞ」

 コーリィは、ネジッレの入った袋を渡す。ネッツは2袋目のネジッレも食べる気でいたので、少し残念な顔をした。

「あら、ありがとう。子ども達が喜ぶわ」

 マキシカを中心に布や糸やボタンが次々と服に変わる、多くの従業員がいた工場兼店舗であったテイラーは今やその活気が嘘かのように静かだった。テイラーマキシカの持ち主は4人家族のエヌール家で、マキシカを中心とした工房の仕事を手伝っていた親類や雇用された職人たちで賑わっていた。

「主人はウミナトに先に行っているの。あちらでの生活の準備ができたら、娘と息子を連れて、私もウミナトに行くわ」

 コーリィは彼女にかける言葉が見つからなかったらしく、黙っていた。

「メグリエさんのせいじゃないわ。今年もちゃんとマキシカの点検をしていればよかったのよね。命にかかわることだったのに・・・」

 思わずネッツは口を開く。

「あのマキシカ事故で誰も死んでいません!俺は生きてる!マキシカは熱過の媒介者に暴走させられたんだ!」

「ネッツ!」

 コーリィは怒りを込めた声で言ったので、ネッツは口をつぐんだ。

「まあ、励ましてくれて、ありがとう」

 さみしそうに、何とか笑うエヌール夫人に、コーリィは話し始める。

「まだ詳しくは話せませんが、あの事故で誰も亡くなってはいません。巻き込まれたのはここにいるネッツですが、この通り元気です。でも死んだことにされています。これは事故ではなく事件で、マキシカを故意に暴走させた人物がいます。だから調べているところなんです」

 エヌール夫人ははっとしたが、またすぐに暗い顔に戻った。コーリィの話に希望を持ちながらも、それは都合の良い話に思えたからかもしれない。

「私たちはある人物を探していて、どうやらマキシカ嫌いの人物のようなんです。紳士服のテイラーで、手作りを貫いているお店をご存じありませんか」

 夫人は疲れたように笑った。頼ってくれるコーリィを愛おしそうに見つめる。

「マキシカをほとんど使わずに仕立てる店ならいくつかあるけれど・・・」

「その人物の服にこのボタンが付いていたようなんですが」

 コーリィはシャルテから預かったボタンを夫人に見せた。

「その紳士服の特徴ってあるかしら?」

 エヌール夫人は眼鏡をかけて、ボタンをじっくりと観察する。

「チェック柄のベストとズボン、気品のある服と聞いています」

「よくチェック柄を好んで着ているのかしら?」

「俺が見たときはチェックしかない。いくつか持ってるみたいだったけど」

 赤毛の少年を優しい目で見たエヌール夫人は、少し考える。

「キオラ・テイラーかしら。これは貝殻で作られたボタンよ」

 彼女によれば、シャルテから預かったボタンはスナバラで作られたものではないらしい。スナバラでは手に入らない海の貝殻から作られたボタンはスナバラでは特に珍しく、高級品として扱われているという。

 スナバラではマキシカによってボタンが大量に製造されており、わざわざウミナトからボタンを輸入しなくても供給は足りている。それにも関わらず、わざわざ輸入した高級なボタンを用いている店ということになる。その店はきっちりした紳士服のオーダーメイドが得意で、ウミナトからも布を仕入れているそうだった。また、そこの職人のマキシカ嫌いは有名らしい。

 職人にとって、マキシカに取って代られることを恐れただろう。しかし、今のスナバラでも手作業で作られるオーダーメイドの服も、マキシカにより大量生産された服も需要がある。服飾の産業はマキシカの一人勝ちではなく、昔ながらのテイラーの店も多くあった。

 マキシカ嫌いのイルズ・カーンと名乗る男なら、マキシカ嫌いの職人の店と気も合いそうだ。

「キオラ・テイラー?それはどこにあるお店ですか?」

「二本通りの先にある、手作りを売りにした古くからある店よ。このボタンのことも知っていると思うわ」

「教えてくださり、ありがとうございます」

コーリィはその情報を得られたことに、感謝した。

「疑いを晴らしてね」

 少し寂しそうな笑顔を作って見せた夫人。

「はい、必ず」

 コーリィは固く誓い、エヌール夫人のいる店を出た。ネッツは瞳に光の灯っていないテイラーマキシカをチラリと見たが、ネッツを縫い込もうとしていたとは思えないくらい、静かで重い金属の塊にしか見えなかった。

 通りは、相変わらず空は厚い雲で覆われていて、空気も水分を含んでまとわりつく。しかし、少しだけ空が明るく見えた。

 続いてコーリィとネッツがやってきたのはキオラ・テイラー。

 マキシカの多い通りとは違い、マキシカ暴走事故の影響もなく、マキシカに頼らない職人たちが手作りを続ける職人街にある、老舗のテイラーである。

 小さな店先に古い銅板でできた看板を掲げ、入り口の横の窓からは際立って真っ白なシャツが見える。オアシスを形作る白い石の壁とレンガを組み合わせて作られた建物は、伝統を守りながらも、新しさと安定の均衡を持った店に相応しい。マキシカに頼らない手作りが売りの堅実な店のようだ。

「ネッツ、ここは子どもはあまり行かないお店だから、お行儀よくするのよ」

「うん」

 そう言われるとネッツは黙ってついていくしかなくなる。

「なんでも触らない」

「うん」

 ネッツは右手首を左手で掴み、その癖が出ないようにした。ここでネッツが行動を間違えたら、カーンは捕まえられないのではないかと不安を覚える。

「ごめんください」

 コーリィは堂々と店に入った。敵地に乗り込むかのような構えた姿勢ではない。一方で、ネッツはこのような上流の店に入ったことがなく、落ち着かなかった。コーリィについて行き、じっとしていればいい。

 店内は紳士服用の布地が棒に巻かれて多数並んでいた。ベストやスラックス用の布は無地の次にチェック柄が多いように見える。ぱりっとした光沢のあるシャツの為の布地も白や淡い色を多数揃えている古いが整理整頓された店だ。

 店の奥からやってきたのは、ほとんどが白髪の髪を後ろに撫で付け、への字口に垂れたほお、乱雑に伸びた眉毛にも白髪が混ざる、仕立屋の職人の親父だった。仕立屋らしく、自身が仕立てたシャツを着ていたが、端切れを集めて作ったらしく、襟や胸のポケット、袖口に色の違う生地が使われていた。それがまた遊び心や職人の気まぐれをよく表し、彼にとても似合っている。

「いらっしゃい。うちはご婦人の服はやってないが」

 職人は不機嫌でがらがらな声を発した。それは職人気質を彩り、気難しい口下手な老人である特徴に見えた。

「少しお聞きしたいことがあって参りました」

 コーリィはシャルテから預かったボタンを取り出した。

「このボタンは、こちらで仕立てられたお洋服に付けられたものでしょうか?」

 仕立て屋の主人はコーリィからボタンを受け取り、眼鏡をかけてじっと見つめた。

「あぁ、ウミナトから輸入してる貝ボタンだよ。このボタンを扱っているのは、うちくらいじゃないかな」

 ネッツはそれを聞いてカーンの尻尾を捕まえられることに浮き足立った。

「背の高い金縁の丸眼鏡で茶髪の男を探しています。そのボタンもその男のものだそうです。チェック柄のベストとズボンを好んで着ているという話で、この店の服を召した人ではないかと思って参りました」

 コーリィは堂々としていた。小娘だと言って追い出すことはできないだろう。職人の貫禄に負けないくらいだ。ネッツは怖気付いてコーリィの陰に隠れて、高級店の空気に飲まれないようにするのに手一杯だ。

「客の情報は言えない」

 一言だけ返し、キオラ・テイラーの主人は硬く口を閉ざす。しかし、コーリィはここで食い下がらなかった。

「言えないってことは、私たちが探している人物に心当たりがありますね?」

 職人は不機嫌さをさらに深める。

「お願いします!どんなことでもいいので教えてください」

 コーリィが必死な表情で言っても、店主は黙ったままだった。ネッツのために、メグリエ機関の信頼のために、コーリィは頭を下げる。

 イルズ・カーンを捕まえなくては。ネッツは意を決する。

「教えてくれないと、俺は死んだことにされたままだし、兄と姉を助けられないし、ミセスも見つからないんだ!」

 ネッツが小さな体で声を張り上げた。コーリィは助手の予想外な行動に呆気にとられる。

「死んだ?生きてるじゃないか」

 突然やってきた変な子どもたちに警戒したまま仕立て屋の主人は話を聞く。

「新聞だよ!俺は生きてるのに、マキシカの事故で死んだことにされてるんだ。それで、コーリィにも迷惑をかけてーー」

「ネッツ。ご迷惑をかけてはいけないわ」

「まさか、メグリエの家の?」

 コーリィは静かに頷いた。数日前のスナバラ・タイムズの記事は広く都市の人々に読まれているから、知っていてもおかしくはない。

「訳ありか。話だけは聞いてやらんでもない」

「ありがとうございます」

 コーリィは難しい顔をした下町の仕立て屋職人に話し始めた。

「探している人物は偽名を使っていて、詳しいことはわからないんです。マキシカを避けているようで、服もマキシカを使わずに仕立てられたものを着ています」

「甘いものが嫌いで、子どもも嫌いなやつだ」

 ネッツはコーリィの後ろに隠れながら付け加える。

「偽名か。そいつはなんて名乗ってるんだ?」

 老職人は不信感をあらわにする。

「イルズ・カーンと名乗っていたようです」

「そんな名前の顧客はいない。うちの顧客だとしたら、本名を名乗っているというわけか」

「特徴から、該当する方はいませんか?」

 コーリィは必死だった。やっと、イルズ・カーンの別の顔を知る人物に出会えたからだ。みすみすこの機会を逃すわけにはいかない。

「顧客のことは言えないな」

 キオラ・テイラーの老職人は、吐き捨てるように言った。コーリィもネッツも、もどかしく悔しく、歯がゆい。

 何か事件に絡んでいる怪しい客だとわかったからと言って、彼にとっては客に変わりない。客の情報は第三者には明かすことはしないのだ。

「メグリエの家も大変だな。まぁ、明々後日16時、そいつに似た客の仮縫いの予約が入ってる。すでに代金は貰っているし、店の外のことは知らないからな」

 それだけ言って、客でないコーリィとネッツを煙たがるような顔で追い出す素振りを見せる。

「ありがとうございます」

 ネッツやミセス・トッドマリー、エレックやシャルテの前に現れた男は偽名を使っていたことになるが、この店では本名、イルズ・カーン以外の名を使っていることとなる。

 残念ながらその名を知ることはできなかったが、彼が現れる時を教えてくれた職人の精一杯の譲歩だった。



 イルズ・カーンの正体を突き止められる。あと少しだ。ネッツはその日を待った。

――テイラーに予約が入っているというその日。

 この辺りの商人の子供のように見えるよう、二人は服を選んだ。コーリィは、淡い青色で染められたワンピースだ。少しシワのできる布地の服は、素朴な感じが出ている。ネッツは綿のシャツに丈の足りないズボンと、職人街の下働きでもやっていそうな少年の風貌だ。

 二人はキオラ・テイラーの近くで彼の登場を待った。

 雨は強弱をつけ、烟るような霧と一つの傘は二人を職人と商人の通りに馴染ませ、紛れ込ませた。

 時間きっかりにその男はキオラ・テイラーを訪れた。黒い傘を差し、その影と雨が作り出す霧のせいで顔ははっきりとは見えない。

 しかし、細身の身体に気取った雰囲気、トレードマークのチェック柄の服の男だ。メガネだって金縁であるように見える。

「あれがイルズ・カーンね」

 青い傘に隠れながら、コーリィとネッツは標的を確認する。

「出てきたところを尾けるわ。今日は見つからずに、彼の次の行き先をつかむのよ」

 コーリィの言葉に、ネッツは疑問と不満でいっぱいだった。

「なんで?捕まえようぜ」

「次の作戦のため。いい?私たちに大人を捕まえるなんて無理でしょう?」

 マキシカの暴走の現場を抑えるのなら話は別だが、2人が彼を引き止めるのも難しく、雨の中で通りの人もまばら。以前、ネッツがパーティの場でイルズ・カーンに会った時も、はぐらかされ逃げられてしまった。力ずくで捕まえることなど、痩せっぽっちな子どものネッツには不可能だ。

 コーリィには考えがある。急いてはならない、コーリィはネッツの逸る気持ちを抑える。悔しいがまだ我慢だ。

「――わかった」

「彼が店から出てきて、ネッツはカーンかどうか、できるだけ離れたままで判断して。そうだったら、私の手を握って。声に出すと感づかれる」

 ネッツは自信を持って首を縦に振った。

 二人は一本の傘の中におり、雨音が二人の会話をかき消して都合がよい。

 それからしばらくして、男は店から出てきた。

コーリィとネッツは手を繋いだ。コーリィがネッツの行動を制限するためと、ネッツがその男がカーンだと知らせるためである。

 ネッツの潜む路地から見えた彼の横顔は、ネッツの見知ったものだった。

 走り出して、殴りかかりたい。ミセス・トッドマリーの居場所を聞き出したい。ネッツはぐっと声を出したいのを飲み込み、はやる気持ちを抑える。ネッツはコーリィの手をギュッと握る。

 コーリィとネッツは顔を見合わせ、頷いた。コーリィとネッツは路地から出るとカーンの尾行を始める。

 ネッツは声を出しそうになるのをこらえ、雨が都市の石畳を打つ音に二人の足音を隠しながら、カーンを追った。

 雨の中、早足で男は歩く。

 ネッツは早鐘のように打つ心臓を隠しながら、傘を持つコーリィに合わせて歩く。

 やがてたどり着いたのは、三番通りの新聞社だった。都市全体のニュースを届ける大手の新聞社スナバラ・タイムズ社。ネッツの死亡の記事を最初に出したのも、メグリエ家が孤児の期待を隠蔽しているという記事を出したのもこの新聞社だった。中立を謳っているが、マキシカの批判が多く反対派が好む記事を書くことが多いのが特徴だ。発行部数はスナバラの中で最も多い新聞である。

 新聞社の関係者が絡んでいる可能性はあったが、まさにその通りだったことに、コーリィは驚き、納得したようだった。

 イルズは新聞社には入らず、建物の脇の道を歩いていく。人が一人通れるほどで、道の真ん中は窪んでいる。

 少ししてからコーリィとネッツは追いかけた。

 新聞社の裏には、新聞社の従業員のための社員寮があった。来た脇道は社員寮への一本道だ。追っていた男はすでに社員寮の中へと入り、階段を登って行ったようだ。

 社員寮の建物に入ってすぐ、複数の箱を重ねて作られた郵便受けがあった。コーリィはその前で止まった。

 十数の郵便受けの前にはカーンの傘から滴り落ちた水滴が床に残り、彼の足どりがわかる。

 コーリィは1つの郵便受けを凝視していた。

「これがイルズ・カーンの本名だわ」

 郵便受けのうち、1つだけ扉が濡れたものがあった。

 彼の手が濡れていたのだろう。錆びた鉄板の郵便受けの扉に水の染み込んだあとがある。210号室に住む人間の名は男性の名前で、イルズ・カーンの本名に違いないことを確信した。

「彼の名は――ラゥル・コソック」

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